第7話 カメラの立ち位置
「榊さん、ドローンの第二カメラをもう少し右に回します。その方が剣の軌道と敵の配置が立体的に――」
「駄目だ。今の位置から動かすな」
都市近郊・第二迷宮の中層エリア。
薄暗い洞道の中で、榊冬真は振り返りもせずに雨宮澪の提案を即座に却下した。
彼の背後には、澪が持ち込んだ協会指定の最新型自律認証カメラが三台、静かな駆動音を立てて浮遊している。生配信の同接数は、平日の午前中にもかかわらず六万人を超えていた。
「なぜですか? 今のフォーメーションなら、より正確な実技の証明ログが残せます」
「画角の問題じゃない。右側の岩壁を見てみろ。表面の色が周囲より赤黒く変色しているだろう。硫化ガスの微細な漏出で岩盤が脆くなっている証拠だ」
冬真は淡々とした声で、しかし絶対に譲らない響きで告げた。
「あの位置に重量のある機材を寄せれば、駆動による空気の振動が崩落のトリガーになりかねない。記録は必要だが、安全基準を削ってまで残すものじゃない。機材の展開範囲は俺から半径三メートル、かつ『地盤が安定している空間』に限定しろ」
「……なるほど。わかりました。カメラの可動域に制限をかけます」
澪はタブレットを操作し、ドローンのAIに空間制限のプログラムを追加した。
彼女はプロの検証者であり、迷宮内の魔素や環境データに関する知識も持ち合わせている。だが、それでも「映像としての見栄え(証明力の高さ)」を無意識に優先してしまう瞬間があった。
一方の冬真は、どんな時でも『空間全体の被害局限と安全確保』という災害対応の鉄則を最優先にする。そこには配信者としての欲など一ミリも介在していない。澪は今、極限の現場における本物の「安全制約」を肌で学んでいた。
「それにしても、榊さんはもう少しネットの相場に興味を持った方がいいですよ」
設定を終えた澪が、少し呆れたような声を出した。
「昨日、チャンネルの収益化審査が通ってスーパーチャット――投げ銭機能が解放されたんです。今も画面の端でどんどん金額が跳ね上がってますけど、少しは反応しないと視聴者が離れますよ」
「投げ銭……? ああ、直接的な資金援助のシステムか」
冬真は歩みを進めながら、全くピンと来ていない様子で首を傾げた。
「俺は公開実績のポイントが稼げればそれでいい。だが、高額な災害補償保険の掛け金や、装備の更新費用になるならありがたい。資金管理と規約の処理は任せていいか?」
「ええ、実務的な部分は私が全て引き受けます。それがパートナーの役割ですから」
ネットの常識や煩雑な民間契約に疎い冬真を、澪が補う。
そして澪が見落とす現場の物理的な安全を、冬真が絶対の基準で統制する。
「D級探索者」と「検証配信者」という奇妙な組み合わせは、互いの欠点をパズルのように補い合い、一つの強固な情報系統として完成しつつあった。
*
第二迷宮の第十五階層。
予定していた安全確認のルートを半ばほど進んだあたりで、冬真が不意に足を止めた。
前方に魔物の姿はない。澪の手元のコンソールにも、三台の認証カメラのセンサーにも、全く異常を知らせるアラートは鳴っていなかった。
『お? どうした?』
『また立ち止まったぞ。何か来るのか?』
『俺の画面じゃ何にも見えん』
視聴者たちがざわつき始める中、冬真は剣の柄に手をかけ、目を細めて奥の暗がりを睨んでいた。
「……澪。環境魔素のフィルター設定を弄れるか」
「はい。どの帯域に合わせますか?」
「昨日の公開データに出ていた、微細な周期ノイズだ。大気中の魔素濃度ではなく、『魔力の滞留による空間の歪み』だけに絞ってスキャンしろ」
「空間の歪み……やってみます」
澪がタブレット上で数回スワイプし、カメラのセンサー閾値を極限まで尖らせる。
数秒のタイムラグ。
直後、澪の持つコンソールの画面が、不吉な黄色のアラートで埋め尽くされた。
「嘘……これ、前方の空間そのものが『呼吸』してる……!?」
澪が驚愕の声を上げた。
カメラが捉えたのは、一定の周期で魔素が収縮と膨張を繰り返す、異常な波形データだった。それは通常の魔物の発生前兆ではない。空間そのものが病を患ったかのように脈動しているのだ。
「視聴者の皆さん、現在の波形データを画面に共有します」
澪は即座に状況を言語化し、マイクを通して解説を始める。
