第53話 密輸遮断
近江の山々に、夜の帳がゆっくりと降りていた。
秋の月が静かに輝き、山の稜線を銀色に染めている。
その山の奥深く――小谷城へと続く細い山道を、数人の男たちが慎重に進んでいた。
背には大きな荷。
米俵だ。
「急げ……」
「見つかれば終わりだ」
彼らは小声で言葉を交わす。
この道は正規の街道ではない。
山の猟師しか知らない細道。
つまり――
密輸路である。
小谷城は現在、織田信長軍に包囲されている。
しかし城を完全に孤立させるのは簡単ではない。
必ずこうした裏道を使う者が現れる。
その時。
山道の前方から、松明の光が揺れた。
男たちは息を止める。
だが聞こえてきたのは、静かな女の声だった。
「こんばんは」
松明の光の中に現れたのは、一人の女。
黒髪を後ろで束ねた商人装束の女性。
二十五歳ほどの若い女だ。
しかしその目は驚くほど冷静だった。
望月梓。
織田信長の配下として動く商人。
そして――
この近江の市場を操る人物でもある。
男たちは青ざめた。
「な……!」
「望月梓……!」
この名はすでに近江の商人たちの間で恐れられていた。
市場を操る女。
米を支配する女。
梓は静かに微笑む。
「そんなに慌てなくてもいいでしょう」
男の一人が怒鳴った。
「どけ!」
「これは浅井家の荷だ!」
梓は小さくため息をついた。
「やっぱり」
そして空を見上げる。
「Iris」
『はい、マスター』
耳元でAIの声が響く。
男たちには聞こえない。
梓だけが聞ける声。
「確認」
『密輸部隊、六名』
『兵糧輸送、米俵十二』
『目的地、小谷城』
梓は頷いた。
「予想通りね」
そして男たちを見る。
「残念だけど」
「その荷は通せない」
男が刀を抜いた。
「女一人で止められると思うな!」
その瞬間。
山道の左右から影が現れた。
十人。
二十人。
織田軍の兵たちだった。
男たちは絶望した。
「囲まれた……!」
梓は静かに言う。
「刀を捨てて」
「命までは取らない」
やがて男たちは諦め、刀を地面に落とした。
梓は米俵を見た。
「十二俵か」
そして手を軽く振る。
「無限収納」
空間が歪み――
米俵が一瞬で消えた。
兵たちは目を丸くする。
「今のは……」
梓は何も答えない。
この能力は誰にも見せるつもりはない。
梓は兵たちに命じた。
「彼らは縛って虎御前山へ」
「はい!」
兵たちが動き出す。
その様子を見ながら梓は呟いた。
「これで三本目」
『はい』
Irisが答える。
『小谷城へ続く密輸路、三本遮断』
梓は頷いた。
「でもまだある」
近江の山は広い。
必ず別の道がある。
その時。
Irisが言った。
『新しい情報』
「何?」
『小谷城内部』
『兵糧残量 三十二日』
梓は笑った。
「減ってきたわね」
兵糧が減れば兵の士気も落ちる。
城の中ではすでに不安が広がっているはずだ。
その頃。
小谷城本丸。
浅井長政は家臣たちと軍議をしていた。
しかし空気は重い。
赤尾清綱が言う。
「殿」
「密輸部隊が戻りません」
長政の眉が動いた。
「またか」
遠藤直経が続ける。
「恐らく望月梓の仕業かと」
その名前に、家臣たちの表情が歪んだ。
長政は静かに言う。
「たかが商人が」
しかしその声には焦りがあった。
戦場で槍を交える敵ではない。
市場を操る敵。
それは戦国武将にとって未知の存在だった。
一方。
虎御前山。
梓は天幕の机に向かっていた。
帳簿にはびっしりと数字が並んでいる。
米。
塩。
鉄。
すべての市場が彼女の管理下にあった。
梓は茶を飲みながら言う。
「Iris」
『はい』
「市場支配率」
『九十四パーセント』
梓は笑った。
「もう少しね」
そして静かに呟く。
「浅井長政」
「あなたは強い武将よ」
だが。
「戦い方が古い」
槍と刀だけでは戦は勝てない。
現代では――
経済が戦争を決める。
梓は立ち上がった。
「次は塩」
『塩市場を制圧しますか』
「ええ」
塩がなければ兵は戦えない。
食事も保存もできない。
つまり――
兵糧より重要な物資。
梓は不敵に微笑んだ。
「城を落とすのに」
「刀は必要ない」
その瞳には、現代日本の知識を持つ女だけが持つ冷静な光が宿っていた。
そして静かに言う。
「さあ」
「次の市場戦争を始めましょう」




