8
庭のベンチで座るのは何時ぶりだろうか。大して整えてない芝生で、彼女が歩く練習をする。たまに転けると、本を閉じて起こしてやる。もちろん、膝立ち程度まで。あとは自分で起き上がり、また歩き出す。
下を見ながら慎重に歩いて、立ち止まって前を見る。それを繰り返している。
再びベンチに腰かけ、また本を開く。呪いについての本だ。
過去に発見された呪いについて、ここにズラリと並んでいる。対処法が記述されていない物が殆どだ。
呪いは基本的に、掛けた本人以外には解除できない。その分明確な殺傷力には乏しいものの、人を制限するには十分な力がある。
回復阻害の呪いももちろんあった。とはいえ、完全に遮断するものでは無い。恐らくこれは違う。
顔をあげる。彼女が僕をじっと見ている。目が合うと、また歩き始めた。
特に厄介なのが、呪いをかけた術者が死んだ場合、呪いを解く方法が無くなる事。
これは魔法省も危惧しているが、呪いをかけるという行為そのものが大掛かりかつ、術者も相応の対価を払う為か、まだ取り締まりは弱い。
芝生を踏む足音で、また顔をあげる。彼女が近くに来ていた。
「ひとつ、聞いていい?」
彼女が頷く。
「魔王って、死んだ?」
1秒の間の後、彼女が頷く。
「それを見た?」
彼女は頷く。顎に手を当てながら考える。彼女の証言が本当だとして、少なくとも彼女は、魔王が死ぬところを見ている。
リヒトが?でもリヒトは、最上階とは真反対の地下で死んでいたと聞いた。魔王城の構造もよく分かっていないのが難点だ。調べに行くにしたって遠すぎる。
ふっと、魔力のおこりを感じた。バッと顔を上げる。居なくなってる。立ち上がって庭の外を見る。居ない。
駆け出して家のドアを開ける。
「フローラ!!」
3秒で駆け付けたフローラが来る。
「はい」
「彼女が居なくなった!部屋の中を探してくれ!!」
「かしこまりました」
転移魔法だ。一瞬で目の前から消えることができるのは当然だ。何故?もしかしたら、"それ"は彼女にとって、聞かれたくない事なのか?
庭をぐるりと回るが、彼女の気配は無い。丁度、フローラが玄関から出てくる。
「見当たりません」
「留守番を頼む!街を見てくる!!」
そのまま門を開けて走る。坂を勢いよく下って街に出た。
石造りの道、細く、二階建てのレンガ造りの家が並んでいる。露店や大道芸が道の隅で風呂敷を広げて、人が立ち止まったり素通りしたり。
相変わらず臭い街だ。走り抜けながら大通りを探す。何度か人にぶつかり、その度に小さく謝罪する。
「おい!」
「すいません……あ、あの!?」
「あ?」
身体の大きい男は、苛立ちを隠す気はない。
「腕のない子供、見ませんでした?」
質問が異質だからか、少し怪訝な顔をされる。
「…………見てない」
「そうですか。ありがとうございます。ぶつかってしまい、すいませんでした」
「……見つかるといいな」
お辞儀をしてまた走り出す。息が詰まりそうになって唾を飲む。
理屈としても、彼女を放っておけない。モスウッドがそれを聞いて、仕方ありませんねで済ませる訳無い。曲がりなりにも、彼女は容疑者だ。
そして何より、僕が辛い。悲しい。居なくなって欲しくない。彼女がなんであれ、リヒトは帰ってこない。これ以上居なくならないでくれ。
すれ違うように走っていった、黒い頭巾が目に留まる。ゆっくりと視界を追いかける。
頭に真っ黒な布を被ったそれは両腕がなく、義足。
「待って!!」
頭巾が立ち止まってこちらを向く。顔まで全て布で覆われていて、前が見えていないらしい。追いついて腰を下げる。人に見られていない事を確認して、布をゆっくり上げた。
包帯まみれで、左眼が僕を見る。目の潤いが過剰で、溢れてしまっている。
「ごめんな、怖かったよな」
彼女を抱き寄せる。この布には見覚えがあった。家で使っている膝掛けだ。そういえば、フローラが洗濯をしていたから、それが飛んで彼女の頭に乗ったのか。それを振りほどく為に、転移魔法を使ったのかもしれない。
……頭に乗った布は、転移魔法で指定している「自分」の設定の外のはずだ。それに、布で覆われているならば、発動条件である視界の確保が揃っていない。
もしかして彼女、自分で書き換えている?ペンはまだ持てるはず無い。顎が無いから咥えるのも無理だ。
周りに人が寄ってくる。彼女の見た目だろう。今は黒いタオルケットで隠していて不気味だし、これの中身はもっとだ。
「……ここから家まで、僕を連れて転移魔法を使えるかい?」
タオルケットで覆われた頭が頷く。瞬きをする暇もなく、家の庭に転移した。
「……魔導書、使ってる?」
「…………」
伝わってない。家に入るとフローラが安堵の顔を一瞬だけ見せる。彼女を任せてすぐに自室に戻り、鍵を掛けている引き出しを開ける。彼女の魔導書を取り出して開く。
転移魔法の設定の発動条件が増えている。視界に入れた物が、元々入っていた「自分」と、指定した範囲のふたつになっている。
鍵は僕が常に持ち歩いている。もしかして彼女は、自分の中で魔導書にアクセス出来るのか?
はは、天才じゃないか。僕が嫌いな天才だ。それなのになぜだか、笑みが止まってくれない。
彼女に才能がある事が、嬉しいのだ。




