第11話 藤原が絡まれる
朝、藤原が登校してきたので視線を向けると、目が合った瞬間、少しだけ藤原の目元が和らいだ。
それだけで、大きな進展だと俺は思った。
喋りかけるなオーラを出すのは変わらないんだけど。
授業の間の休み時間も、腕組みして虚空を見つめてる。
本人が言う、『無』ってやつだろう。
昼休みに厄介なことになった。
別のクラスの女子が、藤原に絡んできたのだ。
「あんたは何もしてないって言うつもりかもしれないけどっ! あんたのせいでゆーくんは冷たくなったっ!」
カレシが藤原に惚れたせいで、仲が冷え込んできたらしい。
藤原には心底どうでもいい話だ。
その女子の後ろには友人だろう女子がさらにふたりいたけど、キレてる奴を止めるつもりはないらしく。
「なんか言いなさいよ! かわいいからって、調子に乗ってっ! かわいかったらなんでも許されるって思ってる!?」
藤原はその女子を見ていた。
視線にはなんの感情もない。
完全な虚無だ。
熱くなってわめき散らかしてるのに、相手は冷め切ってる。
しかもその相手は、見た目だけで言えば絶対に敵わない。
言ってることが意味不明になってきて、子供みたいに手足をばたつかせて。
たぶんだけど、今の彼女は惨めになってる。
割って入るべきだろうか?
女子がわめき始めてからずっと迷ってたけど、動く決心が付かなかった。
どの立場で?
クラスメイトだから? 近くにいたから?
なんでもいいに違いない。
なのに、動けなかった。
見てられなくなったのか、やっと後ろの女子ふたりが、取り乱してる女子をどっかへ連れてった。
チープな慰めを言いながら。
教室のざわめきはなかなか収まらなかった。
一学期も含めたら、似たような騒ぎはこれで三回目だ。
藤原が面倒だと言ってる意味が、今回初めて、身に染みるように伝わってきた。
隣の席の藤原は、もういつものように腕組みをして、無表情に斜め上を見てる。
あれだけの騒ぎに巻き込まれたって思えない姿だ。
教室がやっといつもどおりの空気になった頃、藤原が不意に目を固くつむった。
すぐに目を大きく開き、勢いよく立ち上がり、教室を出てく。
俺は何も声をかけれなかった。
授業が始まっても藤原は戻ってこない。
机の下に隠したスマホから、藤原にLIMEを送る。
信太<どこにいる?>
まさご<旧校舎屋上>
俺はすぐに、トイレと言い訳して授業を抜け、旧校舎の屋上を目指した。
返事はあったが、今の藤原が大丈夫だって思えない。
そもそも、旧校舎の屋上に出られるって知らなかったが、階段の一番上にある扉は確かに開いた。
今日は気持ちのいい青空だ。
その下に、カビなのかコケなのか、黒っぽく汚いコンクリートの屋上がある。
真ん中らへんに大きなブルーシートが敷いてあった。
そのブルーシートの真ん中で、文字通り大の字になって寝ている藤原に声をかける。
「……大丈夫か?」
なんて声をかけるか、ここに来るまでずっと考えたけど、よくあるセリフしか出てこなかった。
藤原は返事をしてこない。
だけど、ブルーシートの端にいる俺を、その切れ長の大きな目で見つめてる。
やがて口を開く。
「チョーゼツメンドくさいいいいいいい!!!!!」
両手足をじたばたさせながら。
俺は思わず吹き出してしまった。
藤原は傷付いてるはず。
だからこんなとこにいる。
俺に何ができるか分からないけど、何かできないかってここまできた。
なのに、彼女の態度を笑ってしまう、最悪の失態。
「あ、いや、悪い。藤原は、その……」
「大丈夫、普通に笑ってくれていいから。笑わなきゃ、やってらんないよ。ハ・ハ・ハ・ハ・ハ!」
と、棒読みの笑い声を出す。
「大丈夫か、藤原?」
ひねりなく同じことをもう一度聞く。
「面倒だよね、ホント面倒。あんだけ他のやつら遠ざけてても、今日みたいなのがある。あいつが言ってた男子がどんな顔か、わたしは知らない」
なんて言っていいのか分からない。
「つらいよな?」そう言いかけて、その言葉になんの意味もない気がして捨てた。
「ごめんな」
胸の中で一番大きかった言葉がこぼれ出た。
「なんで謝るの?」
本当に不思議そうな顔で聞かれる。
まったく心当たりがないみたいな。
「いや俺、見てるだけで、止めないで」
みっともない罪悪感は、本人に言っても今さら取り返しがつかない。
藤原が、ぽんと音を出して両手を合わせる。
「あーっ、あれは止めないが正解」
「え?」
正解って言われると思ってなかったので、馬鹿みたいに聞き返す。
「いやだって、あそこで男子が止めたら、『かわいいから男子に護ってもらえる』みたいになるよね?」
「あっ、あ~」
「よけい面倒なことになる。だから、止めないが正解」
「そうなんだ……」
何もしないのがホントに正解でも、何もできない無力感が残るだけ。
そういうふうに思ってしまう。
「ありがと、細田くん」
「え、ありがとう?」
「うん、だって、助けたいって思ってくれたんだよね? それ、ありがとだよ」
「うーん……思っただけじゃな……」
結局、何もできなかった。
助けになれなかったんだ。
「いや、人のありがとうは素直に受け取りなよ」
厳しい目付きで受け取り拒否を拒否してくる。
「わ、分かった。素直に受け取る」
「授業抜け出してここまで来てくれたのも、ありがと」
「これくらいは、できることだしな」
「あ、立ったまんまだったね」
足を閉じた藤原が、棒みたいにころころ転がってブルーシートの端近くまで行く。
「ほら、キミも寝転がろ?」
「いや、寝転がらなくていいだろ」
藤原がそうしてるように靴を脱いで、ブルーシートの空いた方に上がる。
ここに座ればいいだけなんでは?
