第67話 義景最期
燃え上がる炎が、夜の越前の空を赤く染めていた。
谷間に広がる都――一乗谷。
かつて北陸随一の繁栄を誇った城下町は、今や炎の海と化している。
家々が燃え、蔵が崩れ、人々の悲鳴が谷に響く。
そしてその中心。
一乗谷城の天守から、朝倉義景はその光景を見ていた。
拳が震えている。
「……馬鹿な」
呟きが漏れる。
つい半年前まで、この国は揺るぎなかった。
北陸の雄。
文化の中心。
京に劣らぬ繁栄を誇った国。
それが今。
たった一人の商人と。
一人の覇王によって崩れようとしている。
背後で家臣が叫ぶ。
「殿!」
振り向くと、朝倉景鏡が駆け込んできた。
「織田軍が城下に侵入しました!」
義景の顔が歪む。
「兵は!」
「散り散りにございます!」
さらに別の家臣、山崎吉家も言った。
「兵糧蔵が焼かれました!」
義景は歯を食いしばる。
兵糧がない。
兵の士気もない。
市場も失った。
すべてが崩れている。
義景は低く呟いた。
「……望月梓」
一方。
一乗谷の外れの丘。
望月梓は静かに戦場を見下ろしていた。
夜の闇の中で炎が揺れている。
彼女の視界には半透明のウィンドウが浮かんでいた。
「Iris」
『はい、マスター』
「戦況」
戦場の地図が表示される。
青い点が一気に谷へ流れ込んでいる。
それは織田軍。
赤い点は急速に減っている。
それが朝倉軍。
『一乗谷防衛線、崩壊』
梓は静かに息を吐いた。
「終わった」
その時。
背後から足音がした。
「梓」
振り向くと、織田信長が立っていた。
赤い陣羽織が炎の光で揺れている。
信長は谷を見下ろし、笑った。
「見事だ」
梓は軽く頭を下げる。
「市場が崩れれば国も崩れます」
信長は豪快に笑う。
「戦をする前に国を潰すとはな」
そして言った。
「お前はやはり面白い」
その頃。
一乗谷城の裏門。
闇の中を数人の影が走っていた。
その中心にいるのは、朝倉義景。
彼は鎧を脱ぎ、簡素な姿になっていた。
景鏡が言う。
「殿」
「こちらです」
義景は振り返り、燃える城を見た。
胸の奥が焼けるようだった。
祖父。
父。
代々の朝倉家が築いた城。
それが今。
炎の中に消えていく。
義景は呟いた。
「……逃げるしかないのか」
景鏡は答えた。
「大野へ」
「そこで立て直します」
義景は無言で頷いた。
だがその時。
闇の中から声がした。
「残念ですが」
義景たちは一斉に振り向く。
そこに立っていたのは数人の忍び。
黒装束。
その先頭にいる男が言う。
「ここまでです」
景鏡が叫ぶ。
「何者だ!」
男は静かに答えた。
「商人の使いです」
義景の目が見開かれる。
「……商人?」
男は言った。
「望月梓」
その頃。
丘の上。
梓の前に忍びが跪いた。
「報告」
「朝倉義景」
「捕縛しました」
信長の目が輝く。
「ほう」
梓は小さく頷いた。
「連れてきて」
しばらくして。
縛られた男が連れてこられた。
朝倉義景。
かつて北陸の覇者だった男。
彼は梓を見た。
目の前にいるのは若い女。
二十五歳の商人。
義景は低く言った。
「……お前か」
梓は穏やかに微笑んだ。
「初めまして」
義景は笑った。
「戦国の国を」
「女商人が潰すとはな」
梓は静かに答えた。
「戦ではありません」
義景が眉をひそめる。
梓は言った。
「商売です」
背後で信長が笑った。
「はははは!」
「見事だ!」
そして信長は言った。
「朝倉家」
「ここに滅ぶ」
燃え上がる一乗谷。
その炎は夜空を赤く染め続けていた。
北陸を支配した名門。
朝倉家。
その歴史は。
今ここで。
完全に終わりを迎えた。
丘の上で、梓は静かに空を見上げた。
「Iris」
『はい』
「次の市場」
短く言う。
「探して」
Irisが答える。
『了解』
戦国の世はまだ終わらない。
だが。
この世界にはすでに。
新しい支配者が現れていた。
刀でも。
槍でもなく。
市場を支配する者。
その名は――
望月梓。




