第16話 真似してはいけない
「――ほら、ここだ。このタイミングで、一歩半だけ左に軸をずらしてる」
第三管区・中級迷宮の安全エリア。
休憩中のC級探索者・悠馬は、携帯端末の画面を食い入るように見つめながらパーティメンバーに声をかけた。
画面の中で再生されているのは、今ネットで最も話題になっている探索者、榊冬真の切り抜き動画だ。彼がC級魔物の突進を最小限の動きで躱し、関節に打撃を入れて活動を停止させる十数秒の映像。悠馬はこれを、擦り切れるほど――もちろんデータなので擦り切れることはないが――何度もループ再生して研究していた。
「すげえよな、何度見ても無駄がない。魔法も使ってないし、身体強化のオーラを纏ってるわけでもない」
「ああ。神代さんみたいなS級の特大火力は、俺たちみたいな平凡な魔力量の人間には逆立ちしても真似できない。だけど……この榊って人の動きなら、努力次第で手が届くかもしれない」
悠馬の言葉に、盾役のメンバーも真剣な顔で頷いた。
悠馬たちは、決してバズり目的で危険なことをするような愚か者ではない。ギルドの講習を真面目に受け、地道に実績を積んでC級に上がってきた、向上心あふれる若手パーティだ。
だからこそ、冬真の『理にかなった純粋な体術』に強烈な憧れを抱いていた。
映像を見る限り、冬真の動きは信じられないほど「簡単そう」に見えた。
突進が来る。ギリギリまで引きつける。一歩半だけ横にずれる。関節の隙間を叩く。
複雑な詠唱も、特殊なスキルも必要ない。タイミングと勇気さえあれば、自分たちにもあんな風に、スマートに魔物を無力化できるのではないか。
その錯覚こそが、圧倒的な実力差が生み出す『罠』だということに、悠馬たちは気づいていなかった。
「よし、休憩終わりだ。今日の目標まであと三体、気を引き締めていこう」
悠馬は立ち上がり、愛用の直剣を抜いた。
頭の中では、冬真の完璧な足捌きが鮮明にイメージされている。今なら、自分もあんな風に動ける気がしていた。
*
探索を再開して二十分後。
洞道の曲がり角で、悠馬のパーティは硬い甲殻を持つC級魔物、ロックリザードと遭遇した。
「前衛、出ます!」
悠馬が前に出る。後衛がサポートの魔法を準備する中、ロックリザードが短い威嚇音を上げ、太い四肢で地面を蹴って突進してきた。
まるで戦車のような質量が迫る。
いつもなら、盾役と連携して攻撃を受け流し、隙を見て側面から削るという安全なセオリーを選ぶ場面だ。だが、今の悠馬の脳裏には『あの動画の動き』がフラッシュバックしていた。
(ギリギリまで引きつけて……ここだ!)
悠馬は、動画の冬真と全く同じタイミングで、左斜め前へと「一歩半」踏み出そうとした。
しかし。
踏み出した彼の左足が、想定していたよりもわずかに早く地面に衝突した。
「え……っ?」
足元の岩盤が、右から左にかけて『数ミリほど隆起して傾斜していた』のだ。
歩いているだけなら気にならない程度の傾き。だが、極限の速度で体重移動を行う瞬間において、その数ミリのズレは致命的なタイムロスを生む。
悠馬の体勢が、ほんの一瞬だけブレる。
さらに悪いことは重なる。
悠馬の踏み込みがズレたことを察知したロックリザードが、突進の途中でわずかに『右前足へ荷重を移し』、軌道を悠馬の方へと修正してきたのだ。
(躱しきれない――!)
