【第五十七話】交通ルール
王都の街に流れる風は熱気から涼しさへと変わり木々に秋の訪れを報せている。
木々はしだいに葉を紅く染め王都の民に秋の訪れを気付かせてくれる。
小春日和の木洩れ日が昼食後のユウイチの眠気を誘おうと事務所の窓から射し込んできてる。
このところのユウイチは、平穏を絵に描いたような日々を送っていた。
そう、あの男が来るまでは……
「ゆ、ユウイチ所長、王城から国土管理課の課長がお見えになっています」
事務所でのんびりと日向ぼっこを楽しんでいたユウイチに、王城から戻ってきたアルマが来客を告げたのが全ての始まりであった。
「突然、失礼するよ。
アルマ嬢、お茶を頼む」
自らは名乗りもせずに"ズカズカ"と事務所に入ってきた課長が応接用のソファーに"ドカッ"っと腰掛けた。
「あのー、何の用でしょうか?」
ユウイチはデスクからソファーへ移動しながら、無礼千万な課長とやらに話しかけた。
そんなユウイチに対して、依然として名乗りもしない課長が不機嫌そうな表情をみせている。
「ここに頼みがあるから参った次第だよ。
困った事があれば相談するようにとのお達しを聞いてやって来たんだ。
勿論、頼めるのであろうな?」
この課長が前世の日本で働いていれば、パワハラ事件の一件や二件は直ぐにでも起こしそうである。
部下には嫌われているが何故か出世するタイプで、更に言えばカラオケで女性社員と無理やりデュエットしそなタイプであるとユウイチは推察した。
簡単に言えば、一番関わりたくない類いの人間である。
「いや、話を聞いてみないことにはなんとも……」
「ん、善処せよ。
用件はそれだけだ。
私はこれで失礼するよ」
そう言って、課長は立ち上がった。
そして、アルマが運んでいる途中のカップを手に取って"ゴクリ"と一口飲んで去っていった。
ユウイチは唖然としながら課長の背中を見送った。
その翌日、今度は課長とは対照的な男が研究所を訪ねて来た。
「国土管理課交通係りのコーツ=モンディアリと申します。
先日は、うちの課長が大変失礼したようで……」
そう言って、モンディアリが深々と頭を下げた。
このモンディアリは、あちこちで上司の尻脱ぐいをして回っているのだろうとユウイチに思わせるほどに腰が低い。
部下には慕われてはいるが上司には認めてもらえないタイプで、更に言えばカラオケでは歌など歌わずに座っているだけのようなタイプだとユウイチは推察した。
簡単に言えば毒にも薬にもならない類いの人間である。
「どうか頭を上げて下さい。
私達は気にしてませんし、モンディアリ殿が謝ることでもないですから」
「所長殿にそう言って頂けると、とても助かります……」
モンディアリは頭を上げて"ホッ"とした表情を見せた。
前世で言うところの"えびす顔"が、どこか憎めない雰囲気を醸し出していて課長の悪印象を中和してお釣りがくるほどである。
「それでは、対策会議を始めます。
先ずはモンディアリ様から相談内容の説明をお願いします」
ユウイチは、あの失礼極まりない課長が帰った後で、玄関口に塩を撒きながらアルマから大方の事情は聞いている。
「先日の王城会議で"王城周辺で起こる馬車の渋滞を速やかに解消せよ"と決定いたしました。
そこで、研究所の皆様にお知恵を拝借できないものかと……」
モンディアリは額の汗をハンカチで拭いながら説明する。
今は汗が吹き出るような季節ではないのだが、モンディアリの汗は止まりそうな気配がない。
そんな、えびす顔で汗だくのモンディアリを見ていると、ユウイチは空調服を貸してあげたくなってしまう。
「つ、通勤時間帯の王城周辺の渋滞は本当に酷いです。
もし、解消できれば皆が喜びます」
「朝は、王城へ向かう役人や通学する学生の馬車が引切り無しに通りますものね」
出向前のアルマやミレイも渋滞で苦労していたようだが、今は王城とは逆方向の研究所に出勤しているので渋滞の列を横目に見ながら優雅に出勤できているようで、何よりである。
前世でも市街地には公共施設が密集している場所があり、幹線道路では通勤の車が渋滞を起こしていたとユウイチは記憶したいる。
「それなら、せめて通勤と通学の時間帯をずらせないの?」
前世の満員電車解消策に時差出勤と言うものがあったのだが、あまり効果が出ていなかったとユウイチは記憶している。
そもそも始業時間など簡単に変えられるものでない。
「リーネ嬢、確かに良い提案でございます。
しかし、貴族の皆様との調整には非常に時間がかかります。
とても速やかにとは……」
朝、王城や学院へ向かうのは殆どが貴族の馬車である。
その中に含まれている身分の高い貴族と調整するのは非常に面倒臭そうである。
