第34話 三地点同時
洞道の奥から、巨大な岩盤が軋むような不気味な重低音が響いてくる。
第七管区迷宮、第3ブロックへと続く中層エリア。紫色の魔素の靄が視界を遮る中、榊冬真は立ち止まり、鋭い視線で周囲の空間をスキャンし終えた。
「澪。ギルドの緊急回線で、上位クラン連合の高瀬統括に繋げ」
「……はいっ、繋ぎます!」
澪がタブレットを操作し、暗号化された回線を開く。数秒後、通信の向こうから、先ほど冬真の権限範囲を限定した高瀬慎吾の厳しい声が響いた。
『榊か。第3ブロックの状況はどうなっている』
「盤面は最悪だ。システムエラーによる遅延だけじゃない。さらに深い階層に、災害指定個体クラスの熱源が存在している。その影響で迷宮の構造自体が歪み始めている」
『災害指定個体だと……!? 監査局の事前観測ではそんな報告は――』
「過去の書類の話は後にしてくれ。問題は現在だ」
冬真は冷徹に言葉を継いだ。
「巨大な魔素の圧迫を受けて、現在、第3ブロックを支える岩盤のジョイント部分――アルファ、ブラボー、チャーリーの三地点で、魔素の過負荷が臨界点に達しようとしている。あと十五分以内に、この三地点の崩落が同期して発生する」
『三箇所同時だと……!』
「一つでも崩れれば、連鎖的に第3ブロック全体が潰れる。奥に取り残されている民間人ごとだ」
通信越しに、高瀬が息を呑む気配が伝わってきた。
三箇所の崩落を同時に防ぎながら、魔物を処理し、民間人を救出する。それは、いかなる超人であろうと物理的に不可能なタスクだ。
「高瀬統括。俺一人では、この盤面は物理的に処理不可能だ」
冬真は、自らの限界をはっきりと口にした。
三年前の彼なら、ここで通信を切り、無理をしてでも一人で三箇所を飛び回り、結果的に限界を迎えていただろう。「自分が行けば早い」「自分がすべてを背負えば済む」。それが榊冬真という男の最大の弱点だった。
だが、今の彼は違う。
「だから、あんたたちの力を使う。俺の『災害対応登録者』としての権限で、外部からの人員と火力を要請する」
『……わかった。連合として出せる戦力は全て回す。誰が必要だ?』
高瀬もまた、冬真の報告に疑いを挟まなかった。彼が提示した事実の重さと、己の限界を認めた上での合理的な要請。それを無下にするほど、高瀬は無能な組織人ではない。
「ブラボー地点の防衛に、S級の神代岳を回してくれ。第五管区の作戦はすでに終わっているはずだ」
『繋ごう。少し待て』
数秒の電子音の後、ノイズ混じりの回線に、神代の野太い笑い声が響いた。
『ハッ! A級に上がった途端に、S級を顎で使う気かよ、榊』
「遊びじゃないぞ、神代。ブラボー地点は、深層からの魔物の流出が最も激しくなる最大の防衛拠点だ。あそこが抜かれれば、崩壊の連鎖は止められない」
『お前のその「見切る」技術で、全部ちまちま活動停止させてやりゃあいいだろうが』
「俺の『前兆読み』による封じ込めは、時間を稼ぐことはできても、あれほどの数を完全に殲滅し、長時間防衛線を維持し続けることはできない。……俺の装備と魔力では限界がある。お前の、圧倒的な火力が必要だ」
冬真が初めて、明確に自分の能力の限界を認め、神代の「単体最大火力と継続戦闘能力」という強みを頼った。
通信の向こうで、神代が愉快そうに鼻を鳴らす。
『……いいぜ。お前がそこまで言うなら、派手にぶっ飛ばしてやる。ギルドの緊急輸送機で今から現場に飛ぶ。十分で着く、それまでブラボー地点は空けとけ』
「頼む」
これで、最大の魔物流出経路は塞がれる。
冬真は間髪入れずに、もう一つの回線を開くよう澪に指示した。
「次は、迷宮安全庁の水城に繋げ」
「はい!」
すぐに、緊急対応部門の指令フロアにいる水城蓮司の声が飛び込んできた。
『隊長……! いや、榊さん。本庁のシステム解析班も、三地点の異常な魔力滞留を検知し始めました。行政として、何かサポートできることはありますか』
「チャーリー地点の救助と封鎖制御をお前たちに任せたい」
冬真の言葉に、水城がわずかに言葉を詰まらせた。
「チャーリー地点は民間人の避難経路に近いが、二次崩落の危険が極めて高い。現場にいる自治体隊だけでは、いつ頭上が崩れるか分からず踏み込めないだろう。だが、出現する魔物自体は自治体隊の火力でも処理できるレベルだ」
『……俺に、彼らを誘導しろと?』
「そうだ。お前が本庁のシステムから安全なルートを割り出し、遅延の誤差を修正しながら外で待機している自治体隊をリアルタイムで誘導してくれ。……お前たちの目を信じる」
三年前。水城は指令フロアで、ただ冬真が一人で地獄へ向かうのを見ていることしかできなかった。
組織の命令に逆らえず、すべてを背負わせたという罪悪感。それが三年もの間、水城の心を苛み続けていた。
だが今、冬真は民間探索者という立場で、行政側の水城に対し「命を救うための役割」を真っ向から委譲したのだ。
『……了解しました。本庁の演算能力のすべてを第七管区に集中させます。自治体隊の指揮は、俺が責任を持って引き受けます』
「頼んだぞ」
水城の力強い声を聞き届け、冬真は通信を切った。
神代が火力を担い、水城と自治体隊が救助と封鎖を担う。
冬真一人では絶対に処理不可能だった絶望的な盤面が、公的な資格と他者への信頼を通じて、パズルのピースが埋まるように盤石な対応策へと形を変えていく。
「自分が行けば早い」という呪縛から解き放たれた冬真が、初めて官民の力を統合した瞬間だった。
「榊さん。ブラボー地点とチャーリー地点の対応は手配完了しました。でも、まだ『アルファ地点』が残っています」
澪がタブレットを抱え、緊張した面持ちで冬真を見た。
「あそこは最も深層に近く、崩落の起点となる最大の発生源です。しかも、数十人の民間人がまだあの区画の奥で孤立している……」
「ああ。だから、あそこは俺たちが行く」
冬真は直剣を抜き、紫色の魔素が渦巻く最深部への洞道を見据えた。
一人ですべてを背負うのはやめた。だが、最も危険で、不確実な『前兆読み』による極限の被害局限が求められる最前線だけは、彼自身が請け負わなければならない。
それが、最強の災害対応プロフェッショナルとしての彼の仕事だからだ。
「遅延中継のカメラは問題ないな、澪」
「はい。映像も音声も、完璧に記録しています。……行きましょう」
澪の力強い頷きを確認し、冬真は床を蹴った。
仲間たちに背中を預け、彼らが盤面を支えてくれると信じて。
冬真は、災害指定個体の影響が最も色濃く影を落とす、漆黒の深淵へと飛び込んでいった。




