Episode14
人のうわさも75日…とはよく言われるが…。
例の研究所倒壊事件から1カ月、上層部の人間の多数の命が失われ、生存不明の研究所の人間も9割が行方知れず…。
世間的には新しい情報も入ってこず、芸能人のスキャンダルやもっと世の中にありふれた事件…そんな物に混じって次第に過去の出来事として世間の記憶から薄れて行った。
そして9月1日…学生は夏休みが終わり2学期の始まりである。
茶のショートヘアに金の瞳を携えた学生服の少女、マコトも登校日である。
…しかし、もちろんというか……
「何できちんと起こしてくれなかったんだよ~!」
「時間通りに電話はしただろう!?」
端末の画面越しに怒鳴りあう二人、茶のショートヘアはスカートをはためかせ、住宅街に敷かれたアスファルトの道を駆けている。
端末のホログラムの向こうにはあきれ顔でその姿を眺める空色の瞳…その視線には目もくれず右手に装着した異能制御装置に付随した時計に注目し、再び
「5分後に電話するとか気づかいをだね…!」
逆切れに近いそれを打ちだし、青の目は冷ややかに
「5分後は俺は登校中だな。ついでに『起きた』と言ったのはお前だ」
打ち返す。
事実を述べられたわけだが、そのようにサラリと受け流されてしまっては自分への怒りのやりどころがなくなってしまう。
青の瞳への苦言を必死に考えながら学校が見える十字路を曲がる…そしてその瞬間
「うわっ!?」
「ッ!」
何か柔らかいものにぶつかり、少女はアスファルトに尻もちをついた。
同時に意識の底で聞き覚えのある声が声にならない悲鳴を上げる。
地面を滑るような音をたててそれはマコトの正面に倒れ伏した。
「…わりぃ!大丈夫!?」
やってしまった。異能者である彼女は何かにぶつかったら無意識に障壁を張ってしまう。
障壁に普通の人間が触れたら日ごろの生活では決して味合わないほどの反発力で弾かれてしまうだろう。
受け身を取ったところで異能者でない以上多少の怪我は覚悟してもらわねば……だが、一般人に危害を与えないことは約束の第一項である。
マコトは大慌てで倒れ伏した人間を助け起こした。
「……はい。」
マコトと同じ女子制服を着たその人はまるで寝ぼけているかの様な柔らかい視線でマコトを見上げる。
瞬間、マコトは脳が理解するよりも早くその人の手を離し飛び退いた。
腰まですらりと伸びた髪をまとめ、ガラス玉の様な瞳、そして整った中性的な顔つき……
理性よりも本能が警鐘を鳴らす。
少女には彼女が研究所の幹部……忘れることのできない顔に見えていた
「ニス…!」
「は?」
素っ頓狂な返答と共に紫紺のビー玉の様な瞳が見開かれる。
そのあまりにも清浄な蒼さに臨戦態勢であった少女は一瞬冷静になった。
彼の瞳は確かピンク色だったはず…
それに思い当たり厳戒態勢は少しずつ解かれていった。そもそも戦うような仲じゃない。
すらりとした長い髪は自分よりも濃い茶色、色素の薄い金ではない。
何よりその人の醸し出す雰囲気は彼が放っていた黒々しく幼いオーラとは遠く離れ、大人びた…だがしかし未だ子供である少女…しかも清浄なものであった…。
「………じゃ、ない?」
返答は期待していなかった。仮にニスであったとして目の前の少女はニスであると自己紹介しないだろう。
「誰です?ニスって…」
予想通り目の前の少女はとぼける。
マコトはじっと少女の目を見つめ、困惑する少女は瞳を揺らした。
それは揺らせば散ってしまいそうなカスミ草の様で儚げだった…放っておける者はそうそういないだろう。
「……ごめん、人違いだった」
そう言って少女の肩にポンっと手を置く。柔らかい感触、女性であることは間違いない。
仮に、あの少年が魔法で自分のカラーと性別を偽っていたとしよう。
そうしたところでここまで儚げな雰囲気を出すことは可能だろうか?いや、そのようなことはないだろう。
あくまでマコトの直感だが、この少女とあの青年は相反する存在だ。そう思えたならば疑う必要はない。
マコトは警戒心を解いて笑顔を見せた。
「怪我しなかったか?」
助け起こした時の体制から地面と接触したであろう部分へ金の瞳を走らせる。
青白いほどまでに白い肌には異常は見受けられない。
「はい、大丈夫です。ところで、それ…」
少女は白魚の様な指でマコトの右手を指した。え?っとマコトは右手の甲を見、くるりと手のひらへ返す。
覚醒前にはよく付けていた、懐かしの擦り傷が手のひらにあった。
存在を認識すると、とたんにじくじくと痛みだす。
「ありゃ…障壁不調か」
最近転ぶぐらいなら怪我しないのに。口の中で呟きながら、鉄の味のするそれに唇を這わす。
「ああ…!菌が入ってしまいます…!」
少女はあわててマコトの手を取る。ひやりとした手が優しくマコトの手を引き寄せる。
マコトは驚いて目を見開いたが抵抗はせず、その手をさしだす。
少女はあくまで清浄な雰囲気のまま、傷へと唇を近付ける。
そしてふぅっと小さく息を吐いた。
すると今までの痛みが一瞬裂けるように痛み、マコトは手をピクリと動かし、顔をしかめる。
「いっつ…」
少女は白い指先で傷を撫でる。するとみるみるうちに擦り傷は浅く、薄く…そして出血も止まり跡形もなく消えてしまった。
「凄い…完全な治癒魔法?」
「私にできる…唯一の事です。」
少女は目を伏せ小さな声で呟く。謙遜で言っているのだろうか、それとも本気だろうか…そんなことなど気にもせずマコトは少女の細い手を握る
「君すごいな!私こういうの相当気合が居るし!完全には治せないし!」
金の瞳をキラキラと輝かせながらマコトは声を弾ませた。
過去受けた傷を自分の魔法で治そうとして倒れた経験がある。
いわばマコトの能力は人を傷つける能力、癒すことができればどれだけ自分の精神が救われただろう。そう思ったことも数度ではない。
「そ、そうですか…?」
困惑する少女の手を揺さぶりながらマコトは続ける。
「私マコト!高等部1年の異能クラス!君は?」
「…ルーシー、中等部3年の異能クラスです」
輝く瞳にまっすぐに見つめられ、委縮するやら恥ずかしいやらで白い頬を桜色に染め、答えた。
ルーシー…異国の血でも入っているのだろうか。そう思うとこの世間離れした美しさにも納得がいく。
「ルーシーか、よろし…」
そこまで言ったところで目の前に見える学び舎から始業5分前を知らせるチャイムが鳴り響く。
「あー!!ちょっと待って今行くから!」
チャイムに待ってと言うだけ無駄だとトオルならば言うだろう。
しかしそれどころではない。時間よ止まれ…!マコトは願うが、いくら高レベルの異能者であってもその祈りは届かない。
「初日から遅刻は勘弁!君も遅刻しないようにね!」
本気で走っていけば間に合わない距離ではない。マコトは走り出した。
…が、世の中うまくいかないもので…よもや寝坊の天罰なのだろうか。交通量の多い交差点の信号に引っ掛かり、それでも無情に時計の針は進んでいく。
そういえば少女は?同じ学校ならば同じ道を通ってもよさそうなものだが見かけない。
マコトの足でおいてきてしまったというのならば納得もできるが、ああ、お仲間か…とマコトは信号の青を合図にスタートダッシュを決める。
持ち前の身の軽さを生かして校門も無視し、学校を囲む塀を飛び越えたところで教頭に見つかり怒鳴られる
「塀を超えちゃいけないって校則ないし今急いでるんです~!」
マコトは既に鳴り始めている本鈴が耳に入ると、ままよと自分の教室の開いている窓へと飛び込んだ。ちなみに彼女の教室は2階である。
「…なんだ榎本は初日から遅刻か」
「はーい!先生います!いるからセーフ!!」
窓枠に足をかけ、土足から上履きへと履きかえながらマコトは教室に入り込んだ。
クラスメイトは歓声をあげる者もいれば、飽きれるものまで反応は様々だ。
「…榎本のガッツに免じて今日は遅刻にはしないでおいてやる…だがちゃんと昇降口から入ってこい、分かったか?」
「はーい」
愛想笑いをしながら自分の席に着く。
教室を見渡すと、あの事件の時から浸り、解決後少しずつ抜けていった、心の中の澱の様な非現実が流されていくように思えた。
やはりこの世界に浸っていくことこそ幸せなのだろう。
だがカバンから課題を出していたときに落ちた赤いパスケースがまた澱を広げる。
机に落ちた拍子に開いたパスケースにはチャージ型の電子財布カードと、粗末な作りをした免許証の様なもの…特級ライセンスの仮証明書だ。
自らこの道に進むと決めた。ならばこの毒、皿ごと喰らうしかあるまい。
マコトはパスケースをカバンに戻し、担任の声かけに合わせて課題を提出していった。
夏休み明け初日と言う事もあり、全校集会、席替え等々、節目の行事で午前中は終わり、昼食の時間となった。
マコトは巾着に入れた弁当袋を机の上において、机につっぷしながら隣の席のクラスメイトになんとなしに話しかける。
「カナー…ねむいー…」
「寝不足なの?」
クラスメイト、カナ。
彼女の属性は識と土、接触感応力に近いがその”土地”の歴史を視ることに特化している。土と相性が良いらしい。むしろ土以外に自分の異能力が繋がらないのだと本人談。
売店で買ってきたパンを頬張りながら、異能制御装置の組み込まれた眼鏡の鼻付近にあたるブリッジをクイッっとあげて、カナはだるそうに机に突っ伏す少女に目を向けた。
「へへへ……昨日徹夜で課題」
「マコトっちは課題は最後まで取っておく人か」
「初日はやる気あるんだけどね~。…色々あって引きこもってるうちに夏休み終わっちゃった」
「中間が一番やる気がなくなるよね」
悟ったかのように眼鏡の少女は口元についたマヨネーズを親指で拭う。
単純に面白い奴だ。マコトはそう思いながら指先の動きを目で追う。
そしてはたと気付いた…いや、思い出した。
「…そう言えばカナって結構噂好きだよね。」
「まあ東に恋の気配有れば駆けつけ、西にスキャンダルがあれば自転車に乗ってさっそうと現るのが私かな」
