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勇者が痩せないと、滅ぶ世界  作者: セキムラ
第三章 異界の人間コンニチハ
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1.神崎と東山

 神崎義春は、警察組織の階級で言えば刑事である。

 

 三十五歳で刑事となった神崎は、精力的に捜査に臨み、数々の事件を解決に導いた。粘り強い捜査手腕を買われ、四十二歳で捜査一課に配属された年に発生したのが、葛城冬人の変死である。


 直前に発生した交通事故で、実質的に会社を掌握していた月子が死亡しており、相次いでエネルギー業界のトップが死亡したこの年、世界は揺れに揺れた。


 葛城親子が死んで得をする人間など、数え上げればきりがない。


 中でも筆頭は、本社の上層部の人間と冬人の妻アリサであった。莫大な遺産を目当てにアリサが殺人を計画した―実は上層部の誰かと共謀だった。月子の事故すら計画か。偶然訪れた機会を利用したのか。


 警察内部でさまざまな憶測が囁かれ、まだ事件と断定もされていないうちに捜査本部が設置され、当初二百人の人員がそこに配備された。もちろん警察幹部もこの剣の行く末には大きな興味を持っており、次期警視総監と目される男が陣頭指揮に名乗りを上げたとまで噂されていた。


 神崎は、冬人の変死体発見の通報が入った当初、たまたま非番であったにも関わらず、署長から直接の電話で呼び出された。それが、自分にかけられた期待の表れであると理解した神崎は、人が死んだにしては不謹慎なほど意気揚々と現場へあしを 踏み入れたのだった。


 そこで神崎は、アリサと出会った。半狂乱の家政婦と違い、夫の遺体があるリビングから動かず、神崎の質問に気丈に答えるアリサに対し、彼は好感を抱いていた。神崎の常識では、配偶者を殺した犯人は、罪の意識に駆られて殺害現場や死体には近づかないものだ。やたらと死因や事件性について初端から質問してくる輩もあやしい。アリサの行動は、神崎が描く犯人像とはもともとかけ離れていたが、捜査官としてあってはならないことに、神崎は当初、彼女が犯人でなければいいと思っていた。




 司法解剖の結果、現場に残された証拠、関係者の証言――神崎が得た情報の全てが冬人の死を自殺だと告げていた。


 神崎は、その後もしつこくアリサのもとを訪れていた。理由は単純に、彼女に会いたかったからである。十代の少年のように純粋な恋心と言えば聞こえはいいが、すでに自殺とされている人間の周囲を嗅ぎまわるようなマネをして、警察に良い感情をもつ遺族はいない。しかも葛城親子の死は、エネルギー業界のみならず、政財界に大きな動きをもたらしていた。自殺と断定したならしたで、警察は捜査を継続する必要はない。むしろ、早々に手を引くべきだった。葛城アリサが警察相手に苦情を申し立てたりした場合の社会的な影響を考えれば、神崎の行動は看過できるものではなかった。


 葛城アリサが旧姓に戻り、長野に引っ越した後になっても、陰謀説まで持ち出してアリサの周辺や会社関係者に強引な聞き取りを行う神崎であった。彼が出向という名の左遷という憂き目を見たのは、半ば以上自業自得である。しかし行き先が長野と聞いて歓喜に震えながらデスクを整理した神崎を見送る上司の目には、憐憫よりも呆れが多分に含まれていた。







 東京から、犯罪捜査のスペシャリストがやってくる。


 これが、神崎が長野県警に転属になった際の触れ込みである。長野全体の犯罪検挙率は決して低くはなく、新年を迎えてあわただしい職場において、勝手の違うベテラン刑事の存在などお荷物にはならなくても邪魔でしかない。


 異動のタイミング、理由、異動後待遇の低さ、異動してきた本人の態度。どれをとっても謎だらけの神崎に対して、年齢が上の刑事や階級が上の署長ですら、ひきつった笑顔で「神崎さん」と呼びかける。


 まさに「腫れ物」である彼は、事件らしい事件が起こってもどこ吹く風。長野市民の安全には興味がないとばかりに無関心、不干渉を貫いていた。それでもいたずらに首を突っ込んで署員とトラブルを起こされるよりはましだと、誰もが無視を決め込んでいたのだった。


 そんな神崎のパートナー兼『世話係』に任ぜられたのが、若き新人東山邦弘であった。東山は二十九で刑事となり、これからが期待されている新進気鋭の―というにはあまりにもおっとりした性格だった。刑事をやるよりはんなり京都で茶の湯でも嗜んでいればいいと言われるほど、よく言えば物腰の柔らかい好人物であり、先輩刑事をして正直に言わせれば、精彩を欠いた男である。


 そんな彼を鍛え上げようという上司の計らいで、強行犯係りに配属されたこともあった。その年、市内で放火の疑いが強い不審火が連続して発生した。三件目が発生した時点で、一件目の不審火を消防が放火と断定。その後も一日か二日おきに発生する放火事件に、昼夜交代で狙われやすい建物やごみ捨て場などに監視が立つ事態となった。そして、東山が担当していた地区に不審火が発生した。


 現場に急行し、マニュアル通りに野次馬に目を光らせていた東山は、一人の青年に目を留めた。青年は上下グレーのスーツを着込み、白いワイシャツに紺のネクタイをダブルノットに結んでいた。背後で築五十年の老舗呉服屋の壁を舐めるように燃える炎に照らされて、黒髪をピッタリと後方へなでつけたポマードが光っており、店舗が燃える煙の臭いの中に在っても、その強烈な香りが鼻を突いた。


