第33話 災害対応登録者
「作戦の変更は承認された。だが榊よ、お前が最前線で動くにあたって、指揮系統と責任の所在を明確にする必要がある」
第七管区迷宮ゲート前、指令テント内。
現場指揮官は、迷宮安全庁からの公式なバックアップを受けたことで冷静さを取り戻し、実務的な顔つきで冬真に向き直った。
公式システムのエラーが判明した以上、現場はただちに対応を修正しなければならない。しかし、いくらA級探索者とはいえ、民間の一個人が自治体の救助隊や防衛部隊に直接指示を出して動かすには、法的な根拠が不足していた。
三年前の冬真なら、ここで面倒な手続きを無視し、一人で現場に飛び込んでいただろう。
だが、今の彼には「社会的な資格」と「それを担保する相棒」がいる。
「榊さん、申請フォームの準備が完了しました」
雨宮澪が手元のタブレットを素早く操作し、ギルドと自治体のシステムへアクセスした。
「第四管区の合同作戦で残した避難統制記録と、第三管区の自治体公開訓練での誘導記録。これを根拠とし、A級ライセンスの特例条項を適用します。……榊冬真を『災害対応登録者(暫定)』として緊急登録し、現場での部分的な指揮権限を委譲する法的契約を結びます」
災害対応登録者。
それは、大災害時に限定して、民間探索者が公的な救助隊と同等の権限を持ち、自治体の指揮系統に直接組み込まれる制度だ。
澪が提示した電子契約書には、冬真の権限範囲、指示に従った部隊の免責事項、そして――。
「さらに、私の機材による『公式遅延中継』を作戦の記録として提出することを契約に組み込みます。これにより、榊さんの現場判断の妥当性は、後から誰でも検証可能な公的記録として保存されます」
「……なるほど。それなら、我々自治体としても責任の所在を担保できる。すぐに承認プロセスを――」
『待て。その暫定登録の申請に対し、上位クラン連合として正式な異議を申し立てる』
テント内の通信モニターに、突然割り込んできた声があった。
画面に映し出されたのは、ギルド本部にいる上位クラン連合の安全統括、高瀬慎吾だった。彼は腕を組み、画面越しに鋭い視線を冬真に向けている。
「高瀬統括……」
『榊。第四管区での見事な被害局限については、俺も高く評価している。お前の能力を疑っているわけではない。だが、だからといって一介の民間探索者に、暫定登録で「第七管区全域」の広範な指揮権限を丸投げすることは、安全規定上承認できない』
高瀬の言葉は冷徹だった。
彼は冬真に嫌がらせをしているのではない。全体の安全とルールを重んじる統括者として、特例によって指揮系統が混乱するリスクを論理的に指摘しているのだ。
『お前の前兆読みがどれほど正確だろうと、お前一人で広大な迷宮の全てをカバーできるわけではない。権限が広すぎれば、お前の目が届かない場所で必ず指揮の空白が生じる。全体の安全担保の観点から、この包括的な契約は却下だ』
現場指揮官が息を呑む。
だが、冬真は画面の中の高瀬に対して、反発するどころか小さく頷いた。
「……妥当な指摘だ。俺も、全体の指揮を奪うつもりはない」
冬真は、高瀬の安全論理を完全に肯定した。主人公だからといって、彼のために世界のルールが都合よく曲がるわけではない。摩擦を経て、既存の枠組みに適合していくことが、プロとしての仕事なのだ。
「権限の範囲を修正する。俺の『災害対応登録者(暫定)』としての指揮権限は、システム遅延によって無人と誤認されている【第3ブロック】および、そこに直結する崩落危険箇所のみに限定する。それ以外のエリアの外周防衛と魔物討伐は、正規のギルド部隊と自治体に一任する」
『……フッ。自分の見えている範囲の責任だけを負うということか』
「俺は俺の仕事をするだけだ。そっちは、お前たちの規定で外を守れ」
高瀬は小さく鼻を鳴らし、手元の端末を操作した。
『第3ブロックに限定した局地的な権限委譲への条件修正。……了解した。連合としての異議を取り下げる。榊、中で死ぬなよ』
モニターの通信が切れ、即座に澪のタブレットに【契約成立】の緑色の文字が点灯した。
これで、冬真は法的な裏付けを持った現場の指揮官として動ける。三年前のように、一人で命令違反の十字架を背負う必要はもうないのだ。
「澪。配信のモードは」
「すでに『公式遅延中継』に切り替わっています。映像は数十分の遅延と位置情報の粗化処理を施した上で、後から行政やギルドが検証するための公的記録としてストリーミングされます」
澪の言葉に頷き、冬真は直剣を抜き放ってテントを飛び出した。
封鎖線が解除されたゲートの向こうからは、すでに魔素の焦げるような異臭と、岩盤が軋む絶望的な音が漏れ出している。
二人は、一切の躊躇なく、崩落が始まりつつある迷宮内部へと踏み込んだ。
*
「……ひどい有様ですね」
第3ブロックへと続く中層エリア。
澪が顔をしかめながら、カメラのレンズを周囲に向けた。
洞道の壁面には無数の巨大な亀裂が走り、そこから高濃度の魔素が紫色の靄となって噴き出している。逃げ惑う民間人の遺留品が散乱し、その先からはC級〜B級の魔物たちの耳障りな咆哮が反響していた。
だが、冬真の視線は魔物には向いていなかった。
「……」
彼は立ち止まり、目を閉じ、研ぎ澄まされた感覚のすべてを環境の情報に向けた。
足裏から伝わる微細な振動の周期。肌を撫でる気流の温度変化。そして、魔素の靄が描く不自然な干渉縞。
七年間、国家の極秘任務で培われた『前兆読み』が、空間の全容を脳内で構築していく。
やがて冬真は目を開き、その瞳に冷酷なまでの事実を映した。
「……盤面は、想定より最悪だ」
「え?」
冬真は直剣の切っ先で、前方の三つの異なる通路を順番に指し示した。
「この異常な魔素の噴出。ただの局地的な崩落じゃない。もっと深い層で発生した巨大な熱源――災害指定個体クラスの干渉が、迷宮全体の構造を歪めている」
「災害指定個体……! それじゃあ、三年前の湾岸災害と本当に同じ……!」
「問題はそこじゃない」
冬真の声が、ギリッと引き締まる。
「巨大な熱源の圧迫を受けて、この第3ブロックを支える岩盤のジョイント部分に魔素の過負荷が集中している。その臨界点が……『三箇所』だ」
澪が息を呑む。
それはつまり。
「アルファ、ブラボー、チャーリーの三地点。これがほぼ完全に同期して、あと十五分以内に同時に崩壊する。一つでも崩れれば、連鎖的に第3ブロック全体が潰れ、奥に取り残されている民間人ごと圧殺される」
冬真の能力は、異常個体を単独で撃破する火力ではない。数秒先の危険を読み、魔物の関節を抜き、崩落を寸前で「封じ込める(活動停止させる)」ことだ。
だが、その封じ込めには高い魔素負荷と時間制限が伴う。
ましてや、物理的に離れた『三地点』で同時に発生する崩壊を、たった一人で全て押さえ込むことなど、世界中のどんな最強の探索者であっても不可能だ。
冬真の端末には三つの地点が赤く点滅していた。彼が動けるのは一つだけだ。
「高瀬。残り二つの指揮官を繋いでくれ」




