魔王の兄、勇者の弟
「はぁ…はっ…あはっ…た、楽しい…うふっ…ふふふ…」
「そろそろ…倒れてくれていいんだよ…?ふぅ…」
千棘とアルセーヌの斧の打ち合いは試合開始から30分以上もの時間が流れ、闘技場は観客席以外原型を留めておらず、地面が捲れて岩肌を露出させていた。
闘技場の中心は試合開始時より二段ほど陥没しており、そこにアルセーヌは乱れた息をそのままに震える足に鞭を打ちながら捲れ上がった岩の上にいる千棘を見上げる。
「もう…限界…ふふふ…だから最後のい…いちげ…っ」
「あ、アルセーヌ!!」
超重量のバルディッシュを支えられなくなったアルセーヌがバルディッシュの下敷きになる様に前のめりに倒れそうになっているのを見た千棘は、度重なる斧撃によってボロボロになった禍々しいバルディッシュを放り投げてアルセーヌの身体とバルディッシュを支える。
「アルセーヌ!!だいじょ…ははっ…満足したみたいでよかったよ…」
支えたアルセーヌが無事か確認しようと仰向けにした千棘は、アルセーヌの満足そうな表情で寝ている事を確認して笑みを漏らす。
「審判!アルセーヌは気絶した!判定を!!」
「は、はひ………あ、アルセーヌ・フォン・アルティス・シドフィア第二皇女がき、気絶した為この勝負仮称魔王軍のしょ、勝利です!!!」
審判が千棘の勝利を告げても観客席の人達は一言も声を上げず、今まで繰り広げられていた激戦から意識がまだ帰って来れていなかった。
するとノクスが豪華な椅子から立ち上がり、一際大きい声と拍手で千棘と妹であるアルセーヌの激戦を称える。
「最高の試合を見せてもらった!!!皆の者!!!!今一度歴史に残る戦いを見せてくれた二人に盛大な拍手と歓声を!!!」
ノクスの声で我に返った観客席の人々はぽつりぽつりと千棘とアルセーヌに歓声を送り、隣の人にならう様に歓声と拍手が響いていく。
「さぁ!!あの二人を称えるのだ!!良くぞ至高の試合を我々に見せてくれた!!もっと大きな拍手をあの二人に!!」
ノクスの煽りで火が付いた観客達はがむしゃらに手を叩き、喉が張り裂けんばかりの声を千棘とアルセーヌに送っていく。
「しかしまだこれは初戦だ!!闘技場を修復し次第すぐに第二試合を行う!!歴史に残る試合を見届ける為に皆の者!!十分に英気を養うのだ!!」
その声で闘技場に数十人の魔法使いが殺到し、千棘とアルセーヌが戦った痕跡を四苦八苦しながらも修復し始めるのを見て興奮醒めぬ人々は意気揚々に街に繰り出していく。
千棘はアルセーヌを抱いたまま放り投げた禍々しいバルディッシュとアルセーヌのバルディッシュをインベントリにしまい、鏡とノエルがいる貴賓席まで跳躍する。
「鏡、魔法障壁ありがとうね?」
「おう…ひ、久々につれぇと思ったぜ…」
汗だくになった鏡は肩で息をしながらも整った顔立ちのおかげで息を切らした姿すら様になっていた。
「初めてこの目でチヅルさんが戦ってるのを見ましたが…とんでもないですね…」
「まぁ破壊力のある武器での試合だったからね…おかげで今も手の感覚が曖昧だよ」
若干引き気味のノエルに手を振りながらおどけて見せる千棘は腕の中で寝ているアルセーヌを貴賓席のソファーに寝かせ、インベントリから取り出したポーションをアルセーヌの紫色になっている腕に振りかける。
「アルセーヌの能力は影の中に入り込む能力と、自分の限界以上の力を開放できる能力って所かな…」
「ちーと互角に殴り合ってたもんな…でも力を開放して腕が壊れてるんじゃ安易に全力で戦えねーなぁ…」
「魔力が切れて、影の能力で補ってた部分すら身体能力を上げて補った反動だろうね。まぁ丁度良く治るポーションがあってよかったねって事だね!」
ポーションをかけたアルセーヌの腕は紫色から元の白い肌に戻り、身体の至る所にあった切り傷もしっかり消えているのを確認して空になったポーションの瓶を手で弄んでいると、貴賓席の扉が壊れるんじゃないかと思う程の勢いで開き、中にいた千棘、鏡、ノエルは肩を跳ね上げさせる。
