第6話 規定の壁と、省略できない手順
「――申し訳ありません、榊さん。ご提示いただいた『中層での特定変異種の討伐案件』ですが、やはり当協会のシステム上、受理することはできません」
探索者協会の広々としたロビー。
受付窓口に立つ職員は、ひどく恐縮した面持ちで頭を下げた。
雨宮澪による完全検証から数日。榊冬真の個人チャンネルの登録者数は、今や十万人を突破しようとしていた。ネット上では「最強のD級」として連日話題に上っている。
当然、目の前の職員もその検証動画を見ていた。冬真の実力が、少なくともB級以上の魔物を無傷で処理できるレベルにあることは、個人の認識としては十分に理解している。
だが、ここは公的な資格を管理する機関だ。
「榊さんの現在のランクは『D級』です。当該案件は『C級以上』の資格保持者でなければ受注できない規定となっております。私個人の判断で特例を出すことは、システムの根幹を揺るがすことになりかねません。……本当に、心苦しいのですが」
「いや、構わない」
申し訳なさそうにする職員に対し、冬真は苛立つ素振りすら見せず、淡々と首を振った。
「能力と社会的資格は別物だ。規定で決まっているなら、それに従うまで。無理を言ってすまなかった」
「ご、ご理解いただきありがとうございます……!」
冬真があっさりと引き下がったことに、職員は心底ホッとしたような息を吐いた。
世の中には、少し実力があるだけで「俺を誰だと思ってる」「特別扱いしろ」と窓口で怒鳴り散らす探索者が山ほどいる。協会側も、実力と規律の間で常に板挟みになっているのだ。
カウンターから離れた冬真は、ロビーの待合席でタブレットを操作していた澪のもとへ歩み寄った。
「駄目だったか?」
「ああ。やはりC級の討伐案件は蹴られた。D級である以上、俺が受けられるのは低層の安全確認や、低リスク素材の採取案件だけだ」
「でしょうね。協会のシステムはガチガチですから」
澪は特に驚いた様子もなく、手元のタブレットの画面をスワイプした。
二人が目指しているのは、冬真が『災害補償保険』の上位区分に加入するための条件クリアだ。そのためには、ただ強い敵を倒すだけでなく、協会が定める「公開実績ポイント」を規定値まで稼ぎ、正式にC級へと昇格する必要がある。
「C級案件を受けられれば一発でポイントが貯まる計算でしたが、仕方ありません。D級の雑務案件を数でこなしましょう」
澪は画面にリストアップした案件を指差した。
「幸い、榊さんの処理速度なら一日に複数件回れます。私がルートの最適化と、納品手続きの代行をやります。これとこれを組み合わせて……」
「助かる。民間資格の細かな契約規約は、まだ把握しきれていないところがあった」
冬真は素直に頷いた。
国家の極秘任務では、目標の排除と被害局限だけを考えていればよかった。民間社会における「手続き」や「保険区分」といった煩雑な実務は、専門家である澪が補ってくれることで劇的に効率化されていた。
二人は今、実務的なバディとして完全に機能し始めている。
*
「――榊冬真、C級案件の受注を蹴られたそうですね」
同じ日の午後。
国内トップクラン『銀翼』を擁する上位クラン連合の本部ビル。
S級探索者である神代岳は、部下からの報告書に目を通しながら、ふっと短く笑みをこぼした。
「協会も頭が固いですよね。あれだけの実力を見せつけられておきながら、D級だからという理由で門前払いとは。特例を出して高難度の事案に回せば、全体の損害も減るでしょうに」
「いや、協会の判断は正しい」
呆れたように肩をすくめる部下を、神代は静かにたしなめた。
「特例を連発すれば、ランク制度そのものの信用が崩壊する。あの男がどれほど強くても、公式な実績を積んでいない以上はD級として扱う。組織としてはそれが100点の解答だ」
神代は、先日見た冬真の戦闘映像を思い返していた。
あの徹底された被害局限の手順。戦う前に退路を作り、周囲の安全を完璧にコントロールする技術。
彼がただの「力の強い新人」であれば、神代もここまで興味を持たなかっただろう。だが、榊冬真は間違いなく、極限の現場を知り尽くしたプロフェッショナルだ。
「……面白いじゃないか」
神代は窓の外、遠くに見える迷宮ゲートの巨大な鳥居を見つめた。
