【六十五話】サイン
朝から王都には突風が吹き荒れている。
前世なら春の訪れを告る春一番なのだが、バイアリターク王国では春先の嵐は非常に珍しく"魔女の癇癪"と呼ばれている。
魔女の癇癪のお陰で通りを行く人は服の前合わせをきつく握り締めて前傾姿勢で歩いている。
「あっ……」
研究所の事務所では靴ヒモが切れたユウイチが前屈みになってそれを解いている。
「これは何か悪い事が起こるかも知れないな。
もしかしたら交通課の課長がやってくるとか、魔導具のクレームがたくさんくるとか…… 」
「ユウイチさん、そんな変な理屈は聞いたことがありませんよ。
靴紐と悪い事にどんな因果関係があるんですか?」
前世なら"あるあるネタ"の不吉なことが起こるサインは、こちらの世界の住人であるリリアには全く共感を得られなかったようである。
「リリア君、靴紐だけじゃなくぞ。
例えば大切にしている物や大切な人から贈られた物、それと長く愛用している物が壊れるとか色々と不幸や災難が起こるサインはあるんだよ」
得意になって説明するユウイチをリリアは訝しそうな目をして見ている。
「靴紐が切れたのは、ユウイチさんを恨んでいるスライムの怨念かも知れないですよ」
確かにスライムには色々と迷惑をかけているが、恨まれるほどではないとユウイチは思っている。
「いや、俺だけに限った話ではなくて、皆にも起こっているかもしれないぞ。
但し、本当に不幸や災難が起こってからでないと、あれがサインだったとは気付かないことが多いんだけどな」
もしかしたら、不幸や災難の数だけサインがあるかもしれないのである。
「そ、それなら私にも当てはまるかもしれません」
ユウイチとリリアの会話を聞いていたアルマが話に加わってきた。
「アルマ様、何か物が壊れたのですか?」
「今朝、"お祖父様が生まれた朝に買ってきた"と言われている大時計が止まっていました」
まるで、前世のアメリカで作られたポピュラーソングのような話であるのだが、ここはアルマの話を"瞳を閉じて"よく聞いてみよう。
「アルマ様、それは時計の魔石の魔力が空っぽになっただけなのではないかしら?」
黙々と作業をしていたミレイも話に加わってきた。
ミレイが言う魔石の魔力切れは、前世なら電池切れに当たる。
どちらの世界でも時計が止まる最もポピュラーな原因である。
因みに、前世では次に多い原因に"殺された際にぶつけた腕時計が壊れて止まる"と言うものがある。
「じ、従者が確認したら魔石の魔力は未だ残っていました。
それでも、大時計は止まっていました」
前世のスピリチュアルな話なら、お祖父様がその時刻に亡くなっているのだが幸いにしてそれは起こっていないようである。
「アルマ様、考え過ぎね。
きっと、耐用年数を越えたのよ」
ここでリーネも話に加わってきた。
リーネもミレイと同様に壊れた時計には何も感じていないようである。
思春期から大人になると、壊れかけた物に何も感じないのかもしれない。
「そう言えば、お屋敷の鏡が勝手に割れたと侍女達が騒いでおりましたわ」
アルマを否定していたミレイが突如として屋敷での出来事を思い出したようである。
この場合の鏡はユウイチが発明した補正機能付きではないことを予め断っておこう。
「侍女の誰が誤って割ってしまったから、勝手に割れたと言い訳しているだけじゃないの?」
前世のドラマでも、お屋敷のような家のお手伝いさんが過って大切な皿や壺を割っていたものである。
「リーネさん、我がファーレン家の名誉にかけて言っておきますが侍女の教育に抜かりはございませんわ。
ですから、うちの侍女達に限ってその様なことはありえませんわ」
深読みすれば○○ハラの様に聞こえる発言だが、ここは額面通りに受け取っておくことにする。
ファーレン伯爵家では、"罪を憎んで人を憎まず"の精神が徹底されていることを祈っておく。
「それは失礼なことを言ってしまったようね」
「そう言うリーネさんには何も起こっていないのかしら?」
「……そうね。
起きたら部屋の観葉植物が枯れていた程度ね」
"植物が枯れる"、もし不吉なことが起こるサインのランキングがあれば必ず上位に食い込みそうな事象をリーネはしれっと話す。
「リーネさん、ひょっとして水をあげ過ぎたんですか?」
前世の観葉植物と同様にこちらの世界の観葉植物も水のやり過ぎで根腐れを起こす可能性があるので気を付けなければならない。
「フッ、私に限ってそんなヘマはしないわ」
先ほどファーレン伯爵家の侍女を疑った人の発言とは思えないぐらい自信満々でリーネが答えた。
「……そうですよね。
リーネさんに限って、そんなことはありませんよね」
ここは皆で一斉にツッコミを入れるタイミングであるが、ただなぬオーラを放っているリーネに挑む勇者は研究所に存在しない。
「そう言うリリア様はどうなの?」
「私ですか?
