第六十五話 『二人の世界の必要性、その他』
少年は、醜態をさらしたことを恥じていた。その心の内が伝わってきて、何を今さら、と笑ってしまう者たちがいた。
少年は、諦めかけたことを悔やんでいた。その想いの内が伝わってきて、そんなこと誰でもあるさ、と寄りそう者たちがいた。
少年は、だからこそ、立ち上がることが出来た。
少年は、だからこそ、自分の力で立ち上がることが出来た。内側からみなぎってくるような、自分の、力で。
「くわぁ……、ヤバイよ、鷲都さん。俺、今、かなり弱気になってた」
九津は落ち込んだ顔を隠すように手のひらをあてて言った。包女は優しく笑う。
「うん、知ってる。というかへこみすぎて、新たな一面をみた、どころの騒ぎじゃなかったよ」
「うわ、そんなに?」
「うん。そんなに」
「ん、そっかぁ…本当に情けないなぁ」
「うん。情けないね、格好悪いよ」
「さすが鷲都さん。容赦のない一言を」
「だからさ…格好いいところ、早く、私に見せてね」
今、ここはまだ戦いの最中だ。瑪瑙たちや束都たちを始めとした仲間たちや、戦なければならない相手の妖怪たちちもいる。
そんな中で二人は、少しだけ、本当に少しだけ、二人だけの世界に浸った。それが大切なことだと互いに悟ったから。
「ん、もちろん」
手のひらをどけた少年の顔には、強い意志が戻っていた。
「お待たせ、お待たせ。ごめん、ちょっと休んでた」
あっけらかんとアスモデウスに言う。彼は信じられないものを見るような目になった。
アスモデウスの中で九津の心は完全に折れていたはずだったからだ。もう、立ち上がり、立ち向かってくることはないだろうと思っていたからだ。
だが、立ち上がった。なぜ。たかが数人の助勢程度でこれほどまでに心そのものが復活するなんてあり得ない、と。
アスモデウスは知らなかった。もしくは、人間の感情という力の在り方を忘れていたのだ。
──格好いいところを見せて。
親しい少女にそんなことを二人だけの世界で言われてしまっては、少年は頑張るしかないということを。
魔術師の少女のたった一言の魔術は、少年の折れた心さえ復活さえて強くすることを。
『まぁ、いい』
知らないから、わからないから、あるいは忘れてしまったからか、アスモデウスは言い放つ。
『今度はお前自身を完全に叩き潰すことにより、その全てを折れればいいのだからな』
「ん、来なよ。俺たちは…強いよ」
アスモデウスを迎え撃つ少年が、ほんの少し前の少年と同一にして、全く違うということに気がつかずに。
『ベルフェゴル、お前はベルゼブブを連れて町に行け。向こうの妖精たちの指揮を執れ。俺たちは全力でこいつらを倒す』
『え?えー…って、仕方ないよねー。うん、わかったー』
アスモデウスに従いベルフェゴルはベルゼブブと共に空を翔んだ。奇襲ではなかったことと、ベルフェゴルが加わったことによりベルゼブブは今度は精霊たちに邪魔されることなく行く。
それでも九津には焦りはない。飛んでいく彼の仲間を見送りながら術式で繋がっている全員に、頼み事をしたからだ。
──悪いんだけど、俺に力を貸してもらえないかな?
