第19話 S級の評価と更新される基準
第四管区・中級迷宮、第二十階層。
上位クラン連合とギルドが合同で主催する、大規模な魔物掃討作戦。そこは本来、C級に上がったばかりの探索者が足を踏み入れていい領域ではなかった。
だが、榊冬真は現役S級探索者・神代岳の「自己責任枠」という特例により、この最前線の作戦部隊の最後尾に同行していた。彼から数メートル離れた安全圏には、雨宮澪の認証カメラが浮遊し、遅延中継の録画を回し続けている。
「――っ、右翼陣形、崩れます! 魔物の数が想定の倍以上です!」
通信機から響く悲鳴じみた報告に、現場の指揮を執る連合の安全統括・高瀬慎吾が舌打ちをした。
作戦は中盤まで順調だった。だが、深層から押し出されてきた強力な中型魔物の群れが合流したことで、前線の戦闘が長引き、強烈な魔力波の余波が迷宮内に滞留し始めていた。
ドズン、と。
足元の岩盤が嫌な音を立てて揺れた。
「高瀬統括! 後方の退避ルートC地点、地盤に亀裂が走っています! 崩落の危険大!」
「馬鹿な、そこは行政の監査資料でクラス4の安定地盤と証明されているはずだ!」
高瀬が声を荒らげた直後、彼の持つ端末に、冬真のいる最後尾からの通信が入った。
『監査資料の想定漏れだ』
冬真の淡々とした声が、ノイズ混じりに響く。
『大規模戦闘による魔素過負荷が計算に入っていない。先日、シミュレーションのブリーフィングで俺が指摘したのと同じ条件だ。三十秒後に足元から抜ける』
高瀬の背筋に冷たい汗が伝った。
数日前の実技検証会。冬真は確かに、この『魔素過負荷による崩落』の危険性を指摘していた。だが高瀬は、公的な監査資料を根拠にそれを退けたのだ。
行政の完璧な書類と、現場を知り尽くしたプロの感覚のズレ。それが今、最悪の形で実戦の場に顕現しようとしていた。
「総員、ルートCから直ちに退避――」
「遅えよ!」
高瀬の号令を叩き割るように、前線から凄まじい爆炎が巻き起こった。
大剣を肩に担いだ神代岳が、群がるC級・B級混成の魔物の群れの中央へ、一切の躊躇なく特大の炎熱魔法を撃ち放ったのだ。
「神代! 何をやっている、そんな火力を出せば崩落が早まるぞ!」
「ちまちまやってたら後衛が食われるだろ! 魔物は俺が全部吹き飛ばす! 崩れた岩の処理は、後ろの『プロ』に任せとけ!」
神代はニヤリと笑い、さらに魔力を練り上げた。
轟音。爆圧。神代の放つ最大火力は、群がっていた数十体の魔物を一瞬にして消し炭に変えた。冬真の手持ちの装備と魔力では、どう足掻いても真似できない圧倒的な殲滅力。これが『S級の火力』だ。
しかし、その代償として、耐えきれなくなった退避ルートの天井が轟音とともに崩れ落ち始めた。
「――陣形を左舷へスライドしろ! 後衛、岩が落ちる前に三歩前へ出ろ!」
瓦礫が雨のように降り注ぐ中、冬真の鋭い声が響き渡った。
冬真は魔物を倒すための剣は一切振るわない。彼の目は、無数に落ちてくる瓦礫の『質量と軌道』、そして『味方の立ち位置』だけを完全にスキャンしていた。
「シールド役、上を向くな! 俺の指示した角度で斜め四十五度に盾を構えろ!」
冬真は駆け抜けながら、直剣の峰で落ちてくる巨大な岩の端を正確に叩き、その落下のベクトルを数センチだけずらす。
その数センチのズレが、シールド役の盾を掠めるように滑り落ち、直撃の致死ダメージを『ただの衝撃』へと変換する。
神代が前方から迫る脅威をすべて力業でねじ伏せ、冬真がその余波で生じる自陣の崩壊を、ミリ単位の空間支配で完璧に塞ぎ止める。
神代の火力がなければ魔物に飲まれて全滅していた。
冬真の統制がなければ崩落に巻き込まれて全滅していた。
二つの異なる極限の能力が噛み合い、一つの巨大な複合災害を、ただの一人の死傷者も出すことなく完全に鎮圧してみせた。
*
「……全魔力反応の沈黙を確認。二次崩落の兆候、なし。終わったな」
土埃が晴れた洞道で、冬真が短く告げた。
