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勇者が痩せないと、滅ぶ世界  作者: セキムラ
第三章 異界の人間コンニチハ
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2.異界へ

 ペンション冬月始まって以来の珍客が訪れた翌日。蓼科の山々は乳白色の濃い霧が立ち込めていた。


「……はぁ」


 まるで、あたしの心に(わだかま)るモヤモヤをそのまま吐き出したような白い息が、濃い霧に溶け込んでいくような気がした。寒いから室内にいるので、そんなことは起きないのだが。


「なにか、お悩み事ですの?」


 昨晩、あたしのベッドで爆睡していたイセリナは、大変に悪びれた様子で平謝りしたのち、酔い覚ましのしじみ汁、カブの浅漬けと野沢菜、小さな焼きおにぎり(みそ味)、スポーツドリンクという朝食をぺろりと平らげてからシャワーを浴び(勇者と違って実にそつがなかった)、きっちりと身なりを整えて――すなわちシスターの様な格好であたしの横に立っていた。懺悔でも聞いてくれるというのか。


「……なんでもないわ」


 あたしは、イセリナと同量の朝食を前に不満顔のおデブを眺める振りをして、曇った窓の向こうを見ていた。霧のおかげも手伝って、外の様子はほとんどわからない。しかし道路を神崎の車が昇ってくれば、ヘッドライトの光くらいは見えるかもしれない。予定時刻は朝八時で、現在時刻はまだ七時半だ。我ながら気が急いている。霧のせいで少々遅れるかもしれないし、不自然な態度を見せては、おデブはともかくイセリナに気付かれてしまうかもしれない。


 これでいいんだ。


 あたしは心の中で自分に言い聞かせた。昨晩のジュエルミナスに関するお話は、作り話にしては歴史まで盛り込まれていて、即興で作ったものとは思えなかったし、妄想にしてはずいぶん具体的だった。しかしながら、「勇者が痩せないと鎧が入らなくて、魔王を倒せないので世界が滅びます! 助けてください!」なんて言われて「それは大変! ぜひお手伝いさせてください!」などという展開にはならない。現実は――日本は、そしてあたしは、そう甘くないのだ。


 こいつらは一見してまともな人間じゃない上に、考えていることもまともじゃない。だからといって危険な行為に及んだわけではないので、あたしは困っている異邦人(異世界人などいない。断じて)に一晩の宿と食事を提供した善意の人だ。冬の寒空の下に放り出すのではなく、警察に突き出すのでもない。迷える異邦人を「保護」してもらうのだ。


 妙な連中が来たと騒ぎ立てたり、こいつらが暴れたとかなんとか言って、祖国に損害賠償を求めたりしない。


 自信をもって言おう。あたしは、少しも人道に反していない。


「アリサ様……?」


 立ち上がって拳を握りしめたあたしを見て、イセリナが下から覗き込むようにして声をかけてきた。


 そんなに不安げな顔をしないで欲しい。あんたたちが、変なことを考えている異邦人でなければ、意外と友達になれたかもしれないわね。イセリナはお酒好きだし。


「なんでもないわ。おデブ、しじみの味噌汁だったら、お替りしてもいいわよ」


 もうすぐお別れの時間が来る。その時こいつらは、あたしが結局警察を呼んだことを知るのだ。少しでもいい印象を持ってもらおうとでも思ったのだろうか。イセリナの視線を躱しつつ、スポーツドリンクの代わりに出した牛乳を眺めているおデブに優しげな言葉をかけてしまっていた。


 我ながら、なんて狭小な器だろうかと再びため息を突きながら、キッチンで味噌汁を茶碗に入れた。




「……あんたたちは、今日一日何をするの?」


 こういう時――心に秘密を持っている時、人間は沈黙を苦痛に感じると聞いたことがあるが、それは正しいようだ。あたしは食堂に響く味噌汁を啜る音と、イセリナが二日酔いの頭痛に呻く悩ましい声の合唱に耐え切れず、聞いたところでどうしようもないことを聞いてしまった。


