第3話
カカシが口に人差し指を立てて注意した時、丁度ノアの指に巻き付いた線の先がナイフによってパチンと切断された。ノアはすぐに赤い痕のついた指を引っ込め、逃げ出そうと振り返った。しかし三人の後ろには、紅色の制服に身を包む少女が一人立ちはだかっていた。スタンドカラーの襟元、右衽の先を留める花を象った紐製のボタン、縁取られ丸く膨らんだ袖、細い腰帯から長く伸びた軽やかな布。足首まである長いスカートは紅のグラデーションが広がり、ふんわりとした薄手の生地を靡かせている。優雅なこの制服は、『レッド』のものだ。彼女は左手に最新式の防弾盾を持っていた。右手は怒りを表すように腰に当てられている。ヒップホルスターには拳銃が仕舞われていたが、彼女はそれを手に取る素振りは見せなかった。……『レッド』は創設者の朱宮からリーダーが代わった後、他の組織の者を無闇に傷つけないように方針を切り替えた。長の命が出ている以上、組織員は勝手に敵を殺したり出来ないのだ。『レッド』の少女は黒白のフリルの塊たちをじっとりと睨みつけていた。
「全く。侵入しようとしていたのは貴方達ですね?」
どうやら罠を仕掛けていただけでなく、作動した時に知らせが入るような仕組みになっていたらしい。『レッド』の少女はこれ見よがしにため息をついた。
「たった三人で襲撃なんて、愚かなことを。罰は何がいいかしらね? 『ラビット』の長への人質、強制労働、地下の反省室に二ヶ月監禁……」
「わあー、違うの! 聞いて聞いて!」
ノアが両手をぶんぶんと振った。
「ボク達、借りに来ただけなんだよ! 襲うつもりなんてぜーんぜんなかったの!」
「借りにきた……?」
「いや不法侵入には変わりないけど……」と小さく呟き、『レッド』の少女は訝し気な顔を向けた。
「そう! あのね……」
ノアはそこで一度言葉を区切ると、その表情を深刻なものへと変え、叫んだ。
「キャプテンの誕生日がなくなっちゃうかもしれないの!」
「……。……?」
『レッド』の少女は眉根を寄せたまま、じっとノアの顔を見つめていた。やがてその顔に、呆れが浮かぶ。
「また訳の分からないことを言って……」
「そのままの意味だよ! キャプテンの誕生日を馬鹿にするな!」
ムキになったアゲハがリボルバーを構え、躊躇いなく『レッド』の少女へと発砲した。彼女は慣れたように防弾盾を構えて身を守った。下げられた防弾盾には銃弾が埋まり、それを中心として無数の亀裂が囲むように伸びていた。
「誕生日ってなくなるようなものじゃあないでしょ……」
「なくなっちゃうんだよ、頭でっかち! だから早くカールグスタフを手に入れないといけないの!」
アゲハの全力の叫びに、『レッド』の少女は「カールグスタフ……?」と混迷を極めたように繰り返した。彼女の頭は、疑問で埋め尽くされているに違いなかった。それから現実逃避をするように、彼女は記憶を辿り始めた。
「そういえば去年侵入した奴を拷問してる時もそんなことを口走ってたわね……九月二十日が桜卯の誕生日ってことか。まさか貴方達、カールグスタフを誕生日プレゼントにでもするつもり?」
「違うもん! どうしても必要なの、頂戴!」
「そんな危ないものを『ラビット』の奴らに渡す訳がないでしょう」
『レッド』の少女は取り付く島もなく却下した。アゲハが頬を膨らませて騒ぎ出す。
「じゃあ貸してよ!」
「貸すわけないでしょ!」
「ドケチ!!」
薄暗くなった道に、大声が響き渡る。不服そうにするアゲハの肩を、カカシが宥めるようにポンと叩いた。彼女は達観したように、やけに冷静に首を横に振ってみせた。
「頭いいって言ってるやつらって、頑固すぎて聞き分けがないだけなんだよ」
「どの口が……!」
アゲハとカカシが揃って白い目を向けるのを見て、『レッド』の少女は顔を引き攣らせた。しかし長の命がある以上、手出しは出来ない。
「じゃあ盗むしかないね」
「ドケチだからね」
アゲハが話しながらも『レッド』の少女の隙を突き、素早くリボルバーを構える。防弾盾の範囲外である頭を狙って即座に撃ったが、『レッド』の少女も透かさず対応して防弾盾を頭上まで掲げていた。二つ目の銃弾を埋め込んだ防弾盾が下げられ、その奥から呆れ顔が現れる。
