第14話 C級を入れる場ではない
「――ルートを変えるべきだ。この発生プロセスなら、B地点とC地点を繋ぐこの経路の地盤は、魔素の重みに耐えきれずに崩落する」
大型特殊訓練施設、ブリーフィングスペース。
各クランの精鋭たちが作戦の最終確認を行う中、榊冬真の低く通る声が響いた。
彼の指先は、配られた災害想定シミュレーションのマップ上に引かれた「安全退避ルート」の一角を正確に差している。
静まり返った室内で、上位クラン連合の安全統括である高瀬慎吾が、深く険しいしわを眉間に刻んだ。
「榊冬真。……お前は、我々が数ヶ月かけて練り上げたこのシミュレーションの根底が間違っていると言いたいのか?」
「間違っているか、実態に即していないかのどちらかだ。A地点での大規模戦闘が長引けば、その余波と魔力の滞留は必ずこの脆い地層に負荷をかける。ここを民間人の退避経路や後衛の拠点にすれば、足元から抜けるぞ」
冬真は事実だけを淡々と述べた。
しかし、高瀬は手元のタブレットを操作し、一枚の公式データを空間モニターに表示させた。
「お前の指摘は却下する。この退避ルートは、行政が発行した最新の環境監査データにおいて『クラス4の耐震性と魔素抗性を持つ安定地盤』として証明されているものだ。我々の想定に瑕疵はない」
「……」
「お前の『前兆読み』とやらがどれほど優れていようと、その根拠となる客観的な高解像度データは提出されていない。ブラックボックスのままの個人的な直感で、緻密なシミュレーション計画を乱すな」
冬真の「異常な観測力」を公的に証明できるはずだった最高画質のアーカイブ映像は、先日、旧組織の保全法務からの照会を受けて非公開化したばかりだ。
証明するデータがない以上、冬真の指摘は「C級上がりの新人の勘」の域を出ない。何十人もの命を預かる安全統括が、公的な監査資料よりもそちらを優先するわけにはいかないのだ。
「……了解した。規定なら従う」
冬真はあっさりと手を引いた。
自分の正しさを声を荒らげて主張することはない。彼にとって、高瀬が無能だからではなく、システム上これ以上踏み込めないと理解したからだ。
「おいおい、いいのかよ」
冬真の隣で壁に寄りかかっていた神代岳が、面白そうに口を挟んだ。
「お前がそこまで言うなら、俺は信じてもいいぜ?」
「アンタの班の自己責任枠で入らせてもらっている以上、俺が全体の陣形を崩す権限はない。指示通りに動くだけだ」
「ハッ、真面目なこった」
神代は肩をすくめて笑った。
ブリーフィングが再開される中、冬真の少し後ろで控えていた雨宮澪は、手元の端末で素早く情報を照会していた。
(高瀬さんが根拠にした、あの安全監査資料……)
澪の端末に、先ほどモニターに映されたデータの詳細が表示される。
『迷宮安全監査局発行・第二四半期環境評価書』。
その書類の決裁欄には、一つの署名が記されていた。
――企画官 久世章吾。
書類上の不備は一切ない。公的な手続きに則った完璧なデータだ。
だが、澪は冬真の技術をすぐそばで検証し、確信している。榊冬真の「現場のリアルな観測」と、この「完璧な書類」が食い違っているのなら、間違っているのは十中八九、書類の方だ。
それでも、今の自分たちにはそれを覆すだけの『公開データ』がない。
守秘義務を守るために支払ったコストが、今まさに「正当な評価を得られない」という摩擦となって冬真にのしかかっていた。
*
『これより、複合災害想定シミュレーションを開始する。各班、所定の位置へ』
巨大なドーム内部。
人工的に構築された市街地と岩場が混在する模擬フィールドに、アナウンスが響き渡った。
直後、A地点の空間が歪み、高度なホログラムと実体を伴った「C級魔物の群れ」が無数にスポーンする。さらに中央エリアには、災害指定個体に準ずる強大なエネルギー反応を持つボス個体が出現した。
「そっちは任せたぜ、他の連中! 俺は中央を叩く!」
