不意の亀裂、見えない視線
放課後。いつもなら女子数名で賑やかになるはずの帰り道、結愛は一人の男子を連れて現れた。
「紹介するわ、わたしの彼氏……山崎君。野球部なの」
三人でソフトクリームを食べながら、たわいもないお話しに花を咲かせる。そこまでは、いつも通りの、平和な日常の延長線上にあるはずだった。
三人での他愛ない会話が、ふと途切れた。
さっきまで隣を歩いていた結愛の彼――山崎は、少し考え込むような顔をしてから、ぽつりと口を開いた。
「なんかさ……」
和美は、無意識に歩調を緩めた。
「和美さんの動きって、つい目で追っちゃうんだよ」
「え?」
思わず聞き返してしまう。自分の名前が出たことよりも、その言葉の意図がすぐに理解できなかった。
「うまく言えないんだけど……なんか、ずっと見てられるっていうか。……魅力あるよね」
山崎は頭を掻きながら続けた。言い切ったあとで、自分でも少し言い過ぎたと思ったのか、照れ隠しのように苦笑する。
和美は立ち止まりそうになるのを、なんとかこらえた。
(……何を言われているんだろう)
急に身体が落ち着かなくなる。自分の歩き方、腕の振り方、視線のやり場。そんな些細な動作のすべてを、急に意識せずにはいられなくなる。
「私、そんなのじゃないよ。普通に歩いてるだけだし……」
慌てて否定するが、山崎は軽く首を振った。
「いや、それがさ。普通じゃないっていうか……なんだろうな。意識して見ちゃう感じなんだよ」
その横で、結愛が小さく笑った。
「なにそれ。いきなり口説いてるみたいじゃん」
軽い調子の言葉。でも、その声には、和美の耳にだけ届くほど微かな硬さが混じっていた。
「違うって」
山崎はすぐに否定したが、その視線が一瞬だけ和美に向けられたことを、結愛は見逃さなかった。
「和美が変なだけじゃない?」
結愛が肩をすくめて言う。
「新体操やってるから、そう見えるんでしょ」
「……まあ、そうかもな」
山崎は曖昧に笑って、話を切り上げた。
そのまま駅で別れ、和美と結愛は二人の帰り道につく。
数分後。並んで歩く二人のあいだに、妙な沈黙が落ちていた。普段ならどうでもいい話題で笑い合うはずなのに、結愛は頑なに口を閉ざしたままだ。
やがて、結愛が足を止めた。
「……ねえ」
振り返った彼女の目は、さっきまでの笑顔とは全く違う色をしていた。
「変なことしないでよね」
「え?」
一瞬、言葉の意味が追いつかない。
「だから。……あの人、和美のこと気にしてるの、分かんないの?」
足元が、ふわりと浮いたような感覚がした。
「ちょっと、待って。私、そんなことしてないよ」
和美は慌てて声を上げる。本当に、意味が分からなかった。気にする? 誰が? どうして?
「そういうつもりじゃないし……」
「つもりがあるとかないとかじゃないの」
結愛が一歩、詰め寄ってくる。その声は、微かに震えていた。
「……和美にさ、取られたら嫌なんだけど」
空気が、止まった。和美の思考も、同時に凍りつく。
(取る……?)
「私……そんなこと考えたこともないよ。結愛の彼氏だし……」
「そういう問題じゃないでしょ!」
即座に返ってきた言葉に、和美はたじろいだ。
「和美って、自分のこと分かってないよね。みんなさ、普通に見てないっていうか……」
結愛は言いかけて、きつく唇を噛んだ。
「……もういい」
短く吐き捨てて、結愛は背を向ける。そのまま、和美を置いたまま早足で歩き出した。
「結愛……待って!」
呼び止める声が、やけに遠く感じた。追いかけなければいけないのに、どうしても足が踏み出せない。
(なんで……こんなことになってるの?)
「目で追っちゃう」「魅力ある」「取られたら嫌」
――そのすべてが、自分という存在に向けられていたなんて。
和美は、自分の両手を見下ろした。
何もしていない。何も変えていない。ただ、一人の女子中学生としてここにいるだけのはずなのに。
(……私は、何として見られてるの?)
その答えだけが、夕暮れの街の中で、どうしても見つからなかった。




