偽物なのよ!
そこはエレベーターの中だった。
何故私がそこにいるのか分からない。
そこにいる人たちが、誰なのかも分からない。
OL風の若い女。
サラリーマン風の中年男性。
つなぎ風作業着の若い男。
そして、私。
「おい! 何なんだ? 誰だお前たちは? ここはどこなんだ?」
サラリーマンは言った。きっと、会社ではそれなりの役職の人なのだろう。初対面なのに、なんか、偉そうだ。
「私だって知らないわよ!」
OLは言った。きっと、美紀みたいな娘なのだろう。初対面なのに、なんか、偉そうだ。
サラリーマンは腕時計を見て、「クソ。100億の商談があるのに!」と慌てていた。
私は右上のモニターを見てみる。
『21』という数字は止まったままだった。
21階から下に降りようとしていたのか、昇ろうとしていたのか、それは分からないが、とにかく21階付近で止まってしまったらしい。
つなぎ風作業着の男は座り込み、震えていた。
服装から、なんとなく強そうなイメージを抱いたけれど、かなりの小心者らしい。
意味も分からずエレベーターに閉じ込められているのだから、私も不安ではあるけれど、座り込んではいないし震えてもいない。
「あの。大丈夫ですか?」
私は作業着の男に声をかけた。
「お、おぅ」
作業着の男はそう答えたものも、顔は青かった。
「もう待てん! 100億だぞ! 100億が掛かっているんだ!!」
サラリーマンはエレベーターのドアを無理やりこじ開けようとしている。
OLも手伝っていた。
私は『危ないんじゃないのかしら』と思いつつ、作業着の男の背中をさすりながら様子を見ることにした。
しばらくして、ドアは開いた。
見えたのは壁だけだった。
いや、違う。
上方1cmには奥に続く空間があった。
きっと、そこは、22階だ。
サラリーマンは「持ち上げるぞ! 出口は直ぐそこだ!」と、空間に手をかけ、懸垂するかのような動作をした。
そうすると、持ち上がるのは彼の身体のはずなのに、空間が大きくなった。エレベーターが上へ少し移動したのだ。
OLも手伝い始めた。
私も手伝い始めた。
作業着の男は座ったままだった。
少しずつ、少しずつ、空間は大きくなっていく。
あと少しで、人が通れる大きさになる。
その時だ。
どこからともなく聞こえてくる爆発音。
エレベーターは大きく揺れた。
私たちは体勢を崩せず、地面に崩れ落ちる。
OLの悲鳴が響き渡る。
「何よ! 何なの? 今のは?」
「爆発、だったよな?」
「あら~。やっぱり爆発なのね……」
私たちは、混乱していた。
すると、作業着の男が、ぼそりと呟いた。
「やっぱり……」
彼の震えは、大きくなっていた。
「おい! 貴様何か知っているのか? 何が『やっぱり』なんだ?」
サラリーマンは詰め寄った。
作業着の男は、一度つばを飲み込んでから静かに語りだす。
「ここ、解体するビルなんッスよ。俺、昨日ダイナマイトを設置したんだ……」
彼が言い終わるや否や、22階から爆発音がした。
さっきよりも大きく揺れるエレベーターの中で、私たちはいっせいに22階に繋がる空間を見た。
炎が私たちに襲い掛かってくるところだった。
という夢を見た。
訳が分からないけれど、多分悪夢なのよね。
心臓はバクバク鳴っているし、寝汗も酷かった。
私は時計を見てみる。
時刻は5時を少し過ぎたところだった。
汗をかいたからか、喉が渇いたので冷蔵庫を開けにリビングに行った。
あら。
なんか、いっぱいおかずがあるわ。
私は考えた。
そして、思い出した!
そうよ。私、怒ってたのよ!
だから、あんな悪夢みたいな変な夢を見たのね。
瞬間的に怒りが沸いて……、直ぐに冷めた。
罪悪感が襲ってきた。。
でも、きっと、これを片付けてくれたのは美紀なのよね……。
悪いことしちゃったかな……。
私はいつものようにお弁当を作る。
今日は楽チン。
残ったおかずから、日持ちしそうなものを選ぶだけ。
続いて朝ごはんを作る。
今日は楽チン。
残ったおかずをテーブルに並べるだけ。
『組み合わせが滅茶苦茶だしな』
『お母さんって、微妙に味覚が変だよね』
私しかいないリビングで、美紀とパパの声が聞こえた。
テーブルに並んだおかずを見てみた。
朝から、春巻きとから揚げを食べられるのは私だけかしら……。
私は春巻きとから揚げをそっと冷蔵庫にしまった。
その頃、パパが起きてきた。
昨日の愛している発言に照れているのか、目線を合わせない「おはよう」だった。
私はおはようを返しつつ、昨日のことを謝ろうとした。
けれど、なんだか、それは浮気を見とめてしまってる気もする様な、別にそんなことない様な、えっと~、と悩んでいると、気がついた。
顔を洗い終わったパパは、テーブルにつき、じ~っと角煮を見つめている。
嘘?
まさか、角煮すらも朝から食べられないっていうの?
世界一美味しい食べ物なのに?
パパも美紀も胃弱だ。
私には想像のつかない不憫な条件で人生を頑張っている。
慌てて、角煮を下げた。
「ゴメンなさいね。朝から食べられないわよね~。私がお昼に頂くわ」
「あ、あぁ。いや、その、でも、毎日ありがとうな」
まぁ。
パパからありがとう何て言ってもらえたのいつ以来かしら。
愛しているよりは、最近だったと思うんだけど、それでも大分前よね。
パパにとって、昨日の件はよっぽど衝撃だったらしい。
私は気がついた。
そもそも、私も愛しているをずっと言ってないなぁ。
「良いのよ。愛するパパのためですもの!」
だから、言ってみた。
パパは何も答えなかった。
顔を真っ赤にしながら、無言で朝食を食べていた。
しばらくして、美紀も起きて来た。
うっ。と思った。
寝起き後20分までの美紀は機嫌が悪い。いつもの毒舌ヒステリックはないけれど、静かなる威圧感を放っているのだ。
そのはずなのだ。
いつもならそんなのおかまいなく、私はおはようを言うのだけど、昨日の件もあって、今日は言い出しにくい。
今日はいつもより尚いっそう機嫌が悪いだろう。
と思いながら、美紀の顔を見てみると……。
なんか、でも、ちょっと、あれ?
今日はそうでもなさそう。
薄笑い、じゃないわよね。
多分、微笑んでる。
そして、なんと、あちらから言ってくるではないか。
「おはよ~」
想定外のことに私は何も言えない。
そんな私に、美紀は近づいてきて、ありえないことにハグしてきた。
そう。
ありえないのだ。
美紀から謝るなんて、絶対にないはずなのだ。
「お母さん。昨日はゴメンね。お母さんが、浮気なんてする訳ないのにね。……信じてるよ。大好き!」
変よ。
違うわ。
美紀は、私の美紀は、ウキーウギャーギャオースなのだ。
こんなの美紀じゃない!
そうか。
まだ夢を見ているんだわ。
そう思いながら、せっかくなので、偽者美紀と美しいシチュエーションを味わいたいと思った。
私は抱きしめ返す。
「ううん。私こそごめんなさい」




