【第五十八話】暖房器具
北にある山脈からの吹き降ろしが強くなり王都では冷え込みが厳しくなる日が増えてきた。
ユウイチは既に鍋と熱燗が恋しくなっている。
だが、こちらの世界には鍋料理はあっても、日本酒の熱燗は無い。
ユウイチは熱燗を再現するために密かに研究を重ねている真っ最中である。
「今朝は随分と冷え込んでおりましたわね。
私はベッドから抜け出すのに苦労いたしましたわ」
これは、前世のOL同士なら他愛のない会話で済まされるのだが、伯爵令嬢のミレイでは"はしたない"と言われるかもしれない。
「私は今日から"ババシャツ"を着用しています。
これがないと、この冬を乗り切れそうにありません」
「わ、私もネーミングよりも機能を重視していますから、ババシャツを愛用しています」
この、リリアとアルマの会話は貴族令嬢としては明らかに"はしたない"部類に入る。
「もうそんな季節なのね。
それなら、夕食は体が温まるオーク肉のシチューがいいわね」
商家の令嬢であるリーネであれば、これぐらいの会話は何の問題もない。
そんな四人の会話からも分かる様に、今朝は真冬を思わせるほどに冷え込んでいる。
季節はこのまま冬へ向かってまっしぐらに進んでいきそうである。
その為、王都の住人達は冬支度の真っ最中である。
「うちのお屋敷では、侍女達が冬のお洋服の準備をしておりましたわ。
来週は、仕立て屋が来て新しいお洋服を作る相談をいたしますのよ」
これは、伯爵令嬢のミレイとしては普通の会話で得に問題は無い。
「うちのお屋敷には年配者が多いので、既に毛布が用意されていました」
「う、うちのお屋敷では暖炉の煙突を掃除して薪も用意していました」
この、リリアとアルマの会話も得に問題になるようなものではない。
「うちの店舗では冬物商戦が本格的になってきて、衣類や寝具を買い替える人が増えてきているようね。
屋敷でも今年の新商品に寝具を新調にしていたわ」
これは実家が商家であるリーネらしい会話である。
この様に四人の令嬢の屋敷でも冬支度の真っ最中のようである。
「それにしても、今日は研究所とは思えないほど平穏ですわね」
そう言ってミレイが両手を上げて"グッ"と背伸びをした。
これは、伯爵令嬢のミレイなら"はしたない"と言われるかもしれない行為である。
「それは、ユウイチさんが外出しているからですね」
「ゆ、ユウイチ所長が居ると問題の方が近寄って来ます」
リリアとアルマも両手を上げて"グッ"と背伸びをした。
これも、貴族令嬢の二人なら"はしたない"と言われる行為である。
「本人に自覚があるか分からないけど、所長は本当に問題児よね」
そう言って、リーネは全身を思い切り"グッ"と伸ばした。
これは、商家の令嬢のリーネでも完全に"はしたない"行為である。
そんな四人の話題の主であるユウイチは、サブマスのヴィーラングから急な呼び出しを受けて、冒険者ギルドで話し合いをしている真っ最中である。
「それにしても、この外側が"サクッ"として内側は"ねっとり"とした食感がたまりませんわね」
この、ミレイの食リポは伯爵令嬢としては及第点である。
「中に挟まれたクリームがとても滑らかで、味覚だけでなく舌触りも楽しませてくれています」
「さ、様々な色があってまるで宝石のようです。
ですから華やかで目でも楽しめます」
この、食感と視覚を引き合いに出したリリアとアルマの食リポは伯爵令嬢のミレイを上回っている。
「きっと挟むクリームやジャムによって色んな香りが楽しめるはずよ」
食リポで二人を超えられそうにないリーネは、新しいアレンジを提案したようである。
今、四人はユウイチが用意していったマカロンと紅茶で午前のティータイムを楽しんでいる真っ最中なのである。