「アルセーヌ!!!ぶ、無事か!?」
「あ、アルセーヌ!!大丈夫なの!?」
「ちょ、ノクス、カトレーヌ!!アルセーヌは寝てるだけだから大丈夫だよ!!」
「お、おまえなぁ!!!アルセーヌは俺の妹なんだぞ!?何であそこまで本気でボコボコに出来るんだ!?」
「は、はぁ!?ボコボコにされてたのは僕の方だけど!?避けたいのに避けたらしょぼくれるから受けるしかなかったし!!」
「相手は女の子なんだから少しは加減しろ!!!」
「戦える人は女の子の前に戦士なんだよ!!戦士が手を抜かれて喜ぶわけないだろ!?」
「お前…!!この『おうおう、落ち着けよノクス。カトレーヌを少しは見習え』…ちっ!!」
「ったくよ。にーちゃんとして妹が心配なのはわかるけどよ?同盟組んだ時にも言ってただろ?少しはアルセーヌの気持ちを汲んでやれ」
「……わかっている…正直アルセーヌがあそこまで戦えるとは本当に思っていなかった…」
「アルセーヌ言ってたよ?いつも半分も力を出せないって。起きたら危ない事をするなって怒るんじゃなく、楽しかったかって聞いてあげなよ?」
「お前に言われなくてもわかってる!!…まったく…まぁ…礼を言っておく…」
「ほらノクスお兄ちゃん…」
「ああ…」
ノクスはそう言い切ると横になっているカトレーヌと一緒にアルセーヌの傍に座り、目を覚ますのを待ち始める。
千棘、鏡、ノエルはノクスの不器用なお礼を聞いてクスリと笑っていると開けっぱなしの扉から入室してくる人影を見つけて声をかける。
「あ、フィオ、レノ」
「やっぱりチヅルお兄ちゃんは強いねー…あんな楽しそうなアルセーヌちゃん初めて見た…」
「僕達と戦ってた時はまだ本気じゃなかったんだね…」
そんな事を言いながらフィオとレノはノクスに膝枕をしてもらっているアルセーヌの嬉しそうな寝顔を見て小さく息を吐き、千棘に問う。
「チヅルお兄ちゃん、どうして剣と銃?だっけ?あれ使わなかったの?」
「ん?あぁ、フィオとレノと戦う時はあの二つを使うけど、アルセーヌは斧だったからねー。この世界に来てから一回も使ってなかったからちゃんと使えるか確かめてみたんだけど…結構へたっぴになってたからリハビリしないとねー」
「あ、あれで本調子じゃないんですねチヅル兄さん…」
「斧一本で戦うとどうしてもねー…僕は要所要所で的確な武器に切り替えるのが得意だから、ずっと同じ武器だけって言うのはどうしても苦手なんだよ」
苦笑しながらフィオとレノに説明した千棘はインベントリからボロボロになった礼服の替えを取り出し、フィオとノエル、カトレーヌに背を向けながら着替え始める。
「うわ…チヅルお兄ちゃんあれだけの戦闘をして殆ど無傷?小さな擦り傷はあるけど…」
「…僕だったら絶対に骨は折れてる…」
「それはアルセーヌの攻撃を真正面から受けた場合でしょ?二人は刀での高速戦闘だろうし、比べるのは意味ないよ」
そんな話をしていると開けっぱなしの扉をわざわざノックしてエル、デル、ベルセの三人が入室してきて、エルとデルはお茶の準備をし始める。
「お疲れ様です千棘様。只今お茶のご用意を」
「エル、デル、ありがとうね…って、何でベルセは微妙な顔してるの?」
「微妙な顔にもなりますわ!!控室に突っ込んできた時はびっくりしましたわよ!!!!」
「あ、ああ…夢中になっちゃって周り見えてなかったよ…びっくりさせてごめんね?」
「…はぁ、まぁいいですわ。…このままですと私達の出番は無さそうですわね。ゆったりと貴賓席でノエルと観戦していますわ」
「わかんないよ?フィオとレノに負けるかも知れないし、準備だけはちゃんとしておいてねー」
「わかりましたわ」
「かしこまりました。皆様、お茶のご用意が出来ました」
「よし、じゃあみんな闘技場の修繕が終わるまでゆっくりしよっか!!」
たった一戦しただけとは思えない程に破壊された闘技場…その光景を眼下に納めながらみんなはゆったりとお茶を楽しみ、闘技場が修繕されるまで待ち続けた…。
