第12話 最初の昇格
「榊冬真さん。認証済み討伐および救助実績の規定値到達を確認しました。本日付けで、C級探索者への昇格を認可します。おめでとうございます」
探索者協会のカウンター越しに、真新しいライセンスカードが差し出された。
カードの右上に刻まれた文字は『D』から『C』へと変わっている。
冬真は「ああ、助かる」とだけ短く応じ、それを受け取った。
先日、第二迷宮で発令された赤色警報。その際、公式の救助隊が到着する前に冬真が行った民間人の避難誘導と、二次崩落の阻止。それらはすべて、同行していた雨宮澪の認証カメラによって『改変の有無を検証できる公式記録』として保存されていた。
それらの救助実績と、これまで地道に積み重ねてきた低難度迷宮での安全確認案件のポイントが合算され、ついにC級への昇格要件を満たしたのだ。
「……よし。これで条件はクリアしたな」
冬真はカウンターを離れると、その足で真っ直ぐ、ロビーの端にある『協会提携保険窓口』へと向かった。
彼が配信を始めた最大の目的。それは名声を高めることでも、アンチを見返すことでもない。迷宮内で重度の後遺症を負うような事故に遭った際、完全な生活の保障が約束される「上位の災害補償保険」へ加入することだった。
その保険は、最低でもC級以上の資格と一定の公開実績を持つプロの探索者でなければ契約できない。
数十分後。
分厚い契約書の束にサインを終え、保険証券のデータを受け取った冬真は、ようやく心の底から安堵の息を吐いた。
これで、もし自分が探索中に致命的なミスをして身体を失ったとしても、最低限の生活と補償は担保される。極秘の国家機関を追われ、社会的な身分証明すらおぼつかなかった彼にとって、それは何よりも欲しかった実務的な『安全網』だった。
「……保険の審査、無事に通ったみたいですね」
ロビーのソファで待機していた澪が、戻ってきた冬真を見て少しだけ表情を緩めた。
だが、彼女の手元にあるタブレットの画面には、冬真の昇格を喜ぶだけではない、少し険しいデータが表示されていた。
「保険はありがたいが……榊さん、ギルドの審査官からつけられた『技術評価点』を見ましたか?」
「いや? 合計ポイントが足りていれば問題ないだろう」
「問題大ありです。見てください、この辛口のコメント」
澪が提示したギルドのマイページ。そこには、昇格審査を担当した専門委員からの評価が記されていた。
『対象者の実務遂行能力および救助実績は高く評価できる。しかし、提出された認証映像(第五階層での異常個体回避など)において、危険を察知した根拠となる具体的な魔素の観測データ、つまり生データの高解像度部分が不自然に欠損している。特異な技能の存在は推測されるが、客観的な証明資料としては不十分であり、技術加点は見送る』
「……これ、数日前に法務からの照会を受けて、私たちが自主的に非公開化したアーカイブのことです」
澪は悔しそうに唇を噛んだ。
冬真の過去の秘匿任務に繋がる情報漏洩を防ぐため、澪は泣く泣く最高画質の生データの一部を伏せた。真偽の証明自体は残ったが、冬真の『前兆読み』という異常な技術を専門家へ証明するための、一番重要な材料が失われてしまったのだ。
「あのデータさえ完全に提出できていれば、技術評価点は満点で、特待枠での昇格も余裕だったはずなのに……。守秘義務のせいで、あなたの正当な評価が削られているんですよ」
理不尽さに腹を立てる澪。
だが、当の冬真は全く気にした様子もなく、あっさりと首を振った。
「気にするな。評価の点数なんてものは、腹の足しにはならない」
「でも……」
「俺の目的は『C級の資格』と『保険』だった。その実利を得るために、不必要な過去の機密というリスクを切り捨てた。支払ったコストに対して得られたリターンは十分だ。完璧な取引だろう」
冬真にとって、他人の称賛やギルドの書類上の見栄えなど、優先順位の底辺に過ぎない。
澪は、そのあまりにも割り切った、職業人としての冷徹なまでの合理性に毒気を抜かれたようにため息をついた。
「……わかりました。あなたがそれでいいなら、私も納得します。でも、あなたの技術がきちんと評価される方法は、今後私が必ず見つけますからね」
「ああ、頼む。それより、さっそく仕事だ」
冬真は、新調したばかりの長剣の柄を軽く叩いた。
保険の契約を済ませ、残った資金でようやく購入できた『C級向けの標準装備』。装飾は一切ないが、刃こぼれしにくい硬質な合金で打たれた実用品だ。