私は起きて身嗜みを整えてもらって、朝食を頂きました。
それから馬車に乗って教会の前で降りて歩いて研究所に来ました」
「つまり、リリア様はいつも通りの朝だったとおっしゃりたいのね」
「り、リリア様には変わった事が何も怒らなかったのですね」
「リリア様だけが、特に何も起こらなかったのね」
リリアに何も起こらなかったことを三人は殊更に強調している。
「特には……
それだと、何だか私だけ仲間外れのようなでとっても嫌な感じがします」
「ははは、リリア君。
それが不幸や災難が起こるサインかも知れないぞ」
「「「そうですわね、フフフフ」」」
真剣に悩むリリアの思いとは裏腹に飽くまで脳天気なユウイチの発言にリーネ達は思わず笑ってしまった。
この調子なら、例え王都全体が突然の災難に見舞われても魔導具研究所だけは平穏無事であるような気がしてならないユウイチである。
その王都でも不幸や災難が起こるサインとも思われる事態が色々と起こっているようである。
人気の料理屋ルガーノでは店主と看板娘のプルミエが店舗入口の看板を見上げている。
「魔女の癇癪で看板が傾いてしまったようだな」
「こう見ると何だかおかしく見えますね」
看板が傾いた拍子に"料理屋ルガーノ"の"ル"の文字が見えなくなってしまっている。
「プルミエ、何がおかしいんだ?」
「だって、あれは"ン"に見えませんか?」
プルミエが指さした"ノ"の辺りに黒い染みのような物が付いている。
「あははは、確かに"料理屋ガーン"って読めるな」
こちらの世界の文字も"ノ"に"丶"を打てば"ン"になるようである。
所は変わって、こちらは王都騎士団の訓練場でる。
団員同士の模擬戦でロベルトが同僚騎士と打ち合いをしている。
「ここだ!」
「ちょっと待て、砂が目に……」
同僚騎士が打ち込む動作に入っていた瞬間に魔女の癇癪が巻き上げた砂がロベルトの目に入った。
何とか木剣を翳して攻撃を防いだものの、木剣がボキッと折れてしまった。
「あぁー、大切な木剣が……」
ロベルトが情けない声を出して嘆いている。
「ロベルト、たかが木剣一本に大袈裟過ぎないか?」
木剣は団からの支給品で折れたら交換してもらえる。
「馬鹿を言うな!