机の中から使い古したメモ帳を取り出す。
彼女の能力の特性なのだろうか。有事の際には詳しく知りたがり、そして記す癖がある。ある意味では彼女が持っているメモ帳は歴史書に当たる。
研究所壊滅事件も、マコトやトオルが関わった事を知ったらそれこそマスコミの様に付きまとう事も考えられる。もちろん当人の迷惑について考えることはできるため、そこは自制が効くのだが。
「じゃあ中等部3年の異能クラスの子知らないかな、髪が凄く長くて、何かすごく控えめな青い?…紺色の目の子」
「ああ…流誄梓ね」
「ながれルイシ?」
彼女の口から出た名前は似ているようで異なる名前だった。
素っ頓狂な声をあげ、その名を繰り返す。
すると眼鏡の少女はメモ帳をめくりながら
「通称ルーシー…。どちらかと言うとルーシーの方が本名か」
「あ、そうそうその子」
「…清竜神社は知ってる?」
清竜神社…現地人なら大概の人間は知っている比較的大きな神社だ。
水をつかさどり、過去、まだ異能力が科学的に判明されていない頃には神がかりの力で雨を降らせ、大地を潤し、農家などの雨水を欲する民にとっては竜神の使いと信仰される。
現代こそ竜神の仕業と思われていたことが清流神社の家系の力だと証明されているが、やはり水を欲する民は絶えず、栄えている。
…と言ったことを以前カナから聞かされた。何かのイベントで参拝した折にその光景が見えたらしい。
そして神主の言葉や地域に関わる書物はその光景を肯定した。
「そこの一人娘。詳しいことは分からないけど神主が外国の女性と相思相愛になった。けど先代神主は外国の血が入ることを良しとは思わなかったらしい。二人の結婚は反対したが現神主もなかなか頑固と言うか…結婚を認めさせて生まれたのが彼女だな。誄梓は戸籍上の名前だがルーシーが通名…どうやら母親の名付けと先代神主との間でまたひと悶着あったと…この神社の氏の噂」
そして少女はページをめくり続ける。
「彼女は、弓道部で有名でね。弓を引く姿が神々しく男子にモテモテなんだけど、自己評価が低いというのか『私なんて…』って感じで一蹴して撃沈してる男子が多いんだって。
性格は引っ込み思案で目立つことを嫌ってるところから成績や異能もかなり手を抜いている…という噂」
「……実は男の子とかってオチはない?」
マコトは大まじめに問う。やはり先ほどの疑念は拭いきれてないのだ。
彼女の質問を聞いて、カナは数秒ポカーンとマコトの金の瞳を見つめ…吹きだした。
「ないない!あーおかしー!!あの顔と物腰で男の子とか私自殺考えてしまうぞ」
腹を抱えながらカナはジュースが飲めないと文句を言いつつケタケタ笑っている。
そこまで笑う必要は…無いとはとてもじゃないが言えなかった。記憶に刻み込まれているあの薄い金髪にピンク瞳の男子…どちらかと言えばアレを女と疑わなかった方が間違っていたのだ。
「あーそうだよね。私がどうかしてた」
隣の席の彼女をなだめて自分も昼食を取ろうと巾着を開けた…その瞬間
「トオルとマコトー!」
教室のドアから大声をあげたのは担任の教師であった。
本を読んでいたトオルは眼鏡を外して担任の方に目をやる。
マコトも巾着を開ける手を止めて担任のかったるそうな表情を見た。
「…なんだか知らんが呼び出しだ。校長室へ来い」
「えっ!?私何かした!?」
椅子が倒れんばかりの勢いで立ち上がり、隣の席の少女はスキャンダルか?と目を輝かせている。周りも、なんで二人がセットで呼ばれるのかとざわめき出す。
その間にもトオルは無言で席を立ち廊下へと向かって行った。
好奇の目にさらされた少女は迷った。この場でクラスメイトが興味を持つような内容ではないはずととりなすか、そのまま黙って校長室へ行くか…
だが数秒迷って、後で頭の回転の良いトオルに任せればよいと気付いてそのまま教室を発った。
まばらに廊下で談笑するグループをすり抜け、速足で廊下を抜けて行くと
見慣れた背中が前を歩いている。
そういえばあいつに話しかけるときは後ろからが多いな、とマコトは呑気にも思う。
自分が突っ走ってしまう事も多いが気がつけば彼が一歩前にいる。
戦場でもプロとしての力量も何もかも、単純な火力なら自分の方が強いが……。
いつか並べる日が来るだろうか…そしてまた大切な人ができたら守れるだろうか……。
「……おい」
不意に背中が話しかける。マコトは我に返って返事をした。
すると不満げな表情をした青い目が振り返って後ろを歩く少女の金の瞳を捕らえる。
「お前端末落としただろ」
唐突な発言ではあったが記憶を辿る。
喧嘩…と言うか八つ当たりをしながら道を曲がり、少女にぶつかった…その後、端末はどうしただろうか?
いつも癖で入れているポケットに端末は影も形もない。そもそも通話を切った記憶もない。後は走っていて端末を見る余裕もなく、彼女は基本的に休憩時間などは端末をいじらない。
「あのとき吹っ飛ばした!?」
「……やっぱりな。通話中に落とすなんてどれだけ器用なんだお前は。」
あちゃーと頭を抱えて少女は唸る
「ちょっと…というかかなり興味深い人に会ったから…なんて言い訳してみるけどさ」
「興味深い?」
トオルはその言葉に反応する。
彼女が興味を持った人物はのちのち何かしらで深い関わりを持つ確率が高い。
そしてそれは……
「……厄介事に自分から首を突っ込むなよ?」
「分かってるよ。仮ライセンス貰えたんだから馬鹿はしたくない。」
厄介事につながることが多い。
それはマコト自身にも自覚はあったらしい。
カグラ、トオルを始め、ルカ、レイカ…そしてシオン。人物に限定しなければ大型客船ジェダイト号もそうだ。
結果論だが彼らに関わったから、例の事件にもかかわってしまったのだともいえる。
いや、件の事件の中心人物になるという予感があったから仲間を増やしていたのかもしれない。あくまでも、仮定の話しだ。そんなこと神でもなければ分かりやしない。
そのまま二人は無言で廊下を歩き、階段を下り、1階にある校長室前に辿りついた。
トオルはまるで慣れているかのように校長室のドアを3回ノックし、ドアの向こうから招く声を確認すると静かにドアを開けた。
「失礼します」
落ち着いて作法を準じる彼の後ろに続いてマコトは部屋に入った。
「しつれーしまーす。私何かしましたか?」
その表情があまりにも真面目だったのだろう。スーツを着込んで値の張りそうなオフィス椅子に腰かけた中年の男性…この学校の校長はくすりと笑った。
「いや、ちょっと特級ライセンス所有者と見習いに用事があってね」
「へっ?」
少女にとっては予想外な言葉が校長から放たれる。
仮ライセンスを手に入れたことは学校へは伝えていなかった。
そしてライセンス所有者と言うものは世間一般には公言しないものであった。そういう規則があるわけではない。
ライセンス所有者ということは一般的な異能者よりも自身の能力を鍛えているが、異能者はただそれだけでも世間からは化け物扱い、いうなればライセンス所持者はあえて自分から人間を捨てているのだ。
テレビの向こうの英雄が目の前にいたらそれは英雄だろうか?その人となりを信じられるならば英雄だろう。しかしそうでなければ…目の前にいるのは化け物を倒した化け物に変わりない。正義を語る権利を得てもそれは絶対的な物ではなく危ういものであった。
「…何か事件でも?」
まあ、座ってくれ、と応接用のソファに導かれ、トオルは慣れた様子でそう尋ねた。
流石に正規のライセンスを持っているならば校長へ一言伝えてあるのだろう。
何しろ学生兼警察業なら学校を休まねばならない日もいずれは出てくる。
もちろん協会の方ではそうならないように担当者を組むようにしているのだが。
二人がソファに腰掛けると正面のソファに校長が座り、膝の上で両手を組んで二人に向き合った。
「先に言っておくが本来は生徒を危険な目に合わすわけにはいかないので、これは専門職とその見習いに依頼する内容だ。」
「なんで私まで呼んだんですか?」
マコトは未だに釈然としない表情のまま尋ねた。
「…どうせ協会に依頼をしたら俺達が適任だと上の方が言ったんだろう。プリコグ(未来予知)科やらクリヤボヤンス(遠隔透視)科が依頼内容にあった情報を得て担当を決めるというのはよくあることだからな。」
「あーなるほど。」
「…まあ、そういう事だね。協会の上層部は君達に頼めばいいと言ってくれたんだ。本当は教育者としては君達に依頼するわけにはいかないんだが…」
「構いません。上層部が決めたのならばおそらく榎本の研修として的確な内容だと思われます。」
トオルはまっすぐに校長に向けて言った。
榎本など、普段名前を呼びもしないが呼ぶ時は下の名前で呼ぶ彼の聞き慣れない呼び名に奥歯が疼く感覚を受けながらも、背筋を正す。
「要するに学校で何かちょっとした事件でも起きてるんですか?」
「ちょっとした事なのかはこちらもまだ情報不足で分からないのだが…。
最近…と言っても昨日まで夏休みだったからな、部活動のみでまだ大事にはなっていないが、最近学校を休むものが多いんだ。」
学校を休む者が多い…正確には夏休みに入り部活を休む者が増えている。そういうことだろう。
だがマコトは首をかしげる。自分のクラスに欠席者はいない。
「そんな感じには見えないですけど…」
「不思議な事に異能クラスの生徒はそれほど変化はないんだ。普通クラスは昨日の部活動までの2週間ほどで一つの部に2~3人は休んでいる。それも特定の人物が続けて欠席している。」
「サボりじゃないんですか?」
マコトは素直にそう問う。
校長はその質問を受けて首を横に振った。
「サボりや、夏バテや悪質な夏風邪やらではないんだ。たとえ原因がそれらだとしても1学期に比べると欠席率は有意に高い。普段から統計を取っているわけではないんだが、欠席率が気になり調べた結果がこれだ。」