「これは初めて見るお洋服なのですけれど、着ると随分と暖かさを感じますわね」
ミレイが袖口を引っ張ってマジマジと見ている。
「ユウイチさんが寒い冬にはこれだって豪語していましたよ」
「き、着ると少し真ん丸に見えますけど、なんだか気持ちがほっこりします」
リリアとアルマにはサイズが大きかったのか袖口に手が隠れてしまっている。
「これは、寒い冬の日の夜に重宝しそうね。
残業の夜にこれを着てインスタント麺をすすったら最高じゃないかしら」
リーネが前世の受験生を思わせるようなことを言っている。
四人はこちらの世界には似つかわしくない褞袍とも半纏とも言えそうなものを羽織って着膨れている真っ最中である。
「それにしても下から"じわっ"と暖かさが伝わってきて、とても気持ちが良いですわね」
ミレイの身体から力が抜けてだらけている。
これに関しては伯爵令嬢として、人前でやってはいけない行為である。
「暖かい風が私の体を包んでくれています」
「あ、足元が暖かくてなんだが"ほわっ"とします」
リリアとアルマは身体から力が抜けている上に瞼が重そうで完全にだらけ切っている。
これも貴族令嬢として、人前で絶対にやってはいけない行為である。
「私も暖かさに包まれて凄く気持ちがいいわ」
リーネに至っては少し微睡んでしまっている。
商家の令嬢であってもこれは、人前では絶対にやってはいけない行為である。
ティータイムで糖分を補給した四人は、数時間前に起きたばかりなのに睡魔と戦っている真っ最中のようである。
「リリア様、そろそろ交替の時間のはずですけれど、どういたしますの?」
そうは言うもののミレイは魔導カーペットの上に横たわって動く気配がない。
「ユウイチさんから、どれも一回づつは試して欲しいって言われましたけど無理そうです……」
リリアは魔導ファンヒーターの風に当たっている。
「だ、駄目です。
わ、私はここから抜け出せる気がしません」
アルマは魔導コタツに足を突っ込んだまま動く意思がないようである。
「そうね、私もこのまま眠りにつくわ」
魔導毛布にくるまっているリーネは絶対に動かない構えである。
今、四人はユウイチが発明した冬の暖房器具四点セットのモニターをしている真っ最中なのだ。
未だ暖炉と薪ストーブぐらいしかないこちらの世界で、発売されれば王都の冬が暖房器具四点セットブームになることは想像するに難くない。
「ただいま、やはり外は冷えるな」
寒そうに体を丸めてユウイチが冒険者ギルドから帰ってきたようである。
「ユウイチさん、おかえりなさい」
そう答えたリリアの髪が風に煽られてふわふわと揺れている。
アルマは天板に頬を押しつけたままでピクリとも動かない。
ミレイは半分寝ているのか口元が緩み、リーネは毛布にくるまって繭のようになっている。
「皆、暖房器具を一回づつは試してくれたかな?」
早くモニタリング結果を知りたいユウイチが、リリアの手元にあるリポート用紙を覗き込んだ。
「そ、それが……
魔導ファンヒーターが思いの外に心地よくて未だ一つ目なんです……」
「ま、魔導コタツが悪いのです。
コタツが私を咥えて離そうとしないのです」
「そうね、この魔導毛布も悪いわね。
私に抱きついて離れないんだもの」
「それでしたら、魔導カーペットも私の下から動こうとしないのですわ」
暖房器具の魅力に負けた四人は言い訳の真っ最中である。
「あははは、皆の状態を見たらリポートを書いてもらう必要はなさそうだな」
ユウイチの言葉に俯いた四人は、恥ずかしそうに顔を赤らめている真っ最中である。
だが、顔が赤いのは恥ずかしさよりも体が温まっているせいかもしれない。
暖房器具四点セットは、ユウイチが改めてプレゼンをする必要が無さそうである。
その結果として商業ギルドでは早期の発売を目指すことになったようである。