「予定は特にございませんけれども、もしよろしければ、お姉……アリサ様にお料理の手ほどきなどしていただければと」


「いいね! そうすれば、イセリナと旅をしてる時も美味しいものが食べられるもんね!!」


 なぜか頬を染めたイセリナの発言を聞いて、おデブが顔を輝かせた。


「イセリナときたら、とにかく料理が下手でさ! 魔物退治で旅が続くと僕がご飯の担当なんだよ?」


 嫌になっちゃう。と言って今度は頬を膨らませたおデブを、イセリナがさっきとは違う感じの赤い顔で睨んでいた。なかなか表情豊かな二人だが、対するあたしの表情は固まっていた。何しろ、あと十分ほどで神崎が来る。のんきにお料理教室の真似事などしている場合ではない。


 自分で話題を振っておいてなんだが、あたしは答えに詰まっていた。何か気の利いた返答をして場を繋がなくては――。


 ピンポーン!


「――!!」


 あたしの背中を汗が伝い始めた直後、インターホンが高らかに電子音を響かせた。


 神崎が、来たのだ。一応外の音には注意していたはずだが、車が登ってくるエンジン音は聞こえなかった。冬月のすぐ下を走る道路は、下り坂のヘアピンカーブの終わりから一気に上り坂直進となる。普通のドライバーは、必ずそこでアクセルを踏むことになるため、車種によって差はあれどもエンジン音が聞こえるのだ。もちろん、屋外の話なので、聞き逃したと言われればそれまでだ。


 ピンポーン!


 再度、インターホンが鳴らされた。このまま放っておいて高〇名人をされては堪らない。あたしはパタパタとスリッパの踵を鳴らして早足で歩き始めた。イセリナとおデブは、玄関からは死角になるテーブルに移動していた。二人の顔を見ないようにして、あたしは玄関に移動した。


「ちわーっす! 三河屋です!」


「……」


 ドアを開けると、霧の中から現れた怪物なんじゃないかと思わせる脂ぎった笑顔の神崎が立っていた。相変わらずタバコ臭い息と共に吐き出されたセリフの意味が分からず、あたしが黙っていると、怪物もとい神崎はぐへへと笑った。


「冗談ですよ、奥さん。おはようございます」


「……おはようございます」


 白い息が、ヤニのこびりついた歯がまばらに並ぶ口から漏れ出ている。あたしは可視のものとなった毒ガスから意識的に距離を取って、挨拶を返した。


「そう嫌そうな顔をしないでくださいよ。私、ほんとは今日非番なんですよ? ま、警察が訊ねてきていい顔するやつなんざいませんがねぇ」


「はぁ、そうですか。すみません」


「いえいえ、お気になさらず。市民の安全を守るのが、仕事ですからね」


 なら始めから非番だのと恩着せがましいことを言わなければいいのだ。お前みたいなやつがいるから、税金で食っているくせにとか彎曲した考えをもつ市民が増えるんだろうが。今のあたしのように。