校長はA4の用紙を二人へ向けて差し出す。
それはここ一年の生徒たちの欠席数表とグラフを印刷したものだった。
マコトはさっと目を通し、数値の違いには違和感を感じなかったが、グラフにすると一目瞭然である。グラフが夏休みに入った7月後半…特に8月から欠席率を表すグラフがぐっと上がっている。
「夏季休暇中という事で別の部活の様子を知る機会も少なく、どの部活の顧問も生徒が数人休んでいるという認識でしかなかったが、蓋を開けてみればこういう結果だ。
各部活では少数でも、部活が楽しくて仕方がない生徒も休んでいたからやはり何かがあると踏んだんだろう。家庭訪問に行った顧問がいて、生徒にあった結果…その部活で休んでいる生徒たち全てがある日を境に生気が抜けたようになっていたんだ。」
「うっ…」
背筋に悪寒が走る。嫌だ、聞きたくない。そう本能が警鐘を鳴らす。
だがトオルの言葉を信じるのならばそれほど大きな事件ではない。この程度で逃げるわけにもいかず、マコトは革製のソファに爪を立て引っ掻いた。手のひらから汗が噴き出るのが自身にも分かった。
「その話を聞いた別職員も家庭訪問を行い、その部活どころか全員が同じ状態にあることが分かった。とはいっても人によって差はある。教員からの報告や保護者からの話によると、布団から出られず、寝るわけでもなしに天井を見つめ続ける生徒から、食事も取れず入院している生徒まで様々で…しかも少なからず家族にまで伝染している。どうにかこちらからの問いかけに応えてくれる生徒や、話を聞いていた保護者によると、毎晩、悪夢にうなされるそうだ。恐ろしい、怪物に追いかけられ、追いつかれて、八つ裂きにされる…目が覚めたら…」
「身体が縮んでしまっていた!」
どこかで聞いたアニメのセリフを続ける少女。少しでも悪寒から逃れる為の行動だったがあまり意味をなさず…それどころか
「ちょっと黙ってろ!」
指導者に叱られる始末。彼はこの悪寒は感じていないのだろうか…。
いや、それにしても真剣な話し合いを茶化すような態度はよろしくはないと分かるのだが。
少女は前の方に乗り出していた身体をソファの背もたれに預け、黙って話を聞くことにした。
「先ほど説明した通りだ。僕たちは情報を掴んだ時点で何かしらの異能力に関係した事件だと判断し、協会に連絡をして調査を依頼した。そして君達が選ばれた。そういうわけだ」
「…その原因を突き止め、排除しろ、ということで良いですか?」
トオルは落ち着いて依頼内容を尋ねる。
正規のライセンス所持者として認められるためにはマコトもこの依頼、進んで受けるべきだろう。
だが…悪寒が止まらない。強大な敵と対峙した時の様な精神的な竦みではない、もっと根本的な…そう、もっと生来的な…。
「あ、あのさ…私、ユーレイとか苦手なんだけど…」
「…は?」
鳥肌の立った腕をさすりながらトオルへ話しかける。
彼女の血の気の引いた表情を捉えると、彼は小さなため息をつき
「なら今回は俺だけでやるか?」
「……やる。やらなきゃ、いけない…」
冷え切った唇で意地にでもその言葉を繋ぐ。
「…君達はうちの生徒だ。ここは学ぶ場であり、危険に赴く場所ではない。大人が子供を守る場所だ。」
「そうです。俺たちはここの生徒…でも俺はそれ以前にプロです。仕事はやり抜いて見せます」
「…………。」
小さく震える唇で、言葉を作ろうと彼女は呼吸を整える。
「……俺だって自分が背負った十字架の為にプロにならなければいけない…。」
男装時の声で彼女は言葉を紡ぐ。人を助けることによって過去の犠牲を帳消しにすること等不可能。だがせめてもの償いとして、彼女は逃げるわけにはいかないのだ。
「…分かった。この事件、ぜひ解決に導いてくれ。そのためならば協力は惜しまない。」
二人は頷き、校長室を後にする。
冷や汗をかいたマコトの顔色は蒼白で、日頃の血色の良い笑顔はどこに行ってしまったのだろう…
指導者であるトオルは考えを巡らす。
話を聞いただけで幽霊の仕業だと確信を持ち、あまつさえ恐怖心まで抱いている。
そこまで推理できる材料は無かったはずだ。人の生気を吸うモンスターなど数え出したらきりがない、その中から幽霊だと断言している。
「…聞きたいことは色々あるが、調査は放課後からだ。」
「了解。そのころには腹くくっとく」
頭を抱えて大きくため息をつく。
職員室や特別教室の並んだエリアの廊下は昼休みとはいえど人影は少ない。
冷や汗で湿る髪の毛を搔き上げ、青い目が覗きこむ。
「…気分が悪くなる程、何におびえているんだ?」
「……墓場とか、幽霊とか本当に駄目なんだ…。」
血の気の引いた唇が応える。だが…
「今の校長の話を聞いてすぐに幽霊を連想するところは無かったはずだが」
「そのはずなんだけどこの寒気は……母さんの墓参りの時の事件と同じ…すごい意思がこっちを見てる。トオルは分からない?」
「……。生憎だがお前が感じている恐怖心は感じられない。あの墓場と同じ気配も感じてないな」
そう言ってトオルは人気のない廊下を見渡す。事件の渦中にあるものに触れていないこともあるが、付近に霊らしき霊もいない。
特別何かを感じる要素はないのだ。
「じゃあ勘違いか私の能力の暴走だ。少し頭冷やしてくる」
彼女は踵を返して階段へと向かう。人のいない立ち入り禁止の屋上へと行くつもりなのだろう。
それをトオルは名を呼び、呼びとめた。
まだ青い顔色をした少女はスカートを翻して振り向く。
「まだ調査はしないでしょ?」
「そのままじゃ頭も冷えないだろう」
やれやれと悪さをする子供に飽きれるような表情で近付き、マコトの額に人差し指を立てる。
「【封】」
それだけの短い呪文を唱えてトオルは教室方面へと歩き出した。
「あ、ちょ…!今の勘封じ?」
反対に少女が呼びとめると、トオルは脚だけ止め、振り返りもせず。
「お前の真似だ。感応力による気分不良ならこれで良くなるだろう」
マコトは屋上へと向かう。
階段を上がり、鍵のかかった屋上への扉の前へ立った。
少女は慣れた様子で鍵穴に指を這わせる…そして数秒後、カチンと金属音が鳴る。閂が外れた音だ。
ゆっくりとノブを回し、ドアは抵抗なく開く。いつもの事と何も疑うことなく青空の広がるコンクリートの上へと出て、そしてドアを閉めて再び鍵穴をなぞった。
再び金属音が鳴ったことを確認し、屋上を囲む柵を背もたれに日光に照らされ温まったコンクリートの上に腰を下ろす。
「ピッキングできるようになったなんてトオルに知られたら怒られるだろうな」
空を見上げながらそううそぶく。
そういえば昼食はまだだったとその口で思い出し、人差し指をおいでと導くように動かす。
すると階下の窓から彼女の弁当の入った巾着袋がふわりとマコトの手元へ浮遊してきた。
風の配達便のように届いた弁当箱を受け取り、蓋を開けて自作の弁当を食べ始めた。
卵焼きを一口口に含んでぼんやりと空を眺め、そういえばと自分の頬や額に触れる。
あれだけ制御しきれなかった悪寒や冷汗はない。見られているような恐怖心も感じなくなっている。
「自分がやられるとわかるもんだな」
そう呟いて微笑む。面倒見もよくなったものだ、と。
まあいつまでも面倒を見てもらうわけにもいかない。さっきのような恐怖心も克服していかなければならない。恐怖に駆られて戦えないようでは、意味がない。感応力を封じるか、感じた気配に打ち勝つか、近いうちに選ばなければならない。
出来れば後者がふさわしい…微量でも精度の高い感応力…封じてしまうには余りにも惜しい。
そう考えながら弁当を食す。生まれつき恐怖を覚えるものに対してどう克服しようか…。
まあ、近いうちに処理しなければならない問題だが焦る事項ではない。
今は異能に関する親しい者が何人もいるのだ。誰かに相談すれば良いことだ。
気楽に考え、食事を終えたマコトはチャイムの音を聞きながら弁当箱を片づける。
「…やってしまった」
自分のうっかりに失笑する。元々遅い時間から食事を取ろうとして、呼び出され、かなり込み入った話をして、それから昼食を取って…1時間の昼休みが余るはずもない。
「あーもういいや鳴っちゃったもんは仕方がない」
わざわざ声に出してその場に寝っ転がり空を仰ぐ。午後から授業の始まりだがそんなもの知ったことか。
一回の欠席ぐらい何の障害にもならないと妙な自信と諦めが居座りを決めた。
サボると腹をくくってしまえばずいぶん居心地の良い温かな空間である。
真夏を通り越したからこその程良い温かさと風が、脳を眠りへと誘う。
うとうとと少しまどろんだ後、彼女は眠りに落ちて行った。
マコトが目を覚ましたのは何かの金属音が耳に届いたからだ。
目を開き、ぼんやりとした頭で音源を捜す。その音は扉から発せられていた。
誰かが鍵を開けようとしているのだ。
本来立ち入り禁止の区域に陣取っているマコトはマズイと口の中で呟き、ドアから死角になるドア上の高台へと飛翔する。もちろん弁当箱を持って。
少々開けるのに手間取ったのであろう、数回ガチャリガチャリと音をさせて金属製のドアが開く。
息を殺して上から覗いてみると見覚えのある茶の髪が風に靡かれて入ってきた。
「ルーシー?」
ぽつりとその名を口に出すが彼女は気付かずコンクリートの地面を見渡す。
きょろきょろと何か探すそぶりを見せ、ゆっくりと、しかし確実に屋上の一角に向かって行った。
そしてある一か所に立つとそのまましゃがみこみ、地面を探っている…そのようにマコトには見えた。
しかしコンクリートの地面、何かが埋まっているはずもなし。そして何か落ちているわけではない。
マコトにとっては彼女の行動は不可解なものであった。
そして数分…だろうか。立ち上がったルーシーは用事を終わらせたような表情で、髪を揺らし立ち去った。
彼女がドアをくぐり、再び施錠した音を確認したマコトは彼女が座り込んでいた場所へ駆け寄る。
コンクリートを確認するが、やはり何もない。何か落ちているわけでも書いてあるわけでもない。
