第15話 何を見ているのか
上位クラン合同の非公開実技検証会から、数日が経過した。
榊冬真の個人チャンネル『榊冬真の迷宮探索』は、平日の昼下がりにもかかわらず、同時接続数七万人という驚異的な数字を叩き出していた。
「これより、第三管区・第十六階層の通常探索を開始する」
迷宮の薄暗い洞道で、冬真は淡々と宣言した。
C級に昇格してから、初めての本格的な個人配信である。視聴者たちは、冬真がC級の迷宮でどのような規格外の戦いを見せるのかと、画面の向こうで固唾を呑んで見守っていた。
冬真の斜め後ろには、三台の自律型認証カメラを従えた雨宮澪がピタリと追従している。
『やっとC級迷宮の配信キタ!』
『上位クランの非公開検証会に参加したって噂、マジなんですか?』
『オッサン、今日もワンパン無双頼むぜ!』
コメント欄は凄まじい速度で流れていくが、冬真はそれらを一瞥することもなく、無言で足を前に出し続けていた。
彼にとって、迷宮の探索に「無双」や「見栄え」といった概念は存在しない。
今日も今日とて、冬真の視線は洞道の天井に走る微小な亀裂や、足元の岩盤の強度、そして風の抜ける方向といった『環境の安全確認』にのみ注がれていた。
「……」
不意に、冬真が足を止めた。
澪の手元にあるコンソールの魔素センサーには、まだ何の反応もない。前方の通路は薄暗く、動く影すら見えない。
だが、冬真は静かに直剣を抜き放つと、何もない空間に向かって『一歩半、斜め前』へと立ち位置をずらし、切っ先を下げた奇妙な構えをとった。
『え、なに?』
『また立ち止まった。敵か?』
視聴者が首を傾げた、その三秒後。
前方の暗がりから、岩肌を蹴る甲高い音とともに、三つの黒い影が弾丸のように飛び出してきた。
C級魔物、シャドウウルフ。俊敏な動きと、保護色となる黒い毛皮で探索者の死角から喉笛を食い破る、厄介な高機動型の群れだ。
澪の認証カメラのアラートが、ようやく甲高い警告音を鳴らす。
だが、その時にはすでに勝負は決まっていた。
シャドウウルフたちが飛びかかった空中の軌道。その『着地点』には、三秒前から立ち位置を変え、完璧な迎撃態勢を整えていた冬真が待っていたのだ。
力任せに剣を振るう必要すらない。
冬真は、自ら飛び込んでくるウルフの頭部の重みと、落下の慣性を利用するように、直剣の切っ先を僅かに上へと跳ね上げただけだ。
たったそれだけの最小限の動きで、一体目の喉が正確に切り裂かれる。
直後、冬真は流れるような足捌きで反転し、二体目の突進のベクトルを剣の峰でいなして岩壁へと激突させ、その隙に三体目の延髄を柄尻で粉砕した。
接敵から活動停止まで、わずか五秒。
シャドウウルフの群れは、冬真の服の裾にすら触れることなく、魔素の霧となって洞道に溶けていった。
「……周囲の魔力反応、消失。ルートの安全は確保された」
冬真は血振りをして剣を鞘に収めると、何事もなかったかのように再び歩き出そうとした。
『えっ?』
『は? 今何が起きた?』
『シャドウウルフってあんな自分から剣に刺さりにいく魔物だっけ???』
『てか、なんで敵が見える前に避ける位置に移動してんの?』
『野生の勘? それともなんか未来予知のスキルでも持ってんのか?』
コメント欄は混乱を極めていた。
あまりにもスムーズで、あまりにも無駄がない。それゆえに、素人の目には「敵が勝手に自滅した」か、「ヤラセでタイミングを合わせている」ようにしか見えないのだ。冬真が『なぜその動きをしたのか』という理屈が、映像からは全く伝わってこない。
「榊さん、待ってください」
カメラを操作していた澪が、冬真の背中を呼び止めた。
冬真の「言葉足らず(説明の短さ)」は、彼の数少ない弱点だ。現場の安全を確保できればそれでいいという職業病が染み付いているため、自分の異常な手順を他人に説明しようという発想がそもそも抜けているのだ。
だが、今の彼らは『配信』という公開記録を作っている最中である。このままでは、冬真の技術がオカルトやヤラセとして片付けられてしまう。
「視聴者の皆さん、少し時間をいただきます」
澪はタブレットを操作し、配信画面のレイアウトを変更した。
メイン画面の横に、先ほどの接敵『十秒前』のアーカイブ映像を並べて表示する。