「それで、密入国の疑いがある男女ってのは、中に居るんで?」


 あたしが雑談に興じる気はないことを察したのか、神崎が本題を口にした。


「ええ。食堂におります。電話でも申し上げたように、暴力を振るったり、暴れたりすることはありませんでした。ですから、できるだけ……」


 穏便に――と言おうとしたあたしは凍り付いた。神崎がよれたスーツの内側から黒い物体を取り出したのだ。


「ちょっと!! 神崎!!」


「……なんですか奥さん? 大きい声を出したらいけませんよ。外国人を刺激しちまうじゃありませんか」


 拳銃かと思ったそれは、警察手帳だった。


「……アリサ様?」


「イセリナ!?」


 あたしの声を聞きつけたのか、振り返るとシスター姿のイセリナが食堂から顔を出していた。その目には、昨日から今日までに見たこともない剣呑な光が宿っていた。


「何か……お困りですの?」


 この娘、こんな顔もするのかとあたしがたじろぐほどに、迫力のある顔で神崎を睨んでいる。


「ほーう。こりゃまた別嬪さんだ。奥さん、イセリナさんは日本語も堪能なようですな?」


 視線をまともに受けた神崎は気にした風もなく、昨日のあたしの発言に関する矛盾を突く余裕すら見せた。


「イセリナ・セオールバラですわ。あなたはどちら様ですの?」


 イセリナが一歩踏み出て、神崎を見下ろす格好で質問した。刑事相手に身元確認(てめーはだれだ)するなど肝が据わっているわと感心している場合ではない。イセリナはなぜか、今にも跳びかからんばかりの殺気を滲ませている。少しでも穏便に、安全に入国管理局だかに連絡してもらわねば。


「私は、こういう者でしてね……こちらの奥さんから連絡を頂いて、伺ったんですがね?」


 さらっとあたしが通報したことを暴露した神崎は、開いた警察手帳をちらつかせながら玄関に侵入した。警察バッジを見せながら「こういう者」と言って、異邦人に身分証明(おれはけーさつかんだ)できるわけがないだろうに。


「イセリナ……落ち着いて聞いて? このおっさんは、警察の人なの」


「まぁ……警察ですの?」


「奥さん、おっさんとは酷いじゃないですか」


 あたしが険悪な雰囲気の二人をなだめようと間に入ったところ、イセリナは目を見開き、神崎は口を尖らせた。


「アリサ……どうして……?」


 さらに、おデブのエルバインまで食堂から顔を覗かせた。その表情はひどく悲しそうに見えたが、それは仕方のないことだ。


「あたしは日本人だから、日本の法律に従わなきゃならないわ。あんたたちがどこから来たのかわからないけど、密入国してきた人間を匿ったらあたしも罪に問われることになるのよ? わかってちょうだい……」


「いやあ、さすが奥さん! 日本人の鏡ですな!」


 法律を遵守する――たったこれだけのことができない輩が多いですからなあ!などとのたまいながら、神崎が胸元に警察手帳を仕舞い、代わりに銀色に光る輪を取りだした。二つの鍵穴が付いた輪が、細いチェーンで連結されているそれは、間違いなく手錠だ。


「シスター風の女と金髪の少年。お前らはどこから来た? 奥さんが言うには異世界から来たとかほざいとるらしいが、本当のところはどうなんだ?」


 神崎は、手錠をこれ見よがしに回転させながら、詰問口調で話し始めた。


「わたくしたちは、ジュエルミナスという世界から――」


「何を言っとるんだお前は? 世界地図のどこを探したってそんな国はない! 警察なめてんのか? ああン!? お前らもしかして、どこぞの病院から脱走でもしてきたのか!? くだらん妄想こいてると、入管すっとばして女神湖にでも叩き込むぞ!」


