第84話 未来御談
近江の中心にそびえる巨大な城。
安土城
冬の空は高く澄み、遠く比叡山の稜線が白く霞んで見える。城下町は賑わい、街道には商人の荷駄が列を作っていた。かつて戦の拠点として築かれた城は、今では政と商いの中心へと姿を変えつつある。
その天守の奥。
幾つもの襖を越えた先に、静かな一室があった。
そこには三人だけが座している。
この国の未来を握る三人である。
畳の上座に座るのは、日本の象徴。
正親町天皇
その右に、天下布武を掲げる武将。
織田信長
そして対面に座る若い女性。
豊穣の女神と呼ばれる人物。
望月梓
本来ならば、この三人が同席するなどあり得ない。
天皇は京の禁裏に座し、武将はその外で政を行う。
しかし今、この部屋ではその常識が崩れていた。
最初に口を開いたのは正親町天皇だった。
「そなたが」
「望月梓か」
梓は深く頭を下げた。
「はい」
「その名で呼ばれております」
天皇は静かに梓を見つめた。
年若い女性。
見た目は二十五ほど。
だがこの女は、戦国の経済を動かし、民を豊かにし、そして――
歳を取らない。
その噂が朝廷にも届いていた。
天皇は言った。
「民はそなたを」
「豊穣の女神と呼ぶ」
梓は苦笑した。
「ただの商人です」
信長が横で笑う。
「その商人が」
「国を富ませておる」
天皇は小さく頷いた。
「都にもその噂は届いておる」
田畑が増えた。
飢えが減った。
民が豊かになった。
それは朝廷の耳にも入っていた。
天皇は静かに言った。
「そなたは」
「未来を知っていると聞く」
部屋の空気が少しだけ張り詰める。
信長は腕を組みながら笑った。
「さあ」
「聞かせてみよ」
梓は一度深く息を吐いた。
そして静かに話し始める。
「この国は」
「やがて長い戦乱を終えます」
信長も天皇も黙って聞いている。
「その後」
「約二百五十年」
「大きな戦は起きません」
信長の眉が動いた。
「二百五十年だと?」
梓は頷いた。
「長い平和です」
天皇は静かに言った。
「それは」
「よいことか」
梓は少し考えてから答えた。
「良いことでもあり」
「危険でもあります」
信長が興味深そうに笑う。
「どういう意味だ」
梓は続けた。
「その平和の後」
「海の向こうから」
「強い国々が来ます」
天皇が言う。
「異国か」
梓は頷いた。
「巨大な船」
「強い武器」
「大きな商い」
信長の目が鋭く光る。
「面白い」
梓は続ける。
「もし今」
「国を富ませ」
「学問を広め」
「銭を整えれば」
「日本は強い国になります」
部屋は静かになった。
やがて信長が笑う。
「やはり」
「面白い女だ」
天皇も静かに言った。
「未来を見る者」
「それが神か」
梓は首を振る。
「神ではありません」
「ただ未来を知っているだけです」
そして梓は言った。
「そこでお願いがあります」
信長が言う。
「何だ」
梓はまっすぐ二人を見た。
「新しい貨幣を作りたい」
天皇の目が少し細くなる。
貨幣。
それは国家の権威に関わるものだった。
梓は続ける。
「今の銭は」
「重さも質もバラバラです」
「だから」
「統一貨幣を作りたい」
信長が笑った。
「なるほど」
「銭の天下か」
梓は頷く。
「帝の名で作りたい」
天皇はしばらく沈黙した。
そして言った。
「帝の名を使うか」
梓は深く頭を下げた。
「はい」
やがて天皇は頷いた。
「よかろう」
「許す」
信長が豪快に笑った。
「決まりだ」
その後。
梓は用意していた箱を開いた。
「これはお土産です」
信長が覗き込む。
「何だ」
箱の中には。
白く輝く米。
澄んだ香りの酒。
精巧な陶器。
そして。
透き通る器。
天皇が驚いた。
「これは……」
「透明な器」
梓は言った。
「ガラスです」
信長が笑う。
「異国の品か」
梓は答えた。
「遠い未来の品です」
天皇は静かに器を手に取った。
光を透かすその器は、この時代の人間には奇跡の品に見えた。
天皇は言った。
「都の者も驚くであろう」
梓は笑った。
「ぜひ楽しんでください」
こうして。
安土城で行われた会談は終わった。
帝。
正親町天皇
天下人。
織田信長
そして。
豊穣の女神。
望月梓
三人の会談は。
戦国の日本に。
新しい未来を静かに刻み始めていたのである。




