第5話
慌て出した三人を前にして、『ブルー』の少女は掴んだままの手首を乱暴に引っ張った。
「わっ」
「逃がすわけねーだろ?」
アゲハの掴まれた手首は指が食い込んで赤く痕になり、周りは変色し始めている。『ブルー』の者に捕まって、無事に逃げられる者などいない。
「そっちから突撃してきたんだから、文句ねえよな?」
『ブルー』の少女は空いた手でアゲハの頭を鷲掴みにした。片手であっけなく倒し、乱れた髪ごと押さえ込む。アゲハは逃げ出そうと身を捩ったが、『ブルー』の少女の力強い手はびくともしなかった。それを見て、陰でカカシの手が動いた。ボトルの蓋を開け、中身を『ブルー』の少女へ向けてぶちまける。『ブルー』の少女は流石の反射神経で難無くそれを避けた。その際に『ブルー』の少女の手が離れ、アゲハの頭と手首が解放される。そして間一髪、アゲハも降ってくる液体を避けた。すんでのところで落下していった液体を、アゲハは顔を青くして目で追った。液体がコンクリートに広がった後、すぐさまノア達へと体を寄せる。
「ちょっとかかしー! あたしにもかかるとこだったじゃん!」
「そうしたら骨格標本のコレクションに加えてあげるね~」
カカシは穏やかに笑みを浮かべた。全く悪びれる様子はない。
「どうしよう……このままじゃ……このままじゃキャプテンの誕生日が……!」
そしてその光景を前にしてなお、ノアは悲しみに染まって嘆いていた。
「カールグスタフがないならもう悲鳴で起こすしかないかな……?」
「丁度ここに御誂え向きの奴がいるしね?」
アゲハはこれ見よがしに『ブルー』の少女へと視線を注ぐ。『ブルー』の少女は鼻を鳴らした。
「お前らが悲鳴をあげて死ぬのが先だけどな」
実際、『ブルー』の者を目の前にして戦闘で敵う者などいない。三対一だからといって、『ラビット』側が有利な状況というわけではないのだ。しかしそれがわかっているのかいないのか、アゲハは怒り心頭といったように叫んだ。
「何言ってんの? お前がカールグスタフになるんだよッ!」
アゲハはポケットから小瓶を取り出し、『ブルー』の少女へ思い切り投げつけた。『ブルー』の少女はそれを見切り、易々と躱す。コンクリートに叩きつけられた小瓶は割れ、漏れた液体から炎が上がった。それを無視し、『ブルー』の少女はアゲハへと突撃していた。逞しい脚は力強く地面を蹴り、一瞬で距離を詰める。あっけなくアゲハを捕えた『ブルー』の少女は、そのまま細い首をガッチリと掴んで絞め出した。かひゅっという音が口から漏れ、アゲハも必死に『ブルー』の少女の手を剥がそうとする。しかしびくともしないどころか、絞められたままのアゲハの体は軽々と持ち上げられてしまった。藻掻く足の先が浮き、彼女は苦し気に顔を歪めた。『ブルー』の少女はアゲハを吊り上げながら、路面で燃え盛る炎を振り向いた。掴んでいる獲物を炙ろうと、一歩近づく。カカシの化学薬品は二人が密着しているため使えない、ノアは慌ててナイフを取り出そうと手を伸ばした……その時。
ドン、と重い音が響き、地面が揺れた。この場の全員が目を丸くし、辺りを見渡す。すると西の方から、濛々と黒煙が上がっていた。そちらに気を取られた『ブルー』の少女の手が緩み、アゲハはかひゅかひゅと隙間から必死に酸素を取り込んだ。
「なんだ……?」
「おい!」
アジトの敷地の中から、大声が響いた。門の奥から姿を現したのは、『ブルー』の制服に身を包む小柄な少女だった。跳ねた群青色のショートカットヘアーを揺らす彼女は、どうやら目の前の仲間へと呼びかけているようだった。
「てめえも来い、離れの倉庫が襲撃された」
