第24話 処分済み案件
「――ご報告します。例の『三年前の救助者』を探し回っていた動画配信者のチャンネルですが、昨夜、運営プラットフォームが該当動画を非公開とし、チャンネルの配信機能を一時停止しました。提携広告も審査待ちとなった模様です」
迷宮安全庁、監査局の奥深くにある企画官室。
デスクの前に立つ部下の報告に、久世章吾は手元の決裁書類から顔を上げず、短く「そうか」とだけ応じた。
四十六歳。三年前の『湾岸第九迷宮災害』当時は、現場の特別迷宮災害対処室と監査部門の調整担当を務めており、現在は出世してこの監査局の企画官の座に就いている。
「原因は、立入制限区域への無許可侵入と、民間人に対するプライバシー侵害だそうですが……一部のネット界隈では、『国家機密に触れたから圧力をかけられて消された』という根拠のない陰謀論が拡散されています」
「馬鹿馬鹿しい。たかが三流の動画配信者一人を潰すために、我々が動くわけがないだろう。規約違反による自滅だ」
久世は持っていたペンを置き、忌々しげに息を吐いた。
配信者が一人ネットの海から消え去ったこと自体は、久世にとってはどうでもいいことだ。トカゲの尻尾が切れた程度の認識でしかない。
問題は、彼が消える直前に派手に撒き散らした『火種』の方だった。
「ですが企画官。結果として、世間の関心は三年前の災害に強く引きつけられてしまっています。検証コミュニティは公開時刻の矛盾を調べ続けています」
「……」
「それに、あの榊冬真というB級探索者です。彼の配信映像の手順と、三年前のニュース映像の隊員の動きが一致しているという検証動画が、今も凄まじい勢いで再生され続けています。このままでは――」
「榊個人の過去がネットでどう推測されようと、それは推測の域を出ない。放っておけ」
久世は冷徹な声で部下の言葉を遮った。
「彼が現在行っているのは、民間資格に基づく合法的な迷宮探索だ。守秘義務の境界――具体的な装備仕様や未解除の作戦プロトコルの公開――を踏み越えない限り、我々から彼の配信を強制停止させる法的権限はない」
「しかし、このまま過去を掘り返されれば……」
「掘り返して、何が出るというんだ?」
久世の鋭い視線が部下を射抜く。
「三年前の事案は、すでに厳正な内部調査を経て、一人の現場要員の『明白な命令違反』として処分が下り、完結している。……処分済みの案件だ。ネットの有象無象がどれだけ騒ごうと、覆るようなものではない」
「……失礼いたしました」
部下が一礼して執務室を退出すると、久世は深々と革張りの椅子に背中を預け、ネクタイを少しだけ緩めた。
整然と並べられた書類の山。その奥底に、彼が三年前に処理した『湾岸第九迷宮災害』の報告書と懲戒付議資料が眠っている。
あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。
災害指定個体の発生と、それに伴う大規模な構造崩壊。現場の最前線で指揮を執っていたのが、榊冬真だった。
三年前の事故後、久世は監査と懲戒の資料を別々の案件として整理した。
(分類を誤ったわけじゃない)
久世はそう繰り返した。現場の命令違反は実際にあった。その一点に絞れば、審査は進む。机の引き出しには、彼自身が作成した付議資料の控えがある。今は開きたくなかった。
その狭い調査範囲を、当時の現場責任者であった御厨誠一も承認した。それで終わったはずの話なのだ。
コンコン、と控えめなノックの音が鳴り、別の担当者が入室してきた。
「企画官。広報および法務窓口からの報告です。今朝から、ネットメディアやフリージャーナリストたちから、三年前の湾岸災害に関する『未公開のシステムログ』や『懲戒処分記録の再照会』を求める情報公開請求が殺到しています」
「……」
「また、検証コミュニティの有志が、防災無線と救急搬送の公表時刻を突き合わせています。内部の通信仕様には触れていませんが、十五分ほど説明のつかない時間があると。いかがいたしましょうか」
久世の眉間に、深いしわが刻まれた。
榊冬真が直接、過去の機密を喋っているわけではない。だが、彼の現在の圧倒的な実務能力が、結果として「なぜこんな有能な男が処分されたのか」という強烈な疑問を世間に抱かせ、大衆の目を過去の行政資料へと向けさせてしまっている。
「……公開請求に対する回答は、すべて統一しろ」
久世は感情を押し殺し、的確に防衛線を張るための指示を出した。
「『本件はすでに厳正な調査を経て処分が完了している事案であり、これ以上の詳細な資料開示は、現役要員の保全および警備上の重大な支障を来すため応じられない』。これで突っぱねろ」
「よろしいのですか? 隠蔽を疑う声がさらに強まる可能性が……」
「構わん。現役要員の命を盾にすれば、メディアもそれ以上は強く出られない。照会範囲は極限まで狭く保て。過去の処分済み案件を、いちいち世間の顔色を窺って掘り返していては、組織の秩序が保てない」
「……承知いたしました」
担当者が足早に退出していく。
執務室に一人残された久世は、窓辺に歩み寄り、首都の景観を見下ろした。
巨大なビル群の合間に、かすかに迷宮のゲートが見える。
民間探索実績ゼロのD級から始まり、たった数週間でB級へと駆け上がった男。
三年前に久世自身が非公式に圧力をかけ、「争えば救助の詳細まで公表不能になるぞ」と口を塞いだはずの男。
「榊冬真……」
久世はガラス窓に映る自分の顔を睨みつけながら、低く呟いた。
彼が過去を暴露しているわけではない。彼はただ、現在のルールに従い、公開された記録の中で黙々と魔物を処理し、民間人を助けているだけだ。
それなのに、自分が完璧に分厚いコンクリートで塞いだはずの過去の扉が、今、内側から激しく叩かれているような錯覚に陥る。
「……処分は終わっている。今更、覆るものか」
久世は誰に言うでもなく、己自身に言い聞かせるように吐き捨てた。
自分は正しい事務処理を行った。処分は確定し、時間は流れた。彼がどれだけ配信で称賛されようと、行政の決定がネットの世論ごときで覆るはずがない。
机上の端末がまた鳴った。三年前の処分記録について、再確認の照会が一件。
久世は返信欄を開き、「処分済み」と打ってから手を止めた。