■
「大変長らくお待たせしました!!大破してしまった闘技場の修繕はこの通り修繕致しました!!これから第二開戦を開始させて頂きます!!」
第一試合の審判は何度も死にかけたという事で二試合目の審判を辞退し、新しい審判が意気揚々に観客席に集まり直した人々を順調に煽っていく。
「まずはシドフィア帝国側、齢12歳の最年少最速のSランク冒険者!!何とこの方は昔、山賊に攫われていた所を魔王チヅル様に助けられたという過去をお持ちです!!ただの少年が憧れの人を追いかけて、遂にその憧れの背中を掴みました!!!もっとも英雄に近いと言われている二人の内の一人…!!!レノの入場ですー!!!!」
北門が盛大な歓声と音楽を伴って開き、その門からゆったりと金髪の髪を揺らしながら一人の少年が戦いの場へ歩いていく。
レノは観客席の人々に答える様にアルセーヌと同じく360度に手を振りながら審判の元に辿り着き、固く閉じている南門をじっと見据える。
「続きまして仮称魔王軍側、第一試合ではアルセーヌ・フォン・アルティス・シドフィア第二皇女と怒涛の試合を繰り広げた魔王!!そして今回対戦するレノの命の恩人で憧れの存在!!魔王チヅル様の再入場ですー!!!!」
北門と同じ様に盛大な歓声と音楽と一緒に開かれた南門から少女と言っても過言ではない少年が360度見渡せる観客席の人々にその姿を晒していく。
千棘は一戦目の礼服とは装いが全く違く、ぴったりとしたお腹が露出する長袖のシャツに黒のホットパンツ…その両太ももには信仁からのお守りを納めるホルスターが装着しており、腰の後ろには斜めに黄金の剣を納める金色の鞘が下げられ、見る人が見たら扇情的とも思える出で立ちで男性の観客を困惑の渦に叩きこむ。
「あれは男、あれは男、あれは男…!!!」
「俺…あの子なら男でもいいかも…」
そんな声は千棘には聞こえないが色んな方向から黄色く生暖かく、ねっとりとした視線を感じながらも千棘はレノの前まで歩いていき手を差し出す。
「レノ、君の三年間を見せてもらうよ?」
「ええ、守られていた泣き虫なレノは卒業しました。大切なものを守れるようになった僕を…憧れであるあなたに見せつけます」
二人は口端を吊り上げながら固く手を結び、示し合せたかの様に開始位置まで同時に歩いていく。
レノは開始位置で茶色の鞘に納まった緋色の刀を抜き放ち、自身に魔法を付与する時の淡い光を発しながら千棘を鋭い目つきで見据える。
千棘も同じ様に刀を構えているレノを鋭い目つきで見据え、両太ももに付けられた銀と黒の二丁拳銃に弾丸である魔力を籠め、深く集中していく。
審判が手を振り上げるのを遅く感じながらも千棘はレノの一挙手一投足を見逃さない様に見つめ続け…
「第二試合!!レノ対魔王チヅル、戦闘開始!!!」
「「ッ!!!!」」
審判が手を振り下ろし、武術の心得があったのかバックステップで会場の端まで避けた瞬間、千棘は黒い銃だけを抜き放ち、こちらに高速で突っ込んでくるレノに向かって掃射する。
「これが銃…!見切る!!」
するとレノの目つきが更に鋭くなり、千棘が放った20発の魔力弾を全て羽の様に軽い刀で斬り落とし、速度を落とさないまま千棘との距離を詰めていく。
「やるね!!レノ!!!」
「その武器は厄介ですね!!!」
両者口端を吊り上げて千棘は銀色の銃を抜き放ち、レノは遠距離攻撃をしてくる相手を倒す為のセオリー通り懐に飛び込みながら神速と言っても過言ではない速度で刀を振り抜いていく。
千棘は腰に下げている黄金の剣を抜く暇が無いと思える程の剣舞を黒と銀の銃でいなし、相手の急所を狙いすました様に射撃していく。
刀と銃…線と点…刀の剣閃と銃の射撃が入り混じり、たった1分にも満たない内にレノは100もの線を、千棘は150もの点を浴びせ、千棘とレノ周りには何者も近寄れない死の嵐が巻き起こっていた。
「レノ!!強くなったね!!!」
