第21話 三年前の影
「――この三年前の映像の人物……あなたですよね?」
朝の光が差し込むアパートのリビング。
雨宮澪が突きつけたタブレットの画面には、昨夜からネットの海で爆発的に拡散されている「比較検証動画」がループ再生されていた。
右側には、榊冬真が数日前の配信で見せた崩落回避の動き。
左側には、三年前に起きた『湾岸第九迷宮災害』の際、報道ヘリが外周部を捉えた荒いニュース映像。そこには、パニックになる民間人を誘導し、魔物の突進を剣の峰でいなす『面体付き防護服の隊員』の姿が映っている。
骨格、歩幅、荷重の移動、視線の動かし方。同一人物に見えるほど、動きの癖が似ていた。
冬真は、その画面を静かに見下ろした。
極秘任務を帯びた当時の自分が、まさか報道のカメラに数秒間だけ映り込んでいたとは、流石の冬真も計算外だった。だが、彼の顔に動揺や焦りの色は一切浮かばなかった。
「……面体付きの防護服で、顔は完全に見えない。画質も荒く、体格も防具の厚みで誤魔化されている」
冬真は淡々とした声で、事実だけを指摘した。
「骨格の比率や歩幅、動きの癖が似ているというだけで同一人物だと断定するのは、検証のプロセスとしては飛躍しすぎじゃないか」
それは、明確な肯定も否定も避ける、極めて実務的な返答だった。
嘘をついて誤魔化すつもりはない。だが、自分から進んで過去の国家機密をベラベラと語るような軽薄さも持ち合わせてはいない。
その言葉を聞いた澪は、ハッと息を呑み、タブレットを持つ手をゆっくりと下ろした。
「……そうですね。おっしゃる通りです」
澪は深く息を吐き、検証配信者としての冷徹な顔つきを取り戻した。
「類似性がどれほど高くても、決定的な証拠がない以上は推測に過ぎない。推測を事実として扱うのは、検証者として三流のやることでした。……少し、熱くなっていたようです」
澪には、過去の苦い経験がある。
かつて、不自然な挙動の映像を「加工の可能性が高い」と早計に断定し、結果的に本物であった当事者に消えない風評被害を与えてしまった。検証の持つ暴力性を誰よりも理解しているからこそ、彼女は「断定」という行為に極めて慎重だ。
世間がどれだけ「榊冬真=三年前の隊員」だと騒ごうが、本人が自ら語らない限り、澪がそれを暴いてコンテンツにするような真似は絶対にしない。
「私は、この映像だけであなたの過去を断定するような発信はしません。私のチャンネルでは、あくまで『現在』のあなたの技術の解説に留めます」
「助かる。……そういう線引きができる人間だから、記録を任せている」
「買い被らないでください。プロとして当然の倫理です」
澪はタブレットの電源を落とし、小さなカバンにしまった。
過去の影がどれほど色濃く迫ろうと、今日の仕事がなくなるわけではない。冬真にとっては、現在進行形で積むべき実績の方がはるかに重要だった。
「行くぞ。今日はB級に上がって初めての管轄だ。機材の準備はいいな」
「はい。いつでもいけます」
*
「榊冬真。これよりB級案件、第四管区・第十二階層の通常探索を開始する」
昼下がり。
冬真の個人チャンネルの生配信は、これまでにない異様な熱気を帯びてスタートした。
同接数は開始十分で十万人を突破。だが、視聴者の関心は冬真がこれから挑むB級迷宮の危険度ではなく、昨夜からネットを騒がせている『三年前の映像』に集中していた。
『オッサン、昨日の比較動画見たか!?』
『あれ絶対あんただろ! 三年前の湾岸災害にいた特殊部隊!』
『なんで今までD級で隠れてたんだよ! 何かヤバいことやらかしてクビになったとか?』
『はぐらかさずに真実を語れよ!』
滝のように流れるコメントの九割が、過去の特定に関するものだった。
