第2話 『D級のCG商法』と、早すぎる視線移動
再生、一時停止、コマ送り。そして巻き戻し。
防音設備の整った薄暗い配信ルームの中で、雨宮澪は数時間前から同じ数秒間の映像をループ再生し続けていた。
『――前の三人、引き返せ!』
画面の中で、無名のD級探索者が前を歩く三人に退避を命じる。直後、岩壁を突き破ってB級相当の変異個体が出現し、圧倒的な質量で突進してくる。
D級探索者――榊冬真はそれを最小限の動きで躱し、関節へ打撃を入れて自滅に近い形で壁へ激突させ、安全確認の後にトドメを刺した。
そこまでの一連の流れを、澪の目は極めて専門的なフィルターを通して観察していた。
「……気持ち悪い」
澪が呟いたのは、嫌悪からではない。自分の知っている映像解析の常識と、目の前の事象がまったく噛み合っていないことへの純粋な違和感だった。
一般向けの安価なスマート端末で撮影された映像は、暗所でのノイズ補正が強くかかり、フレームレートも低い。激しい動きをすると輪郭がブレるため、一見すると「CGで合成した安っぽいフェイク動画」に見える。
視聴者たちが『ヤラセ乙』『CG乙』と草を生やして去っていくのも無理はない。
だが、迷宮映像の解析と魔素計測を専門とする検証配信者である澪の目は、それをごまかせなかった。
魔物が壁に激突した瞬間の、環境音の反響遅延。
ひび割れた岩盤からパラパラと崩れ落ちる粉塵の、重力に対する物理演算の正確さ。
何より澪を戦慄させたのは、冬真の動きそのものだった。
「移動の開始が、魔物の攻撃挙動より早い……?」
マウスのホイールを慎重に回し、フレーム単位で動作を追う。
冬真は、超人的な反射神経で突進を躱したのではない。魔物の前肢に荷重が乗り、突進のベクトルが確定するコンマ数秒前に、すでに『一歩半斜め前』への体重移動を開始しているのだ。
魔法による加速でも、ステータスによる身体強化でもない。完全に相手の動きを先読みした、異常なまでに洗練された『技術』。
「……偽物だとしたら、誰が何の目的で、こんな地味で精緻な『対災害の初動』を再現したの?」
もしこれがフェイク映像なら、制作陣にはハリウッド顔負けの物理演算の神と、極限の災害現場を知り尽くした監修者がついていることになる。
(だからといって、『本物だ』と断定はできない)
澪はマウスから手を離し、小さく息を吐いた。
彼女には、過去に苦い経験がある。かつて、不自然な挙動が目立つ探索映像を「加工の可能性が高い」と早計に結論づけ、自身のチャンネルで発信した。だが後日、それが特殊な魔素環境下で起きた『本物の現象』だったことが証明された。
澪は即座に根拠を添えて訂正・謝罪の動画を出したが、一度貼られた「フェイク野郎」というレッテルは当事者の探索者から完全には剥がれなかった。自分の検証には、他人の人生を動かす暴力性がある。
だから澪は、二度と推測で断定はしないと決めている。彼女の仕事は捏造を暴いて正義を気取ることではなく、「事実と演出を区別できる状態」を視聴者に提示することだ。
「……監視対象、追加っと」
澪は榊冬真のチャンネルを登録し、通知をオンにした。彼が次にどんな動きを見せるのか、この目で確かめる必要があった。
*
翌朝。
澪のように慎重な専門家ばかりであれば、世の中はもっと平穏だっただろう。
だが、現実はそうではない。
『はいどうもー! DIVE CHECKの黒川でーす! いやー、昨日のアレ見ました? マジで終わってる痛い動画を見つけちゃったんで、今日はそれを皆で笑っていこうと思いまーす!』
登録者数三十万人を誇る暴露系検証チャンネル。その主である黒川彰は、派手なテロップと共に冬真の動画の切り抜きを大画面に映し出していた。
『これね、民間実績ゼロ、昨日D級になったばかりのオッサンの初配信なんですけど。見てくださいこれ! いきなりB級変異種が出てきて、ワンパンですよワンパン! なろう小説じゃないんだからさぁ!』
画面の端でワイプに抜かれた黒川が、腹を抱えて笑うアクションをする。
『もうね、画質荒すぎ。合成の境界線ガッタガタ。最近はこういう過激なヤラセで初速の再生数稼ごうとする「CG商法」が増えてますけど、ここまで露骨なのは久しぶりですねー。承認欲求こじらせると、D級のオッサンでもB級をワンパンできる夢が見られるらしいです!』
コメント欄は黒川の言葉に煽られ、『痛すぎる』『垢BANしろ』『特定して追い込もうぜ』といった嘲笑と攻撃的な言葉で埋め尽くされていく。
黒川は「ワンパン」の場面だけを繰り返し流した。冬真がその前に三人を退避させた十秒は、切り抜きから落ちている。
だが、大衆に対する影響力は圧倒的だった。黒川のこの一つの配信により、「榊冬真の動画は粗悪なCGである」という強烈な先入観が、数万人規模の視聴者に植え付けられることになった。