「当り前です!!!僕はフィオを守りたい!!そして貴方を超える為にここまでやって…きたんだ!!ウンディーネ!!!」
「!?」
丁寧な喋り方から男らしい口調になったレノが叫んだ名前に驚きを露にした千棘はレノの後ろに水で形どられた女性の姿を見てレノに問う。
「レノ!?まさか君は…召喚術が使えるのか!?」
「ああ!!ウンディーネ!!!いつものを頼む!!!」
千棘と激しいぶつかり合いをしている中、レノがウンディーネにいつものをと告げるとウンディーネは言葉を発する事なく頷き、ウンディーネがレノの身体を透明な水で覆っていく。
「水の防御壁か!?そんなんじゃ僕の…っ!?」
「防御壁…?そんな守りなんて僕に必要ない!!僕は憧れを超える為に何時でも全力だ!!!」
身体を打撃する魔弾から身体を守る為に水の防御壁で守りを固めたと思った千棘は、急に現れた二人目のレノに驚きながらも両手に持った銀と黒の銃身で二人のレノの剣舞をいなしていく。
「なっ!?ぶ、分身!?」
「これで驚くにはまだ早いよチヅル兄さん!!!」
驚く千棘に楽しくなるのはこれからだと言わんばかりの笑みを浮かべたレノは、三人目のレノを生み出して千棘から距離を取り、二人の自分に千棘を押さえ込ませる。
「はぁ!?さ、三人目!?」
「試合が終わった後種明かしをしてあげるよ!!今はチヅル兄さんを超える為に全力を出す!!!」
千棘は本人と何も変わらない二人のレノの剣舞をどうにか片腕ずつで捌いていくが、威力も素早さも変わらない攻撃が単純に二倍…更にこちらが攻撃を通しても水の身体をすり抜け、次第に千棘の身体に生々しい斬り傷が増えていき、もどかしさに表情が歪んでいく。
「く、くそ…!!流石に…ちょっときつい!!」
力だけならアルメラの一段下…だけどその攻撃力を持ったのは本体じゃなく分身の二体…厄介さならアルメラ以上だと思いながら本体のレノが後方で何かを準備しているのを見つけて冷や汗をかき始める千棘。
「何か準備してるな…!この分身は疲れる事を知らないのか!?」
200、300と増えていく刀の線、そのどれもが全力で全速で…力を抜くという事を知らない猛攻をどうにか防いでいる千棘は次第と攻撃の手が緩み、防戦一方になって焦りを感じ始める。
「やばい…どうにっ!?どうにかしないと…!!動いてもぴったりついてくるし!!」
その場に留まらず、脚を動かしてどうにか二人のレノを振り切ろうとしてもぴったり離れずについてくる分身達が千棘の頬を浅く斬りつけ、真っ赤な血が飛び散る。
「いくぞ!!」
「っ!?」
顔に、首に、腕に、腹に、脚にどんどん刀傷を付けながら、身体を赤く染めていく千棘は本体であるレノが何かの準備が終了した事を悟る。
「くそ!!何か大技がくるのか!?」
「ああ…これが僕の全力だ!!!」
レノの身体と緋色の刀身は水の衣を纏い、瑠璃色の刀身へと変わった刀を横に一振りすると瑠璃色の刀身から水を溜めるダムが決壊したと思わせる程の大量の水が噴き出し、闘技場を水浸しにしていく。
「うっ!?み、水!?」
高速で動き回っていた千棘の膝下まで満たされた水が脚を絡めとり、思う様に脚が動かせずに機動力を失ってしまう。
自ずと脚を止め、水の分身で作られた二人のレノは水の影響を受けないのか素早い動きを生かして縦横無尽に千棘の身体を切り裂いていく。
「ぐっ…!?ふ、防ぎきれない…!?」
「手数の多い相手は多数で押さえ…はぁ…素早い相手は脚を押さえる…はぁ…っ…あの時、チヅル兄さんが!!エリオさんとの一戦で速さを見せてくれたおかげで…っ考えた戦法だ…僕は絶対に!!!貴方を超えるんだ!!!」
膝下までの水位はいつの間にか腹を覆う程まで上がり、思う様に動けなくなった千棘を二人のレノがガッツリと拘束すると魔力切れが近いのか荒い息を繰り返しているレノが瑠璃色の刀身を空に向ける。
「くっ!!分身だから自滅覚悟で相手を押さえれるって事か…!!!」