だから、職員は準備に追われている真っ最中である。
暖炉器具四点セットが発売されて一ヶ月が経ったある日のこと。
「公爵殿は今日も会議を欠席するのか?」
「はい、それと子爵様と参与の男爵様も欠席する旨の連絡が先ほどございました」
「……そうか分かった。
しかし、今日も欠席者が多いようだな。
これでは重要な議題の決が取れぬ」
宰相が不機嫌そうな顔をしてぼやいている理由は、このところの王城会議の出席率が頗る低いからである。
これは、前世のインフルエンザのような季節性のウイルス感染症のようなものが流行っていて病欠者が多いわけではない。
「おい、公爵殿はまた欠席らしいぞ」
「フッ、どうせアレだろ」
王城の役人が休憩室でヒソヒソと話をしている。
このところ王城では次のような会話が頻繁になされている。
「公爵殿は今日も"怠惰の魔女"と契約なされたのだろうな」
「それにしても、こう頻繁に"怠惰の魔女"と契約されると我々の業務に支障が出る」
王城の役人達は魔導コタツを"怠惰の魔女"と呼び、魔導コタツに入ることを"怠惰の魔女"と契約すると呼んでいるらしい。
一度、入ると何もする気が起きなくなって抜け出せなくなる魔導コタツの魅力を揶揄した言葉である。
このように、王城では"冬将軍"ではなく"怠惰の魔女"が猛威を震っているのである。
そして、ところは変わって同じ時刻の公爵邸では子爵と公爵が何やら会話をしている。
「子爵よ、先に参っておれと申したであろう」
「今日こそは公爵様をお連れしろと陛下から厳命されておりますので……」
欠席続きの公爵に業を煮やした国王は子爵に対して"絶対に王城に連れてくるように"と命じたらしい。
「それは分かったが、そちが魔導コタツに入っていてなんとするのだ?」
「ただ待っているのは寒うござますゆえ……」
こうして公爵と子爵は、今日も二人揃って会議を欠席して"怠惰の魔女"と契約をしている真っ最中なのであった。
後日談。
ーアルマの日記ー
暖房器具のモニターが終わるとユウイチ所長が「コタツには鍋と熱燗だ」と言い出した。
冒険者ギルドから食材を譲ってもらってきたらしく、昼食に鍋を振る舞ってくれた。
オーク肉の薄切りを鍋の中で"しゃぶしゃぶ"とお湯に潜らせてから"レモンポン酢"なるものに付けて頂いた。
すると、さっぱりとしたレモンポン酢がオーク肉の脂っぽさを口の中で中和してくれる。
お湯の中でしゃぶしゃぶすることが脂を落とすことに一役買っているらしい。
鍋の中の葉物野菜やキノコとの相性も抜群だった。
「熱燗がないからホットワインを用意した」とユウイチ所長がもう一つ鍋を運んできた。
熱燗がどんな物か分からないけれど、私は温めたワインなんて物を初めて見た。
ユウイチ所長が言うにはホットワインとは、赤ワインにオレンジとハチミツとシナモンを入れて煮立たせないようにしたものらしい。
赤ワインのアルコール分が飛んで酸味も弱くなっている上にハチミツで甘くなっていて、赤ワインが苦手な私でも楽しめる。
ユウイチ所長曰く「飲みやすいから飲み過ぎには注意」だそうです。
褞袍を着て温かい鍋とホットワインを魔導コタツに入って頂く。
一緒に鍋をつつくのは大好きな研究所の仲間達。
外は冬の気温なのに私の心の中はこんなにも暖かい。
今日はなんて良い日なんだろう。
そう言えば暖房器具のレポートが未だでした。
私はレポートにこう書こうと思います。
(問) 一番気に入った暖房器具は?
(答) 魔導コタツ
(理由) 魔導具研究所のように暖かくて、一度入ってしまうと出たくなくなるから
明日も冷え込みが厳しいらいですが、私はへっちゃらです。
何故なら、私の周りはいつも暖かいのだから。
それから、今年の冬はホットワインブームの真っ最中になりそうです。