「桜卯への誕生日プレゼントは、別に貴方達の死体でもいいんですからね?」
「そんなことしたらたまかちゃんに怒られるよ?」
ノアが不思議そうな顔で首を傾げる。『レッド』の少女は鼻を鳴らした。
「カールグスタフで破壊活動をしようとしている奴らを止めるためなら、正当防衛でしょう」
「破壊活動……確かに破壊はするけど、別に『レッド』に迷惑はかけないよ?」
ノアは立てた人差し指を口元へ添え、色素の薄い瞳をパチパチと瞬いた。
「あのね、ボク達は『ラビット』のアジトを撃とうと思ってるんだ」
「……自分達のアジトを?」
「うん!」
「なぜ……?」というか細い声が、夜道に消えていく。そして彼女はすぐに考えることを放棄した。
「まあ、どうでもいいわ……。とにかく、カールグスタフは渡せないし、不法侵入しようとした貴方達は罰する」
「嫌だよ、貴様に構ってる暇ないんだから!」
カカシが頬を膨らませて腰に手を当てる。
「そうそう、あたし達には時間がないの!」
アゲハもぷんぷんとしてカカシに続く。ノアは憤る二人の顔をおっとりと見渡し、最後に『レッド』の少女へと顔を向けた。
「ねえ……キミ」
「何?」
「このままだとキミを殺さないといけないんだけど……ボク達も急いでいるっていうか、今は遊んでる暇があんまりないっていうか……」
ノアは眉尻を下げ、微笑んでみせた。
「見逃してあげるから、通してくれると嬉しいな?」
「ここは『レッド』の領地よ? 貴方達の方が立場が悪い自覚がないの?」
『レッド』の少女はため息を漏らした。
「アジトのどこからでも狙撃し放題だし、フェンスに沿って地雷も埋めてあります。死ぬのは貴方達の方ですよ」
「そんなわけないよね? だってたまかちゃんが許可するはずないもん」
ノアは悠然と頭上のボンネットの位置を調整しながらそう言った。
「その防弾盾、持ち手を持たないと守れないよね? キミの指がなくなったら、身を守るものがなくなっちゃうんだよ」
「はあ?」
「指を全部失ったら、指輪もマニキュアも付けられなくなっちゃうから、嫌だよね?」
『レッド』の少女は顔をしかめた。
「拷問でもするつもりでいるの? 生憎だけど、ここには味方が——」
『レッド』の少女の言葉が終わるのを待たず、アゲハが再度リボルバーの先を向けて発砲した。少女は先程と同様に防弾盾を構え、身を守った。次の瞬間、彼女の頭上へ降ってくる液体があった。カカシがボトルを開け、その中身を高くぶちまけていた。構えた防弾盾を越え、『レッド』の少女へと降り注ごうとしている。少女はそれに気が付くと、即座に防弾盾を捨てて大きく後退った。音を立てて落下した防弾盾は裏返り、その上に謎の液体が降り注ぐ。
「なるほどね……強アルカリ?」
地面に手をついた体勢のまま、『レッド』の少女は引きつった笑みを漏らした。無防備になった紅色の少女へ、逃がさないとばかりにリボルバーの銃口が向けられる。アゲハは彼女の頭を狙って、引き金を引こうと人差し指を動かした。……しかし。
「……っ!」
アゲハのリボルバーは精確に撃たれ、彼女の手から離れて宙へ放り出された。目の前の『レッド』の少女は拳銃を手にしていない。どうやら彼女の言っていた通り、狙撃を担当する仲間が潜んでいたらしい。弧を描いた後、リボルバーは地面へ跳ねて転がって行った。アゲハは口を半開きにして、痺れた手を宙に掲げたままそれを呆然と目で追っていた。その間に『レッド』の少女の手がヒップホルスターへ伸びたのに気付き、ノアは即座にナイフを投げた。『レッド』の少女はすぐに反応し、そのまま横へ転がって飛んできた刃物を回避した。それを見て、ノアが即座に逃げ出す。目指すはすぐ傍の裏門だった。アゲハとカカシもノアに続いて駆け出した。遠くでノアがポケットから手榴弾を取り出したのが見えたのか——後方から大声が追い掛けてきた。
「待って! ……カールグスタフは、今は『レッド』にないの!」
その言葉に、厚底のブルドックトゥがぴたりと止まる。三人は残した『レッド』の少女を振り返った。彼女は半身を起こし、制服に砂をつけたまま三人を見上げていた。




