第43話 チームを作るという仕事
深夜。榊冬真のアパートのリビングは、静寂の中に時折、書類をめくる乾いた音だけが響いていた。
ダイニングテーブルの上には、探索者ギルドの指定する分厚い申請書類や、災害補償保険の約款、そして手書きで何度も修正された『指揮系統図』のラフが散乱している。
「……」
冬真はペンを置き、眉間を指で揉みほぐした。
魔物の群れと対峙し、三日三晩不眠不休で剣を振り続ける方が、今のこの作業よりもよほど楽だ。冬真は心底そう思っていた。
保険会社から突きつけられた、独立災害対応契約を結ぶための絶対条件。損害賠償能力、代替要員、そして指揮系統の担保。
それをクリアするためには、冬真自身がリーダーとなり、他者に権限と責任を委譲する『チーム』を構築しなければならない。先日志願してきた若手探索者の悠馬をはじめ、ギルド経由でいくつか有望な人材のピックアップは済ませている。
だが、彼らを盤面に配置し、役割を与えるという行為そのものが、冬真にとっては極めて強いストレスだった。
(他人の命を、俺の描いた図面の上で動かす……)
三年前。冬真は組織の理不尽な命令の下で、現場の現実を無視した『安全な場所からの指示』によって民間人が見殺しにされそうになるのを味わった。
組織が末端の人間をただの駒として扱うことの残酷さを、誰よりも知っている。だからこそ、彼は「自分が行けば早い」「自分が背負えば済む」と、他人に命の危険が伴う責任を背負わせることを極端に避けてきたのだ。
しかし、独立してより多くの命を救うためには、自分がその『盤面を描く責任』から逃げてはならない。
冬真は重い息を吐き、再びペンを握り直した。
「……無理をしていないか、榊さん」
キッチンから温かいコーヒーを二つのマグカップに注いで持ってきた雨宮澪が、心配そうに声をかけた。
「魔素の過負荷によるダメージが完全に抜けたわけじゃないんだ。焦る気持ちはわかるが、組織設計は一朝一夕で終わるものじゃないぞ」
「わかっている。だが、立ち止まっている暇はない」
冬真は差し出されたコーヒーを受け取り、軽く口をつけた。
「第七管区の事案を経て、行政の再調査も決着した。世間は今、俺という個人の暴力に過剰な期待を寄せている。この熱が冷めないうちに、個人の武力ではなく『組織としての信用』を構築しなければ、結局はまた都合の良い英雄として消費されて終わりだ」
「それは、私も同感だ」
澪は向かいの席に座り、冬真が書き込んでいた組織図のラフに目を落とした。
「悠馬くんを遊撃のサブリーダーに置くのは妥当だな。彼はあなたの『安全手順』を実地で最も深く理解している。……ただ、この通信・情報管理のポジション」
澪は、組織図の中枢に書かれた一つの空欄を指差した。
「ここに、私の名前を書き込もうとして、手が止まっているな?」
「……ああ」
冬真は目を逸らさずに頷いた。
「お前には、これまで十分すぎるほど世話になった。お前の検証と情報統制がなければ、俺はとっくに潰れていた。だから、俺のチームの専属の情報管理担当として、正式に迎え入れたい。……報酬も権限も、可能な限り優遇する」
「……」
「だが、お前にはお前の配信者としてのキャリアがある。危険な現場に同行させることにもなる。無理にとは言わない」
冬真なりに、精一杯の誠意を込めた勧誘だった。
しかし、澪は静かに首を横に振り、冬真が用意していた専属契約書の束をそっと押し返した。
「お断りします」
「……そうか」
「勘違いしないでくれ。私は、あなたのチームに『付いていく』つもりはないと言ったんだ」
冬真が不思議そうに眉をひそめると、澪は検証配信者としての凛とした表情で言葉を継いだ。
「私があなたの専属メンバーとしてチームの内部に組み込まれてしまえば、私が発信する情報の『客観性』は失われる。世間からは『身内を庇うための御用広報』と見なされ、いざという時の証明力が落ちるんだ」
「……なるほど。確かにその通りだ」
「だから私は、あなたの所有物にはならない」
澪は自前のタブレットを操作し、あらかじめ作成しておいた電子文書を冬真のモニターに転送した。
「私はあくまで『独立した検証・情報公開の専門家』として、あなたのチームとは別の法人枠で『継続的な業務提携』を結ぶ。あなたは現場の安全を確保する。私は外部から情報を統制し、あなたたちの行動の正当性を証明する。……対等な協働だ。これでどうだ?」
