第23話 十二人を餌にするな
「榊さん。……見過ごせない事態になりました」
昼前。冬真のアパートのリビングに、雨宮澪が血相を変えて飛び込んできた。
彼女は挨拶もそこそこにタブレットをテーブルに置き、一つの動画を再生した。
『はいどうもー! DIVE CHECKの黒川です! 行政の回答が煮え切らないなら、直接証言をもらうしかないっしょ! ってことで、今日は三年前の湾岸災害で「救出された十二人」の生き残りを探しに来ました!』
画面の中で下品な笑いを浮かべているのは、暴露系配信者の黒川彰だった。
彼は以前、冬真の配信を「CGだ」と断定して大々的に煽った男だ。澪による完全検証によってその主張が論破された後も、彼は敗北を認めて消えるどころか「じゃあなんでこんなバケモノがD級なんだ」と論点をスリ替え、冬真への粘着を続けていた。
そして今回、行政が現存する秘密部隊について回答を避けたことで手詰まりを感じた黒川は、救助者を追い始めた。
『当時の避難所の映像とネットの情報を照らし合わせた結果、ビンゴな人物を見つけちゃいました! 今から凸撃取材かまして、当時のヤバい裏話を聞き出そうと思いまーす!』
動画の中で黒川は、一般の住宅街や病院の駐車場などで、カメラを回しながら無関係な民間人にマイクを突きつけている。相手が迷惑そうに顔を隠しても、モザイク処理すらろくにせず『もしかして、何か口止めされてるんですか!?』と煽り立てていた。
「……ッ」
動画を見つめる冬真の目が、スッと細められた。
冬真はこれまで、自身に対する誹謗中傷や「ヤラセだ」「詐欺師だ」という罵倒に対しては、苛立つ素振りすら見せなかった。自分に対する世間の評価など、彼にとってはノイズでしかなかったからだ。
だが、この動画を見つめる冬真の横顔には、澪がこれまで見たこともないような、底冷えするような明確な『怒り』が張り付いていた。
「……黒川は今、どこにいる」
「今朝のライブ配信を見る限り、第三管区の外れです。救助者の一人がその近くの施設で働いているという、出所不明のタレコミを信じて嗅ぎ回っているみたいですが……」
「行くぞ」
冬真は直剣を掴み、防刃ジャケットを羽織って立ち上がった。
三年前の湾岸災害。あの絶望的な崩落の中で、冬真が組織の命令に背いてでも、自分のすべてを捨ててでも守り抜いた十二人の命。
彼らが今、平穏に生きていること。それだけが冬真の過去を肯定する唯一の事実なのだ。
その彼らを、再生数稼ぎの『餌』として消費しようとする悪意。それだけは、どれほど合理的な冬真であっても、絶対に許容できない逆鱗だった。
*
「た、助けてくれえええっ!!」
第三管区の外れ。ギルドが『立入制限区域』として厳重にフェンスで封鎖している旧市街エリアで、黒川彰の情けない悲鳴が響き渡っていた。
彼は「この奥の区画に証人が隠れている」というデマを真に受け、特ダネ欲しさに無許可でフェンスを乗り越えたのだ。だが、制限区域は伊達ではない。魔素濃度が安定しておらず、D〜C級相当の野良の魔物が徘徊する危険地帯だ。
黒川は三頭のグレイウルフ(C級魔物)に包囲され、廃ビルの壁際で腰を抜かしながら、震える手でSOSのライブ配信を垂れ流していた。
『自業自得だろ』
『無許可で入るとか馬鹿すぎ』
『でもこれマジで死ぬんじゃね……?』
コメント欄が混乱する中、フェンスの外側――制限区域のゲート前に、一台の車が急ブレーキをかけて止まった。
降りてきたのは榊冬真と、撮影機材を抱えた澪。そして、彼らとほぼ同時に、ギルドの通報を受けた自治体の管理担当者と公的救助隊の車両も到着した。
「おい、中で配信者が襲われてるぞ!」
「すぐに入ろう、ゲートの鍵を――くそっ、電子ロックがエラーを吐いてる!」
救助隊員たちがフェンスの前で焦燥の声を上げる。
冬真の身体能力であれば、こんな三メートル程度のフェンスなど助走なしで飛び越えられる。今すぐ飛び込んで剣を振るえば、黒川を救出するのに十秒もかからない。
