第7話
鼓膜が破れるかと錯覚するような、鋭く重い破裂音。建物の外かつ距離があったようで音の大きさで言えばそこまでではないが、その音の性質の危険性を本能が察知したのか——姫月の意識は、一気に覚醒した。突っ伏していた机から、弾かれたように勢いよく上体を起こす。……直後。
——ドォォンッッ!
腹に響くような重低音が爆音で響き、部屋が大きく揺れた。姫月も座ったままよろけて体勢を崩す。音の出所はかなり近かった。恐らく同じ階の部屋だ。窓ガラスの割れる高い音、ドアが吹き飛ぶ破裂音。背中の窓ガラスがビリビリと揺れる音が続き、生暖かい風が室内へ勢い良く吹き込んだ。焦げ臭い匂いが部屋を支配する。
(襲撃……!?)
起きたばかりの回らない頭を必死に動かしながら、姫月は顔を強張らせた。『ラビット』のアジトが襲撃されたのだとすれば、他組織が全面戦争を仕掛けてきたということを意味する。姫月はそのような事態を避けるため、他組織からの敵意をのらりくらりと躱しながら動いて来た。今すぐにでも攻めて来るような兆候のある組織はなかったはずだ。
(なんで……っ?)
今攻められれば、『ラビット』は万全な準備のないまま交戦を迫られることになる。そうなればアジトは残さず破壊され、『ラビット』の少女達はそのほとんどが殺されてしまうだろう。姫月の顔を、冷や汗が伝っていった。
「キャプテン!」
背後から大声で名前を呼ばれ、姫月はびくりと肩を跳ねた。動揺していて、近くに人がいることにすら気付いていなかった。これが忍び込んだ敵だったら既に殺されていただろう。
(……駄目だ、しっかりしなきゃ)
未だに長時間の睡眠によってぼんやりしている頭の中で、自分を叱責する。そうしている間にも、建材が崩れ落ちるような大きな音が壁越しに響いていた。継続的な唸るような低音やパチパチとした爆ぜる音も聞こえてきていることからして、どうやら火の手も上がっているようだ。次の弾が発射されるまでに、一人でも多くの『ラビット』のメンバーを避難させなければならない。姫月は懸命に頭を動かしながら、険しい顔で背後を振り返った。
「お誕生日、おっめでと~っ!」
底抜けに明るい、楽し気な声。視界に現れたのは、満面の笑みを浮かべる『ラビット』のメンバー達だった。二人の背後にある窓の外では、隣で起きたらしい二次爆発で吹っ飛んで行く建材が隕石の如く落下していくのが見えていた。姫月は目の前の無邪気な笑みをぽかんとして見つめた。廊下の方から何かが燃え落ちたような大きな落下音が扉越しに響き、沈黙を掻き消した。
「は……、……え?」
「良かったー、間に合ったよ~!」
アゲハは一仕事終えたように、爆風でボサボサになった前髪を腕で拭った。そんな彼女の横で、壁の一部がごおっという嵐のような音とともに吹っ飛んでいく。隣の部屋には炎が見えていて、それはすぐに残った壁を蝕んで行った。カカシが臆することなく燃える壁に近づいたかと思うと、一本のろうそくを突っ込んだ。ろうそくの先が灯ったことを確認すると、彼女は手にしていたミニホールケーキの中央へぶすりと挿した。そして、パニエを揺らして姫月へと振り返る。背景と不釣り合いな程、朗らかな笑みが浮かんでいた。
「ドゥ・レーヴからとってきたケーキだから、絶対美味しいよ! どーぞ、キャプテン!」
彼女は両手で持った小皿を嬉しそうに差し出した。生クリームがたっぷりと塗られ、苺がふんだんにあしらわれた可愛いミニホールケーキが乗っている。中央にはろうそくが立ち、アジトを燃やして灯された炎が幻想的に揺れていた。姫月はそれを、真顔になって見下ろした。高熱に魘されて見た悪夢かもしれない。
「いや……、敵襲だよ、早く逃げ……」
「大丈夫だよ、敵じゃないから!」
