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夏が終わる前に、君は消える  作者: きなこもち
夏が終わる前に、君は消える

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色の消える日

二十七日目


朝。


カーテンの隙間から差し込む光が、天井に細い帯をつくっている。

エアコンの微かな駆動音。

壁にかかった時計の秒針が、やけに耳につく。


蓮は目を開けたまま、しばらく天井を見つめていた。


すぐには呼ばない。


呼ぶのが怖い。


返事が遅れるたび、胸の内側をナイフで薄く削られるような感覚がある。


それでも、呼ばなければ一日は始まらない。


唇を湿らせる。


「鈴」


声は意外なほどはっきり出た。


返事はない。


五秒。


十秒。


十五秒。


秒針が一つ動くたび、心臓がそれに合わせて強く打つ。


二十秒。


二十五秒。


やっと。


「いる」


遠い。


布を何枚も隔てた向こう側から届くみたいな、かすかな声。


蓮は肺に溜め込んでいた空気をゆっくり吐き出す。


「今日、どうだ」


「色が少ない」


鈴の声は静かで、どこか淡い。


「色」


「昨日の商店街、赤い提灯だったよね」


「ああ」


「今、思い出すと白い」


胸の奥が冷える。


赤が、白になる。


温度が抜け落ちている。


感情の熱が、冷却されている。


「声は聞こえるか」


「うん」


「俺の顔は」


少し、間。


「輪郭だけ」


それがどれほど危ういことか、蓮は理解している。


人は、色から消えていく。


やがて匂いが消え、温度が消え、最後に形が崩れる。


---


登校途中。


アスファルトは朝から熱を帯びている。

靴底に、じんわりとした熱が伝わる。


蝉の声が、街路樹から滝のように降り注いでいる。


真夏の音。


「覚えてるか」


蓮は歩きながら言う。


「蝉取り、やっただろ」


「うん」


鈴の声は薄いが、まだ柔らかい。


「網、すぐ破れた」


「お前が振り回したからだ」


そのやり取りに、わずかな体温が戻る。


だが。


「でも」


鈴が続ける。


「木の匂い、思い出せない」


蓮は思わず立ち止まる。


街路樹の幹に触れる。


ざらついた樹皮。

乾いた表面の下に残る湿り気。

鼻を近づけると、わずかに土と樹液の混じった甘い匂い。


「あのときは、湿ってて」


蓮はゆっくり言う。


「ちょっと甘くて、土の匂いが混じってた」


鈴が小さく笑う。


「それ、今作ってない」


「いい」


蓮は強く言う。


「今は俺が足す」


足場が崩れているなら、板を置けばいい。


完全でなくていい。


歪んでいてもいい。


繋がっていれば、それでいい。


---


昼休み。


屋上のコンクリートは白く照り返している。

風はあるが、生ぬるい。


「鈴」


呼ぶ。


返事は十五秒後。


遅い。


確実に遅くなっている。


「空白、長くなってる」


蓮は言う。


「うん」


鈴は否定しない。


「さっきも、一回落ちた」


胸が軋む。


「何秒だ」


「分からない」


そして。


「怖さ、薄れてきた」


その言葉に、血の気が引く。


怖さが薄れるということは。


終わりに慣れ始めている。


「それはだめだろ」


蓮の声が荒くなる。


「慣れるな」


鈴が、少しだけ笑う。


「怒るね」


「当たり前だ」


消えることに慣れてほしくない。


自分のいない未来を、受け入れてほしくない。


---


放課後。


駅前のロータリー。


夕方の光がビルの窓に反射し、白く眩しい。


雫は白いサマーワンピースを着ていた。

薄い生地が風に揺れ、首元の小さなパールが光を返す。


立ち姿が静かだ。


「今日、お時間ありますか」


言葉遣いは柔らかく整っている。


「ある」


蓮は答える。


雫が一歩近づく。


香水は控えめで、ほのかに柑橘が香る。


「蓮」


真っ直ぐな目。


「私、怖いのです」


「何が」


「蓮がいなくなること」


意味を掴むのに一瞬かかる。


「隣にいらっしゃるのに、遠くを見ている」


鈴の気配が、微かに揺れる。


雫は続ける。


「私を選ばないのは、まだ構いません」


静かに。


「でも、消えないでくださいませ」


胸が強く締めつけられる。


消えないで。


その言葉は、本来、鈴に向けるものだ。


なのに今、雫が言う。


未来と現在が、正面から衝突する。


蓮は何も言えない。


---


夜。


机の上のスタンドライトだけが部屋を照らしている。


日記を開く。


《27日目》


《色が消える》


しばらくして、文字が浮かぶ。


《提灯、白い》


線が細い。


蓮は強く書く。


《赤だ》


《真っ赤だ》


インクが滲む。


沈黙。


やがて。


《赤ってどんな色》


その問いに、呼吸が止まる。


赤。


血の色。

夕焼けの端。

夏祭りの提灯。

鈴のランドセル。


一つ一つ、書く。


血は鉄の匂いがすること。

夕焼けは空の青を飲み込むこと。

提灯は夜の闇に浮かぶこと。

ランドセルは背中より少し大きかったこと。


書き続ける。


やがて。


《少し思い出した》


その一文に、蓮は深く息を吐く。


完全ではない。


だがゼロではない。


窓の外で風が動く。


風鈴が鳴る。


ちりん。


音は、さらに短い。


二十七日目。


残り二十二日。


色が消え。


匂いが消え。


温度が消えていく。


だが。


声は、まだ届く。


蓮は理解している。


完全消失は突然ではない。


少しずつ削れ、薄まり、最後に音が止まる。


それまで。


言葉で塗る。


色を。


温度を。


名前を。


「鈴」


呼ぶ。


十秒。


「いる」


返事は、まだある。


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