異能力を使って何かをしていたのかもしれないが、その痕跡はマコトには見つけられなかった。
一通り見わたし、触って、少女はポリポリと頭を搔きながら
「…関係ないと思うけど後でトオルに聞いてみようかな」
そうつぶやいたところで5限の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
もうそんなに寝てしまっていたのか、マコトは静かに念動力で鍵を開け、自分の教室を目指す。
パラパラと教室から出てくる生徒に紛れて、サボりなんてしていませんよとしらっとした表情で廊下を通り抜け、休憩中の自分の教室に入り、何食わぬ顔で自分の席に着く。
そして6限の教科である数学の教科書を机から出していると
「マコト、もう腹痛は大丈夫なの?」
隣の席のカナが話しかける。腹痛とは何のことだろうか…
「ふ、腹痛?」
「5限の最初でマコトがいないと先生が気付いた時にトオル君が言っていたよ?『榎本は腹痛起こして保健室に行った』って」
「あ、ああ!そうそう!!トオルちゃんと伝えてくれたんだ!」
必死に話を合わせる端々で教科書をめくっているトオルに目をやりこっそり睨む。
校長室前で別れてその後サボりを予感し、適当な言い訳を考えてくれた機転には感謝しきれない。だが腹痛ではなく頭痛か何かもうちょっとまともな理由はなかったのかと。
そしてその熱い視線に気付いたのかトオルはマコトの席の方を見やり、口を動かす。
声を出さずに「馬鹿」と
読唇術など心得ていないマコトだが何故かその単語がまるで聞こえたかのように読めた。
瞬間周りの事など全て忘れて怒りのままに立ち上がったが、驚いたカナに呼び戻され勢いを殺さず椅子に座る。
「急にどうしたの?」
「いや…別に……」
歪んだ笑みを作りながら机を殴る。
カナはその笑みの視線の先を追って、ああ、と何故か納得した表情でマコトへと向き直る。
そしてにやりと笑って
「…マコトは実のところトオル君とどういう関係なの?」
小さな声でパパラッチは囁く。
一瞬で毒気を抜かれたマコトは答えを考えているうちに一番提供してはいけない話題を提供してしまったことに気付く。
普通に友達と答えて彼女が納得するはずがない。
「どうなの?ただの友達ではないんでしょ?保護者公認の仲なんでしょう?」
「……まさかそういう噂になってる?」
苦笑して問い返す。すると嬉しそうに、子供の様に目の前の人物は頷いた。
その手に握られているメモ帳を奪って焼いてしまいたい衝動に駆られたがそこをぐっと堪える
「…そうだなぁ…友達で納得できないんなら…、ライバルかな」
椅子の背もたれに肘をかけ、頬杖をついて尋問に近いそれに答える。
ライセンス取得の為に師弟関係にあると言えばそれが一番後腐れがない返答だろうが、ライセンスに関してはクラスメイトには出来るだけ黙っておきたい。
まあ、どっちの答えでも納得はしないだろう。疑っているのは恋仲なのだから。
「ライバル?…そうは見えないよ?マコトが転校してきた時から女子の間でマコトとトオル君の仲を疑って何人か敵視してるよ」
「全く…本当に女っつーのは何かあれば好きあってるとか何とか…」
遠くを見つめながらボーイッシュな声色で皮肉を垂れ流す。マコトは既に漏れ出た言葉に慌てて口を抑えた。
目の前の少女から在りえない声色が発せられたことにカナは少なからず目を白黒させていた。
うっかり出してしまった自分の男性性をごまかすためにマコトはぐるぐると考えを巡らし、
「残念なことに私には一生忘れられない相手がいるんだよね。だから…」
ふわりと出た案を安易に口に出す。
「トオルなんて眼中にないよ」
「おおおお!!予想外のコメント!相手は誰!?」
よし、喰いついた。とマコトは内心ほくそ笑む。
同じように噂にされるぐらいならクラスメイトよりは校外の人間の方が面倒にならないだろう。
「校内の人じゃないよ。とても優しくて私をまともな道に導いてくれた人…今はちょっと遠くに行っちゃってるけどね」
「ほお…マコトは顔が広いんだ」
「そうだよ。色んなとこに入って行くから」
そう言って笑う。一瞬話したらまた自分が崩れてしまうのではないかと心配になったが涙は出てこなかった。
乾いたのか…癒されたのか…
ひと月以上経っても彼の血の臭いはまだ覚えているというのに
誰にも分からぬように、さりげなくマコトは目を伏せる。
「じゃあ次にその人に会う時は彼が旅行から戻ってきた時?マコトはトオル君が相手じゃないならどんな人が好みなのか謎だから会ってみたい」
目をキラキラさせながらカナは尋ねる。
それは…と言い淀んだ。取り繕う嘘が重ねられない。
どう答えればいい?自分が向こうに行くから?忙しいから当分帰ってこれない?
どちらも、言葉がのどに引っ掛かる…
考えを巡らしていると不意に頭頂部を叩かれた。痛みがあるほどではなくポンっと、ちょうど肩を叩くように。
そして上を見上げると空色の目と合った。先ほど馬鹿と言った青い目と。
少々憮然として頭に置かれたままの物体を引っ張りとる。
それはノートだった。新学期の為に新品を用意した自分のノート。
開いた形跡があったため1ページ目をめくると5限の教科…化学のノートが取られていた。
「ノートを頼むなら自分で取りに来い。」
「ノートなんて頼んで…あ、放課後で十分だと思ったの!」
空気を読んで話を合わせ、トオルに噛みつく。
せっかく噂を断ち切っているところだったのにノートなど貰ってはまた噂が再熱する。
マコトは苦労が泡になったと内心思っていた
「…またパパラッチか?」
「インタビューと言ってほしいな」
トオルはカナへ目を向け、カナはメモ帳を握り締める。
するとトオルはため息をつき
「…こいつの相手なら仕事で外国に行っている。帰省はおろか連絡も頻繁には取れない状態だからあまり煽るな。あとで逢いたくなったとか煩いからな」
「……そうなの?マコト…」
きょとんとした表情でカナは尋ねる。マコトはワンテンポ遅れて頷いた。
「その相手と言うのがうちのじいさんの部下だ。俺とこいつはそういう関係だ」
相手の反応を待たずトオルは席に着く。カナがそれを見送り再びマコトの方を見やるとどこを見るでもなくぼんやりと宙を眺めていた。
その姿を見て、ああ、寂しくなってしまったんだなと眼鏡の少女は感慨にふける。
「…まあ、ちょっと食い入りすぎた。ゴメン」
「…ん?いや私こそ……自分で思ってる以上に寂しかったみたい…」
へへへ、と力なく笑う。
実際に思い出してしまい、崩れそうになってしまったのは間違いない。けれど主たる思いはまた助けられてしまった、と言う事。
結局墓穴を掘って自らはまってしまった。それが情けなくて、悔しい。
自然と終わった会話の流れに合わせて、頬杖をついて虚空を眺める。
2~3分だろうか…6限開始のチャイムが耳に遠く鳴り響く。
まるでテレビでも見ているかのように数学担当教師がドアを開けて、教科書のページをめくるよう指示を出す。
ペンを悪戯にくるくると回し、教師の声も上の空に真っ白なノートを眺める。
…引きずりすぎだ。自分へ問いかけても返事はなし。
反骨心でのし上がっていくのが自分ではないか。ならばノートをしっかりとらなくては…
そしてマコトはペンを置いた。
折れた心はまだ修復が済んでいないのか、もしくは折れた枝は治せないのか…
もしかしたら彼はあの時息があったのかもしれない、もしかしたらどこかで生きているのかもしれない。
考えるだけ不利益な妄想が次々と浮かび、せめて何か形見でもあればと思いをはせ、形見があったらそれから離れられないだろうとため息をつく。
結局そんなことばかり考えているから自分で墓穴を掘る。
いっそのこと埋まってしまえと自分へと悪態をつき、再びペンを握りしめる。
学生の本分を果たす事が今の自分の使命ではないか。
はっきり言って勉強に漬かりきって学力をあげることだけが本分ではない。
ならば…良いではないか、ノートの端に絵でも描きながらで十分だ。
それで良い。気分が乗らない日と言い訳をするなんてごく普通の事。
眠ってしまってもいい…大切なのは妄執から逃れること。
真面目な優良生徒である必要はない。普通で良い。
先程眠ったばかりだというのに…
教師の呪文の様な数式の文言が、意識を遠のかせていく…
それはよくみる夢の様で違う風景だった。
ステンドグラスの様な夜空がドーム状に広がり、遠くに見えるのは背の高いビル街。
足元は小高い丘に花が所狭しと咲いている。その花は、菫、アネモネ、ラベンダー、桔梗…種類は様々で季節もまるでバラバラ。
その中で一本だけ背丈の高い花が空へ向かって咲いている。
どうにもふわふわとした感覚が抜けないままその花へと向かう。
雑草のように立つその花はシオンであった。
あまりにも凛々しく咲くその花を見ていると胸が苦しくなり目頭が熱くなる
「し…おん…!」
かすれる声でその名を呼ぶ。
彼とこの花を同一視したことはなかった…けどもどうにも愛しい。呼ばずにはいられないほど、涙を流さずにはいられないほど
「とうとう来ちゃった…か」
後方から聞こえたその声が脳の奥まで沁み渡る。
知っている。この声を知っている。けれどもその声は聞くことも叶わぬはず。
少女はふりむかずにいられなかった。
薄紫色の髪を束ね、自分と同じ金の瞳の青年が立っている
少女は驚きよりも何よりも、歓喜感涙…その人に会えたこと、現実はどうであろうともそれだけで関を切ったように涙があふれ出す
「…シオン…生きて…!」
マコトは彼の胸に飛び込もうとする…が…
「ううん、夢、だよ。」
彼がそう呟くと、シオンは霧のようにふわりと消えてしまった。
涙を拭って必死に彼の名を呼ぶ。しかし声は遠くのビル街に吸い込まれるばかり…
マコトはその花畑に膝を折って、ステンドグラスの空を仰ぐ。
空が滲む…一瞬だろうと出会えてしまったが故に…