それは、冬真に守られ、従属するヒロインとしての選択ではない。
自立したプロフェッショナルとして、互いの背中を預け合うための最も強固な契約だった。
「……お前のそういうところは、本当に信用できる」
冬真は口元に微かな笑みを浮かべ、送られてきた業務提携の契約書に電子サインを刻んだ。
「よろしく頼む、澪」
「ええ。こちらこそ、榊さん」
二人の間に、公私の境界を超えた、確かなパートナーシップが成立した瞬間だった。
*
翌日。
冬真はギルドの通信室を借り、チームの陣容をさらに盤石なものとするための調整を続けていた。
『――だから、なんでA級のてめえが俺を顎で使おうとするんだよ』
モニター越しに不満げな声を上げているのは、S級探索者の神代岳だった。
冬真は彼に対しても、自らの独立チームへの参加を打診していたのだ。
「お前の火力が有用なのは第七管区で証明済みだ。俺のチームには、災害指定個体を瞬時に消し飛ばす力がない」
『そりゃそうだろうが、俺には俺の「神代班」がある。お前の下について、ちまちま退路確保の指示なんか受けてられるか』
「別に俺の部下になれとは言っていない」
冬真は淡々と切り返した。
「常勤の加入でなくていい。俺のチームが広域事案の一次対応で『封じ込め』を行った際、お前の班に優先して殲滅任務を回す。逆に、お前たちが処理しきれない崩落の兆候があれば、俺たちがサポートに入る。……『相互協力の協定』だ。これなら保険会社も、代替の火力要員として計算できる」
『……チッ。まあ、お前が作った隙にぶっ放すのは嫌いじゃねえ。いいぜ、その対等な協定なら結んでやる。困った時はいつでも泣きついてこい』
神代はニヤリと笑い、通信を切った。
冬真は彼を便利な手駒として抱え込むのではなく、互いに独立した強者としてのネットワークを形成することを選んだのだ。
続いて冬真が通信を繋いだのは、迷宮安全庁で激務に追われている水城蓮司だった。
水城の目の下にも深い隈があったが、その表情はどこか晴れやかだった。
『榊さん。独立チームの立ち上げ、順調そうですね』
「ああ。だが、お前はどうする。もし官僚としての立場が窮屈なら、俺のチームの作戦参謀として引き抜く用意もあるが」
『お誘いは光栄ですが……謹んで辞退させていただきます』
水城は、真っ直ぐな目で冬真を見返した。
『俺は、三年前のような悲劇を二度と起こさないために、この公的部門の内側から、現場の探索者が動きやすい仕組みを作り続けるつもりです。榊さんが外で戦うなら、俺は内側で盤面を支える。それが、俺の選んだ仕事です』
「……そうか。お前も、自分の戦場を見つけたんだな」
『はい。今後とも、行政の窓口として連携させていただきます』
冬真は満足げに頷き、通信を終えた。
澪は独立した検証者として提携し、神代は民間S級として協定を結び、水城は行政の内側から支える。
彼らは誰も冬真の「部下」ではない。だが、それぞれが独立した立場で強固なネットワークを形成したことで、冬真が目指す『官民が連携する災害対応』の土台が、確かな形を持って組み上がりつつあった。
*
数日後。
冬真と澪は、ギルドの裏手にある待機スペースに立っていた。
目の前には、悠馬をはじめとする六名の若手探索者たちが、緊張した面持ちで整列している。彼らが、冬真の独立チームの初期候補者たちだ。
「書類上の組織図と協定は完成した。だが、紙の上の契約だけでは、保険会社もギルドも俺たちの独立を認可しない」
冬真は、彼らの顔を一人一人見据えながら、厳格な声で告げた。
「俺たちが本物のチームとして機能し、安全に事案を処理できる『指揮系統』が担保されていることを、実地のデータとして証明する必要がある。……これより、俺の第一種登録の権限を用い、第三管区の演習用迷宮にて『実地試験』を行う」
「はいっ!」
悠馬たちが力強く返事をする。
「いいか。俺は手取り足取り教えるつもりはない。俺が作ったマニュアルをどう現場で生かすか、お前たち自身の頭で考え、判断しろ。……行くぞ」
ゲートの前で冬真は一歩下がり、悠馬を先に通した。
「先頭の判断はお前に任せる」
悠馬は振り返りかけたが、すぐに前を向いた。