「榊さんは今、最新の認証機材の標準センサーでも拾いきれない『環境の微細なノイズ』を、ご自身の肌と視覚だけで先に観測しました。この先に、未確認の異常な魔素の吹き溜まりが存在しています」
『は? 機材より精度高いってマジ?』
『D級(大嘘)』
『野生の勘とかじゃなくて、波形としてマジで存在してるのかよ……』
「来ます。数は四」
冬真の短い警告と同時。
前方の空間の歪みから吐き出されるように、四体の醜悪な魔物が姿を現した。
全身から緑色の粘液を滴らせる、体長二メートルを超える双頭の猟犬――アシッドハウンドの変異種だ。C級相当の魔物が群れで現れたとなれば、並のパーティなら即座に撤退を選ぶ局面である。
だが、冬真の表情は全く変わらない。
「ドローンを上方へ退避させろ。飛沫が飛ぶ」
指示を飛ばすと同時、冬真は地を蹴った。
先陣を切って飛びかかってきた一体目のアシッドハウンド。その大きく開かれた顎から、岩をも溶かす強酸のブレスが吐き出される。
冬真はそれを躱す……だけでなく、自らの立ち位置をあえて『右側の空間』へと大きくずらした。
酸のブレスが冬真を外れ、背後の床へと着弾してジュウジュウと嫌な音を立てる。
『おっと危ねえ!』
『なんであんな大回りな避け方したんだ? もっと最短で踏み込めるだろ』
『なんか動きにキレがない気がするぞ』
素人目には、冬真の動きがひどく回りくどく見えた。
だが、澪の解説が即座にその疑問を打ち砕く。
「違います! 榊さんの背後の直線上には、この階層の天井を支える『主柱』があります。最短距離で避けていれば、魔物の酸は主柱に直撃し、数分後にこの空間全体が崩落していました」
『えっ』
『マジだ、後ろにぶっとい岩の柱がある』
『そこまで計算して避けたのかよ……』
「彼は敵を倒すことより、迷宮の構造を破壊させないための『誘導』を最優先しています。これが、彼の見ている世界です」
澪の言葉を証明するように、冬真の刃が閃く。
二体目、三体目の連撃。冬真は決して無理な大ぶりはせず、酸の吐息が床の「安全な場所(被害が出ない場所)」に向かうように自分の身体を餌にして誘導し、隙を突いて首の関節を正確に断ち切っていく。
認証カメラの高精細な映像が、その一切の無駄を省いた『作業』の美しさを克明に記録し続ける。
わずか一分後。四体のアシッドハウンドは、迷宮の壁や柱に一滴の酸も浴びせることなく、冬真の足元で霧散して消滅した。
『やばすぎ』
『倒すだけならともかく、被害ゼロにコントロールするとか神業じゃん』
『このオッサン、マジで何者だよ……』
コメント欄の熱狂が一段と跳ね上がる。
冬真の実力は、もはや疑いようのない「本物」として、数万人の目に焼き付けられていた。
*
「……対象の沈黙を確認。周囲の構造に損傷なし」
剣の汚れを払い、鞘に収めた冬真が短く告げる。
これで本日の案件と実績作りは終了だ。澪も安堵の息をつき、カメラの録画データを保存しようとコンソールに手を伸ばした。
だが。
冬真は、剣から手を離さなかった。
彼の視線は、魔物が消えた後の空間――いや、迷宮のさらに奥深くへと向けられたままだ。
「……榊さん?」
「おかしい。波形が、消えていない」
冬真の声に、微かな緊張が混じった。
通常、魔物が討伐されれば、そこに滞留していた魔素も霧散して正常値に戻るはずだ。
しかし、冬真の肌を撫でる大気の震えは、先ほどよりもさらに強く、重く、嫌な鼓動を打ち始めていた。
ドクン、と。
迷宮の底が鳴ったような錯覚。
直後だった。
澪の腰に下げていた、ギルド連携用の公式端末が、これまで聞いたこともないようなけたたましい電子音を鳴らし始めたのだ。
それは、通常の個体発生や局所的な魔素異常を知らせるアラートではない。
都市の防衛システムと直結した、最も重く、最も絶望的な警告音。
「――っ! 榊さん!」
澪が血の気を引いた顔で、端末の画面を冬真に向けた。
画面は、真っ赤に染まっていた。
そこに表示されていたのは、たった一言。
『赤色警報発令。第二迷宮全域における複合崩落、および災害指定個体の発生を確認』
「……来るぞ」
冬真の目から、民間探索者としての穏やかな色が完全に消え去った。
現れたのは、国家の極秘任務で数え切れないほどの地獄を処理し続けてきた、本物の災害対応プロフェッショナルの顔だった。