八重歯を覗かせながらそれだけ言うと、彼女はすぐさま爆発のした方へと走っていってしまった。『ブルー』の少女は自身の絞め上げている獲物と遠くなる背中の御太鼓を交互に見比べたあと、アゲハの首からぱっと手を離した。アゲハはその場に崩れ落ち、ゲホゲホと激しく咳き込んだ。『ブルー』の少女は『ラビット』の少女達を場に残し、爆発のあった方へと駆け出した。『ブルー』には絶対服従の風土があるため、「来い」と言われたら逆らうことは出来ない。放置された三人は遠くなる薄群青色の背中を呆けたように見送っていた。道端では燃やす相手のいなくなった赤黒い炎がコンクリートを這うように虚しく蠢いている。肩で息をしていたアゲハが、フリル塗れの袖で口を拭いながらよろよろと立ち上がった。
「……ね、チャンス、なんじゃない? 今の内に忍び込んで、倉庫に向かおうよ……」
「でも倉庫にはないってさっきの奴が言ってなかった?」
カカシがそれを見守りながら口を挟む。アゲハは大きく呼吸を繰り返しながら、忌々し気に眉根を寄せた。
「カールグスタフ……ここにないなら、他にどこにあるんだろお……」
ノアが困ったように嘆いた時だった。
「お困りですか?」
背後から気品のある、それでいて事務的な色を感じる声が響いた。三人は驚いて後ろを振り返った。そこには、一人の少女が立っていた。年齢は三人より上に見え、その長身はブラウンカラーのパンツスタイルスーツを着ていた。財団の制服に近いことから、『スーツ』と呼ばれる会社時代の服装なのだろうということだけは察せられる。しかし、見たことのない制服だった。カカシ程長くはないが、ブロンドベージュのストレートヘアーをジャケットの上から垂らしている。彫りの深い顔は、じっと三人を見つめていた。
「……キミは?」
『ラビット』に自ら近づこうとする者など、滅多にいない。ぽかんとしたままノアが尋ねると、彼女は表情を変えずに左肩に掛けた革製のショルダーバッグから何かを取り出した。そして短い白手袋に包まれた両手を添えて、何やら紙片を一枚差し出した。
「わたくし、『川村美術』代表の川村伊勢と申します。まあ、代表と言ってもわたくしだけしかいないんですが……」
ノアが差し出された紙を受け取ると、そこには『川村美術』の文字、そして横にイセの名前がフルネームで表記されていた。不思議そうに見下ろしている間に、彼女はアゲハとカカシへも手際よく紙片を配っていた。三人共、受け取った紙を困惑したように見下ろす。
「……何これ?」
「これは名刺というものです。名前や所属などを書いた紙を渡す、会社時代まで続いていた文化です」
「よくわかんないけど……これはどうやって遊べばいいの?」
アゲハの問いに、イセは表情を変えないまま暫し固まった。
「……鶴でも折れば良いかと思います」
「なるほど、折り紙用ってことだね? 素敵な文化だね!」
カカシがにこやかな顔を向ける。イセもその表情を少し柔らかくしたように見えた。
「それで……あたし達に用事?」
アゲハが容赦なく名刺を半分に折りながら、イセへと顔を向ける。イセはにこりともせずに頷いた。
「はい。……貴方達、カールグスタフが必要なのですか?」
突然の言葉に、三人は目を丸くした。
「その、通りかかったところ会話が聞こえてきまして。お困りのようでしたから、『ブルー』の倉庫に手榴弾を投げ込んでそちらへ誘導したのです」
「『ブルー』を襲撃してくれたの、キミだったの?」
「芸術は爆発ですからね」
答えになっていない返事をし、イセは表情筋に乏しい顔に薄く笑みを浮かべてみせた。
「わたくしは美術商のようなことをしているのですが、こんな時代ですから様々なものを保管しています。その中に、カールグスタフもあるのです。必要であれば、貴方達にお貸しできますよ」
「えっ……!?」
突然の渡りに船。三人の顔に、希望が満ちていく。