「ただいまから、榊さんの『迎撃前の視線移動』のデータを可視化します。私が持ち込んだ認証カメラには、高精度のアイトラッキング(視線追跡)機能が搭載されています」
画面上のアーカイブ映像に、冬真の視線が向いていた場所を示す「赤いポインター」が合成されて表示される。
それを見た視聴者たちのコメントが、ピタリと止まった。
冬真の視線は、前方の暗がり――つまり、敵が現れるであろう場所には『一切』向けられていなかったのだ。
「見てください。敵が現れる三秒前、榊さんの視線は、足元の『小さな水たまりの水面の揺れ』と、壁面に落ちた『僅かな影の角度の変化』、そして奥の洞道から吹き抜ける『風によって舞い上がった土埃の軌道』を、コンマ数秒単位で高速スキャンしています」
澪の解説に合わせて、赤いポインターが画面内を異常な速度で飛び交う。
『うわ、なんだこの視線の動き……キモッ(褒め言葉)』
『敵を探してないじゃん。環境の変化を見てるのか?』
「榊さん」
澪はタブレットから顔を上げ、冬真をジト目で睨んだ。
「どうして敵の姿が見える三秒も前に、完璧な迎撃位置へ移動を開始できたんですか? 視聴者に伝わるように、理由を説明してください」
「……風の匂いが変わったからだ」
冬真は心底面倒くさそうに、短く答えた。
「それだけでは伝わりません。あなたが頭の中で行っている『観察項目の分解』を、きちんと言語化してください。これは記録を残すための仕事ですよ」
澪に正論で詰められ、冬真は小さくため息をついた。
彼は決して感覚や魔法で未来を見ているわけではない。極めて論理的な観測の積み重ねを行っているだけなのだ。
「……前方の水たまりの微細な振動と、壁の影の揺れ方から、こちらに向かってくる質量が『三』であると割り出した。さらに、風に乗ってきた硫黄の匂いの濃さから、敵の種族がシャドウウルフだと特定した」
冬真は仕方なく、先ほどまで自分の脳内で一瞬にして処理されていた情報を口に出し始めた。
「シャドウウルフの骨格と筋力であれば、あの距離から飛びかかってくる際の『踏み込みの初速と最高到達点』は計算できる。着地点の岩盤の強度を考慮すれば、三体がどのルートを通って俺の首を狙ってくるかは、物理法則の範囲内で完全に予測可能だ」
淡々と語られる、緻密すぎる事象の逆算。
それは、七年間にわたって極秘の災害現場で数え切れないほどの死線と向き合い、環境情報を統合せざるを得なかった男だけが到達できる、究極の『経験技術』だった。
「俺は魔法使いじゃない。見えない敵を勘で斬ることなどできない。だから、敵が姿を現すより先に、環境のノイズを拾って『敵が来ざるを得ない場所』に移動し、剣を置いておいただけだ」
冬真の説明が終わると、コメント欄は数秒の沈黙の後、爆発的な勢いで流れ始めた。
『……は?』
『いやいやいや、脳内の処理速度どうなってんの!?』
『水たまりの揺れと影の動きで敵の数と種類を特定して、着地点を計算……?』
『ただの超能力かと思ったら、変態的なまでの観察力の賜物だった』
『ヤバすぎだろ。これ完全にプロの災害救助隊とかがやるレベルの空間把握じゃね?』
視聴者たちは理解した。
榊冬真の強さは、天賦の才や強力なスキルによる無双ではない。息の詰まるような観測と、理詰めによって構築された「被害局限の手順」なのだと。
「……ありがとうございます、榊さん」
澪は満足げに頷き、カメラのレイアウトを元に戻した。
「これで、あなたの行動が勘やヤラセではないことが、論理的に証明されました。それに……」
澪は、ふと思いついたように冬真を見た。
「今あなたが説明してくれたプロセスは、魔法や感覚的なものではありません。言語化し、条件を分解できるということは……つまり、『他人に教えられる安全手順』になり得るということですよね?」
「……まあ、基礎的な環境観測の応用だからな。見方さえ分かれば、理論上は誰でもできるはずだ。精度は別として」
澪は「理論上は誰でも」という言葉をメモした。視聴者に伝える前に、どの条件が必要かを確かめるつもりだった。
だが、配信の切り抜きは、すでに彼女の編集より先に広がり始めていた。