*
「……登録者が、二千人に増えているな」
同日の昼。
自宅のアパートで装備の点検を終えた冬真は、端末の画面に表示された数字を見て淡々と呟いた。
フォロワー数ゼロから、一晩で二千人超え。だが、そこに喜ばしい要素は一つもない。最新の動画のコメント欄は、黒川のチャンネルから流入したアンチたちによる『CG乙』『ヤラセ詐欺師』という罵倒で埋め尽くされ、炎上状態となっていたからだ。
しかし、冬真の心に焦りや怒りは微塵も湧かなかった。
(高額な認証カメラがない以上、一般端末の映像が疑われるのは配信の相場だ)
冬真は極めて合理的に現状を処理していた。
民間探索者の配信において、映像の完全な真偽を担保するのは、迷宮ゲートの通過記録・時刻・大気魔素波形・端末IDをブロックチェーン技術で同時記録する『協会指定の専用認証カメラ』だけだ。後から編集を加えれば即座に署名が失効する仕組みになっている。
だが、そのカメラは最低でも百万単位の投資が必要になる。民間資格を取ったばかりで、初期装備を揃えるだけで資金が減っている今の冬真に買える代物ではない。
それに、冬真の目的はネットの人気者になることではない。
災害補償保険の加入に必要な「公的機関が確認できる公開実績」さえ積めれば、アンチが何万人喚こうが実務上の問題はなかった。記録さえ残れば、それでいいのだ。
「さて……今日の予定だが」
冬真は協会が一般公開している『都市近郊迷宮・魔素観測データ』のページを開いた。
画面には、広域マップとともに各迷宮の危険度が表示されている。冬真が目を向けたのは、現在『警報解除』のマークが点灯している「第三管区・中級迷宮」だった。
昨日、大規模な討伐部隊が入って主を狩り尽くし、現在は安全が確保されていると公式にアナウンスされた場所だ。今日は安全に稼ぎたい中級パーティがこぞって潜っているはずである。
だが、冬真の目は、画面の隅に表示されている『大気魔素の微細な波長ログ(生データ)』の数値を捉えていた。
(……波長が、完全に収束していない)
素人が見れば誤差の範囲。だが、七年以上にわたって国家の極秘災害現場で“最悪”を処理し続けてきた冬真の経験則は、その僅かな波形の歪みに『余震の兆候』をはっきりと嗅ぎ取っていた。
局所的に、魔素の吹き溜まりが残っている。それが何かの拍子で実体化すれば、局地的な崩落や、警報外の魔物の発生を引き起こす。
公式発表の「安全」と、冬真が観測している「危険の残滓」。そこには明確な認識のズレがあった。
「行くか」
直剣を腰に吊り、防刃ジャケットのジッパーを上げる。
冬真は迷うことなく、その「安全とされている迷宮」へと足を向けた。
*
「榊冬真。これより探索配信を開始する」
迷宮のゲートを潜り、冬真が一般端末の配信をオンにした瞬間。
待ってましたとばかりに、昨日の炎上を聞きつけた数千人の冷やかし視聴者が一斉に流れ込んできた。
『出たwwCG詐欺師www』
『今日もワンパン見せてくださーい!』
『てかここ警報解除された安全地帯じゃん。ビビってんの?』
『安全な場所でCG用の動画撮るお仕事ですか?』
画面の端を滝のように流れる嘲笑。
冬真はそれを一瞥すらせず、無言で洞道の奥へと歩を進める。その足運びには一切の無駄がなく、視線は常に壁の強度と空気の流れを測っていた。
同じ頃、その生配信の映像をモニター越しに監視している雨宮澪は、真剣な眼差しで冬真の視線の動きを追っていた。
「……この人、索敵のレンジが広すぎる。何を警戒しているの?」
そして。
冬真が歩いている浅層から、さらに深く潜った先にある『第十二階層』。
そこでは、肩に高額な『認証カメラ』をマウントし、最新の重装備に身を包んだA級パーティが、安全なはずのルートを意気揚々と進んでいた。
公式の安全発表を信じ、残った資源を効率よく回収しようという腹積もりだ。
「おい、なんか空気重くねえか?」
「気のせいだろ。昨日の討伐で主は死んだんだ。大船に乗ったつもりで――」
リーダー格の男が笑い飛ばそうとした、その瞬間だった。
ズズン……ッ!
彼らの足元――いや、迷宮の構造そのものが、不気味な重低音を響かせて大きく軋んだ。
安全なはずのルートの岩盤が、内側からの異常な魔素の膨張に耐えきれず、ひび割れを始める。
数階層離れた場所で配信を続けていた冬真は、微かな大気の震えを感じ取り、ピタリと足を止めた。
視線を上へ――正確には、崩落の兆候が生まれた深層の方角へと向ける。
冷やかしで埋まっていたコメント欄の視聴者は、誰一人としてそのかすかな重低音に気づいていない。
「……波長が実体化したか」
冬真は短く呟くと、予定していた安全なルートを躊躇なく外れ、救助要請を端末から送信し、一般探索区域に設けられた緊急救助用の縦穴へ駆け出した。