しかし、冬真はそれらを一切無視し、無言で洞道を進んでいく。彼の意識は、画面の向こうの喧騒ではなく、足元の岩盤と空気の匂いにのみ向けられていた。
『視聴者の皆さん、コメント欄での根拠のない推測や、個人情報を追求するような発言は控えてください。本チャンネルはあくまで迷宮探索の記録を目的としています。度が過ぎる場合はモデレーター権限でタイムアウト措置を取ります』
画面の外から、澪の冷徹なアナウンスが響く。彼女は公私混同せず、プロの防波堤としてコメント欄の異常な過熱を物理的に統制し始めていた。
ザシュッ、と。
前方の岩肌から、赤黒い体液を滴らせた巨大な蜘蛛――B級魔物『ポイズンウィーバー』が三体、天井から音もなく降ってきた。
その八本の脚には鋭い棘がびっしりと生え、口からは触れた岩をも溶かす猛毒の酸が漏れ出している。
『出た、B級の毒蜘蛛!』
『囲まれてるぞ!』
コメント欄が一時的に探索の様子へと引き戻される。
だが、冬真の動きは相変わらず地味で、そして完璧だった。
「ドローンを上方へ退避。風向きが変わる」
冬真は即座に指示を飛ばし、自身はポイズンウィーバーの吐き出す毒液の射線から『半歩』だけ身をかわす。
彼は決して力任せに蜘蛛の胴体を両断しようとはしなかった。もしここで胴体を斬れば、大量の毒液が周囲に飛散し、洞道の地盤を溶かして二次崩落を引き起こす危険があるからだ。
冬真は、迷宮内の微風の流れを完全に読み切り、毒液が安全な岩壁の『分厚い箇所』にだけ着弾するように自らの立ち位置を調整する。
そして、毒を吐き尽くして隙を見せた蜘蛛の『脚の関節』と『延髄の隙間』だけを、新調した長剣で正確に穿っていった。
五分後。
周囲の岩盤に一切の深刻な汚染を残すことなく、三体のB級魔物は活動を停止し、魔素の霧となって消え去った。
『……相変わらず、異常なほど丁寧な仕事だ』
『毒液を全部厚い壁に誘導してやがった……』
『この徹底した被害局限の手順。やっぱりあの三年前の「災害対応のプロ」としか思えないんだよなあ』
冬真が言葉を濁しても、彼の行動そのものが「何者であるか」を雄弁に物語ってしまっていた。
隠そうとしても隠しきれない、染み付いたプロフェッショナルの手順。それを数万人の目撃者がリアルタイムで共有しているのだ。
*
「……対象の沈黙を確認。採取ポイントの安全を確保した」
夕刻。
数件のB級案件を無傷で完遂し、ギルドの出張所で納品とポイント精算を終えた二人は、夕日に染まる迷宮ゲートの前を歩いていた。
「お疲れ様でした、榊さん。今日の配信も、技術の証明としては完璧なデータが取れました」
「ああ。そっちも、コメント欄の統制ご苦労だった」
冬真の労いに、澪は手元のタブレットを見つめたまま、少しだけ表情を曇らせた。
「……私のチャンネルの方では抑え込んでいますが、外部の掲示板やSNSでは、特定班の動きがさらに加速しています。彼らの執念は、あの数秒の映像の比較だけでは満足できなかったようです」
「何を見つけた」
「三年前の湾岸災害に関する、当時の行政の公開資料です。誰かがアーカイブを掘り返して、不自然な点を見つけました」
澪はタブレットの画面を冬真に向けた。三年前の行政資料は黒塗りが多く、公開の時刻だけでは映像の隊員が誰かは分からない。
「調べている人たちは、当日の防災無線と報道の時刻を並べ始めています。まだ推測です。でも、その先には救助された人たちがいます」
「個人を追うのは止めてくれ」
「私のチャンネルでは止めます。外の人までは止められません」
冬真はゲート脇のベンチに腰を下ろした。澪が示した時刻の一覧には、まだ空白がある。その空白に誰の名前が書き込まれるのかを、彼は知っていた。




