第76話 越中進撃
越前北部。
織田軍の陣は、山麓に広がる広大な野営地となっていた。
すでに兵糧の荷車はすべて到着している。米俵は山のように積まれ、塩や干し魚の樽、干し肉、干し芋の袋まで並び、兵士たちは驚きの声を上げていた。
「こんな兵糧、見たことがねえ」
「これ全部、望月梓殿の商いだとよ」
噂はすでに軍中に広まっていた。
豊穣の女神
望月梓。
畑を蘇らせ、食料を増やし、国を富ませる女。
兵士たちは半ば本気でそう呼んでいた。
陣の中央。
大きな軍議の幕舎では、武将たちが集まっていた。
柴田勝家
前田利家
佐々成政
そして北国攻略軍の将たちである。
勝家は腕を組みながら言った。
「兵糧は十分だ」
利家が頷く。
「一年戦えますな」
成政が地図を指した。
「ならば次はここ」
指された場所は。
富山城。
越中の要衝である。
勝家は低く唸る。
「越中を抑えれば、北陸は半分取ったも同然」
利家が笑った。
「しかも兵糧は尽きぬ」
この戦の形は、すでに変わっていた。
普通の戦では、兵糧が尽きる前に勝負を決めなければならない。
だが今回は違う。
織田軍は飢えない。
それは恐ろしい優位だった。
一方その頃。
望月領では、穏やかな風が吹いていた。
広い畑では農民たちが作業している。
見慣れない作物が畑に並んでいた。
ジャガイモ。
トウモロコシ。
サツマイモ。
この時代には存在しない作物である。
それを畑で見ているのが望月梓だった。
横には藤兵衛。
「梓様」
「この芋、本当に育つので?」
梓は笑った。
「育つよ」
頭の中でIrisが言う。
『この土地の土壌では収穫量は通常の一・八倍と予測』
梓は頷いた。
「ほらね」
藤兵衛はまだ信じられない顔だった。
この芋は痩せた土地でも育つ。
そして大量に収穫できる。
つまり――。
飢饉が起きにくい。
梓は畑を見ながら言った。
「これ広めれば国が強くなる」
藤兵衛が言う。
「富国強兵ですな」
梓は笑う。
「そう」
「まずは富国」
その時、門番が叫んだ。
「急使!」
馬が砂煙を上げて入ってくる。
使者は地面に膝をついた。
「越前の陣より報せ!」
梓は眉を上げた。
「もう戦?」
使者は言う。
「はい!」
「柴田勝家様が越中へ進軍!」
藤兵衛が息を飲む。
「早い…」
だが梓は落ち着いていた。
「まあそうなるよね」
すでに兵糧は届いている。
つまり――。
進軍できる。
その頃。
越中。
織田軍は山道を越え、平野へと出ていた。
兵は三万。
圧倒的な軍勢だった。
勝家は槍を握りながら前を見据える。
「城が見えたぞ」
遠くに石垣が見える。
富山城。
越中の重要拠点である。
利家が笑う。
「落とせば越中は半分終わりですな」
勝家は頷く。
「攻める」
太鼓が鳴る。
織田軍三万が進軍を開始した。
城内。
守将は青ざめていた。
「織田軍三万だと!?」
兵が叫ぶ。
「しかも兵糧が山のようにあるそうです!」
城主は顔を歪めた。
「そんな馬鹿な」
普通の軍なら兵糧は限られる。
だが織田軍は違った。
食料が尽きない。
つまり。
包囲されたら終わり。
外では織田軍が陣を築いていた。
勝家は笑う。
「焦る必要はない」
利家が言う。
「兵糧は無限ですからな」
勝家は空を見た。
「女神様のおかげだ」
その言葉は冗談ではなかった。
織田軍が飢えない理由。
それは一人の女。
望月梓。
戦国の戦は変わっていた。
兵の数でも。
武器でもない。
兵站と経済が戦を決める。
そしてその頂点にいるのは。
商人。
領主。
そして民が神と呼ぶ存在。
望月梓だった。