これはグレイスが磨いてくれている木剣なんだぞ。
もしかしたら、グレイスの身に何か起きたのかも知れん。
今日は帰る!」
「そ、そうか……」
愛妻家振りが過ぎるロベルトの言動に同僚騎士は返す言葉を失って暫く固まっていた。
一方、自称天才錬金術師のランバン=ニアークティック男爵は屋敷の研究室で魔導具を分解していた。
「何があるか分からないから窓は開けておかないとな」
そう言いながらランバンが開け放った窓から魔女の癇癪が起こした風が"ブワッ"と室内に入り込んできた。
「あー!」
ランバンの叫び声と同時に子供の頃に父から贈られた玩具の魔導具が棚から落ちた。
「大切な魔導具だったのに……」
床に落ちた衝撃でバラバラになったパーツを拾い集めながらランバンは呟いた。
だが、魔導具を贈られたその日に分解して壊してしまったことをランバンはすっかり忘れているのであった。
更に舞台は変わって夕暮れの宰相邸である。
日中、王都に吹き荒れていた"魔女の癇癪"は日が暮れる頃には収まっていた。
宰相は自室に連なるバルコニーでリリアが研究所から持ち帰った蒸留酒の"魔女殺し"を味わっている。
"魔女殺し"の甘くフルーティーな香りとは別に草や獣の臭いが混ざた様な嫌な空気を宰相は感じとった。
見上げると王城の斜め上に見える月は雲に覆われて"ぼやっ"とした紫色の光を発している。
「このような月をみたのは久しぶりであるな……」
宰相は過去に大量の粛清者を出した事件を思い出した。
「さて、此度は王城で何が起こるのやら……」
宰相は紫色の月を見ながらグラスを煽った。
時を同じくして大司教のミエスクが教会の礼拝堂の窓から覗く星を見ている。
「六十年に一度の嫌な星の並びだわ。
きっと大きな厄災の発生を予期しているんだわ」
六十年に一度、"災悪の魔女"と"波乱の魔女"の星が王城の真上に並んで輝くことがある。
記録によると六十年前は魔物の森に巨大なダンジョンが誕生した。
その巨大ダンジョンから吐き出された大量の魔獣が近隣の村々を襲い多くの犠牲者が出た。
「今回は王国で、どのような悲劇が起こるのかしら……」
そう言ってミエスクは右手を胸に当てて創造神像に祈りを捧げるのであった。
その頃、公爵邸では公爵が苦しそうに呻き声を上げている。
「や、止めろ……」
公爵に向かって魔導ズボンプレスが"ガバッ"と大きな口を開けて襲いかかってきている。
公爵はほうほうの体で逃げているが、逃げても逃げても魔導ズボンプレスとの距離が広がらない。
それもそのはずで公爵は魔導ルームランナーに乗って走っているのである。
クルクルと回るベルトの上を走る公爵目掛けて小型トースターが"バンバン"と芳ばしく焼けたトーストをこれでもかと連射している。
その小型トースターの後ろではエスカレーターで運ばれてきたジェットスキーやシュレッダー付きゴミ箱が公爵に襲いかかろうと唸りを上げて近付いてくる。
「も、もう勘弁してくれ、頼む……」
そう叫んだ瞬間に目を覚ました公爵が、"がばっ"と起き上がった。
大量の寝汗をかいたせいでパジャマはぐっしょりとしている。
ベッドの隅では"ピョンピョン"と低反発マクラが跳び跳ねている。
「また、今日も同じ夢を見てしまったのか……」
これで公爵の悪夢は五日続けてである。
そして、紫色の月に照され頭上に二つ星が輝いている王城では国王が残っていた政務を漸く終えたようである。
「今日もよく働いたわい。
国王の政務が過酷なもとだとはなってみなければ分かるまいて…… 」
国王の言う通り、その働き振りは歴代の国王と比べても何ら遜色のないものである。
「フフフフ、当然だが余がご褒美にありついても誰も文句を言うまい」
今、国王は自室の机で毎晩のお楽しみであるスイーツに向き合っている。
国王の死後に"スイーツの為に生きた国王"の称号が与えられることを今は知らない。
「おぉー、今日の相棒はミルフィーユであるか!」
国王のスイーツは必ずチーズケーキともう一品が用意される。
その為、国王はもう一品のスイーツを相棒と呼んでいる。
予め断っておくが、これは前世の刑事物のドラマではない。
国王は皿の上のミルフィーユケーキを一口大に切るとサッとフォークに乗せて口に運ぶ。
その時、ミルフィーユケーキがフォークを滑り落ちてぽとりと床に落ちてしまった。
「何、ミルフィーユが落ちただと……
こ、これは何か災いが起こる前触れではないのか!」
不幸や災難が起こるサインは人それぞれである。
但し、不幸や災難が起こってからでないと、それがサインであったかは誰にも分からないのである。
さて、誰にどんな不幸や災難が起こるのかは次の話以降で分かるかもしれない。




