第51話 商戦開幕
近江の国。
秋の風が山々を渡り、遠くには小谷城の高い山城が静かにそびえていた。
だが、その城を見上げる位置――虎御前山には、巨大な陣城が築かれている。
そこに翻るのは黒地に金の紋。
織田信長の旗印だった。
その陣の一角に、戦場とは思えないほど整えられた天幕があった。
中には机、書簡、帳簿、そして大量の木箱。
武具ではない。
商人の道具だった。
その机の前に座っている青年がいる。
黒髪、少し細身の体格。
着物姿だが、どこかこの時代の人間とは雰囲気が違う。
望月梓。
この時代では珍しい――
信長直属の商人である。
だが彼には、誰も知らない秘密があった。
現代日本からこの戦国時代へ転移してきた人間。
そして三つの力を持っている。
梓は小さく呟いた。
「Iris」
その瞬間、耳元で落ち着いた女性の声が響いた。
『はい、マスター』
声の主は人ではない。
自律型AI。
梓の持つスキルの一つ。
**Iris**だ。
「市場情報を出してくれ」
『了解しました』
梓の視界に、半透明の文字が浮かぶ。
米価格。
鉄価格。
塩価格。
布の流通量。
そして――
近江一帯の市場の動き。
すべてが一覧で表示されていた。
梓は小さく笑った。
「よし」
「予定通りだ」
今、近江の市場では奇妙なことが起きていた。
米が不足している。
塩も不足している。
鉄も高騰している。
しかしそれは偶然ではない。
すべて梓が作った状況だった。
梓は机の横の木箱に手を触れた。
「無限収納」
空間が一瞬だけ揺らぐ。
次の瞬間、木箱が消えた。
この箱の中には米俵が入っている。
だがそれはほんの一部。
無限収納の中には――
数万俵の米。
大量の塩。
鉄。
布。
ありとあらゆる物資が保管されていた。
なぜそんなものがあるのか。
理由は簡単。
梓の三つ目のスキル。
「ChronoShop」
空間に光の画面が開く。
そこには――
未来の通販サイトのような画面。
米、塩、鉄、布、薬、道具。
なんでも売っている。
もちろんこの時代には存在しない商品もあるが、梓は主にこの時代の物資を購入していた。
理由は簡単。
値段が安すぎるから。
未来世界の物流では、米などはとんでもなく安い。
それを大量に購入。
そして戦国時代で売る。
それだけで莫大な利益になる。
だが梓のやり方はもっとえげつない。
「市場操作」
そう呟いた。
最初に米を買い占める。
市場から消える。
すると値段が上がる。
そこで――
少量だけ売る。
さらに値段が上がる。
そして最後に大量放出。
利益は何十倍。
梓は帳簿を閉じた。
「これで小谷城の兵糧は終わりだな」
浅井長政。
近江の名門浅井家の当主。
そして今、織田信長と戦っている男。
だが彼は知らない。
戦の裏側で――
市場戦争が起きていることを。
その時、天幕の外から声がした。
「望月梓殿」
入ってきたのは武将だった。
猿のような顔。
だが目は鋭い。
羽柴秀吉。
信長の家臣の一人である。
「殿がお呼びじゃ」
梓は立ち上がった。
「分かりました」
数分後。
虎御前山の本陣。
豪華な天幕の中央に、一人の男が座っていた。
黒い羽織。
鋭い目。
天下人の風格。
織田信長。
梓は頭を下げた。
「望月梓、参上しました」
信長は面白そうに笑った。
「梓」
「例の話はどうなった」
梓は答える。
「順調です」
「小谷城の周囲から米は消えました」
信長の目が光った。
「ほう」
梓は続ける。
「浅井長政は兵糧を買えません」
「市場は完全にこちらの支配下です」
信長は豪快に笑った。
「ははは!」
「面白い!」
そして言った。
「戦とは槍だけではない」
梓は頷いた。
「はい」
「金も武器です」
信長は机を叩いた。
「その通りだ!」
そして静かに言う。
「梓」
「浅井長政を潰せ」
その言葉は命令だった。
梓は静かに答えた。
「お任せを」
そして心の中で呟いた。
「Iris」
『はい、マスター』
「次の作戦だ」
『準備できています』
画面に新しい情報が出る。
それは――
小谷城の兵糧庫。
輸送路。
市場。
すべての情報。
梓は小さく笑った。
「さあ」
「戦国経済戦争の時間だ」
こうして――
浅井長政を倒すための
商人の戦争
が静かに始まった。