 昼間に青年を見かけても、出張帰りかこれから遠出するサラリーマンとしか思わなかったであろう。しかし、東山が野次馬の中に青年を見出したのは午前四時。皆が寝間着の上にダウンジャケットや半纏を羽織った格好で、足元はサンダルや踵を履きつぶしたスニーカーなどで集まっている中で、大きなボストンバッグを肩から下げ、磨きこまれたエナメルシューズを履いたスーツの青年は、明らかに浮いていた。


 東山は、誰と連れ立ってきたわけでもないようで、野次馬たちの会話には加わらず、一心に炎を見つめている青年に警察手帳を見せ、職務質問を行った。手荷物も改めた。残念ながら不審であったのは外見だけで、その青年はただ始発に乗るために早起きしたサラリーマンであった。


 青年は東山にあれこれと質問してきた。的外れな職質を行ったことで負い目を感じていた東山は、青年の質問に真摯に答えていた。青年の質問の中には、「警察は二十四時間体制で見張っているのか」「何人くらいがどの辺りにいるのか」「私服なのかスーツなのか」など、一般人が素朴に質問してくるには具体的に過ぎるものが多く見られたが、東山は特に疑念抱くことはなく、青年にしてもただの雑談のつもりであったのだが、彼らの会話を立ち聞きしていた少年にとっては、実に有益な会話を繰り広げていたのである。


 それから三週間ほどで発生した不審火は十九件。全てが同一の手口であり、警察が重点的に見回りを行っていた地区を見事に避けて発生することから警察内部の犯行ではなどとメディアに叩かれる始末に、県警からも人手を借りての人海戦術が始まった。


 結果的には、最初の不審火発生から一か月半ほどで放火魔は御用となった。逮捕された十代の少年が、経験を積むために取り調べに同席した東山に向かって言い放った。


「あんたのおかげで助かった」




 あれから三年。東山は、漂ってきた安酒の香りで現実に帰ってきた。長野市街にあってなぜか蓼科方面の警察無線を傍受している神崎が、クラウンの助手席で開けたワンカップを、喉を鳴らして飲み始めたのだ。

 

 始まったよ。


 神崎と組まされて一か月。自分でも温厚だと思っていた性格は、少しずつ捻くれ始めていた。


 聞えよがしにため息をついてやったが、東京からやってきた腕利きらしい刑事は気にした様子も見せなかった。今度は舌打ちでもしてやろうかと舌を口蓋に這わせたとき、神崎の太い腿の辺りから機械音が聞こえた。


「…神崎さん…携帯、ブルってますよ」


 瞬く間にワンカップを飲み干した神崎は、早くも二本目に手を伸ばしていた。頼むから、さらに強烈な芳香を放つ酢イカの袋は開けないでくれと願っていた東山にとって、着用したまま眠っているのだろう、裾まで皺だらけになったスラックスのポケット内の、ガラケーが発する微弱な振動音を察知できたことは、まさしく僥倖と言えた。


 人は快不快に関わらず、狭い空間を共有している相手の挙動と音に敏感になるものだ。


 やや上を向き、口を開けたままで液体を嚥下するという珍技を使って二本目を飲み干しにかかっていた神崎は、口元のカップは動かさず、酒を嚥下する喉の動きまで継続しながら、決して広くはないクラウンのシートで身を捩り、神崎は素早く携帯を取り出した。


「もしもし?」


 画面に表示されている番号を見ようともせず、警察無線の音量を大幅に下げて、神崎は電話に出た。


「ああ、こりゃあ、奥さん……」


 携帯で話す神崎の顔に浮かんだのは、東山が初めて見る笑顔であった。普段鷹揚な態度を崩さない神崎であったが、よほど嬉しい相手からの電話なのだろう。頬の肉を歪ませ、いっそう油が濃く浮いた鼻の頭を掻きながら話す中年刑事の笑顔は、ひたすらに不気味ではあったが、歓喜しているという感情だけは十分に東山に伝わっていた。


 奥さんとかなんとか言っていたが、神崎が長野(こっち)に来てから非番と寝ている時間以外はほぼ全ての時間を共有している。女の影はうかがえなかった。


「ええ、わかりましたよ。じゃあ、明日朝イチバンで……」


 名残惜しそうに開閉式の携帯を閉じて、ほう、とため息をついた神崎であった。再び車内に安い米酒の香りが充満した。できるだけそちらを見ないようにと顔を背けた東山の耳に、ガサガサとビニール袋を漁る音が聞こえた。


 くそ、開けやがった!


 酢イカの匂いまで加わり、冷たい夜気が入るのも構わず、東山は運転席の窓を全開にして、顔を外に出して新鮮な空気を吸った。


「お前、明日は休んでいいぞ」


 先ほどまでの慇懃な口調はどこへ行ったのやら、普段の鷹揚な態度に戻った神崎が東山に不平を言ったような気がしたが、神崎の口から出たのは別の言葉だった。

 

 休んでいいと言われても、神崎に休暇をどうこうする権限などない。意味が分からず、無視して悪臭に眉をしかめていると、神崎が身体をゆすって笑いだした。


「へへへ…明日はちょいと、蓼科に行く用事ができたからよお。お前は来なくていいってこった」


「はあ、それはどうも」


 目的など聞いても仕方あるまい。どんな悪趣味な女と会う気か知らないし、知りたくもない。来なくていいと言うのなら、行きませんとも。


「じゃ、明日も早えからな。家まで頼むわ」


 警察車両はタクシーじゃないと諌める気にもならず、東山は車を走らせた。


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