心がもっとと叫ぶ。夢でいいからもっと会いたい、と。
しかし叶わない。自分の夢だというのに叶わない…
途方に暮れていると遠くから聞き覚えのある女の声が聞こえた。
その声に気を取られているうちに、この世界のビル街までもが霧散していく。世界が白くなる…。
そして声はどんどん近くなる……
「マコト!もう帰りのホームルームも終わったよ!」
肩をゆするのはカナであった。
帰り支度をすっかり済ませ、スクールバックをリュックの様に背負った学生服がぼやけた視界に映り込む。
「…まだ5分ぐらいしか寝てないと思ってた…。」
いかにも寝起き、という声色でマコトは枕にしていた教科書と小さな濡れ染みのついたノートを閉じる。
身体の方は泣いていたのか。そうだろう、夢でも泣いていた。
マコトは目元を拭う。
「…彼の夢でも見ていた?顔洗ってから帰った方が良いよ」
カナは優しく肩を叩いて、明るく「また明日!」と手を振って教室を去って行った。
部活にでも行くのだろう。昇降口とは逆の方へ走って行った。
ソレを見送り、マコトも荷物を纏めて、カバンを肩にかけ教室を後に…
「まさか帰るつもりじゃないよな」
低い声が身体に絡みついたかのように、マコトはビクリと身体を跳ね上げる。
そして薄笑いを浮かべて振り返った。教室に残っているのは一人だけ。
「…もしかして待ってました?」
「当たり前だろう。」
「端末拾いに行っちゃダメ?」
「既に探知してやったが誰かに拾われている。諦めろ。」
「マジかよ…」
マコトは頭を抱え、端末を失くしたときの手続きはどうやったっけか、と自分の脳内に検索をかける。
いや、指紋認証に声紋認証、割とセキュリティは強いから多少放っておいても大丈夫か…。
そんなことを考えていると、トオルは荷物を纏め、立ち上がった。
「…さて、行くぞ研修生。」
そう言ってニヤリと笑う。ああ、知っている。この顔は知っている。
復学前、勉強を教えてもらっている時何度も見た。私を試してやろうという表情だ。
マコトはチクチクと痛むこめかみをさすりながら人気がないことを確認する。
「…魔法使ってもいいの?」
「部活の為に残っている生徒に感付かれないものならばな。」
「それなら…」
マコトは右手を大きく開き、振り上げ、そして空を薙ぐ。右腕に装着された異能制御装置はまるで振り払われた虫の様にいとも簡単にベルトは切れ、振りほどかれてしまった。
だが赤いソレは床にたたきつけられることも無く、少女の念力によってくるりと体の周りを周り、少女の手のひらに不時着する。
マコトは祈るように両手を合わせその場に跪いた。
「【release】」
少女を取り巻く空気が弾ける。授業前に受けた指導者からの封印と、異能制御装置による魔力制御を文字通り解き放つ――
「【さあ、踊りましょう。汝の仮名は―『ゼラニウム』…慰み抱いて我城へ。汝へひと時の自由を…我信頼を以て汝を解き放たん】」
朱の円陣が祈りをささげる少女から洪水のように弾け飛ぶ。
それは学校中を包み、瞬間、弾けた泡のように消えてしまった。
そしてマコトはゆっくりと立ち上がり、両手を開く。すると朱で縁取られたような赤い蝶がひらりひらりと舞い上がる。
「…何処で覚えた?こんな高等魔法…」
苦虫を噛み潰したような表情でトオルは少女の背中に問う。
起こした事象は高等中の高等、モノに仮名を与えて使い魔化させるという、研究職ならばやり方だけは知っているであろう、だが成功率は著しく低い魔法であった。
「んー…母さんがやってたの思い出した…のかな。いつの間にかやり方が分かったんだよね。」
黄金の瞳は何でもないかのように肩に止まった朱の蝶を指に誘導し、高く掲げて蝶を解き放つ。
花弁の様な羽をもつ蝶は羽ばたいて窓から空へと旅立って行った。
そして少し考えるそぶりをして
「やっぱり朱になっちゃったか…もうちょっと気の利いた名前付けてやれば良かったかな。」
「…で、異能制御装置を使い魔にしてどう捜査する?」
頭を抱えながらトオルはマコトに近寄る。制御装置の保護を受けていない少女の瞳は輝くばかりに黄金で、その瞳は無邪気に笑顔を作った。
「正確にはその中心のコアだよ、ゼラニウムは。他のモノは試したけど出来なかった」
「魔女のコアの時にしろお前はコアと相性がいいようだな。」
「いくら高エネルギー鉱石と言ってもモノと相性ってあるかな?」
苦笑して少女は答える。コアと言うのはいわゆる異能能力としての高エネルギー鉱石だが、流通しているものはほぼ全てミスリル銀で加工されている。意思は無いというのが通説だ。
「知るか。使い魔を見失うぞ。」
「大丈夫、30分できっと戻っちゃうし。」
さらりと言いのけ、そして
「……“人選”は間違ってなかったみたいだね。レーダーみたいに調べるべき場所が頭に浮かぶ」
「遠隔透視魔法か?」
「そういうの色々混ぜて占いが得意らしい。わかんなくなっちゃう前に地図にメモりたいんだけど学校メインで町内が乗ってる地図無いかな?」
「図書室ならあると思うが…」
「よし、じゃあ行こう」
そう言って跳ねるように図書室へと向かう。その黄金の瞳はまるで明日を見つめるかのようにまっすぐだった。
虚ろな目をして暮らしていた事件の直後の姿を思い出してトオルはほう、っと溜息を吐きつつ追いかける。
何に突き動かされたのか、異能協会のライセンスを手に入れたいと言い出したのは事件から2週間後の事。
手放しに喜ぶルカを押しのけて、正義を掲げてはいるが血なまぐさい仕事もこなさねばならない、その枷を何故欲しがるのかとトオルは問うた。
特に特級ライセンスを得たとなると、未来予知により観測した覆すことがほぼ不可能と言われる未来を壊さなければならない。たとえテロであろうとも天災であろうとも。そして失敗には世間からのバッシングが常々である。
彼自身相当のネガティブキャンペーンをしたと自覚はあった。そこまでして止めたかったのは自分が幾度となく経験した辛酸が彼女の光を再び消す日が来るのではと…怖かったのかもしれない。
それでも彼女は引かなかった。明確な理由は話さず「私には飼い主が必要だから」と。
それならば、と面接をした会長は飼い主役にトオルを任命した。
トオルも拒否はしなかった。理由など単純に…彼女が心配だった、そんなところだ。
トオルが図書室へ着くころには、マコトは図書室の受付にいる図書委員に声をかけ、地図をコピーしてもらっていた。
そしてコピーされた地図を受け取り、部屋を見渡したマコトは人気のない奥まった机へ向かいながらトオルを手招きした。
「…考えてみたら事件の事情がダイレクトに分かる魔法使えば良かったかな…。」
机の上に地図を広げて、カバンからペンを取り出して地図の各々の箇所に”凶””吉”と書きこむ
「そんなに魔法は便利じゃないぜ」
「ん、そうだよね。」
ペンの背を唇に押し当てて自分の書きこんだ地図をじっと見つめる。
学校の屋上は”吉”、学校周辺に点状分布する”凶”
学校内にも吉凶は分布している。
「…多分コレ事件に関係ない事も占われてるよね。」
「さあな。お前の仕事だ。どこから行く?」
ここ、と指さしたのは学校の屋上であった。
マコトにはどうにもルーシーがわざわざ屋上にやってきた理由が気になっていた。簡単な事情を説明して屋上へと向かう。
「…あの男と似た女か…」
口元に手を当てて少年は思案する。世の中には3人同じ顔がいるという。かといってこのような短期間に続けて出会うだろうか。偶然にしては出来過ぎている。
「ま、私も最初は疑ったけどさ、多分トオルの目には別人に見えると思うよ。目で見てるわけじゃないんでしょ?」
半歩先を歩きながらマコトは指先をくるくると躍らせる。
確かに視力の弱いトオルは普段カラー付のシルエットを眼球に映し生活している。視力を要する場合は勿論眼鏡を使用しているが、本人曰く邪魔だそうで普段はかけていない。
「…お前がそう言うならそうかもしれないな。で、屋上で何があった?」
「いや、わざわざ授業中に屋上に来て何かやってた。何してたのかは分からなかった。」
そう言いながらマコトは鍵穴をなぞる。カタン、と音をさせて閂が外れる音がした。
その光景を見てトオルは少女の頭を軽くはたく。いてっと少女は頭を擦った。
「…便利っしょ?」
「予想はついていたが違反はするな。…それよりも識まで使えるのか、お前。」
「さあ?母さんの日記を読んでも混ぜ物されてると言うことしか分かんなかったし」
ドアがギイイときしむ音をさせ、青空の下へと導く。
そして昼休みの記憶を呼び起こし、可憐な少女がしゃがみ込んでいた場所へ触れる。
やはりマコトには何も感じられない
「…ここでルーシーが何かやってたんだよ」
「何もなければ何もしない…だろうな…ちょっと見せてみろ」
トオルが前へ出てそのコンクリートの床に触れる。だが、暫くして「ん?」と首をかしげるような仕草をする。
そして制服にしまいこんでいたネックレスをひきだし、銀の金属で作られたと思う小さな四角いそれに付いた小さなボタンを押した。
元々機械音等無かったが、まるでシャットダウンしたパソコンのファンが遅れて止まるような、シュウウ…と音を小さくたてた。
トオルは1~2分の間だろうか。険しい表情で頭を抱え、一呼吸ついたところで
再び地面に触れ、意識を集中させる。
「ちょっ…制御装置切ってサイコメトリってやばいんじゃ」
「黙ってろ。頭に響く」
険しい表情のままトオルは数秒、その床を透視し、そして再び制御装置にスイッチを入れた。
ほんの数分の出来事だがかなりの疲労の色を示している。
「大丈夫?」
「触るな。制御装置がフルパワーになるまで1分はかかる。読まれるぞ」
トオルはマコトの手を跳ね除けた。
マコトは一瞬怯んだが、それでも威嚇する猫に敵意がないことを示すようにゆっくりと額と額を寄せて、コツンと合わせた。
「…私を舐めるな」
