第40話 三年前の結論
第七管区の災害から数週間後。関係者の聴取と記録の照合を終えた調査委員会が、結論を公表した。
「――本調査委員会の結論として、三年前の湾岸第九迷宮災害における位置情報の遅延は、突発的な故障ではなく、広域監視を優先するシステムの『仕様』によるものでした。そして、その仕様による致命的な欠陥リスクの警告を事前に受領していながら、懲戒付議資料において意図的に『受領は確認されない』と虚偽の記載を行ったのが、当時の監査担当・久世章吾企画官です」
榊冬真のアパートのリビング。
三日間意識を失った後も療養を続けていた冬真は、ソファに深く腰掛け、雨宮澪がテーブルに置いたタブレットから流れる生中継の映像を見つめていた。
画面の中では、迷宮安全庁の長官と再調査委員会のトップがフラッシュを浴びながら深々と頭を下げている。
三年前の事件の結論。それは、単一の巨大な悪が存在したという陰謀論ではなく、極めて実務的な『三つの責任』への分解だった。
第一に、現場の情報を後回しにするシステムを組んでしまった【制度上の原因】。
第二に、自身のシステム導入監査の責任を逃れるため、受領済みだった警告ログを隠蔽し、公的文書に能動的な虚偽を記した久世の【個人の責任】。
第三に、不自然な資料の切り分けに気づく機会がありながら、疲弊と怠慢から確認を先送りにしてしまった現場責任者・御厨誠一の【管理責任】。
「久世章吾については、弁明の機会を含む懲戒手続きを経て、故意の虚偽記載とその影響を認定し、本日付で免職としました。また、当時の現場室長で現在は緊急対応部長の御厨誠一から、管理責任を理由とする辞任の申し出があり、受理しました」
「……終わりましたね」
澪が、熱いお茶を淹れたマグカップを冬真の前に置きながら、静かに言った。
「組織がすべて悪いわけじゃない。一個人がすべて悪いわけでもない。……でも、事実と証拠に基づいて、責任の所在がはっきりと公にされました。久世企画官は職を失い、御厨部長も庁を去る。完全な決着です」
「ああ」
冬真はマグカップを手に取り、短い返事をした。
彼のもとには、会見の数時間前に、ギルドを通じてこの詳細な『再調査報告書』のコピーが送られてきている。
冬真はその報告書を読み、ある一つの「新たな事実」を知っていた。
(……『争えば、救助の詳細まで公表不能になる』、か)
三年前に久世が冬真を沈黙させるために使った、あの非公式の圧力。
報告書の法的見解を照らし合わせれば、あの言葉は法規上の必然でもなんでもなく、ただ久世個人が自分の責任追及を逃れるために放った『裁量によるハッタリ』に過ぎなかったことが、今ならはっきりとわかる。冬真は、ただの嘘に丸め込まれ、三年間も沈黙を強いられていたのだ。
「榊さん。その……久世氏から受けていたという圧力の件、今からでも告発しますか? そうすれば、彼の罪状をさらに重くすることができますが」
冬真の視線を察した澪が、気遣うように尋ねてきた。
だが、冬真は迷うことなく首を横に振った。
「いや。圧力の件は伏せておく」
「どうしてですか。あなたは彼に、不当に発言を奪われていたのに」
「俺個人の恨みで久世をこれ以上叩けば、メディアの関心は『では、その圧力をかけてまで隠したかった救助の詳細はどんなものだったのか』に向かう。……結果的に、南雲たち十二人の私生活が、今度こそ世間の好奇の目に晒されることになる」
冬真の判断基準は、どこまでいっても合理的で、冷徹だった。
久世の処分は、受領ログと虚偽記載の突き合わせという「手続上の違反」だけで十分に果たされた。これ以上、個人的な復讐のために余計な火種を撒き散らす必要はない。彼の最優先は常に『守ること』なのだ。
「……あなたらしいですね。本当に」
澪は少しだけ呆れたように笑い、それから、報告書の最後のページを指差した。
「でも、これだけは。あなたの正当な権利として、受け取ってください」
冬真の視線が、報告書の末尾――『榊冬真への処分に関する再評価』の項目に落ちる。
そこに記載されているのは、彼が無罪放免になったという言葉ではない。
当時の冬真が、現場で上層部の封鎖命令を無視して突入したという『命令違反』の事実は、取り消されることなく残されている。どれほど結果が良くても、軍隊的な組織において命令違反をなかったことにはできないからだ。
だが、その直後に続く文章が、過去の決定の評価を改めていた。
『――当該命令違反は事実である。しかし、当時の局地位置情報の信頼度がシステムの仕様上著しく低下し得る環境下において、現場の生体反応を優先した同氏の救助判断は、人命保護の観点から極めて合理的であったと認定する』
そして、最後の一行。
『本認定に基づき、三年前に当該迷宮内において、彼によって救助された民間人十二名が生存している事実を、本件処分記録に正式に付記する』
「……ッ」
冬真は、その一行を見た瞬間、息を詰まらせた。
目を閉じると、暗闇の瓦礫の中で血まみれになっていた彼らの姿が、そして数日前に面会室で見せた南雲奈緒の涙が浮かんだ。
彼らが生きているという事実。
三年間、国家の機密と組織の都合によって歴史の闇に埋もれ、存在しなかったことにされていた十二人の命の重さ。
それが今、国家の公式な記録として、永遠に刻み込まれたのだ。
世間のニュースがどれだけ「実は最強だった英雄」ともてはやそうが、冬真にとっては雑音に過ぎない。
彼にとって、真の意味での名誉回復であり、最大の報酬は、この『一行の記録』を勝ち取ったことだった。
「……これが残るなら、十分だ」
冬真は、報告書を静かに閉じた。
三年間、彼の肩にのしかかっていた見えない十字架が、音もなく崩れ落ちていくのを感じた。
ピロリン、と。
静寂を破るように、冬真の携帯端末にギルドからの通知が届いた。
『A級探索者・榊冬真殿。第七管区における広域事案の収束実績、および行政による過去の再調査結果を受け、貴殿の「災害対応登録者(暫定)」のステータスを、正式に【第一種】へと昇格・登録完了したことを通知します』
「……第一種登録。広域災害時に、正規部隊と同等の指揮権限と裁量を持てる、民間最高峰のライセンスですね」
画面を覗き込んだ澪が、誇らしげに微笑んだ。
「過去の肩書きがどうであれ、あなたは今、民間の一探索者としての『公開実績』だけで、国と対等に渡り合えるだけの地位を手に入れたんです」
国家の極秘要員として、秘密の中でしか命を救えなかった男。
彼を取り巻く過去の呪縛は、今日、この瞬間に完全に清算された。
「行くぞ、澪」
冬真は立ち上がり、椅子に掛けられていた防刃ジャケットを手に取った。
「記録は整った。次は、この第一種登録のライセンスを使って、どうやって『一人で背負わない体制』を構築するかだ」
澪はジャケットの肩に残る古い補修跡を見た。
「次の仕事、私の契約条件も聞いてくださいね」
「……条件?」
冬真が振り向くと、澪はまだ何も答えず、資料の入った鞄を持ち上げた。