「先日断られた、第三管区の中層での討伐・採取案件。ようやく受注できるようになった」
*
「榊冬真。これよりC級案件、第三管区・第十八階層の探索を開始する」
数時間後。迷宮の中層エリア。
冬真の声とともに、澪の操作する認証カメラによる生配信がスタートした。
『うおおおおお! 待ってました!』
『ついにC級! これでやっとまともな敵と戦えるな!』
『装備も変わってる! 前の安物の剣じゃないぞ』
『D級の縛りプレイは終わりだ! 無双頼むぜオッサン!』
同接数は開始早々から数万人に達し、コメント欄はかつてないほどの熱気に包まれていた。
視聴者たちは、これまでずっと「安全確認」や「ゴブリン討伐」といった地味な案件ばかりやらされていた(ように見えた)最強の男が、ついにその牙を剥く瞬間を待ち望んでいたのだ。
しかし。
洞道の奥から、硬い甲殻を持つC級の魔物・ロックリザードが三体現れても。
「……前方の地盤は安定している。退路よし」
冬真の動きは、D級の時と『一ミリも』変わっていなかった。
装備が良くなったからといって、大振りな斬撃で敵を両断しようなどとは決してしない。
ただ、敵の突進の初動を読み切り、一歩半だけ立ち位置をずらす。
そして、ロックリザードの最も強固な甲殻を避けて、関節の隙間――前足の付け根の極端に強度の低い一点へ、新調した長剣の刃を滑り込ませた。
スパッ、と。
まるで熱したナイフでバターを切るような、無駄のない動き。
安価な剣では刃こぼれを恐れて峰を使っていた部分を、確かな強度の長剣で鋭く『切断』する。
突進の途中で前足の機能を奪われたリザードは、自らの慣性を制御できずに無様に転倒し、そのまま首の動脈を正確に貫かれて絶命した。
『……あれ?』
『すげえ綺麗に倒したけど、なんか……』
『相変わらず地味だな!』
『無双感ゼロ。完全にライン作業だわ』
派手なエフェクトも、叫び声もない。
ただ、装備の性能が上がった分だけ、作業の速度と精度が劇的に向上しただけだった。
冬真は、周囲の岩盤に傷一つ付けることなく、残る二体も全く同じ手順で――流れるような事務処理の如く――活動を停止させた。
「……周囲の魔力反応、消失。採取目標の鉱石の回収に移る」
一切息を切らすことなく、冬真は淡々と宣言した。
画面の外で機材を操作していた澪は、小さく笑いをこぼした。
視聴者は「地味だ」とぼやきながらも、その洗練され尽くした職人技から目を離せずにいる。最強とは、暴れることではなく、どんな状況でも揺るがず『安全を支配すること』なのだと、少しずつ伝わり始めている証拠だった。
*
夕刻。
危なげなくC級の初案件を完遂し、ギルドへの納品を終えた冬真と澪。
日が落ちかけた帰り道、澪が持つギルド連携用の業務用端末が、短い電子音を鳴らした。
「……ん? ギルドのメッセージボックスに、一件の新着通知が……」
「協会からか? 手続きに不備でもあったか」
「いえ、違います。これ、個人からのダイレクトメッセージです。差出人は……」
画面を確認した澪の目が、驚きに大きく見開かれた。
「嘘。……上位クラン連合の安全統括、高瀬慎吾。それに、連名でもう一人」
「誰だ?」
「現役S級探索者、神代岳です」
国内の迷宮探索者の中で、頂点に君臨する男の名前。
冬真もその名には聞き覚えがあった。迷宮災害のニュースで、最前線の最大火力を担う男として何度も顔を見ている。
「メッセージの内容を読みますね」
澪は緊張した声で、テキストを読み上げた。
『榊冬真殿。C級昇格、おめでとうございます。単刀直入に言います。カメラを通した映像データや、書類上の評価点だけでは、あなたの本当の技量は測りきれないと判断しました』
それは、ギルドの審査官が「証明不十分」として切り捨てた冬真の技術を、トップ層の人間だけが正確に見抜いているという証左だった。
『つきましては、近々開催される上位クラン合同の非公開実技検証会に、あなたを特別枠として招待したい。……お前の本当の手順を、俺たちの目で見せてみろ』
実務的な文面の最後に添えられた、明らかに神代自身が打ち込んだであろう挑発的な一文。
冬真は歩みを止め、空を見上げた。
公開実績を積むために始めた配信は、国家の機密を抱えたまま、ついにこの国の最高戦力たちの視界へと届いてしまったらしい。
「どうしますか、榊さん」
「……」
冬真は少しだけ思案し、そして、淡々と答えた。
「行くしかないだろう。C級から先へ上がるには、協会だけでなく、上位クランの評価も必要になってくるはずだ。実利があるなら、受けるまでだ」