「この一撃は僕が今まで培ってきた一撃…!!いくぞ!!兄さん!!!!」
瑠璃色の刀身が巨大な水柱を生み出し、荒れ狂う水流を制御して巨大な剣の形を作り上げていく。
水で出来た刀身の中は嵐で荒れ狂う海を内包しているかの様に暴れ、刀身の外側は静寂の湖の様に澄み渡った綺麗な水の巨大剣をレノは吠えながら千棘へ振り下ろす。
「僕は…今!!!伝説を超えるんだああああああああ!!!!!」
「!?」
ゆっくりと振り下ろされる水の巨大剣、これを食らったらひとたまりもないと思っても動くことを許してくれない二人のレノ…千棘は負けてしまうと感じた瞬間、仲間達の笑顔が脳裏を過る。
嫌だ…負けたくない…どうしても勝ちたい…そんな思いが千棘の心を埋め尽くした時、どす黒くても心地いい…柔らかく優しい静寂の闇が千棘の心を覆っていく。
「まだ…おわれ…ない!!!!!」
そう叫んだ千棘の身体から優しい闇が噴き出し、闘技場を柔らかい闇で塗りつぶして空を静寂な闇が青空から太陽が眠る夜空へと染めていく。
「ウラァ!!!!」
力が奥底から湧き出てくるのに身を任せ、水の身体で出来た二人のレノを力尽くで振り払い、目と鼻の先にまで来た巨大な水の剣を両手で掴み取って力任せに水の刀身を受け止める。
「なっ!?に、兄さん!!」
「レノ…!!悪いけどまだ…!!!!俺を超えさせるわけにはいかないんだ!!!うらあああああああああああああ!!!!!」
暴れ狂う水の刀身に両腕がズタズタに引き裂かれても力を籠め続け、レノの水の大剣に千棘の血が混ざり始めた時、水の入った風船が割れた光景を思い浮かばせるようにレノの渾身の一撃を両腕で砕く。
「う、うそ…だろ…!?ぼ、僕の全力…が…!!それにその姿…」
「…レノ…本当に強くなったね…でも、僕はレノやフィオの目標であり続ける為に、仲間の為にもここで負けるわけにはいかないんだ」
優しく両手を包み込む闇がレノの一撃でズタズタになった両手を癒し、無傷の腕の感触を確かめながら千棘は背中に感じるずっしりとした羽を羽ばたかせて水飛沫を上げて飛び立ち、自分の闇で染め上げた夜空を背にしながら腰から黄金の剣を抜き放ち掲げる。
「本当に危なかった…これで終わりだ、レノ」
漆黒の闇に輝く黄金の剣…夜空に浮かぶ月を思い浮かべるその光景を自身で作り出した水に浸りながら見惚れたレノは、苦笑しながら震える身体を瑠璃色の刀で支え、自分の命を救ってくれた憧れの夜の魔王を見据える。
「はは…僕の憧れはまだあんな遠い場所にいるんだ…」
レノのか細い呟きは上空にいる千棘には届かなかったが、その呟きに答える様に夜の魔王が月を携えてレノの元に落ち、莫大な水を撒き散らし、闘技場の地面を、壁を、何度も再生する鏡の魔力障壁を砕いていく。
あまりの衝撃で帝都フィルディアが揺れ、悲鳴と泥、闘技場に溜まった水が恵みの雨の様に降り注いで闘技場を覆いつくすが、鏡が全力で張ってくれた魔力障壁のおかげで観客席に被害はなく、雨を浴びながら障壁にへばりついた泥の向こうにいるはずの二人を一身に見つめる観客席の人々。
静寂の夜に響く雨音、やっと雨に洗い流される泥…観客達の視界に映ったのは黄金の剣を顔の横に突き立てられ、満足そうな表情を浮かべながら横たわっている金髪の少年と、その表情を見て嬉しそうな表情を浮かべている夜の魔王の姿だった。
闘技場の床は第一試合とは比にならない程にひび割れ陥没し、今日中には修繕できない程の破損具合だったが、魔王に挑む勇者の姿を見届けられた観客達は涙を流しながら歓声を上げる。
雄たけびにも似た観客達の声を聞きて千棘は心と身体を覆う闇を身体の奥底にしまい、晴れ渡る青空の下、まだ降り注ぐ雨を浴びながら満足そうに寝ている弟を抱き起す。
「レノ…本当に君は強くなっ…た…」
勇者と言える弟の安らかな寝顔を見た魔王の兄は、雄たけびの様な歓声を子守唄に身体から力が抜ける感覚に身を任せ、抱き起した勇者と同じ安らかな表情のままゆったりとした夢の中へ落ちていく…。