不機嫌そうに離れ、べえっと舌を出して朱の蝶を呼び戻す。
確かに、トオルに流れ込んできたのは断片的な情報と、思いやりの心だった。そして消費した分の魔力。
今しがた消費した魔力の6割は回復したようだった。しかし今見えた情景は…。
「…で?何か見えた?」
「……空白、だ。」
まあ今何やかんや言う事ではない。トオルは研修生の質問に答える。
空白?マコトはオウムのようにその単語を繰り返す。何もないことが見えた、と言うのは果たして…
「消されている。普通はどこの誰とも知らない足跡ぐらいは残っているはずだが、それすらない。」
「つまりルーシーはここにあった何かを消したと?」
「断言はしない。空白を見ただけ…と言う可能性もある。」
「見るか?わざわざ」
マコトは額に人差し指を当て、その可能性を探る。トオルの考えは蜘蛛の網目状でよく分からない。
「ここに細工をしていたならば、確認しにくるだろう。…まあ、自分が触れた痕跡も消していることから”消した”方が可能性は高いか」
「んー…”消した”と仮定してそれが良いものか悪いものだったのか……は?」
少女の黄金の瞳は肩に乗った朱の蝶へ目を向ける。
「…何してるんだ?」
「幻聴じゃなければゼラニウムが”私をその空白へ入れてみろ”って」
「意思の疎通ができるのか」
いや、と小さく否定しながら少女は蝶を指先へ導く。
「母さんが作った使い魔は喋った事無かったし、私がマトモに使い魔作ったの初めてだから何とも…」
トオルは深いため息をついて頭を抱える。目の前の少女は力ばかり有り余って技術もあるのに知識は無い。
知らずに魔法を使う事の恐ろしさが分かっていない。おそらく使役できるか否かも考えずに使い魔を作ったのだろう。
その姿を見て、少女は不機嫌をあらわにする。
「考えなしだと思ってるでしょ」
「ん、馬鹿だと思ってる」
「余計酷いじゃんか!」
声を荒げ、コンクリートの床をバシンと叩く。彼女の手のひらが地面へ叩きつけられる前に朱の蝶は飛び立ち、そのまま空白地帯へと滑り込んだ。
――瞬間、朱の蝶は光の粒子が散るが如く消え去ってしまった。
唖然としている二人の目の前に残されたのはヒビの入った赤い腕時計…マコトの異能制御装置だけだった。
「あ、ええ…!?何で!?……コアから魔力を感じない…」
「無理やり散らされた様だな。…成程、弱~中の異能を無効化するのか」
合点がいったトオルの隣でマコトは異能制御装置だったものをかき集める。
ヒビの入った時計板の針はピクリとも動かない。
手動でスイッチを入れても異能は制御されず、何にも縛られていない少女の魔力は瞳の輝きを目印として陰ることはなかった。
「…ヤバイ感じかね?これ」
いまいち真剣みの足らない表情で少女は師を見つめる。トオルは頭痛を耐えるかのように頭を抱えた。
「……少なくとも今のお前の魔力量で制御しないでいると何かしらで体調を崩すぜ。周りの一般人もそこそこ影響を受けるだろう」
「あー…そりゃまずいね。…ちなみにコレ直せないかな?魔力注入とか…。」
「…コアが破壊されている。もう機能しないだろう。」
両手に今や機能しない命綱を乗せて、じっと眺める。トオルはそれに触れて応える。大切なモノが壊れてしまったというのもそうだが、安易に作った命があまりにも容易く失われてしまったという、自責の念もあった。
「…思ったよりコレを早く渡す時が来たようだな」
トオルは通学カバンから質素な長方形の箱を取り出した。ソレの蓋を開けてマコトへと差し出す。
それは時計屋で売っているような包装をされた、薄紫色の腕時計だった。
マコトは時計を受け取り、どんどん目を輝かせて太陽へとそれをかざす
「注文通りの藤色!ありがとう。…てかもう出来ていたなら何で渡してくれなかったの?」
少女は不満の声を漏らす。この腕時計は異能制御装置。中央に使われているコアは魔女のコア。
あの時に手に入れたままになっていたものを、異能レベルが上がった少女が現状使っている制御装置では十分にレベルを下げられないと結論を出した嶋原博士により、強力なコアである魔女のコアを使った制御装置を作ったのだ。
勿論、マコトしかこのコアを使いこなせないと踏んでの結論だ。
マコトはいそいそと腕時計を左手首に装着して、太陽にかざして眺める。
そんな嬉しそうな表情を横目で見ながら
「……ソレによって制御される異能指数は、俺より異能力が弱くなるんだぜ。出力は調節できるが…」
「…いいじゃん。猛犬には鎖を、ね」
あれから異能レベル上がっちゃったからね。何でもない事のように詠う
トオルの目からして例の事件から立ち直ったように見えていたが、自分の出生について投げやりなままは変わっていなかった。
彼女の母親であるミカの日記も読んで、愛されていたことは理解できた。だからと言って…自分は実験体だった、生まれるべくして生まれてしまった研究所の兵器だった。最初から推測してはいたが現実を突きつけられると悲しくなる。
彼女はやはり…時々兵器として生まれた憂いを遠くの空へと向ける。その先はおそらく…
「へへ…なーんちゃって」
少女は立ち上がり、青空へと伸びをする。
「あーあ、自分の事でうだうだ考えるぐらいならこの事件さっさと解決しないとね。
……さて、次はどこに行こうか…トオルならどうする?」
「そこは自分で考えろ。お前の研修だ。」
意地悪。マコトは頬を膨らませて呟く。
そして地図を広げて一点を指さした。
「弓道部。上手く行けばルーシーにここの話を聞けるかもしれない」
「…そうだな。ただ相手が敵の可能性も捨てるな」
そうは思えないんだけど…マコトは屋上の金網を飛び越え、校庭へと降り立った。
「ばっ…!目立つことはするなと……」
しかし少女に目を向けた学生はいない。ある種の隠蔽の魔法でも使ったか。
マコトは校庭からトオルへと手を振る。
トオルはやれやれと微笑み、徒歩で校庭へ向かっていった。
トオルが校庭に着いたころにはマコトは弓道場脇の植え込みにいた。
射場にはひときわ光るような可憐な少女が構えている。
静かな紺の瞳が矢を番え、放つ、弦が弾けた風圧で後ろにまとめた長い髪が軽くなびく、そして矢は的の中央を射ぬいていた。
その姿はあまりにも美しかった。弓の名手アルテミスのように。
「おー!」
パチパチとその一射に惜しみない称賛を送る。
トオルは邪魔をするなと諌めるが、かえって目立ったのだろう。紺の瞳が的から植え込みの向こうの男女へ流れるように移る。
そして静かに彼らに歩み寄った。
「…見学ですか?でしたら入っていただいて結構ですよ」
「あ、違うのごめん、君が矢を射るのがとても様になってたから思わず…」
少女は慌てて取り繕って、今朝はありがとうと続けた。
その言葉で紺の瞳が、あ、と見開かれる。
「…貴女は朝の…」
「あの後遅刻しなかった?」
「……ちょっとお待ちください」
ルーシーは射的場の奥に走って行き、戻ってきたと思えば内履きから外履きに履き替え、彼らを人目のない射的場裏へと導いた。あくまで可憐、物静かに。
殺気などみじんも感じない。
そして彼女は端末を差し出した。
「あー私の端末!」
「やっぱりそうでしたか…昼休みに教室に伺ったのですが居なくて…」
「ああ、ごめんその時呼びだし喰らっててさー」
「えっ?」
見開かれた瞳がまっすぐに少女を捕え、少女は反射的に口を塞ぐ。
そして少女は「これでも不良だからー」と取り繕い、端末を受け取った。
「そういえばさ、弓道部に最近休みがちな子っている?」
事件を知っている側からすればあまりにもストレートな質問にトオルは後ろで頭を抱える。
そして一瞬、空気が凍りついた。
通常なら見逃してしまうだろう、その紺の瞳が鋭く輝いたのを。
マコトは、え?と笑顔がひきつったが…
「いえ、皆さん真面目ですからあまり休んだりしないんです」
そう言って少女は微笑んだ。凍った空気を帳消しにするが如く。
ああ、そうだよな、気のせいだ。自己解釈したマコトは笑い
「ルーシーが綺麗だから皆部活休む気が無いんじゃないのー?」
頭をくしゃりと撫でる。
跳びのくが如くルーシーは距離を取った。
その瞳は…そう、一瞬感じ取った違和感の光、それを隠す事無く少女はマコトを睨み付ける。
「…貴女は”誰”ですか」
そう、鈴のような声が紡ぐ。困惑しつつも敵意を向けられたマコトは戦闘体制に入る。
しかし、それを青色の瞳が間に入る。
「……変装か何かと思ったか?コイツも本人だ。」
「え…?」
紺の瞳が大きく見開かれる。そしてその疑念を振り払うように首を横に振り
「そんなはずは有りません!今朝は太陽でしたが今は星のような――!」
「前からだ。こいつは”変わる”。別人だが同一人物と思っていい」
「……そんな事…」
拳を握りしめて少女は踵を返す。
「…良いでしょう。その言葉、信じるには根拠が足りませんが即排除と判断する根拠もありません」
それだけ言って少女は道場へ戻って行った。
「……どっちが本物なんだろうね」
「まあ、混ぜ物なのは男の方だろう。女の方が目覚めたら引っ込むと言っていたが」
「それは知らなかったよ……そんな変わらないんだけどな。今は記憶も共用してるし、仲良くやりたいな」
トオルは深いため息をついて、もう学内の探索は十分だろう、と歩き出した。マコトもついていく。
「……なあ、混ぜ物はコアと言われていたな?」
「うん」
「お前の中にはたくさん人がいたぞ。さっき制御装置無しで触った時にわかった」
「コアじゃないの?」
「人格がある。殆ど溶けていたが」
「え……どうなってるの私の中身……」
「さあな」
少女は様々な考えを振り払うように頭を振った。
トオルはすたすたと歩きだす。十数秒の間だろうか、欲しい玩具を買ってもらえずムズがる子供の様な表情をして、首を振って少女は歩き出した。
「ルーシーについてはどう思う?」
「噂に聞いている自己申告のわりには異能レベルは高いな。色々隠しているだろう」