神代岳が、大剣を肩に担いだまま前線へと躍り出た。
彼が剣を振り抜いた瞬間、爆発的な魔力の奔流が炎となって模擬フィールドを焼き尽くす。圧倒的なまでの面制圧。
群がってくる魔物たちが、神代の一振りの前に次々と塵に変わっていく。
単体への最大火力、そして長時間にわたって高出力を維持し続ける継続戦闘能力。それは、冬真が持っていない(あるいは意図して使わない)トップランカーの真骨頂だった。
一方、冬真は神代の班の『自己責任枠(後衛サポート)』として、B地点の退避ルート側に留まっていた。
「……左舷、衝撃波が来るぞ。シールドを厚くしろ」
冬真は直剣を抜き放ちながら、周囲にいる下位の探索者たちに的確な指示を飛ばす。
彼は前線に出て魔物を倒すことは一切しなかった。神代の凄まじい火力の余波で崩れそうになる模擬の岩盤を支え、あるいは飛散してくる破片を剣の峰で弾き落とす。
そして、逃げ遅れた民間人を想定したダミー人形を、崩落の危険がない場所へと淡々と運び続けていた。
監視ルームからその様子を見ていた上位クランの審査員たちは、怪訝な顔で冬真のデータモニターを眺めていた。
「これが例の榊か……? 火力貢献度が極端に低いな」
「神代のサポートに回っているとはいえ、前線に出る気配すらない。あれではただの裏方の雑用だ」
「やはり、C級に上がったばかりの新人には、このレベルの想定は荷が重すぎたか。A級以上のパーティに組み込むには、個の火力が圧倒的に足りていない」
彼らの評価軸は「いかに早く、いかに強力に敵を殲滅するか」にある。
その基準で見れば、全く敵を倒そうとしない冬真の姿は、ひどく地味で、臆病にすら見えた。彼が「なぜそこで立ち止まっているのか」「なぜそのダミーを三歩右へ動かしたのか」という真の意図を、彼らは読み取れていない。
*
『――中央ボス個体の沈黙を確認。想定シミュレーション、クリア』
約一時間後。
神代たちの活躍により、模擬災害は規定時間内に制圧された。
ドーム内の照明が明るくなり、シミュレーターの駆動音が静かに停止する。
「お疲れ様でした、榊さん」
フィールドの端で、澪が速足で冬真のもとへ駆け寄ってきた。
「無事クリアですね。でも、榊さんの個人評価点は……やはり伸び悩んでいるみたいです」
「だろうな。一匹も倒していないんだ、当然の評価だ」
冬真は直剣を鞘に収め、軽く首を鳴らした。
彼がブリーフィングで指摘した「B地点とC地点間の崩落」は、結局、シミュレーションが終わるまで発生しなかった。
高瀬が正しかったのだろうか。
「……いや。違うな」
冬真は、足元の模擬岩盤を軽く足で小突いた。
「そもそも、このシミュレーターのプログラムに『魔素の過負荷による自然崩壊』のパラメーターが組み込まれていなかっただけだ」
「え?」
「行政の安全監査資料をそのまま絶対の正解として入力しているから、現場のイレギュラーな摩擦が計算から抜け落ちている。だから、机上の空論のままクリアできてしまうんだ」
冬真の言葉に、澪はハッと息を呑んだ。
検証会は成功裏に終わったように見える。だが、冬真の目には、この国のトップ層が抱える致命的な「死角」がはっきりと見えていた。
「シミュレーション(お遊び)なら、これでいい。安全な密室で自己満足の点数をつけていればいい」
冬真は、歓喜に沸く前線の探索者たちに背を向けた。
「だが、あの監査基準で作られた安全計画を実戦で使えば……必ず、死人が出る」
理不尽に低い評価を受けたことへの怒りはない。
ただ、現場のプロフェッショナルとしての冷徹な危惧だけがあった。
「帰るぞ、澪。俺たちは俺たちで、必要な実績と記録を作るだけだ」
「……はい」
高瀬の評価票には「判断根拠、公開資料で再現できず」と残った。
澪はその欄を撮影できない。非公開の検証会だからだ。冬真はカメラケースを持ち、出口のドアを開けた。