「あの災害対応のプロが、この窮屈なルールの底辺から、どうやって最適解を叩き出して這い上がってくるか。……制度がアイツに追いつくまで、どれくらいかかるか見ものだな」
*
「榊冬真。これより、第三階層の安全確認および指定素材の採取に入る」
薄暗い洞道に、冬真の淡々とした声が響く。
彼の後方には、最新の認証カメラを三台浮遊させた澪が付き従っている。
冬真の生配信は、平日昼間にもかかわらず同接数万人を維持していた。しかし、現在彼らが行っているのは「ゴブリンの討伐」と「低級薬草の採取」という、およそ見栄えのしないD級の雑務案件だった。
『あの最強のオッサンがゴブリン相手に雑用ってwww』
『もっと深い階層行けよ! もったいねえ!』
『どうせワンパンなんだから、走って無双してさっさと終わらせろよ』
コメント欄には、フラストレーションを溜めた視聴者からの「もっと派手にやれ」という要望が絶え間なく流れている。
実際、B級の変異個体すら赤子扱いした冬真の身体能力をもってすれば、ゴブリンの群れなど十秒もあればミンチにできる。走ったまま剣を振り回すだけで、この階層の安全確認は終わるはずだ。
だが。
「……前方の分岐、岩盤に脆い箇所あり。左側に迂回して接敵する」
冬真は、走らなかった。
現れた三体のゴブリンに対し、彼はB級変異種と対峙した時と『全く同じ精度』で、周囲の退路を確認し、頭上の亀裂をスキャンし、魔物の荷重ベクトルを計算した。
決して大振りはせず、相手の姿勢を崩し、二次崩落を起こさないよう壁への激突を避けながら、急所だけを的確に穿っていく。
圧倒的な力があるにもかかわらず、その戦い方は地味で、慎重で、完璧なまでに『手堅かった』。
『なんであんな時間かけてんの?』
『雑魚相手にビビりすぎじゃね?』
疑問を呈するコメントに対し、画面の外から澪の凛とした声が響いた。
「視聴者の皆さん、誤解しないでください。彼は手を抜いているのでも、怯えているのでもありません。むしろ逆です」
澪は手元のタブレットで認証機材のデータを監視しながら、カメラ越しに語りかける。
「相手がどれほど弱くても、彼は『安全確認と被害局限の手順』を一切省略していません。圧倒的な力に任せて無双することは簡単ですが、それに慣れれば、いつか本当に危機的な状況で足元をすくわれます。……どんな状況でも、息をするように基本の安全手順を完遂する。それが、榊冬真というプロフェッショナルの在り方なのです」
澪の解説により、視聴者たちは「無双しないことの異常性」に気づかされる。
慢心せず、作業を疎かにせず、常に最悪を想定して動く。その背中は、派手な魔法を撃ち放つ高ランク探索者よりも、ずっと頼もしく、底知れない凄みを感じさせた。
『なるほど……』
『確かに、あんな丁寧な戦い方する探索者見たことない』
『職人って感じだな』
『すげえ。基礎の塊じゃん』
コメントの質が、「見世物を求める」ものから「技術に感嘆する」ものへと徐々に変化していく。
澪の言語化と認証機材の裏付けにより、冬真の価値は着実に、そして正当に世間へと伝わり始めていた。
*
その日の夕刻。
複数件のD級案件を終え、協会のシステムには冬真の「公開実績ポイント」が想定通りのペースで加算されていた。
このまま地道に続ければ、そう遠くないうちにC級への昇格要件を満たせるだろう。
「お疲れ様でした。明日のルート候補ですが、第二管区か、第四管区のどちらかにしようかと――」
帰還の準備を進めながらタブレットを覗き込む澪の横で、冬真は協会の端末に表示された『一般公開用の環境魔素データ』を無言で見つめていた。
「……榊さん?」
澪が不審に思って声をかける。
冬真の視線の先。明日の候補地の一つである『都市近郊・第二迷宮』の公開データ。
誰が見ても「正常値」の範囲内に収まっている、平坦な波形グラフ。
しかし、冬真の目には、その波形の裏側に隠された微細な『周期的なノイズ』が、はっきりとノイズとして映っていた。
「……澪。明日は第二迷宮の、少し深い層へ行く」
「え? でもそこは、今日のデータでは完全に沈静化しているはず――」
冬真は目を細め、静かに答えた。
「いや。……何かが、息をしている」
それは、過去の極秘任務で幾度となく嗅ぎ取ってきた、理不尽な災害が産声を上げる直前の、不吉な微光だった。




