第78話 龍の帰順
越中平定の知らせは、瞬く間に北国を駆け巡った。
富山城の降伏。
柴田勝家率いる織田軍の完全勝利。
そして何より、戦の裏側で動いていた一人の女の名。
望月梓
豊穣の女神。
兵糧を生み出す女。
国を富ませる女。
その噂は、ついに北の国へと届いていた。
越後。
春日山城。
険しい山の上に築かれた巨大な城。
北陸最強の軍神が居城とする場所。
その評定の間には、重い沈黙が流れていた。
中央に座るのは一人の男。
白い装束。
鋭い目。
上杉謙信。
軍神。
毘沙門天の化身とも呼ばれた男である。
家臣の一人が報告した。
「越中は完全に織田の手に落ちました」
別の家臣が続ける。
「富山城も降伏」
さらに別の者が言う。
「織田軍の兵糧は尽きぬとのこと」
謙信は静かに目を閉じた。
しばし沈黙。
やがて口を開く。
「……女の名は」
家臣が答える。
「望月梓」
謙信はゆっくりと頷いた。
「聞いたことがある」
軍神の目が鋭くなる。
「兵糧を操る女」
家臣が言う。
「民は女神と呼んでおります」
評定の間にざわめきが広がる。
だが謙信は笑った。
「女神、か」
そして言った。
「面白い」
その夜。
謙信は一人、城の高台に立っていた。
遠くの山々を見つめながら呟く。
「戦とは何か」
これまで謙信は無数の戦をしてきた。
刀。
槍。
騎馬。
それが戦だった。
だが。
今、北陸で起きている戦は違う。
兵糧。
経済。
農業。
戦の形が変わっている。
謙信は小さく笑った。
「時代が変わるか」
数日後。
望月領。
梓の館。
広間で書類を見ているのは望月梓。
頭の中ではIrisが報告している。
『北陸交易 利益増加』
『農業生産 前年比三百二十パーセント』
梓は苦笑した。
「数字おかしい」
そこへ。
家臣の藤兵衛が慌てて入ってきた。
「梓様!」
「使者が!」
梓は顔を上げた。
「どこから?」
藤兵衛は言った。
「越後」
梓の眉がぴくりと動く。
「越後?」
藤兵衛が続ける。
「上杉謙信の使者です!」
部屋が静まり返った。
軍神。
北国最強の武将。
その名を知らぬ者はいない。
梓は言った。
「通して」
やがて一人の武士が入ってきた。
深く頭を下げる。
「拙者、直江景綱」
「上杉謙信様の使者にございます」
梓は静かに言う。
「用件は?」
直江は顔を上げた。
「我が主」
「上杉謙信様は――」
言葉を区切る。
「望月梓様の下に就きたいと願っております」
部屋の空気が凍った。
藤兵衛が思わず叫ぶ。
「なっ!?」
「軍神が!?」
梓もさすがに目を丸くした。
「え?」
直江は続ける。
「我が主は申しております」
「戦の形が変わった」
「これからの世は」
「兵糧と国力の世」
「ならば」
「その中心にいる者に仕えるべきだと」
直江は深く頭を下げた。
「どうか」
「上杉謙信様を」
「配下としてお使い下さい」
藤兵衛は完全に固まっていた。
「軍神が……」
梓はしばらく黙っていたが。
やがて小さく笑った。
「面白い人だね」
そして言った。
「会ってみたい」
その頃。
春日山城。
謙信は静かに座っていた。
空を見上げる。
「女神か」
彼は戦を知り尽くしていた。
だからこそ分かる。
これからの時代。
戦を支配するのは。
刀ではない。
国を富ませる者。
つまり。
望月梓。
軍神は静かに笑った。
「ならば」
「仕えるのも一興」
こうして。
北の軍神。
上杉謙信
その運命は。
豊穣の女神。
望月梓
と交わろうとしていた。




