第80話 龍雇契約
冬の気配が濃くなりつつある越後の山々は、薄く雪をかぶり始めていた。
その険しい山の上に築かれた巨大な山城――
春日山城。
北国にその名を轟かせる軍神、上杉謙信の本拠である。
だがその日、城の主である謙信は城内にはいなかった。
彼は数十騎の供回りを連れ、南へと向かっていた。
目的地は――
望月領。
そこに住む一人の女に会うためである。
道中、謙信の側を馬で並走していたのは直江景綱。
さらに後ろには柿崎景家、甘粕景持といった上杉家の重臣たちが続いていた。
雪を踏みしめながら進む騎馬隊。
やがて柿崎が低く言った。
「本当に……よろしいのですか」
謙信は前を見たまま答える。
「何がだ」
「領地を持たぬ武将など」
「聞いたこともございませぬ」
確かにそうだった。
戦国の武将とは、土地を与えられ、それを治める存在。
その土地から年貢を取り、兵を養い、戦をする。
だが今回の話は違う。
領地を持たない。
代わりに銭を受け取る。
つまり――
雇われる。
それは戦国の常識を覆す制度だった。
しかし謙信は静かに笑った。
「それが面白い」
柿崎が黙る。
謙信は続けた。
「時代は変わる」
「土地より銭」
「武力より兵糧」
そして遠くを見つめながら言った。
「その流れを作っているのが」
望月梓
だった。
数日後。
望月領。
広い田畑が広がる豊かな土地。
冬にも関わらず、人々の顔には余裕があった。
倉には米があり、芋があり、穀物がある。
飢えとは無縁の土地。
その中心にある館の広間では、今まさに歴史的な会談が行われようとしていた。
広間の中央。
座っているのは一人の女性。
望月梓。
年齢二十五。
現代日本から来た商人。
そして三つの異能を持つ存在。
自律型AI Iris
空間魔法 無限収納
未来通販 ChronoShop
その能力で兵糧を生み、農業を改革し、経済を操り、戦国の勢力図を塗り替え始めている女だった。
その広間に。
白装束の武将が入ってくる。
上杉謙信。
北国の軍神。
彼の後ろには。
直江景綱
柿崎景家
甘粕景持
上杉家の重臣たち。
さらに梓側の家臣、藤兵衛も同席していた。
藤兵衛は内心で震えていた。
――軍神が目の前にいる。
だが梓はいつも通りだった。
「遠いところありがとう」
あまりにも気軽な挨拶。
藤兵衛は胃が痛くなった。
だが謙信は気にした様子もなく言った。
「噂は聞いている」
「豊穣の女神」
梓は苦笑する。
「それは違う」
「ただの商人」
謙信は笑った。
「だが」
「国を動かしている」
そして言う。
「兵糧」
「農」
「銭」
「それを握る者が戦を制する」
梓は肩をすくめた。
「商売の基本」
しばし沈黙。
やがて梓が言った。
「じゃあ契約の話しよう」
その言葉に上杉家の家臣たちがわずかに身構える。
戦国の主従は誓い。
だが梓はそれを。
契約と呼んだ。
梓は机の上に紙を広げた。
未来からChronoShopで取り寄せた紙。
真っ白で滑らかな紙に文字が並んでいる。
梓は言った。
「条件は前に言った通り」
「領地なし」
「給料制」
藤兵衛がまだ慣れない言葉に戸惑う。
謙信は静かに頷いた。
「聞いている」
梓は続けた。
「年俸」
「上杉謙信」
「金一万枚」
広間が静まり返った。
戦国でも破格の額だった。
さらに梓は言う。
「直江景綱」
「金二千枚」
「柿崎景家」
「金二千枚」
「甘粕景持」
「金千五百枚」
完全に。
給料表だった。
柿崎が思わず笑う。
「これは面白い」
謙信も笑った。
「合理的だ」
梓はさらに言う。
「あと賞金」
「城を落としたらボーナス」
藤兵衛は完全に混乱していた。
だが謙信は頷く。
「よい」
そして立ち上がる。
梓も立つ。
軍神と女商人。
二人が向き合う。
謙信は静かに言った。
「今日より」
「我が軍」
「望月梓に仕える」
その言葉は。
北国の歴史を変える宣言だった。
梓は笑いながら手を差し出す。
「よろしく」
謙信はその手を握った。
こうして。
戦国史上初の。
給料制軍団
が誕生した。
北の軍神。
上杉謙信
その軍勢およそ二万。
それが今。
望月梓の軍となったのである。
そしてこの制度はやがて。
戦国の常識そのものを覆すことになる。
土地ではなく銭。
封建ではなく雇用。
その新しい時代の中心にいるのは。
豊穣の女神と呼ばれる女。
望月梓だった。