譫言のような姫月の呟きを遮り、アゲハが安心させるようににこやかに答えた。言葉通り、彼女にもカカシにも逃げようとする素振りは微塵もない。その時窓の外から、再び鋭い破裂音が聞こえてきた。カカシの「あっ」というか細い声を掻き消すように、遅れて腹に響く重低音が耳を支配した。二発目の着弾を示す、嫌な振動。揺れが大きく、全員が大きくよろける。生暖かい風が吹き荒び、部屋の中の物がふっとんでいった。壁越しに聞こえてくる音が、さらに激しく賑やかになる。
「忘れてた!」
アゲハは慌てて窓の外へと身を乗り出し、腕で大きく円を作った。そして何事もなかったように姫月を振り返り、崩壊していく建物を気にすることなく眩しい笑顔を向けた。
「あと十分もないけど……今日はキャプテンの大事なお誕生日なんだから! ほら、食べて食べて!」
「……誕生日?」
姫月ははたとして、アゲハの言葉を繰り返した。そういえば、先程もそんなことを言っていた気がする。彼女のフリル塗れの袖の先を見れば、ラッピングされた包みが大事そうに握られていた。姫月は部屋の隅に置いている時計をそろそろと振り返った。先程の衝撃で床に落ちた時計は、間もなく天を指そうとしていた。姫月は次に、窓の外へと顔を向けた。暗闇に支配された漆黒の空が広がっている。……今は零時前ということらしい。窓の奥を見上げる姫月へ、痺れを切らしたようにケーキの乗った皿が近づけられる。姫月は茫然とした顔のままそれを見下ろし、目の前の小皿を機械的に受け取った。ろうそくの先に息を吹きかけ、隣で燃えている壁はそのままに小さな消火活動を終える。次に皿に乗せられたケーキフォークを手に取り、クリームの海の中へと沈ませた。隣の部屋で、何かが燃え落ちる音が鈍く響く。室温が増した部屋に、焦げ臭い匂いが満ちた。姫月は切り分けたケーキを、口の中へと運んだ。クリームの濃厚な甘さ、苺の芳醇な酸っぱさ、スポンジのきめ細かでふわふわとした感触。口の中を、状況と不釣り合いな幸せが支配する。そんな姫月を祝うように、廊下の方からアップテンポな楽し気なメロディが流れ始めた。これは『ラビット』の緊急時のサイレンである。もぐもぐと口を動かす姫月を、アゲハとカカシはにこにことして眺めていた。彼女達の背後の窓は、火事によるものか度々明滅を繰り返している。鳴り止まない賑やかな音楽、不穏に響く崩れるような音と爆ぜる音、横でどんどんと壁を広がる炎、鼻を突く焦げ臭い匂い。廊下の奥から面白がるような少女達の声も聞こえ始め、誕生日の生演奏会はより賑やかになった。それらの中、姫月は訳の分からぬまま黙々とケーキを食べ続けたのだった。
小皿の上からケーキが消えた頃、アゲハが部屋の奥へと顔を向けて「あ!」と叫んだ。視線の先を追えば、彼女は時計を見ていたようだった。その針は、天を過ぎていた。
「キャプテンの誕生日、終わっちゃった~……」
「でもでも、無事に祝えたからよかったじゃない!」
カカシが機嫌よくアゲハを励ます。アゲハもすぐに笑顔を取り戻し、「そうだね!」と頷いた。姫月は甘ったるい唇をぺろりと舐めた。
「もー、一時はどうなることかと思ったんだよ?」
アゲハは軽い調子で姫月へと笑いかけた。その直後、廊下の方から激しい破裂音が鳴り響いて、三人はびくりと体を強張らせた。
「……詳しい話は後で聞くよ。まずは避難だ」
姫月はやれやれといったように扉の方へと顔を向けた。部屋を出ようとそちらへ一歩踏み出し、ふと立ち止まる。そして長い二つ結びを靡かせて、二人の『ラビット』の少女達を振り返った。
「……いい誕生日だったよ」
空の皿を示すように僅かに掲げる。二人は嬉しそうに笑顔を咲かせた。未だに姫月の頭は状況に追い付いてはいなかったが、一つだけわかることがあった。……目の前の少女達が、姫月の誕生日を心から祝ってくれていること。姫月にとっては、それだけで充分な気がした。
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