第25話 公開資料の十五分
深夜。雨宮澪の作業部屋は、複数のモニターから放たれる青白い光に照らされていた。
画面には無数のテキストチャットと、共有されたPDF資料、そして複雑な時系列グラフが絶え間なく流れている。
『――当時の公式発表のタイムスタンプと、自治体の防災無線のログを照合しました。やはりズレがあります』
『自治体の公開時刻表と救急搬送の集計時刻が一致しません。現役の通信仕様は調べず、時刻だけで確認します』
チャット上で意見を交わしているのは、澪が管理・参加しているクローズドな『迷宮映像・データ検証コミュニティ』の有志たちだ。
データサイエンティスト、映像解析や防災記録の照合に詳しい人々。彼らは暴露屋のように個人のスキャンダルを追う人間ではない。ただ純粋に、ネット上に散らばるオープンデータ(公開情報)をパズルのように組み合わせ、矛盾のない事実を構築することに情熱を燃やす専門家集団だった。
三年前の『湾岸第九迷宮災害』。
暴露系配信者・黒川彰の自滅は、皮肉にもこの事件に対する世間の注目度をかつてないほどに引き上げてしまった。検証コミュニティの熱量も頂点に達し、彼らはかつてない規模で当時の行政資料を掘り返していた。
「……見えましたね。皆さんが抽出してくれたデータを重ね合わせると、一つの『空白』が浮かび上がります」
澪は手元のキーボードを叩き、一つのグラフをコミュニティの画面に共有した。
「災害発生直後の防災無線と救急搬送の公表時刻に、約十五分の食い違いがあります。位置情報の更新が遅れた可能性はある。でも、これだけでシステムの原因や現場の指示を断定できません」
十五分。
極限の災害現場において、それは致命的とも言える長さだ。
この十五分間に何があったのか。なぜ民間人十二名は取り残され、そして無事に救出されたのか。
その謎を解く鍵として、コミュニティ内である一つの資料がクローズアップされていた。
『雨宮さん。私が取り寄せた予算執行の公開ログを見てくれ』
チャットに英語のメッセージが書き込まれる。送信者は、海外の大学で迷宮災害における組織論を専門としている研究者だった。
彼が提示した画像には、当時の迷宮安全庁の予算項目の一部が記されていた。黒塗りの合間に、不自然に独立した一つのコードが残っている。
『第0系統』。
『このコードだが、海外の特殊災害対応機関のケースと照らし合わせると、非常に興味深い合致を見せる』
海外研究者の解説が続く。
『大規模な迷宮災害において、正規の軍や討伐部隊とは別に、より過酷な局地や情報欠損下に単独・少数で投入される「特殊災害対応向け」の独立した予算・調達系統。それを示すコードである可能性が高い。つまり、面体付きの防護服を着て、あの荒いニュース映像に映っていたような規格外の動きをする「専門要員」が存在する組織類型だ』
コミュニティがどよめいた。
だが、研究者はすぐに冷静な一文を付け加えた。
『ただし、我々が公開資料から推測できるのは「そういった役割の部隊が存在する制度的余地がある」という一般論までだ。彼らの正式な部隊名称、人員配置、そして個人の識別情報は、強固な法規によって徹底的に秘匿されている。……どれだけ深掘りしようと、公開情報から「榊冬真=その部隊の所属員だった」と法的に証明することは不可能だ』
それが、国家機密という壁だった。
情報へのアクセス権がない以上、これ以上の推測は陰謀論の域を出ない。
「……十分です。ありがとうございます」
澪は深く息を吐き、モニターを見つめた。
研究者は個人の推測だと断ったうえで、予算項目の番号だけを公開した。彼らは『第0系統』という無機質なコードネームから便宜上、存在したかもしれないその秘密部隊を『第零班』という俗称で呼び始めた。
(……なるほど。そういうことですか)
澪は数日前の行政回答を思い返した。「現在、その名称および編制の部隊は存在しない」。あの回答が触れていない三年前の編制にも、この俗称だけでたどり着けるわけではない。
公開情報の海を泳ぎ切り、ついに『十五分の空白』という核心の輪郭にまで辿り着いた。
だが、澪はそこでピタリと検証の手を止めた。
(この十五分間に、あの地獄で何があったのか。榊さんがどういう判断を下したのか……それを、安全な場所にいる私たちが推測で語る権利はない)
当事者の口から語られない限り、あるいはそれを裏付ける決定的な証拠が出ない限り、これ以上の断定はしない。
澪はコミュニティに、救助者の個人情報や現役の通信経路に触れる投稿を止めるよう伝えた。公開時刻の照合結果は保存し、地域を特定できる粒度の資料は出さない。
*
翌朝。
冬真のアパートを訪れた澪は、昨晩の検証コミュニティでの一連の流れと、ネット上で『第零班』という俗称が完全に定着しつつあることを報告した。
「……というわけで、ネット上ではあなたがその『第零班』の生き残りだという説が、もはや半ば事実として扱われています。行政の公開資料から、十五分間の時刻の食い違いまで見つけられてしまいました」
「そうか」
冬真は、リビングのテーブルで長剣の刃を油布で拭いながら、相変わらず淡々と応じた。
自分の過去の核心部分が、白日の下に引き摺り出されようとしているというのに、彼の態度は全くブレていない。
「榊さん、気にならないんですか?」
「『第零班』などという部隊に所属した覚えはないからな。ネットの連中が勝手に名前をつけて、勝手に盛り上がっているだけだろう」
「それはそうですが……」
「俺の顔や名前、そして現在の民間探索者としての活動は機密対象じゃない。奴らがいくら推測を並べ立てようと、俺が口を割らず、決定的な秘匿情報が漏れない限り、俺の現在の仕事には何の影響もない」
冬真は剣を鞘に収め、立ち上がった。
彼にとって重要なのは、過去の謎解きではない。現在進行形で公開実績を積み上げ、B級探索者としての仕事――つまり、自分の能力を使って誰かの命を安全に守り抜くことだけだ。
「今日は午後から、ギルドが主催する自治体合同の公開訓練だ。俺はB級の臨時協力枠として参加する。カメラの準備をしておけ」
「はいはい、わかっていますよ」
澪は機材を取り出した。昨夜のグラフは、公開時刻だけを使っている。それでも救助者のいる区画まで推測されるなら、次の公開図はもっと粗くしなければならない。
表示する目盛りを、澪は指で広げた。