動画の切り抜きでは「避けて叩く」という表面的な結果しか映っていない。
冬真が、突進の三秒前に『岩盤の傾斜』を計算に入れ、魔物の『荷重ベクトルの変化』を完全に読み切った上で動いていたという「前提条件」が、悠馬の頭からは完全に抜け落ちていた。
「悠馬! 避けろ!」
盾役の怒号が響く。
悠馬は咄嗟に剣を盾にして身をよじったが、間に合わない。
ロックリザードの強固な岩の肩が、悠馬の右半身を情け容赦なく撥ね飛ばした。
「ガァッ……!」
鈍い音とともに、悠馬の身体が宙を舞い、洞道の壁に激突する。
直剣が手からすっぽ抜け、右腕から痺れるような激痛が走った。
「サンダー・バインド!」
「タゲ取った、こっちだクソトカゲ!」
後衛の拘束魔法と盾役の挑発スキルがギリギリで間に合い、魔物の標的が悠馬から逸れる。そのままパーティメンバーたちの必死の連携によって、五分後にロックリザードはどうにか討伐された。
「おい悠馬、大丈夫か!? 腕、変な方向に曲がってないか!?」
「い、いてて……ヒビ、入ったかも……」
回復魔法をかけられながら、悠馬は痛みに顔を歪めた。
ポーションを飲んで応急処置を済ませたが、これ以上の探索は不可能だ。命があったのは、ひとえに仲間のカバーがあったおかげである。もしソロで真似をしていれば、あのまま踏み潰されて死んでいただろう。
「お前、さっきなんであんな避け方したんだよ。いつも通り受け流せばよかっただろ」
「ごめん……。あの、榊さんの動画の動き、俺にもできるんじゃないかと思って……」
「馬鹿野郎! あれは動画の向こうのプロだからできるんだよ!」
仲間に叱責され、悠馬は項垂れた。
愚かだったと自分でも思う。だが、それ以上に、悠馬の心の中には強烈な絶望感と畏敬の念が渦巻いていた。
(……なんでだ。動画と全く同じタイミングで動いたのに)
悠馬は痛む腕を押さえながら、自分が吹き飛ばされた場所の足元を見つめた。
そこで初めて、岩盤のわずかな傾斜に気づく。
そして理解した。あの人は、ただ身体能力に任せて動いているんじゃない。こんな足元の数ミリの歪みや、魔物の重心の移動……自分たちには全く見えていない『何か』を、完全に計算し尽くしてから動いているのだと。
「……簡単そうに見えたのにな。全く見えてる世界が違うんだ……」
それは、真面目に強さを追い求め、研究したからこそ理解できる、圧倒的な次元の違いだった。
*
その日の夜。
冬真の住む安アパートのリビングで、雨宮澪がノートパソコンの画面を厳しい顔で見つめていた。
「……榊さん。これを見てください」
「なんだ」
コーヒーを飲んでいた冬真が、澪の差し出した画面を覗き込む。
それは、探索者向けのクローズドな掲示板と、それに紐づくSNSの投稿だった。
『今日、C級迷宮で榊冬真の真似をして関節抜きをやろうとしたら、タイミングがズレて撥ね飛ばされた。マジで死にかけた。あれは動画で見るよりずっと難しい。足元の傾斜や敵の重心変化を全部読んでないと絶対に失敗する。素人が真似しちゃダメだ。あれは才能だ』
投稿者は、腕をギプスで固定した若手探索者だった。
嘘やアンチの類ではない。純粋に自分の失敗を戒め、他人に注意を促すための痛切な書き込みだ。
冬真は、その短い文章を無言で読み終えた。
「……骨にヒビが入った程度で済んだか。運が良かったな」
「『運が良かったな』ではありませんよ、榊さん」
澪の声には、明確な非難の色が混じっていた。
「あなたの見せている技術は、確かに本物です。ですが、あなたは画面の向こうの視聴者に対して、『なぜその動きができるのか』という前提の安全確認をほとんど説明していません」
「……」
「素人の目には、あなたの無駄のない動きは『簡単そう』に見えてしまうんです。結果として、あなたの圧倒的な技術と『説明不足』が、彼のような真面目な若手を勘違いさせ、実害を生んでしまった」
澪の指摘は鋭く、そして逃げ場のない正論だった。
冬真は「教えなかった」わけではない。彼にとっては、岩盤の強度を測り、敵の荷重を計算するのは息をするのと同じくらい『当たり前の前提(暗黙知)』であったため、わざわざ口に出す必要性を感じていなかっただけだ。
だが、ここは極秘のプロ集団の中ではない。不特定多数が見る民間配信の世界なのだ。
「……俺の落ち度だ。否定はしない」
冬真は短く認め、深く息を吐いた。
自分の背中を見て真似た人間が怪我をした。それは、災害対応のプロとして決して看過できる事態ではない。
「どうしますか。このまま『私には才能があるからできるんです』と突き放すこともできますが」
「それは三流のやることだ」
冬真は即答し、テーブルに置かれた自分の長剣に視線を落とした。
「俺がやっているのは魔法じゃない。言語化し、条件を分解できる技術だと言ったのはお前だろう」
「ええ。言いました」
「なら、伝える義務がある。俺が見ている情報を、奴らが安全に再現できるレベルまで落とし込んで『教えられる手順』にする必要がある」
それが、配信という公開記録を扱う者としての責任だ。
冬真の言葉に、澪は小さく微笑んだ。
「……わかりました。では、明日の配信のテーマは決まりですね」
「ああ」
「『誰にでも教えられる、災害対応の初動安全手順』。……ギルドの法務から怒られないギリギリのラインを攻めるための翻訳作業、徹夜になりそうですよ、榊さん」
冬真は机に紙を広げた。「まず、俺の目が何を拾っているか書く」
澪はペンを渡した。最初の行で、彼の手が止まった。




