第4話 プロが先に気づく
その日の朝、迷宮探索界隈のネットコミュニティは過去にないほどの熱狂と混乱の渦に包まれていた。
『A級パーティ「銀翼」の配信アーカイブ、見たか!?』
『見た。加工不可の認証カメラに、あのD級のおっさんがバッチリ映ってたぞ』
『B級変異種三体を無傷で処理って……しかもA級が死にかけてたとこ助けてるし』
『おい、一昨日「CG乙」って叩いてた暴露系の黒川息してる? ww』
『あれが本物だとしたら、なんでD級なんだよ。バグだろこれ』
A級パーティが所持していた協会指定の『認証カメラ』。
ブロックチェーンによって迷宮ゲートの通過時刻から大気魔素波形までが厳密に署名された、改変の有無を検証できる公式記録。そこに、榊冬真の常軌を逸した救助劇が、フレームの欠落もなく鮮明に記録されていたのだ。
「加工だ」「ヤラセだ」という疑惑は、第三者のカメラという絶対的な証拠の前に、わずか一晩で粉々に打ち砕かれた。
だが、世間の大半が「D級がB級をノーダメージで倒した」というわかりやすい結果に熱狂する中、映像を食い入るように見つめる一部の専門家たちの評価軸は、全く別のところにあった。
*
「……やはり、フェイクではなかったか」
防音設備の整った検証ルーム。雨宮澪は、モニターに映る認証映像の再生を止め、深く息を吐き出した。
一昨日の映像で抱いた「加工にしては物理演算が精緻すぎる」という直感は正しかった。
しかし澪が戦慄しているのは、彼が本物だったからではない。彼が魔物を倒す直前に見せた『判断』に対してだった。
「岩柱の脆い部分を叩き折って、後衛への射線を物理的に切る……」
映像の中で、冬真は飛び込んでくるなり魔物を攻撃するのではなく、崩れかけの岩柱を破壊してバリケードを作った。
配信映えや見栄えなどを一切無視した、極めて地味で、しかし最も確実な人命救助の初動。
これを咄嗟の判断で、しかもA級探索者たちを言葉一つで統制しながらやってのけたのだ。
「この人は、探索者じゃない」
澪は確信を持って呟いた。
民間探索者の基本は「獲物を狩ること」だ。だが、この榊冬真という男の動きは根本から思想が違う。彼の目的は狩猟ではなく、被害を最小限に食い止め、空間の安全を確保することに特化している。
「推測で語るのは、ここまでね」
澪は自身のチャンネルの掲示板を開く。
彼女の仕事は、事実を明らかにし、視聴者が正しい情報を受け取れる状態を作ることだ。他人のカメラ映像だけで「本物だ」と乗っかるのは、検証者としての筋が通らない。
澪はギルドのシステムを通じ、冬真の連絡先へ一件のメッセージを送信した。
*
同じ頃、国内トップクランの本部。
現役S級探索者である神代岳は、執務室の大型モニターに映し出された冬真の戦闘記録を、腕を組んで見下ろしていた。
彼の傍らには、昨日救助されたA級パーティ『銀翼』のリーダーが、緊張した面持ちで直立している。
「……で。生で見た感想はどうだった」
「は、はい。恐ろしいほど無駄がありませんでした。剣を振るうというより、作業をこなしているような……」
「だろうな」
神代は短く応じ、映像をループ再生させた。
世間は冬真の『強さ』に騒いでいるが、神代自身は、この程度の変異種三体であれば、地形ごと範囲魔法で消し飛ばすことができる。純粋な火力や殲滅速度だけで言えば、神代の方が圧倒的に上だ。
神代が異常視したのは、冬真の『技術』と『手順』だった。
「こいつ、魔物と戦う前に、必ず『自分以外の人間』の立ち位置と退路を確認してる。岩柱を崩したのも、自分が戦いやすいからじゃない。お前たち後衛の壁を作るためだ」
「あ……」
「それに、魔物の関節への打撃。あれは斬撃ダメージを狙ったものじゃない。敵の荷重ベクトルを強制的にずらして、同士討ちを誘発させるための『制御』だ」
神代の言葉に、A級リーダーは息を呑んだ。
現場で死にかけていた自分たちには、そこまで見えていなかったのだ。
「迷宮探索に、こんな手順は存在しない。こいつの動きは、広域の二次被害を想定して動く『災害鎮圧』のプロの手法だ。……面白い。一体どこでこんな技術を身につけたんだ?」
