第13話 S級からの招待状
「……項目が多すぎるな。民間クランの契約書というのは、いつもこうなのか」
夜のファミレス。
榊冬真は、テーブルの上に広げられたノートパソコンの画面を睨みつけ、深く息を吐き出した。
画面に表示されているのは、数十ページにも及ぶ電子契約書のPDFファイルだ。『秘密保持契約(NDA)』『特殊機材の免責同意書』『合同訓練時における指揮権委譲の同意事項』など、細かい条項がぎっしりと並んでいる。
向かいの席でコーヒーを飲んでいた雨宮澪が、くすりと笑った。
「上位クラン連合が主催する非公開の検証会ですからね。参加する探索者たちの手の内や、最新の防具の仕様などが外部に漏れないよう、ギチギチに規約で縛るんです。……榊さん、こういうのは苦手ですか?」
「俺がいた組織は、そもそも『存在しないこと』が前提だったからな。命令と結果だけがあればよくて、いちいち免責や権利の所在を書類で争うことはなかった」
冬真は忌々しそうに画面をスクロールした。
数日前、現役S級探索者である神代岳から届いたダイレクトメッセージ。
それは、国内のトップクランが合同で行う『非公開実技検証会』への招待状だった。この検証会は、次世代のA級やS級候補たちが災害想定シミュレーションを行い、互いの実力を測るための場だ。
参加して正当な評価を得られれば、冬真が目指す「独立した災害対応契約」の確立に向けて、これ以上ない強力なカードになる。
実利がある以上、参加の意思は固まっている。だが、いざ手続きとなると、民間探索者社会の煩雑な慣習が冬真の前に壁として立ちはだかった。
「貸してください。私がやります」
見かねた澪が、ノートパソコンを自分の方へと引き寄せた。
「条項のチェックと署名処理、ギルドのシステムを通した一時的な装備使用申請まで、こちらで巻き取ります。情報の出し方の調整も、私なら安全なラインがわかりますから」
「……助かる」
「こういう事務処理やネットの相場に疎いところは、榊さんの数少ない弱点ですね。パートナーを組んだ甲斐があったというものです」
澪の指先がキーボードの上を滑り、複雑な民間契約の処理が次々と片付いていく。
極限の現場における空間把握と安全統制については、冬真の右に出る者はいない。だが、平時における社会的な手続きや情報管理においては、澪のスキルが不可欠だった。
二人のバディとしての機能は、現場の外でも確実な噛み合いを見せ始めていた。
*
数日後。
ギルドが管理する、都市郊外の大型特殊訓練施設。
巨大なドーム状の建造物の内部には、人工的に魔素環境を操作し、都市迷宮の複雑な地形を再現したシミュレーションエリアが広がっていた。
「……随分と物々しいな」
控室へ続く通路を歩きながら、冬真は周囲の様子を観察した。
すれ違う探索者たちは、誰もが隙のない身のこなしをしている。最低でもB級以上、あるいはA級に名を連ねる各クランの主力級ばかりだ。彼らの身を包む装備も、協会指定の特注品や、高ランク魔物の素材を使った一点物が多い。
対して冬真は、市販の防刃ジャケットに、先日新調したばかりの標準的な長剣。そして傍らには、検証用の認証カメラを浮遊させた澪。
異物感は否めなかった。
「おい。そこのお前」
控室のドアに手を掛けようとした冬真を、背後から呼び止める声があった。
振り返ると、かっちりとしたギルド指定のスーツに身を包んだ男が、険しい顔で立っていた。上位クラン連合の安全統括、高瀬慎吾だ。
赤色警報が発令された第二迷宮で、冬真に前線から下がるよう命じた男である。
「高瀬統括。……今日は裏方ではないのか」
「俺は連合の安全統括だ。この検証会のリスク管理も俺の管轄内だ」
高瀬は手元のタブレットに視線を落とし、忌々しそうに息を吐いた。
「榊冬真。第二迷宮での避難誘導の実績と、C級昇格については評価している。俺の目が行き届かなかった穴を埋めてくれたことには、礼を言うべきだろう」
「礼には及ばない。資格の範囲内で動いただけだ」
「ああ、そうだな。だからこそ、俺はお前の参加を承認し難い」
高瀬の鋭い視線が、冬真を射抜いた。
高瀬は決して、冬真という個人を嫌って嫌がらせをしているわけではない。彼が守護しているのは、数千人の探索者を抱える上位クラン連合の『規定』と『安全の再現性』だった。
「この検証会は、A級以上の複合災害を想定した高度なシミュレーションだ。C級を入れる前例がないということもあるが……最大の理由は、お前の提出資料だ」
高瀬はタブレットの画面を冬真に向けた。