えびす顔のモンディアリでは調整の前に門前払いの可能性さえありそうなので、一先ずリーネの提案は保留としておく。
「あ、朝の間だけ馬車の進む方向を制限するのはどうでしょうか?」
一方通行は王城周辺の道路事情を詳しく知った上でないと難しいかもしれないが、やってみる価値はあるかもしれないとユウイチは思う。
「アルマ嬢、確かに良い提案出ございますがやはり調整に時間がかかりると思われます。
とても速やかにとは……」
アルマの提案も身分の高い貴族がネックになりそうなため、保留にするしかなさそうである。
「モンディアリ様、調整に時間がかかりそうなのはどなたなのかしら?」
ミレイの質問の意図が、渋滞問題を解決するためには、"何をするか?"ではなく"誰を説得するか?"が鍵だと教えてくれている。
「ミレイ嬢、私の口からは何とも申し上げ難いのですが……」
あたふたとするモンディアリの額から先ほどより多くの汗が吹き出している。
やはり、ミレイの質問は"ズバッ"と核心を突いたものだったようである。
恐らく、調整相手はかなりの大物であると思って間違いなさそうである。
昨日の課長はそれを分かっていたので詳しい説明をせずに立ち去ったのだろうとユウイチは勘繰る。
そして、モンディアリが貧乏クジを引かされているんだなと同情する。
「そうですか……
残念ですが、これ以上の話し合いは無駄のようですわね」
ミレイの言葉は冷たい様に聞こえるが、それが分からなければ話が前に進まないのは事実である。
「こ、公爵様と子爵様です」
見かねたアルマが発言すると、先ほどまで汗ばんでいたモンディアリの顔からみるみる血の気が引いていく。
この、モンディアリの様子から公爵と子爵の馬車が障害になっていることは間違いなようである。
前世の江戸時代の参勤交代でも身分差によって通過待ちを強いられていたように、公爵と子爵の馬車を待っている間に渋滞ができるのだろうとユウイチは推測する。
「これは、始めから無理ゲーじゃないのか?」
「所長さん、その"ムリゲー"とは何のことかしら?」
思わずユウイチが発した言葉は、こちらの世界の言葉に当てはまるものがなかったようで、全く変換されなかったようである。
「これは、申し訳ない。
"無理ゲー"とは、ほぼ不可能だと言う意味だよ」
ユウイチが言い直して漸く皆が理解できたようである。
「確かに所長さんの仰る通りに、この相談は"ムリゲー"ですわね」
「相手が相手だし、どう考えても"ムリゲー"ね」
「こ、公爵と子爵となると王城の役人では"ムリゲー"です……」
「でも、陛下なら"ムリゲー"ではないかも……」
出てきた結論に全員が顔を見合わせて"ブンブン"と首を横に振っている。
「あっ!」
何かを閃いたユウイチが"ポン"と手を打った。
しかし、リリア達は"何を閃いたのか?"と聞くことを躊躇している。
何故なら、いつもの様に理解するのが"無理ゲー"そうだからである。
「所長殿は、何か名案でも思いつかれましたか?」
藁にもすがる思いで聞いたモンディアリの額からは、再び滝のように汗が滴り落ちていてハンカチ一枚では対処できないほどである。
「上手くいくかどうか分からないが、試してみたいことがあるんだよ」
「所長殿、端から"駄目で元々"の腹積もりでございます」
モンディアリも初めから無理ゲーだと分かった上で、研究所に相談に来ていたようである。
恐らくモンディアリは筋金入りの苦労人なのだろうと、ユウイチが再び同情する。
「その替わりに国土管理課にはこの件から手を引いてもらいたい。
その代わり我々を含めた教会本部全体が、総力を上げて取り組もうじゃないか!」
ユウイチは、前世の高校球児の選手宣誓の様に力強く宣言した。
「所長さんは、自分が何を仰っているかお分かりなの?」
「そうよね。
わざわざ火中の栗を拾うような真似をしなくてもいいんじゃない?」
「ゆ、ユウイチ所長、もしかして血迷いましたか?」
「皆さん、ユウイチさんが何かやらかすつもりです。
これは、気を付けた方がいいですね」
ラボラトリー・エンジェルズが連携攻撃を浴びせたが、ユウイチには怯む様子がない。
「皆、これは"無理ゲー"ではないんだよ
俺の考えが正しければ"ヌルゲー"になるはずだ」
「「「「これのどこが"ヌルゲー"なんです!」」」」
文脈から四人にも"ヌルゲー"の意味が分かったようである。
やけに自信のありそうなユウイチの態度に、逆に四人は不安の色を隠せない様子である。
「それではこの件に付きましては、所長殿に一任させて頂きます」
四人の思いとは裏腹にモンディアリはこの件から手を引くことを喜んで了承した。
いや、モンディアリにすれば、願ったり叶ったりの展開かもしれない。
こうして意外な形で対策会議は終了したのであった。
そして、対策会議から一週間が経ったある日のこと。