だが、冬真はフェンスの前に立ったまま、ピタリと動きを止めた。
「榊さん……?」
「……管理担当者。B級探索者の榊冬真だ。初期救命に協力できる」
冬真はフェンスの向こうを見た。黒川の腕から血が垂れている。今なら間に合う。自分で越えれば、もっと早い。
「救助隊長、同行要請を出せますか。区画の指揮はあなたにあります」
隊長が自治体の管理担当者に視線を送った。
「緊急開錠を申請中だ。榊さんを同行要員として要請する。対象は侵入者一名の救出。記録を残してくれ」
担当者が端末に要請を入力する間、冬真は秒数を数えた。救助隊の一人が黒川に障壁魔法を飛ばし、狼の最初の跳躍を止める。
無許可でフェンスを越えた黒川と、救助の手順を待つ冬真。澪のカメラは、双方を同じ画角で記録していた。
「要請を登録しました。榊さん、隊長の指揮下で入ってください!」
承認音が鳴った。
冬真の姿が、ブレた。
ダンッ! という強烈な踏み込みの音とともにフェンスを跳躍し、着地の勢いのまま直剣を抜く。
ウルフの群れが黒川の喉笛に食らいつこうとした瞬間、冬真の剣の峰が、三頭の魔物の荷重ベクトルを同時に狂わせた。姿勢を崩したウルフたちは互いに激突し、瞬く間に冬真の正確な刺突によって沈黙した。
「ひっ……あ、あ、助かっ……」
「立て。公的部隊が外で待機している」
へたり込む黒川を、冬真は見下ろした。
黒川は冬真の顔を見ると、安堵よりも先に、配信者としての歪んだ興奮を蘇らせた。
「お、お前……! やっぱり榊冬真だろ! なんでこんなとこにいるんだよ、やっぱりこの奥に三年前の秘密が隠されてるから止めに来たんだな! お前が元特殊部隊の――」
「勘違いするな」
冬真は黒川の胸ぐらをつかむような真似はしなかった。
ただ、絶対零度の視線を黒川のカメラ越しに叩きつけるようにして言った。
「俺への憶測は俺に向けろ。十二人の名前や勤務先を探すのはやめろ。今回の侵入と無断撮影は記録に残っている。次も続けるなら、本人たちの代理人と公的機関に渡す」
黒川は言い返そうとして、まだ配信中の自分の端末を見た。救助隊員が差し出した担架に、おとなしく座った。
*
その後、冬真は黒川を公的部隊に引き渡し、現場を後にした。
冬真は黒川に対して、直接的な暴力(私刑)は一切振るわなかった。
だが、その日の夕刻。雨宮澪が検証者として『本気』を出した。
「……提出完了、と」
アパートのリビングで、澪がノートパソコンのエンターキーを強く叩いた。
彼女は黒川の過去の動画と本日のライブ配信を全て解析し、彼の行った『立入制限区域への無許可侵入の証拠』『救助対象者への無断接触・プライバシー侵害に該当する部分の抽出』『意図的に不安を煽る誘導編集のログ』を、完璧な報告書としてまとめ上げたのだ。
それを、動画プラットフォームの運営と、ギルドのコンプライアンス部門へ一斉に提出した。
その夜、プラットフォームは該当のライブ配信を非公開とし、チャンネルを調査中の状態に切り替えた。黒川のスポンサーの一社も、広告掲載をいったん停止した。最終判断には調査が要る。少なくとも公式チャンネルからは、救助者の顔が映った動画にたどれなくなった。
冬真は救助の記録と、無許可侵入の記録を別々に提出した。
*
しかし。
黒川の配信が止まっても、事態が沈静化したわけではない。
むしろ「黒川は国家の機密に触れたから消されたんだ!」という新たな陰謀論を生み出し、三年前の『湾岸第九迷宮災害』への世間の関心に、さらなる油を注ぐ結果となってしまった。
「……馬鹿な真似をしてくれたな、あの三流配信者は」
首都の一角。
迷宮安全庁、監査局の奥深くにある企画官室。
デスクの上に積まれた大量の報告書と、自身の端末に表示されているネットニュースの狂騒を睨みつけながら、企画官・久世章吾は忌々しげに舌打ちをした。
「三年前の処分済みの案件を、今更掘り返す気か……」
書類の束の最下層。
そこには、三年前に彼自身が付議した『懲戒資料』が眠っている。
久世は見慣れた背表紙から目を逸らした。