その声を聞いて、死を覚悟していた数十人の探索者たちが、次々とその場にへたり込んだ。
「おいおい、お前ら情けねえな。怪我人はゼロだろ」
大剣を肩に担ぎ直した神代が、笑いながら歩み寄ってくる。
「ま、俺の火力だけじゃ数人は岩の下敷きになってただろうがな」
神代は、配信のカメラを回している澪と、周囲の探索者たちの前で、わざとらしく大きな声で言った。
「見ただろ? 魔物をぶっ飛ばすのは俺の仕事だが、対災害の初動判断と、崩落から生身の人間を守る技術なら、俺よりコイツ(榊冬真)の方が上だ。俺にはあんな細かいベクトルの計算なんかできねえからな」
遅延中継でその言葉を聞く数万人の視聴者たちも、神代の言葉の重みを理解するだろう。冬真の能力が、火力の高低という単純な定規では測れない、別の極地にあるのだと。
探索者たちが冬真に畏敬の視線を向ける中、重い足音を立てて高瀬慎吾が歩み寄ってきた。
高瀬の表情は硬かった。彼にとって、行政の安全監査資料という『絶対の根拠』が実戦で使い物にならなかったことは、安全統括としての根幹を揺るがす事実だった。
「……榊冬真」
「何か問題があったか、高瀬統括」
冬真は静かに向き直る。
高瀬は、冬真から視線を逸らさなかった。
「先日のシミュレーション検証会で、お前の指摘を却下したこと。そして今日の前線で、お前を邪魔者扱いしたこと。……それらについて、俺は謝罪するつもりはない」
「だろうな」
「お前の技術は公的な資料として証明されておらず、俺の手元にあった行政のデータでは『あそこは安全である』と保証されていた。何百人もの命を預かる責任者として、あの時点での俺の判断は、組織の規定上、完全に正しかったと今でも思っている」
高瀬は言い訳をしているのではない。組織を背負う人間としての筋を、真っ直ぐに通しているだけだ。冬真もその論理を深く理解していたからこそ、口を挟まなかった。
「……だが」
高瀬は深く息を吐き、冬真に対して真っ直ぐに頭を下げた。
「あの監査資料には、魔素過負荷という致命的な想定漏れがあった。そして、お前の現場での感覚が正しかったという『現在の事実と実績』を、俺はこの目で確認した」
高瀬が顔を上げる。その目には、有能な組織人としての冷徹な光が宿っていた。
「俺の仕事は、事実を受け入れ、全体の安全のために評価を改めることだ。……これより、上位クラン連合におけるお前への評価基準を『未知のD級』から、『特例の技術を持つ専門家』へと更新する。見事な被害局限だった。礼を言う」
感情的なざまぁでも、見苦しい手のひら返しでもない。
記録と事実に基づいた、明確な再評価の瞬間だった。
冬真は短く「了解した」とだけ返し、それ以上は何も求めなかった。
*
数時間後。
この大規模共同探索での貢献――S級の公式な賞賛と、上位クラン連合の評価基準の更新により、冬真のギルドへの貢献ポイントは爆発的に跳ね上がった。
C級に昇格したばかりの冬真が、次なる「B級昇格」への条件を、たった一回の作戦でほぼ満たしてしまったのだ。
だが、その日の夜。
冬真の遅延中継のアーカイブ動画が公開され、ネット上でお祭り騒ぎが起きている中。
探索者向けの匿名掲示板の片隅で、ごく少数の、だが確かな違和感を抱いた古参の軍事・災害マニアたちが、ポツリポツリと不穏な書き込みを始めていた。
『なあ、今日アップされた榊冬真の崩落回避の指示と足運びなんだけど』
『うん。俺もちょっと気になってた。あれ、なんか凄く見覚えがないか?』
『……三年前の、湾岸第九迷宮で起きた大崩落事故。あの時の外周報道映像に一瞬だけ映ってた、防護服の救助隊員の動きと、完全に一致してないか?』
事実と記録の積み上げは、冬真に新たな地位をもたらした。
だが同時に、その「隠しようのない本物の記録」こそが、蓋をしたはずの過去の亡霊を、ゆっくりと表舞台へと引き摺り出そうとしていた。