S級である神代は、冬真の圧倒的な実務能力を正しく評価しつつ、純粋な興味の笑みを浮かべていた。
*
一方。
迷宮安全庁・緊急対応部門のオフィスでは、一人の男がモニターの前で凍りついていた。
A級相当の公的救助員である水城蓮司。彼は、関係各所から上がってきた昨日の「未確認D級探索者による事案収束」の報告書と映像を確認し、呼吸を忘れていた。
「……嘘、だろ」
映像の中で直剣を振るう、灰色の防刃ジャケットの男。
画質が良くても、口元を覆うマスクと深く被ったフードのせいで顔ははっきりと見えない。
だが、水城にはわかった。
敵の初動を読む際の、わずかに肩を落とす癖。岩柱を崩すときに、刃こぼれを防ぐため瞬時に剣の峰を返す手首の角度。
そして何より、現場の誰もが見落とす『崩落の兆候』を誰よりも早く察知し、自分より先に他人の命を安全圏へ押しやる、あの冷徹なまでの自己犠牲の形。
「隊長……?」
三年前。
水城がまだ旧系統の特殊部署に所属していた頃、自分たちに撤退を命じ、一人で崩壊する迷宮の最深部へと向かっていった、あの背中。
公的記録上は「服務違反による退職」とされ、水城の上司である御厨誠一の口からも、それ以上の詳細は語られなかった。
まさか、あの人なのか。
水城は再生バーを戻した。仮面の下の顔は見えない。
あの時、命令系統に逆らえず、彼一人に責任を負わせてしまったという負い目。そして現在の水城は現役の公的機関の人間であり、厳重な守秘義務がある。
たとえ彼が民間探索者として復帰していたとしても、公の場で「あの時の人だ」と声を上げることは、彼の過去の秘匿任務を暴くことにつながりかねない。
「なぜ、今になって……D級なんかで」
水城は誰にも聞かれないよう、ただ一人、モニターの前で唇を噛んだ。
*
「……騒ぎになっているな」
昼下がりの安アパート。
冬真は、直剣の刃を油布で拭いながら、傍らに置いた端末の画面を淡々と眺めていた。
ニュースサイトも、ギルドの掲示板も、どこを見ても『謎の最強D級』の話題で持ちきりだ。フォロワー数も一万の大台を突破している。
だが、世間の熱狂とは裏腹に、冬真自身の自己評価は極めて冷ややかなものだった。
(最強、ね)
冬真は小さく鼻を鳴らす。
昨日彼が行ったのは、あくまで『初動の被害局限』と『活動停止』に過ぎない。
三体の変異種を処理し、A級パーティを救助した。それは事実だ。
しかし、あの突発的な崩落と魔物の発生を引き起こした『局地的な魔素の歪みの発生源』を特定し、迷宮の構造ごと破壊・沈静化させるには、冬真の手持ちの装備と魔力量では根本的に火力が足りていなかった。
もしあれが災害指定個体クラスの事象であれば、冬真一人では時間を稼ぐのが精一杯だっただろう。
自分は決して万能ではない。対処できる範囲を正確に把握しているからこそ、生きてこられた。
世間がどれだけ過大評価しようと、冬真の目的は『公開実績を残して災害補償保険の条件をクリアすること』に尽きる。
ふと、端末が短い電子音を鳴らした。
ギルドのシステムを通じた、個人宛のダイレクトメッセージ。
差出人の名前を見て、冬真は布を動かす手を止めた。
『初めまして。検証配信者の雨宮澪と申します』
先日、自身の初配信のアーカイブを保存していたアカウントだ。
メッセージの文面は、極めて事務的かつ論理的だった。
『あなたの配信に対する現在の世間の評価は、不確かな憶測に基づいています。私は検証者として、事実を明確にしたいと考えています。つきましては、私の所有する複数の認証機材を使用し、第三者立会いのもとで、あなたの能力の完全な実地検証を行わせていただけないでしょうか』
文面から、相手が感情や再生数稼ぎで動く人間ではないことが読み取れる。
冬真にとって、公開実績を積む上で、自前の高額な機材なしに「本物である」という公式の証明が得られるのは好都合だった。
「……悪くない提案だ」
冬真は直剣を鞘に収めると、短い承諾の返信を打ち込んだ。