そこに表示されていたのは、冬真のギルドマイページ。昇格審査時に付記された『専門技術の評価資料不足』という文言だった。
「お前の『異常な察知能力』は、映像の真偽証明こそクリアしているが、肝心の技術的根拠を示す高解像度データが非公開にされている。ギルドの専門委員ですら、お前の前兆読みのメカニズムをブラックボックスだと判定しているんだ」
高瀬の指摘は、極めて論理的だった。
先日の配信で、旧組織の保全法務窓口からの照会を受けた澪は、冬真の秘匿手順を守るためにアーカイブの一部を非公開化した。その『守秘義務のコスト』が、今ここに来て明確な障害として冬真の前に立ち塞がったのだ。
「いいか。災害想定のシミュレーションにおいて、根拠のわからない未知の能力を持つ人間を陣形に組み込むことは、全体の安全計画を破綻させるリスクと同義だ。俺は安全統括として、お前をこのフィールドに入れるわけにはいかない」
「……」
正論だった。
冬真は小さく息を吐き、反論することなく踵を返そうとした。
組織が安全基準を理由に拒否するなら、それに従うのが道理だ。無理に押し通して現場を混乱させるのは、冬真の思想に反する。
「おーおー。相変わらず堅いねえ、高瀬さんは」
冬真が歩き出そうとしたその時、背後から響いたのは、余裕に満ちた男の声だった。
通路の奥から歩いてきたのは、大剣を肩に担いだ長身の男。現役S級探索者、神代岳だ。
「神代……。お前が勝手に推薦枠を使ったんだろう。俺は安全上の規定を話しているだけだ」
「だから、その規定の範囲内で収まるように俺が『責任』を持とうって言ってんだよ」
神代は冬真の横に並び立ち、高瀬に向かってニヤリと笑った。
「こいつの未知数な部分は、俺の班がカバーする。榊冬真は俺の直接の指揮下、S級の『特例推薦枠』ではなく『自己責任枠』として参加させる。これなら、連合の安全基準にも抵触しねえだろ?」
自己責任枠。それは、上位ランカーが自らの評価と責任を担保として、下位の探索者を前線に引き上げるための規定上の抜け道だった。
高瀬は眉間を揉みほぐし、やれやれというようにため息をついた。
「……S級の権限でそこまで言うなら、これ以上は止められん。だが、万が一の事故が起きた場合、責任の所在は明確にさせてもらうぞ」
「わかってるよ。ありがとな、高瀬さん」
高瀬が去っていくのを見送り、冬真は隣の神代に視線を向けた。
「……恩を売ったつもりか?」
「ハッ。勘違いすんなよ。俺はただ、カメラ越しじゃわからねえお前の本当の手順を、一番特等席で見てみたいだけだ」
神代は肩の大剣を軽く揺らし、好戦的な笑みを浮かべた。
「映像のメッキじゃないってところを、俺の目で見せてみろよ」
「俺は俺の仕事をするだけだ。評価するのはそっちの勝手だろう」
冬真は淡々と返し、澪とともにブリーフィングが行われる待機スペースへと向かった。
*
ドーム内部の準備エリア。
参加する各クランの精鋭たちが集まる中、運営側から本日の実技検証会の『想定シナリオ』が配布された。
タブレットに転送されてきた資料には、広大な市街地を模したフィールドのマップと、そこで発生する複合的な魔物発生プロセスが詳細に記載されている。
A地点でC級の群れが発生し、それに対応している間にB地点とC地点で中規模の崩落が起き、最終的に中央エリアに災害指定個体に準ずるボスが発生する、というかなり過酷なシミュレーションだ。
「……えげつない想定ですね。これを三つのパーティで連携して鎮圧するなんて」
資料を読み込んでいた澪が、思わず眉をひそめた。
周囲の探索者たちも、この厳しい条件をどうやってクリアするか、陣形と火力の配分について熱心に議論を交わしている。
だが。
ただ一人、榊冬真だけは、配布された資料のマップと発生タイムラインを見比べながら、ピタリと動きを止めていた。
「……榊さん?」
「……いや」
冬真は目を細め、タブレットの画面の一箇所――B地点とC地点の間に引かれた、一見すると何の問題もない『安全な退避ルート』の線を指でなぞった。
周囲のS級候補生も、神代のようなトップランカーも、そしてこの精緻なシナリオを作った運営側すらも気づいていない。
だが、七年間、国家の極秘任務で『本当の地獄』を見続けてきた冬真の目には、そのシナリオに潜む明確な瑕疵が、はっきりと見えていた。
(……この発生プロセスなら、魔素の重みでここの地盤が先に保たなくなる。この想定通りには、動かないぞ)
それは、実力ではなく、経験という名の絶対的な格差だった。




