第30話 A級と再調査
「――B級昇格後の認証済み探索案件、第三管区の同行救助、自治体公開訓練での避難誘導。規定の実績審査を終えました。榊冬真氏をA級探索者に認定します。広域災害時には自治体部隊との直接連携が可能です」
探索者協会の本部。重厚なカウンター越しに、プラチナ色のラインが入った真新しいライセンスカードが手渡された。
無名のD級探索者として迷宮配信を始めてから、わずかな期間でのA級到達。通常であれば何年、何十年と泥水をすすってようやく辿り着くかどうかという雲の上の階級に、榊冬真は『公開実績のみ』で一気に駆け上がったのだ。
「……ああ。これでまた一つ、仕事がやりやすくなる」
冬真はカードを受け取ると、感慨にふけることもなく、即座にそれをジャケットのポケットにしまった。
南雲奈緒が顔と実名を出して公開した『十二人の一人の証言』動画。あの動画が世間に与えた衝撃は絶大だった。証言後、ギルドには審査の進捗を問う声も届いていた。だが、採点対象になったのは民間で積んだ認証記録だけだ。
だが、冬真自身は世間の騒ぎなどどこ吹く風だった。彼にとってA級という肩書きは、名誉を飾るためのものではない。緊急時に、より多くの命を救うための『実務的な権限のパスポート』でしかないからだ。
「榊さん。世間は今、あなたの話題で持ちきりですよ。少しは嬉しそうな顔をしたらどうですか?」
ギルドを出て歩き出しながら、雨宮澪が呆れたように横から声をかけた。
「名声で魔物は倒せない。俺のやるべき仕事は、昨日までと何も変わらないさ」
「相変わらずですね。……でも、社会の側はそうはいかないみたいですよ」
澪は手元のタブレットを操作し、今しがた更新されたばかりのニュースサイトのトップ記事を冬真に見せた。
そこには、太字のゴシック体でこう見出しが打たれていた。
『迷宮安全庁、三年前の「湾岸第九迷宮災害」に関する限定的な再調査の開始を発表』
「……行政が、動いたか」
冬真の足がピタリと止まり、その目が微かに細められた。
「はい。南雲さんの証言動画が、世論に火をつけたのは間違いありません。でも……」
澪は検証者としての理知的な瞳で、画面に並ぶ公式声明文の行間を読み解き始めた。
「国という巨大組織は、ただの『感情的な証言』や『ネットの炎上』だけでは過去の決定を覆しません。彼らが再調査に踏み切らざるを得なかったのは、検証コミュニティが示した『十五分の空白』――防災無線と救急搬送の公表時刻の食い違いという、再確認を要する記録上の矛盾が、彼らの内部監査の論点と完全に一致してしまったからです」
南雲の証言は救助の事実を、公開時刻の照合は再調査すべき箇所を示した。原因を確定できるのは、内部記録を調べる委員会だけだ。
「しかし、調査の範囲が不自然なまでに限定的です」
澪はさらに指摘を続ける。
「発表された再調査の対象は、『当時の現場要員の判断の妥当性』と『末端の通信ログの再確認』のみ。システムの構造的欠陥や、上層部の情報管理責任については一切触れられていません」
「……つまり、行政内部の誰かが、自分の身を守るために調査範囲の拡大に強く抵抗しているということか」
「ええ。三年前の処分に関わった人間のうち、今も権力を持っている誰かが、必死に防衛線を張っているんでしょうね」
冬真の脳裏に、先日「非公式顧問」という飴玉をぶら下げてきた男たちの顔がよぎった。特に、神経質そうに眼鏡を押し上げていた監査局の企画官――久世の焦燥に満ちた表情を。
「勝手にやらせておけ」
冬真は興味を失ったように前を向いた。
「俺の過去の処分がどう覆ろうと構わないが、事実が歪められるのは気に食わないな。……だが、俺たちがすべきことは、過去の泥仕合に参加することじゃない。現在の記録を残すことだ」
冬真の態度は一切ブレない。過去の責任追及は行政の仕事であり、現場の探索者の仕事ではないのだ。
*
「榊冬真。これよりA級案件、第五管区・高難度迷宮の通常探索を開始する」
同日の午後。
平常時の個人チャンネルによる探索配信。A級に昇格しても、冬真のルーティンは変わらない。
澪が操作するディレイ(遅延)配信のカメラを背後に従え、冬真は薄暗い岩石地帯の迷宮を静かに進んでいく。
A級迷宮となれば、徘徊する魔物の基礎能力は格段に跳ね上がる。だが、冬真はそれらを力でねじ伏せるのではなく、地形の起伏や気流の変化を読み、相手の死角から一撃で関節を抜き、活動を停止させ続けた。
『A級になってもこの安定感』
『再調査のニュースで日本中がひっくり返ってるのに、本人は平常運転すぎるだろw』
『これがプロフェッショナルか』
コメント欄は、冬真の揺るぎない姿勢への称賛で溢れていた。
しかし、探索を続けて一時間が経過した頃。
冬真は不意に足を止め、壁面に表示されているギルドの「公開迷宮マップ(現在地の安全情報と他パーティの人流を示すホログラム)」をじっと見つめた。
「……澪。このマップの更新頻度は、何秒に一回だ」
「え? ギルドの標準規格ですから、三秒に一回のリロードのはずですが」
「……いや。ズレている」
冬真は目を細め、数メートル先の交差点――そこを通り過ぎていった別パーティの足音と、マップ上に表示される『青い光点(味方の位置)』の移動速度を比較した。
「俺の目と耳が捉えている現場の人流に対して、公式マップの光点の動きが遅い。……ほんの数秒だが、明らかなタイムラグがある」
「そんな馬鹿な。ギルドの統合システムは先月アップデートされたばかりの最新型ですよ?」
澪が手元の端末で確認しようとした、その瞬間だった。
ピーーーッ!!
澪の持つギルドの公式情報端末から、これまでに聞いたこともないような、甲高く耳障りな緊急通知音が鳴り響いた。
「な、何事ですか!?」
「表示を出せ!」
澪が慌てて端末のホログラムを展開する。
そこに表示されたのは、この迷宮の警告ではない。別都市――首都圏から遠く離れた第七管区の迷宮監視センターから発信された、全国のA級以上の探索者に向けた『特大の警報』だった。
『――緊急事態発生。第七管区の広域センサー群において、致命的なシステムエラーを検出』
『迷宮内の位置情報統合システムに、原因不明の大規模な遅延が発生中』
「……遅延の規模は?」
冬真の声が、一気に限界まで冷え込んだ。
「現在、推定で……『約十五分』。リアルタイムの現場と、指令所のデータが完全に乖離しています……!」
澪の声が震える。
十五分。
それは、三年前に冬真の運命を狂わせ、十二人の民間人を死の淵に追いやった『湾岸第九迷宮災害』のシステムエラーと、全く同型の異常だった。
「……偶然ではないな」
冬真は直剣の柄を強く握りしめた。
過去の行政資料を掘り返し、責任の所在を突き止めようとしていた矢先。
まるで、人間たちが過去の真実に辿り着くのを嘲笑うかのように、迷宮という規格外の存在が、三年前と同じ牙を剥いてきたのだ。
「澪、配信を公式遅延中継の緊急モードに切り替えろ」
「榊さん……行くんですか? 管区が違います、遠すぎます!」
「関係ない。同じことが起きているなら、現場の連中は十五分前の嘘の安全マップを見せられたまま、逃げ遅れることになる」
過去の再調査ではない。
現在進行形の危機として、三年前と同じ二択が、再び冬真の前に突きつけられようとしていた。