すると、盛大に馬鹿にされたような雰囲気が脳内に直接伝わる。それが一度、落ち着くと、
──当たり前だ。
そう一括りになってで返ってきた。
なんとも頼もしい。なるほど、包女や瑪瑙の言う通りだ。九津は強気に口角を持ち上げた。
──ならさ…。さっそくだけど。
こうしてほしいこと、それを伝える。包女たちの頷く気配。束都たちも動き出しそうだ。
──さぁ、反撃だ。
ようやく、全員の待ちに待った狼煙が上がった。
『どうやら向こうの一悶着は終わったようですね。ついでに守ってやると言っていたあなたも、もう、自分自身が限界なのでは?』
九津復活までの間も、まだ続いていた筒音とマァモンの勝負事。マァモンの方が優勢なのは明らかだ。
『はは、面白くないことを…鼻で笑ってやるぞ』
怪我を変化し治すことも困難になってきている筒音。服の修復も億劫になってきているが、弱音を吐くなどというつまらない真似はしたくなかった。
マァモンはその目を細めた。
『…尋ねてわかりました。私からしてみたらあなたの方法は効率が悪く、それこそ面白味のない方法です』
『なんじゃと?』
『人間から魔力をもらい、それにより力を得る。そのために人間と共存している。そう言いましたね?』
『ならばどうした』
『くどいようですが効率が悪い…魔力のためだけなら精霊でも良いではないですか。精霊石の一つでも取り入れた方が、手っ取り早いではないですか。なのに人間と共になどと…私にはわからない』
ぴくりと眉が動いたが、筒音は、ふっ、と脱力したように笑みを浮かべ、
『わからんか…そうじゃろうな。お主なんぞにわからんじゃろうな』
シシシ、と喉を鳴らした。そして、
『わかってたまるかっ』
一喝。
『妾がこの人の世で得たものを、お主なんぞにわかってたまるか。知らんのじゃろう、人間の強さを、知らんのじゃろう、妖怪とて弱いということを…この引きこもります妖怪どもめっ』
マァモンは溜め息をついた。百鬼夜行を担う彼には信じられないのだ。妖怪が弱いという半妖のことが。妖怪は上位種族、人間は下位種族。これはくつがえることのない、彼の強奪してきた知識の結果でもあったから。
筒音はそれでも宣う。
『知らんのじゃろう…その人間と妖怪が合わさったとき、真に強くなれることをっ』
そのときだ、動かずに相手の攻撃を受けることを守っていた彼が動いたのは。
マァモンの見た視界の先には、リヴァイアサンと戦っていたはずの魔術師の少女がいた。筒音と共に過ごしているという、あの少女が。
「筒音。悪いけど助太刀するよ」
『遊びはしまいじゃな。勝負は妾の負けでよいぞ、包女の手を借りたしのぉ』
筒音は負けを認めながら楽しそうだ。
『じゃが、二回戦目、早速りべんじまっちというやつじゃ!これには勝たせてもらうぞ』
二人は並んでマァモンに対峙した。
『ほぉ、いつの間に…』
リヴァイアサンは出遅れた。包女が離れたのを追えなかったのだ。
『お前の相手は私…?』
しかし彼女は追うことをしなかった。次の魔術師が自ら進んできてくれたからだ。
包女と同じ魔術師であり、包女とは違う魔術の使い手の人間。彼女の理想とする純粋さこそ足りないが、資質はそれなりに見てとれる相手だった。それに、と包女の背中を名残惜しそうに眺める。楽しみとして包女は後にとっておくという考えも出来る。
『ふふ、まずはお前と戦おうぞ』
「あ?なんだ、てめぇ。その美味しいとこはあとでいいか、見てぇな面は?」
魔術師の人間、操流人は不機嫌そうに呟いた。
「ったく、どいつもこいつも剣を扱うやつらは人をなめやがって…」
ぼそりと言うと、後ろで看垂たちが笑う気配があった。睨むと、看垂は悪びた風もなく、唯螺は咳払いをして誤魔化している。
「…剣使いの妖怪。俺はよぉ、剣を使うようなやつは嫌いなんだよ」
間違いなく看垂は笑っている。
「憂さ晴らし…させろやっ」
操流人は白と黒の存在を絡ませながらリヴァイアサンに突っ込んだ。
「じゃぁ、あとは、よろしくねぇ」
そしてその看垂の言葉を最後に、操流人、看垂、唯螺、そしてリヴァイアサンの四人の姿はこの場所から消えた。唯螺が魔術を行使し、精霊結界に入ったのだ。
『あー、あ、りゃ、りゃ…精霊たちの通り道に連れて行かれたなぁ。まぁ、あ、ん、な、い、や、く、を、倒せばいいだけだから、リヴァイアサンには楽勝だろうけど』
ルシファーは、その金髪を暗闇になびかせながら楽しそうに言う。
『さてさて、こ、ち、ら、は、どうやって楽しませてくれるのかなぁ』
目の前の光森、そしてベルフェゴルを見送ったあとに駆けつけた瑪瑙に向かって。
「おいおい、こいつをなめるなよ。こいつは強いぞ」
光森が瑪瑙を指す。
「何をおっしゃいますか、先輩さん。先輩さんこそどんどん先を行くではありませんか」
困ったように瑪瑙が光森に返す。
『何それ…そ、れ、で、何が言いたいの?』
変なものを見る目付きで二人を見るルシファー。二人はふふん、とまるで兄妹のように似た動きをする。
「つまり、俺たちは強いってことだよ」
「そういうことなのですよ、妖怪さん」




