第46話 最強を測る試験ではない
「榊。お前は今、これが本物の『実災害』だと言ったな」
特区の管理センター、ブリーフィングルーム。
観測モニターが赤く点滅し、審査員たちが騒然となる中、高瀬慎吾だけが通信マイクを握りしめ、現場の榊冬真に対して極めて冷徹な声を投げかけた。
『ああ。特区外の西側迷宮から、地脈を通じて異常な魔素が流れ込んできている。第三管区の訓練時に起きた干渉現象と同質だが、規模が違う』
「だとしても、特区外の不確かな魔力異常だけで、現在進行中のギルド最高峰の審査を中断し、大規模な避難警報を出すことはできない。我々が動くには『確たる根拠』が必要だ」
高瀬の言葉は、規則と責任を重んじる安全統括として当然の判断だった。
だが、彼はただ規則を盾に思考を放棄したわけではなかった。高瀬は冬真の『現在の実力』を測る審査員として、最善の要求を突きつけた。
「榊。お前の最大の武器は、環境情報を統合して数秒先の危険を当てる『前兆読み』だろう。……なら、今この場で証明してみせろ」
『……』
「お前のその目が本物なら、この特区外の魔素干渉が、どこへ波及し、何分後に、どう崩壊するか予測できるはずだ。我々審査委員会はこれを『突発的なシミュレーション項目の追加』として承認する。……過去の秘密のデータが出せないお前にとって、これが技術の再現性を証明する唯一の機会だぞ」
澪が自主非公開にしたのは、民間で撮った高精細な検証映像の一部だ。機密任務の生データは、最初から審査へ提出できない。冬真に残るのは、新たな公開記録だけだった。
だからこそ、今まさに起きようとしている未知の事象をリアルタイムで読み解き、被害を防いでみせること。それこそが、S級という資格を得るための最も明確な『実地再現』だった。
『……了解した』
冬真は短く答え、直剣を足元のコンクリートに突き立てた。
目を閉じ、呼吸を浅くして、特区全体の環境情報へ意識を拡張する。
岩盤の微細な振動、吹き抜ける風の魔素濃度、地下水脈から伝わる圧力の偏り。
十数秒の沈黙の後、冬真は目を開き、極めて具体的な数値と時間を口にした。
『現在時刻から五分後。特区北東、地下第三隔壁のジョイント部分に魔素過負荷のピークが来る。その二分後……合計七分後。その圧力が特区内に波及し、模擬市街地の「D棟」付近で地盤沈下が発生。それに伴う空間のひずみから、B級相当の魔物の群れが流出する』
冬真の予測が通信回線に響き渡ると同時に、観測デッキにいる雨宮澪の手元で、キーボードが激しいタイピング音を立てた。
「榊さんの観測データと、現在の環境魔素の推移を統合し、シミュレーションモデルを可視化しました。メインモニターに転送します」
澪が構築した3Dマップが、審査員たちの目の前に表示される。そこには、冬真が予言した通りのベクトルで魔素が収束していく赤いグラデーションが描かれていた。
「悠馬。お前たちはただちにD棟周辺半径五十メートルから退避しろ。他の受験者の部隊にも避難経路を伝達し、D棟を囲むように外周防衛線を構築しろ」
冬真は、自ら剣を抜いて魔物を倒しに行くのではなく、インカムを通じて独立チームの候補生たちに的確な指示を飛ばし始めた。
神代のように単体最大火力で全てを灰にする戦い方ではない。圧倒的な危険予測に基づき、人員を配置し、撤退を判断し、被害を未然に防ぐ。それが冬真の『強さ』の真骨頂だ。
『各個、榊氏の指示通りに防衛線を構築中。……ここで注目すべきは、第三班の動きです』
澪が、冷静な声で審査員たちに解説を入れる。彼女は冬真の技術を翻訳するパートナーだが、決して彼だけを盲目的に持ち上げることはしない。
『第三班(他のS級候補生のチーム)の重装甲部隊が、榊さんの指示した退避ラインにおいて、極めて優秀な展開速度でシールド壁を構築しています。榊さんの予測が的確であっても、それを支える彼らの防御力と火力がなければ、安全な退路の確保は間に合いません。彼らの現場対応力もまた、S級に値する素晴らしいものです』
プロの検証者としての客観的で公平な解説に、高瀬を含む審査員たちは深く頷き、評価シートにペンを走らせた。
そして、冬真が予言した『七分後』。
ズゴゴゴゴォォォォンッ!!
特区内に、地鳴りのような轟音が響き渡った。
観測モニターの映像が激しく揺れ、土煙が上がる。模擬市街地の『D棟』付近――冬真が寸分の狂いもなく指定したその座標の地盤が、すり鉢状に陥没したのだ。
そして、ひび割れた空間のひずみから、おびただしい数の魔物の群れが悲鳴のような咆哮を上げてなだれ込んでくる。
「っ、本当に来やがった! 前衛、シールドで食い止めろ!」
「後衛、一斉射撃!」
悠馬たち独立チームと、他のS級候補生たちの部隊が、あらかじめ構築していた完璧な防衛線から一斉に魔法と矢を放つ。
七分の猶予で人員はD棟から離れていた。それでも一体が防壁を乗り越え、悠馬の部下が足を滑らせる。隣の受験班が盾を差し込み、悠馬がその腕を引いて救った。
「……見事だ」
審査官の一人が、震える声で呟いた。
過去の秘密のデータなど必要ない。今この瞬間、現在進行形の事象に対する圧倒的な『再現性』をもって、榊冬真はその危険予測と指揮能力を完全に証明してみせたのだ。
「ああ。彼のS級としての能力に、もはや何の疑いもない」
高瀬もまた、深く頷いた。
だが、冬真の技術が証明されたということは、それは同時に、極めて恐ろしい事実の証明でもあった。
『……榊さん。D棟の魔物は抑え込みました。ですが……』
インカム越しに聞こえる澪の声に、明確な焦燥が混じる。
『D棟のひずみが、閉じません。それどころか、特区の西側全域の地盤から、魔素の異常値が次々と検出され始めています……!』
冬真が読み取った『干渉現象』は、D棟の崩落だけでは終わらなかった。
特区の外側に広がる本物の高難度迷宮。その奥底で蠢く巨大なエネルギーが、薄皮一枚隔てた演習特区の空間を、今まさに内側から食い破ろうとしていたのだ。
『緊急事態です! 特区内の三箇所……いや、五箇所で同時多発的に空間のひずみが発生!』
『シミュレーションの安全装置が機能しません! これは、本物の魔力暴走です!』
管理センター内に、オペレーターたちの悲鳴が響き渡る。
もはや、突発的な訓練項目の追加などという枠で収まる事態ではない。
「……高瀬。言ったはずだ」
モニター越しに、冬真が冷徹な視線を向けてくる。
「これは、本物の実災害だと」
高瀬は奥歯を噛み締め、審査員席から身を乗り出して、全館放送のマイクをひったくった。
「これより『第十七条項』を適用する!! 本審査のシミュレーションを全面中断し、これより特区内の全人員を、実災害対応の実地評価へと移行する!!」
全館放送が終わる前に、悠馬たちは救護班をD棟から遠ざけていた。
冬真は西側の地図に指を置いた。警報は、そこでもう一段階上がった。