教会の敷地内にある公園には、ロープを張った仮設の交差点が作られている。
「先ず始めに神官の皆様のご協力に感謝します。
本日、皆様にお集まりいただいたのは、信号機を使った新しい交通ルールの説明を聞いていただくためです」
リリアが"音声拡張機"を使って話をしているが、パワードスーツのお陰で魔力操作には慣れているのでヘリウム声になる心配はない。
「信号機とは、一体何のことでしょうか……?」
「私は、新しい魔導具の説明だと聞いていましたけど……」
「我々は、ただ話を聞くだけでいいと言う訳ではなさそうだが何をさせるつもりなんだ?」
リリアの言葉に多くの神官達がざわついている。
どうやら、大司教のミエスクは神官達に詳しい説明をしていないらしい。
せっかくユウイチが丁寧な説明の手紙を書いたのに、全くの無駄骨だったようである。
「皆様、お静かにお願いします。
ええっと、先ず始めに信号機とはここに立っている魔導具のことです」
再び話し始めたリリアに神官達は一斉に注目した。
これで、神官達に体育座りでもさせようものなら、前世の小学校の交通教室のように見えるはずである。
それならば、リリアには前世のミニスカポリス風の衣装を用意してあげなければとユウイチは思う。
「それでは、実際に動いている信号機を使ったデモンストレーションを見て頂きます」
リリアが信号機や横断歩道について説明すると、ユウイチとアルマが説明に沿って実演して見せる。
乗馬シミュレータに引かせた馬車には「顔が見えない役なら構わないわ」とミレイとリーネが乗り込んでいる。
「皆様、今の説明で新しい交通ルールが分かりましたか?」
前世の小学生なら、ここで元気良く手を上げて「はーい」と答えてくれるはずである。
「信号機の色で私達の行動が変わるのね」
「要するに対面する信号機に従えばいいのだな」
「信号機には馬車用と歩行者用があることに気をつければいいのね」
だが、さすがに大人である神官達は復習するかのように互いに確認し合っている。
「来週から、皆様には交通指導員として王城前の交差点に立って頂きますのでよろしくお願いします」
最後のリリアの言葉に神官達が再びざわついたが、無事にこちらの世界初の交通教室は終了したのであった。
そして、翌日中には王城前の交差点に横断歩道と信号機が設置された。
交通量の少ない時間帯に行った突貫工事ではあるが、土魔法を使えば前世の道路工事よりも遥かに早く出来上がる。
「ん、これは何だね?」
「はい、来週から施行致します信号機を使った新しい交通ルールの説明書でございす」
工事の担当者に混じって、神官達が新しい交通ルールが書かれたビラを配って告知を行っているようである。
だが、前世の沖縄県では日本に返還され日に交通ルールが変わり混乱が生じたという。
だから、幾ら事前に告知をしたとしても当日になれば混乱が予想されるのである。
そして数日が経ち、いよいよ信号機を使った新しい交通ルールが施行される日を迎えた。
今朝も交通指導員の神官達が道行く馬車に新しい交通ルールのビラを配布している。
「どうしても、我々はこのルールに従わねば成らぬのか?」
「はい、王城より依頼を受けて教会本部が責任を持って施行することになっております。
その辺りをどうかご理解下さい」
「そ、そうか教会本部の……」
この様に教会本部の名を出しただけで、多くの貴族達は黙って従う姿勢を示した。
「斯様な物に私が従う必要はあるまい。
おい、早々に馬車を進めよ」
だが、渋滞の原因の一人である子爵は新しい交通ルールに従う姿勢を見せなかった。
「あっ、子爵様お待ち下さい。
その先は、危のうございます!」
神官がそう言い終るや否や、"ピッ、ピ、ピー"と遠くから笛の音が鳴った。
「ん、どうした事故でも起こったのか?」
「警備隊ではないようだが何があったのだ……」
渋滞の車列から声が漏れ聞こえてくる中、緑の物体が凄い勢いで通り過ぎて行った。
「子爵様、信号無視には厳しい罰則がございますわよ!」
「誰だ貴様は……
い、いえ、何でもございません。
ルールにはちゃんと従いますので、お説教だけはお許し下さい」
強気だった子爵が、手のひらを返したように殊勝な態度になった。
「そうですか、分かればいいのです。
わ・か・れ・ば!」
何故なら、子爵の目の前には緑色の服に身を包んだ、前世の"緑のおばさん"を彷彿とさせる大司教ミエスクの姿があったからである。
ユウイチからの手紙を読んだミエスクは、嬉々として交通指導員をやっているようである。
「だから、私は危ないと申しましたのに……」
ミエスクに注意された子爵を見て、先程の神官がポツリと呟いた。
"ピ、ピッ、ピー、そこの馬車止まりなさい!"