「んー…雨乞いの一族だし、低くはないだろうけど…」
「雨乞いの一族?」
「清竜神社の後取りだって」
トオルは足を止め、考え込むように口元に手を当てた。
「雨乞いの清竜神社と言うのは西区の?」
「…?そういえば西区だ。」
更に何かを応えることも無く、トオルは校長室へ向かった。
マコトならばその重く立ちはだかる扉に触れるのもためらうが、トオルは何の迷いも無くノックを3回する。
扉の向こうから「どうぞ」と声が聞こえ、トオルはドアを開けた。
「失礼します。嶋原です」
「…調査の件についてかい?」
奥の机に置かれたパソコンに向かい合っている男性は余裕のある微笑みを浮かべる。
トオルは昼食時に導かれたソファと机の前を縫い歩き、机を叩くように身を乗り出した
「…被害者の住所の公開を要請します」
余りの躊躇のなさに後ろにいる少女は水面を泳ぐ金魚のように口をパクパクさせるしかなかった。
そして、空が赤く染まる頃…
「…住所だけ聞いてそれを地図で探すって半端ない労働じゃない?端末に住所検索アプリあって助かった…」
ぐったりと図書室の隅の机に突っ伏すマコト、珍しく眼鏡をかけたトオルはこの程度の作業とあっさりとこなし、地図上にならんだ×印…被害者の住所を記したものを見つめていた。
「…流石の私でもこれは分かるよ。拡散って言うんでしょ?分布図としては」
全く法則性が見えない。校区内に散らばった被害者の住所、西区から東区までビーズを零したかのように不規則に並んでいる。しかし…
「いや、コレを最初の被害者から線でつなげていく」
トオルは赤いマジックペンを持ち、1人目、2人目…と繋げていく。ソレは模様の様で無秩序な軌跡だが一つ、偶然として片づけるには出来過ぎている点があった。
「……ここを中心に広がっている?」
マコトは地図の一点を指さして指摘する。中心から外へと広がっている。
「まるで蜘蛛の巣だな。」
コロコロと赤ペンは机を転がる。トオルはメガネを拭いてケースへと仕舞った。
蜘蛛の巣喰う場所、マコトが指さした1点は、先ほどの占いで大凶と印されていた。
「意外と…いや、お前の予想していた展開になりそうだ。」
「へ?」
素っ頓狂な声を上げて背もたれに身体を預け、椅子を傾ける少年に注目する。
「勘封じはもう解けてるはずだが?俺は場所を突き止めた瞬間に視線を感じたぜ」
「…ま、さ…か…」
血の気が引く、という表現がぴったりだろう。二の句が継げないでいるマコトの動揺っぷりにトオルは意地の悪い笑みを浮かべる。
「ここの学生のみ襲っている点に関してはまだ不明だが、犯人は幽霊だな。」
「嫌だー!!」
状況も忘れてただ叫ぶ。余韻の後、図書委員が静かに咳払いをした。
咳払いに気づき、マコトはカウンターに向けて両手を合わせてごめんなさいのポーズをする。
「…ほんとーにゆ、ゆうれいなの!?」
声を潜めてトオルに食ってかかる。が、机に上に握られた拳はフルフルと震えていた。
「…別に幽霊だからと言って特別怖いモノでもないだろう。モンスターとそれほど変わらないぜ」
「いや変わる。物理は効かないし私には見えにくいし……あと………」
言い淀んでマコトは目を逸らす。
そして溜めに溜めて…
「…多分、私憑りつかれやすい」
「隙だらけだしな」
苦々しく、その言葉を肯定する。認めたくはないがあの事件…墓で起きた参拝者を操り身内を惨殺させた事件…立ち向かおうとはしたが結局被害者の思念に憑りつかれている。
元々霊という人間のなれの果て…死そのものへの恐怖心があったが、件の事件はそれに拍車をかけたと言っても過言ではない。
「……まあ、指導者の立場としては黙っていられるよりはずっといいんだがな。」
そう言ってトオルは荷物を纏めて鞄を肩にかける。
「場所の特定は完了だ。夢に現れるという特性から奴が動き出すのは夜だな。一度帰るぞ」
「ういっす…」
紅い空の下、二人はアスファルトに固められた道を歩く。住宅街を通り抜けて街の辺境が嶋原家、また別方向の住宅街の隅にある小さな一軒家がマコトの家になる。
それぞれの自宅に向かう分かれ道、そこで彼らは約束を交わす
「…じゃあ、11時頃に印の場所に集合だな」
「………。」
声をかけられた少女は頭を抱えて溜息を漏らす。分かっている。気力の問題だ。
「おい、聞いてるのか?」
「…聞いてます。行ける…行くから」
そこまでか…と今更聞くまでも無い。おそらく怖がっている彼女は異能者ではなく普通の人間としての一面だろう。その道を目指す為ならば捨てて貰わねば枷になる心情だが、その道程だ。急ぐものではない。
「…何の為に俺がいると思ってるんだ。迎えに行ってやる」
こげ茶のショートヘアをくしゃりと撫でる。
少女は一瞬面食らった顔をして
「…ああ、そうだったな。待ってる。」
少しだけ微笑んで少女は自宅へ歩みだした。その背中を見送ってトオルも帰路へ着く。
「…傍から見たら師弟より恋人同士ね。」
空から落ち付いた声が降る。街路樹の枝に腰をかけていたのは黒い服に長い髪が風になびく少女、硝煙の匂いを纏った出生不明の女、カグラだった。
「…お前か。」
「ひっさしぶり!トオル!」
ややおどけたような声で挨拶をしながらトオルの前に飛び降りる。年齢の申告に偽りがなければ同い年のはずだが、マコトに比べると幾分年上に見える。女としての色香が身についているせいだろうか。
「あいかわらず神出鬼没な女だな…。最後に会ったのは2週間前だったか?」
「アタシだって暇じゃないもの、色々お仕事があるの。」
歌うように、舞うようにトオルを観察するように前を歩く。
「…で、その仕事とやらは片付いたのか?」
「ぜーんぜん!もう手がかりゼロ!トオルに力貸してもらいたい位だわ。」
手をひらひらと振って、カグラは大げさに溜息を吐く。
「…と言っても、今は大忙しなのよね、貴方。幽霊退治ですって?」
「地獄耳も健在か」
「千里眼、と言ってほしいわね。マコトが頭脳労働してるのもばっちり見えたわ。」
「覗きに訂正する」
トオルは親指と人差し指で輪を作り目に当てる少女を一瞥して頭を抱える。
「……覗き、と言われちゃ否定できないわね。見てたついでに聞かせてほしいんだけど”マコトの人格”ってどういうこと?あの後輩にあっさり答えて良かったものなの?」
おどけた態度から一変して少女は腕を組み、木に背中を預け、トオルを見つめる。
「そんなに気になるのか?」
冷ややかな態度はお互い負けていない。しかし殺気に関してはカグラの方が上か…いつでも取りだせるとばかりにスカートのスリットから拳銃をちらつかせている。
「だってそうでしょう?榎本ミカの日記とニスの証言によればマコトはコアを混ぜて生まれたことになっているわ。コアは魔石、モンスターから出てくるもの。人格なんてあるわけないわ。」
少女は髪を掻きあげる。
意思疎通のできるモンスターはかなり少ない。この前のユニコーンの様な存在は今後500年は現れないだろう。
「…まあ、魔石が何処から来たか、までは研究が進んでないんだけどね。貴方、マコトの中に何を見たの?」
それはジャミングの影響の無い状況でマコトに触れ、見たものを問うている。
トオルは重く口を閉ざすが、話すべきではないと判断しているというよりも、語る言葉の紡ぎ方に悩んでいるようだ。
「………アイツの中には…街……いや、国がある。」
「国?」
「俺だって見ようと思って見たわけじゃない。だがアレを見た印象は”国”だ。」
「それは高レベル異能者が持っている心象世界…所謂固有結界ではなくて?」
あんな異質で空っ寂しいものじゃない。それだけは言いきった。
「…成程、固有結界と比べてその感想。そして多重人格を疑うと…“国民”がいるのね。」
「………微弱で“個”は感じられなかったがな。その中で目立っていたのが男のアイツと、女のアイツだ」
「ふーん。そういう事なのね。だったら魔女を超えたのも納得だわ」
そう言ってカグラは冷たく笑う。
「お前は国民の正体に心当たりでも?」
「研究所のやりそうなことで推測は出来るけどどれも非現実的ね。つまりアレよ。あの子は体の内側でコアと称した何人もの異能者を支配している。流石に10人分、100人分の異能力を束ねれば魔女超えなんて簡単よ。……まったく、“王様”がマコトで良かったわね。まあ、王に相当する人格が少なくとも2人いるようだけど」
「王…か…」
ならば少女のほうが女王なのだろう。男の方も“魔女”に相当するのは間違いないが。
「…で、結構な大事が推測できたわけだけど、その一端をあの女の子に漏らして良かったのかしら」
「……どっちのマコトもアイツに懐いていたから大丈夫とは思うが…」
その言葉を聞いたカグラは目を大きく見開いて、何処か楽しげに大げさな溜息を吐く。
マコトの勘は信用できると、疑いも無くトオルは漏らしたのだ。
「……そう、ね。あーあ。友達の心配したら熱いもの見せられちゃったわ。」
最初の頃の金属のように冷え切っていたトオルが温かいものに変化しているのを感じて茶化すようにカグラは笑った。
あの頃の彼も悪くは無かったが今も好し、と。
「じゃ、アタシマコトの家に泊まりに行くから、じゃーね」
そう言って駆け出したかと思えばふわりと姿を消した。後に残ったのは残暑の風のみ。
言葉の通りマコトの家へとテレポートしたのだろう。
「…マコトが太陽や星ならばあいつは風だな…」
虚空に皮肉を投げてトオルは自宅へと歩き出した。
さて、時間は経過し夜の10時半、満月の光が暗闇を照らしている。
トオルは赤い屋根の小さな一軒家のチャイムを押した。ピンポーンという何の変哲も無い音が虫の合唱の中に反射する。
その後数秒置いて家の中からどたどたと騒がしい音が近づいてきた。
「待ってたわよトオルー!」
そう明るく出迎えたのは家の主人では無く、夕刻に出会った黒の少女。
玄関の奥では一人、走り回る音が響いていた。
「ほらマコトー!お迎えよ!」
?