「寝っ転がると気持ちいいよ。寝るべし」
圧の込められた「寝るべし」に従って、藤原の隣で仰向けに寝る。
隣といっても二メートル近くあるけど。
「確かに気持ちいい。晴れてるし」
「いいでしょ? 学校にふたつある、わたし愛用のヒーリングスポット」
隣を見たら、藤原は緩んだ笑顔を向けてきた。
確かにここは、彼女を癒やしてるんだろう。
「もう一個は? ヒーリングスポット」
「美術準備室。マコちゃん先生が仲よくしてくれてるの」
「マコちゃん先生?」
「え? 美術の酒匂真先生だよ」
「あのヤニくさい人? そんな呼ばれ方してたっけ?」
二十代後半で、ヤニくさい酒くさいと生徒から避けられがち。
そんなかわいいあだ名で呼ばれる人じゃあない。
「まぁ、呼んでるのわたしだけだろうけど」
「あ、学校でLIME最初に交換した人?」
「ピンポ~ン」
藤原が、人差し指でブザーを押す真似をする。
さらにブルーシートを叩いて言う。
「このブルーシートと、屋上の扉の鍵も、マコちゃん先生がうまいことしてくれてるの」
「いい先生じゃん」
「いい先生なんだよ。タバコとお酒の匂いと、口調がきついだけで」
「生徒受けはしないわな」
「だからわたしには合うわけ」
妙に納得だ。
けど、あんまりよけいなことは言わない方がいい気がする。
学校のはぐれ者同士気が合うんだな、とか口が滑りそう。
「今日みたいな日があると、先生には感謝だな」
寝転がったまま伸びをする。
雲がいくつか浮かぶ青空は、嫌な気分を溶かせそうなくらい澄んでる。
「今日は、先生より細田くんに感謝だよ」
「俺? 俺は何も……」
藤原が向こう側の肩を起こし、身体を俺の方に向けてきた。
正面から見つめられると、途端にそわそわして居心地が悪くなる。
「あの女にわめかれてた時は、世界全部を真っ黒に染めてやりたいくらいムカついてた。けど今はもう、世界平和を願うレベルで気分は晴れてる」
「ヘンなたとえ」
ムカついた……だけじゃないと思った。
こんな誰もいないとこに来たのは、それだけ傷付いたってことじゃないか?
それを確かめる気はないけど。
藤原が向けてくる笑みは、今までのものとは違ってた。
もしかして、心を許してくれてる?
そうだったらうれしいけど、聞けることじゃないし、分からない。
「細田くんのおかげだよ。キミが心配してくれて、来てくれて、話してくれたから、気持ちが楽になった。ありがと」
藤原が向けてくる笑顔のパワーはとっくに致死量だけど、それでも逸らさず視線を合わせた。
「……助けになれたんならよかった」
今、恥ずかしいくらい顔が真っ赤なはずで、藤原が何も言ってこないから助かってるだけ。
この時間をもっと味わってたい気もするけど、早く逃げ出したい気持ちも大きい。
と、藤原が笑うのをやめ、ハッとした顔になる。
「これって、ラーメン無料券何枚分だろ?」
「いや、無料券はいいから」
俺が呆れた声で言うと、向こうは口元を手で覆いながら笑った。