暫く王城前の交差点には、緑色の服に身を包んだミエスクの吹く笛の音が響き渡っていたようである。
この様にミエスクの活躍により新しい交通ルールは思ったより早く王都に浸透した。
そして、新しい交通ルールが施行されて二週間が経ったある日のこと。
「ユウイチさん、渋滞が解消されたとモンディアリ様から連絡がありましたよ」
「そうか、それは何よりだな。
これで、モンディアリ殿の汗も止まっただろう」
ユウイチは、渾身のドヤ顔でリリアに答える。
「私は、今回の件は"無理ゲー"だと思っていたんですけどね」
「実は、リリア君が"陛下なら無理ゲーではない"と言ったのが良いヒントになったんだよ」
「確かに言いましたけど……
でも、陛下を動かすこと自体が"無理"ゲーですよね?」
「王様は無理でも大司教なら引っ張り出せると踏んだんだ。
だから、国土管理課には手を引いてもらって教会本部が主導する条件を出したんだよ」
「フフフフ……
だから、あの場で"ヌルゲー"発言が出たんですね?」
ユウイチの睨んだ通り大司教ミエスクのフットワークは頗る軽かったのであった。
後日談。
新しい交通ルールが導入された日の夜に派閥の貴族が公爵邸に集まっていた。
窓のカーテンが引かれた真っ暗な部屋で蝋燭の炎がゆらゆらと揺れている。
「のう子爵よ、大司教の言う"何人たりとも交通ルールを守るべし"の"何人"には儂も含まれるのか?」
「私はそうは思いませんが……
そなたらはどう思うのじゃ?」
気の利いた答えが思いつかない子爵が他の貴族に話を振ったので、話を振られた貴族達は堪ったものではない。
「いえ、それは……
その…… 」
「まことに以てなんと申しましょうか……」
答えは"含まれる"の一択であるのだが、公爵を目の前にした貴族達の歯切れは悪い。
「フッ、ももう良いわ。
どいつもこいつも使えぬ奴らじゃ」
朝方に交通ルールの遵守について大司教ミエスクからお灸を据えられて不機嫌な公爵は"グイッ"とワインを煽った。
「全くアイツは何をどうすれば斯様な結果になるというのだ」
「はい、申し訳ございません。
我が甥もこの結果には驚いておるようでして…… 」
槍玉に上がった子爵の甥とは研究所を訪れた国土管理課の課長のことである。
「馬鹿者、当の本人が驚いておるとは何事じゃ!」
「ひぇー、まことに申し訳ございません」
下手な弁明が公爵の怒りに油を注いだようで子爵が平謝りに謝っている。
「上手く立ち回っておれば時間が経ち有耶無耶にできたものを……
何故、教会本部が出張ってきておるのだ」
公爵の怒りは収まる様子がなく、その度に子爵は平謝りを繰り返している。
「えぇい、その方らは下がれ。
せっかくの酒が不味くなるわい」
犬でも追い払うかのように公爵は左手をヒラヒラとさせている。
それを見た公爵の犬達はすごすごと部屋を後にしていった。
「王城の前に信号機とは、また迷惑な話にございますな」
いつの間にか現れた黒服の男が、公爵の空いたグラスにワインを注ぐ。
知らぬ間にカーテンが開けられた窓から月明かりが射し込んでいる。
「来ておったのか?
……信号機とはまことに迷惑千万な話であるな」
注がれたワインを口に含んだ公爵から先ほどまでの怒りが嘘のように消えている。
「朝の渋滞が解消されてしまいましたので、計画の見直しが必要でございます」
「ふむ、
食材を搬入する荷馬車に紛れ込む作戦は難しそうであるな」
「食材の搬入時間も変更になったようです。
当初の計画とズレが生じてしまいました」
「ぐぬぬぬ、
教会の女狐といい田舎出の狸といい、まことに忌々しい奴らよ」
公爵はワインを"グイッ"と煽ると壁に向かってグラスを投げつけた。
「先に始末しますか?」
「いや、証拠が残っては元も子もない。
やるなら一度にやらなければ……」
「畏まりました。
しかし、アレの替わりも未だ見つかっておりませぬが?」
「奴らは頭の痛くなることばかり増やしてくる……
それで軌道修正は可能なのか?」
「些か時間がかかりますが、可能でございます」
「うむ、分かった」
そう答えると公爵が手を一度だけ払う。
それを見た黒服の男は一礼して部屋を後にした。
「フッ、ここまで待ったのだ……
もう少し待つくらい何の苦にもならぬわ」
公爵は窓から見える王城を見て"ニヤリ"と笑った。




