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世界を変える女  作者: 此花サギリ


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第57話 忍雇作戦

 夜の近江(おうみ)は静かだった。


 山の間を流れる風だけが音を立て、遠くに見える小谷城(おだにじょう)の灯が小さく揺れている。


 その光景を、虎御前山(とらごぜんやま)の陣から一人の女が見つめていた。


 望月梓(もちづきあずさ)


 二十五歳の女商人であり、織田信長(おだのぶなが)の配下として戦の裏側を動かす人物。


 彼女は静かに腕を組んでいた。


「兵糧、塩、鉄……」


 すでに小谷城(おだにじょう)はかなり追い詰められている。


 だが梓の表情はまだ満足していない。


「まだ一つ残ってる」


 梓は小さく呟いた。


Iris(アイリス)


『はい、マスター』


浅井長政(あざいながまさ)の情報収集能力」


 半透明の情報が視界に浮かぶ。


 密輸路

 城下商人

 そして――


 忍び


 伊賀(いが)甲賀(こうが)の忍びが、浅井家(あざいけ)に雇われている。


 彼らは密かに情報を集め、織田軍(おだぐん)の動きを小谷城(おだにじょう)へ送っている。


 梓は小さく笑った。


「つまり」


「彼らを奪えばいい」


『雇用ですか』


「そう」


 忍びは忠義の武士ではない。


 仕事で動く者たちだ。


 つまり。


 条件が良ければ――


 雇い主は変わる。


 梓は机に地図を広げた。


甲賀(こうが)


 近江(おうみ)の南にある忍びの里。


 浅井家(あざいけ)が雇う忍びの多くは、ここから来ている。


 梓は静かに言った。


「行きましょう」


 数日後。


 甲賀(こうが)の山奥。


 霧に包まれた小さな里があった。


 そこに黒装束の男たちが集まっている。


 その前に現れたのは、一人の女だった。


 望月梓(もちづきあずさ)


 忍びたちは警戒していた。


 一人が言う。


「ここは商人が来る場所ではない」


 梓は穏やかに答えた。


「知ってます」


「だから来たんです」


 男は目を細めた。


「目的は」


 梓は言った。


「仕事の話」


 忍びたちがざわめく。


 梓は続ける。


「皆さんは浅井長政(あざいながまさ)に雇われていますよね」


 沈黙。


 それは否定しないという意味だった。


 梓は微笑む。


「私が雇います」


 男たちは一瞬固まった。


「……何?」


 梓は帳簿を取り出した。


「雇用契約です」


 そこにはこう書かれていた。


 忍び雇用契約


 任務

 情報収集

 連絡

 潜入


 そして――


 報酬。


 忍びたちの目が見開かれた。


「こ、これは……」


 今の報酬の。


 五倍。


 梓は静かに言った。


「さらに」


 彼女は続けた。


「失敗しても処罰なし」


「家族の生活保障」


 忍びたちは息を呑んだ。


 この時代、忍びの扱いは軽い。


 使い捨て。


 失敗すれば死。


 それが普通だった。


 だが梓の条件は違う。


 雇用契約。


 つまり。


 商人としての正式な雇い方。


 一人の忍びが言った。


「なぜそこまでする」


 梓は少しだけ笑った。


「優秀な人材だから」


 その言葉は嘘ではない。


 忍びは情報戦の専門家。


 現代で言えば――


 諜報員だ。


 その力を敵に渡す理由はない。


 沈黙が続く。


 やがて年長の忍びが言った。


「条件は理解した」


「だが」


浅井長政(あざいながまさ)を裏切ることになる」


 梓は首を振った。


「違います」


 忍びたちが顔を上げる。


「皆さんは忍び」


「武士じゃない」


「雇い主が変わるだけ」


 その言葉に、空気が変わった。


 忍びたちは互いに視線を交わす。


 そして。


 年長の忍びが言った。


「……面白い」


 男は膝をついた。


「契約しよう」


 その言葉をきっかけに、次々と忍びたちが膝をつく。


 こうして――


 浅井家(あざいけ)の忍びの多くが、


 望月梓(もちづきあずさ)の雇用下に入った。


 数日後。


 虎御前山(とらごぜんやま)


 梓は天幕の中で報告を受けていた。


「忍び雇用数」


『三十七名』


 Iris(アイリス)が答える。


 梓は満足そうに頷いた。


「十分ね」


 忍びは情報戦の要。


 これを掌握すれば――


 小谷城(おだにじょう)の情報はすべてこちらに流れる。


 その頃。


 小谷城(おだにじょう)


 浅井長政(あざいながまさ)の軍議は混乱していた。


 赤尾清綱(あかおきよつな)が言う。


「殿」


「忍びが戻りません」


 長政(ながまさ)の目が鋭くなる。


「何だと」


 遠藤直経(えんどうなおつね)が低く言った。


「恐らく……」


望月梓(もちづきあずさ)


 沈黙。


 家臣たちは言葉を失った。


 兵糧。


 塩。


 鉄。


 城下町。


 そして――


 忍び。


 すべてが奪われている。


 長政(ながまさ)は拳を握った。


「商人一人に……」


 しかしそれが現実だった。


 一方。


 虎御前山(とらごぜんやま)の夜。


 梓は静かに月を見上げていた。


Iris(アイリス)


『はい』


「忍びの稼働率」


『完全稼働』


 梓は微笑む。


「いいわ」


 そして静かに言った。


「これで」


浅井長政(あざいながまさ)の目と耳は」


「全部こちらのもの」


 風が吹く。


 遠くの小谷城(おだにじょう)の灯が揺れていた。


 その城は今。


 槍でも刀でもなく。


 一人の女商人の経済と情報戦によって、静かに追い詰められていた。

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