「ちょっとあんた!! 言い方ってものが――」


 イセリナの発言を遮って、罵言を吐いた神崎にあたしが食って掛かると、神崎が冷酷な目に僅かに下卑た色を滲ませてあたしを見下ろした。


「奥さん、今私は、警察手帳を見せて身分を理解させた上で、密入国の疑いがある連中に職務質問(・・・・)中でしてね。邪魔するってんなら……公務執行妨害ですぜ?」


「――!!」


 さっきは非番だと言っていたくせに。などと言っても通用しまい。


「この不快な態度の男が、アリサ様のような方が暮らす世界では平和維持の要だなんて……信じ難いことですわ」


イセリナは先ほどとは打って変わって冷めた表情を浮かべていた。表情とは対照的に、彼女の青い瞳には静かな怒りが燃えているようだった。


「イセリナ――」


「へっ。美人シスターに冷たい目で睨まれるってのも、そそるってもんだ」


 その迫力に押されてあたしは言葉を失ったが、神崎はまったく臆していなかった。


「イセリナ。ダメだよ」


 神崎の言葉を聞いていよいよ表情を消したイセリナの肩に、そっと手を置いたおデブが言った。


「オジサンも、ケイサツだかなんだか知らないけど何しに来たの? イセリナを怒らせるなんて、自殺でもしたいわけ?」


 イセリナを抑えておきながら、神崎を挑発するようなことを言って、おデブが近づいてきた。


「お前さんはいったい誰なんだ? まさか、なんとかミナスから来たとかいう気じゃないだろうな?」


「僕はエルバイン。理由があってジュエルミナスから来たんだ。オジサンが信じなくっても構わないから、放っておいてくれないかな? 明日には帰る予定だからさ」


「ちょっと奥さん。本当にこのガイキチと一晩明かしたんですか……? いやいや御冗談を……おいエルバインとやら、お前はどうやら病気らしいぞ。まずパパとママはどこにいる? もしかして、両親とも入院してますとかそういうオチなのか?」 


 侮蔑しきった感情を隠そうともせず、唇を歪めて話す神崎にあたしも我慢の限界だった。こいつは刑事としてとかの前に、人として最低だ。


「ちょっと神崎!! 表へ――」


「そんなに言うなら、連れて行ってあげるよ」


「――え?」


 あたしが表へ出ろ! という前に、エルバインの低い声が室内に響き渡った。今までのどこか子供じみた声音ではなく、どっしりとした迫力を持っていた。


「いいだろ? イセリナ」


「構いませんわ」


「決まりだ」


 イセリナが無表情のまま、懐から何かを取り出そうとした時であった。神崎が素早く移動し、その手を掴んだ。


「おっと! 何を出すつもりか知らないが――があっ!!」


「汚い手を離せ」


 イセリナの右手首を掴んだ神崎の左手を、一瞬で勇者が掴み、捻り上げた。二人とも体格はほとんど変わらない。神崎もたいがいデブだ。警察官というのは犯罪者を取り押さえるために、ある程度の格闘技術が要求されるというイメージだが、神崎は顔だけは少年のエルバインに関節を決められ、無様に喘いでいた。


 イセリナはその状況には特にコメントせず、懐から青い石を取り出して、ブツブツと口の中で何事かを唱え始めた。


「なあっ!? 貴様! 離――あっがが!!」


 手首を肩甲骨辺りまで強制的に捻り上げられて、神崎はさらに悲鳴を上げた。神崎の力が弱いのか、エルバインが強いのかよくわからないが、とにかく醜いオッサンは玄関に膝を突いてしまった。


「では――参りましょうか」


 そうしている間にも何かを呟いていたイセリナが、懐から取り出した青い石を掲げて高らかに叫んだ。


転 送(ダテントランスポルト)!!」


 イセリナの声と共に、青い石が音もなくはじけ飛んだ。石に注目していたあたしは、破片から身を守ろうと目を瞑り、頭と顔を抱え込んだが、特に飛来する物はなかった。


「……?」


 恐る恐る目を開くと、あたしの周りを青く燐光を放つ粒子が覆っていた。次いで、ふわりと身体が浮かんだような、不思議な浮遊感が襲ってきた。そして、あたしの身体は天井に向かってロケットのごとき勢いで上昇した。


「きゃあーーっ!!」


 我ながら情けない悲鳴を上げたものだが、結局のところあたしは天井に突き刺さって死ぬようなことはなく、まるでそこに何もないかのようにすり抜けた。あっという間に特別室のスクリーンを通り抜け、灰色の塊に突入した。それが厚い雲だったと気付いた時には、あたしは青く美しい星を見下ろしていた。


 ああ、ガガーリンはこんな気持ちだったろうなと思った直後、あたしは気を失った。


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