カグラは奥に向かって声を張り上げる。それに対して足音の主は「ちょっと待ってー!」とやけに暢気だ。
「…発破かけてやろうかと思ったのにあの子結構落ち着いてるのよね…。良い夢でも見たのかしら」
そう長い髪を耳にかけて呟く。
それに応える間も無く
「ごめんごめん。ご飯のタイマーかけるの忘れててさー」
マコトがいつもの笑顔で迎える。これから苦手な幽霊退治だというのに…それが、というわけではない。
違和感が…あった。
「……」
「ん?どうかした?」
目を見開くトオルにマコトは首をかしげる。瞳は金、女性人格時の声…変わらないはずなのだが…
「…どっちだ?今…」
とっさに口を付いた疑問がそれだった。目をパチクリとさせたマコトはニヤリと笑む
「好みの方で暫くやってやるぜ?俺か?」
と男性声で返す。いや、違う。そうじゃない。いつもの「俺」じゃない。
と言っても「俺」を知る者は誰一人いない。
ここであえて問い詰めてもマコト自身は良く分かっていないだろう…そう考えたトオルはどっちでもいい、と流して外出を促した。
「カグラは来ないの?」
靴を履きながらマコトは尋ねる。
「い・や・よ。夜更かしは美容の敵。……まあ、アタシが役立つことがあれば呼んでいいわよ。」
そう言って家の奥へと歩いて行った。
マコトは苦笑しながら玄関を閉める。カグラがいれば心強いのになーとつぶやいて。
そして2人は目的地へと歩きだした。
「…こっち?」
「だな、気配がある」
「なるほどこれが…」
マコトは足取り軽く街灯の下を歩きだした。珍しくトオルの前を歩く。
どこかの草原から虫の合唱が鳴り響く。その音に耳を傾けながらマコトは振り返って微笑んだ。その微笑みは太陽の物ではなく、星の物ではない。雨露滴る植物の様な…
「……俺と話した。大きく言えば多重人格で間違いはないってさ。」
「どこで話した?」
「夢。…今日異様に眠くてね、朝からぼんやりと同じところの夢見てたんだよ。…家に着いてからカグラが来るまでの間に俺に会った」
「何で急に…」
マコトは歩みを止めず、前へと向き直り続けた。
「急じゃないんだってさ、私が生まれた時から俺はそこに住んでた。けどそこを管理する能力が必要だから俺が表に出て管理しつつ生活してたらしいよ」
「その間お前は何処に?」
「深いとこで寝てたって。ものすごい人任せ」
マコトはクスクスと笑う。どうにも昼間の彼女とイメージが噛みあわない。3人目でも出ているのかと疑う程…どう表現しようか、爽やかだ。だがそれもどこかで見覚えはある。見覚えはあるのだが…トオルですら記憶を辿ってもどの場面で会ったのか思い出せなかった。
「それで…お前は誰だ?」
マコトはぴたりと歩みを止める。振り返ったその顔に笑顔は無く、月に金の瞳が輝いていた。
そしてトオルの真剣な表情を見て柔らかく微笑む。“少女”は明らかに声質を変えて応える。
「……あの時マコトを連れ出してくれたこと、感謝してる。表面上は立ち直らせてくれたことも…。」
「―――――ッ!」
その声、金の瞳、思い出せそうで思い出せなかった雰囲気…しかしそれは決して出会う事のない、出会う事が許されない…なぜならば――
「どうしてコイツの中にお前がいるんだ、シオ…!」
名前を言いきる前にシーと目の前の少女は唇に人差し指を当てて微笑む。
冷静であるかと言われればそうではない彼の精神状態は、ねこだましを食らったかのように一瞬沈静化した。
「………いよいよ間違いない、な…」
そして“彼女”は息を吐いて目を閉じる。その時間は1秒も無かっただろう。パチッと目を開けたマコトはアレ?と挙動不審な態度をとり
「ん?えーっと…私今何か言った?」
「覚えてないのか?」
トオルの質問を聞いた後意識が飛んだのだと言う。やはりアレは主導権が変わったのだろう。それにしても今までならば少なからず記憶は共有されていたはずだが…。
「…トオル、何か、その…魔力が渦巻いてる。私なんて答えた?」
「……ああ、そういう事か。目を借りるために裏を変えたな。」
「………。」
あ、とマコトは言葉を詰まらせる。彼女は元々魔力感知は出来ても魔力を見る事は出来ない。トオルと同じ世界を見ることは出来ないはずなのだが…今は明らかに白状してしまった。
「問い質したいことは山ほどあるが、まず何故シ…」
「あー!駄目名前言っちゃ駄目!!答えるから名前駄目!」
先ほどの微笑みとはまた別の意味で言葉が遮られた。アレは自然と黙らされたが今回は物理的に口を塞がれている。
文字通り飛び込んで両手で口を塞ぐという強硬手段に黙らざるを得なかった。
昼間もカナに突っ込まれていたようだが、傍から見るとこの距離感、疑われても仕方がないのか…とトオルはマコトの手を払いのけながら虚空を見つめる。
「それならまず何故名前を言っては駄目なんだ?」
「それは…トオルが名前呼ばない理由に近いかも。」
おずおずと数歩後ずさって、怒られている犬のような表情で少女は答える。
名を呼ばない理由と言えば、彼にとって親しくない人間の名を呼ぶ意味がないから…と言うのは、まあ、無くはないが、
名を呼ぶと触れてもいないのに表面的に透視できてしまう、つまり目に見えない繋がりが出来てしまう。
トオルの異能レベルが高い故に起こってしまう事象だが、本人にとっては起こる出来事がストレスの為に、という事だ。
「その、私が未熟なのとあの人がまだ不安定だから外から名前呼ばれると引っ張られて表に出てきちゃう…って俺が」
「………ああ、コレは向こうが弱いと引っ張りよせてしまうのか…」
マコトの名を呼んでもあまり”繋がった”という実感は得られたことは無い。
特級ライセンス仲間は”繋がる”が強く透視は出来ていない。つまり彼らに対しては引っ張る力が弱いため接触が弱かった、という事だろう。トオルが引っ張られて接触する事もあるだろうが、それは彼の魔力量と精神的距離の置き方の為に起こっていなかった、と。
考えてみれば単純な事だ。しかしそのような事”興味がなかった”
「…そう。そういう感じ。…で、何であの人が私の中にいるのかは…分かんない。俺もあの人も教えてくれなかった。」
「…そうか。それなら男の方と話をさせろ。今じゃなくていい」
トオルは腕を組んで前で萎れている少女をじっと見据える。話から察するに主人格は少女の方、他の民衆を裏に置くことは出来るがあくまでも裏は補佐…そして男の方は事情を知っている。知っている上に少女を導く役目を担っている。王政で言えば宰相か…。
「……えっと、そうしたい、けど、多分…私が呼んだからって表に出ては来ないと思う…」
「そこは期待していない。お前の為になるならそのうち出てくるだろう」
私の為?と、きょとんとしている少女を追い抜かして目的地へと歩き出す。宰相のような立場ならば王を護る為に、必要ならば体の主導権を取るだろう…そうでなければ女人格が育つとともに居場所を譲るような行動はしないだろう。
「あーと…もっと詰め寄られると思ってた…」
後ろでマコトが拍子抜けした顔で頭を搔く。
「…別に、お前自身も知らなかった事だ。ここで押しても有益な情報は少ないだろう」
「ん、まあ…そうだけども」
「男の方以外と変われるのは隠しておいた方がいい。わかる奴にはバレるぞ…特にあの巫女は聡い」
バレたら困る?とトオルを追いかけてマコトは問う。
トオルはわざとらしい程にため息をついた
「…お前と男の方の違いでさえ警戒心剥き出しだっただろう」
「あ、そっか…普通じゃない事だしね…」
普通ならば目に見えるものと気配が食い違えば違和感を感じる。嫌悪感といってもいいかもしれない。
それを、トオルでさえ強くは感じなかった違和感を敵意としてあらわにしたのがルーシーだった。
彼女とは、この体質がある限り仲良くなれないのだろうか…
頭を抱えてまるで水にぬれた犬のように頭を振った。
少しは仲良くできたのだ。きっと…
そんな話をしているうちに目的地へたどり着く。
膝丈の雑草と木の茂った空き地、街灯は切れかけていてちかちかと点滅している。子供すらここを遊び場にするのは躊躇うだろう。
そういえばここは大凶だったっけ…とマコトは身震いする。
「あのさ、草刈っていい?」
「せめて敵の居場所が分かってからにしろ。変に刺激したくない」
「じゃあ明かり…」
「今なら見えているだろう。夜目は効くはずだ」
この見え方慣れてないんだってば…とマコトは頭を抱える。
闇夜に慣れて目が効くようになった時とは違う。これはおそらくトオルと同じ風景を見ているのだろうが、夜に見合わず雑草はほのかに緑に発光しており、緑一帯のフロアの一点に明らかに黒い靄が立ち上っているのが見える。
「あそこでしょ?」
マコトは黒い靄を指さして言う。
「絶賛活動中…と言うところか」
「水の匂いもする…って言ってる。綺麗な水じゃない」
鼻を覆ってマコトは眉をひそめる。気配どころか五感を使い魔力を感じ取るというのは今までの世界とは全く違う、異世界のようだ。解説役が裏に待機しているとはいえ胸が悪くなる。
「とにかく近寄らなきゃどうしようもないよね」
「相手の動きを見て、こちらに来るようならすぐ離れろ」
「了解」
マコトは念力で浮き上がり黒い靄へとゆっくり浮遊していく。
トオルも後に続いて草を踏み分け、暗がりの中で鎮座する円形の物体にたどり着く。
それは朽ち果てた櫓に囲まれ、割れて役目を成していない桶がロープで結ばれ滑車に取りつけられている。
その風体は間違いなく裡捨てられた井戸で、石造りの井戸には木片で蓋をされていたようだが…割れている。
「…?この井戸、黒いだけじゃ、ない?」
「封印されていた痕があるな。蓋に古い札もついている」
「老朽化で壊れた?」
いや、とトオルは言い淀む。封印されている物体はいくら老朽化しても封印の効力により耐久値も維持され、壊れる事はあまりない。
流石に100年200年レベルの時が流れれば封印自体が老朽化して壊れることもままあるが…この井戸、いいところ封印されてから50年程だろう。実際にマコトが気づいた通り、封印自体は生きている。蓋を割られたことで意味をなしていないが。
マコトは慣れぬ視界にキョロキョロを辺りを見渡していたが、やがてトオルの背に隠れるようにして彼の服にしがみついた。
「…怖くなったか?」
「怖い、けど…それより黒くないのが井戸から呼んでる…」
「黒くない?」
魔力的に耳を澄ますがそれはトオルに声は聞こえない。“黒くない”モノも確認できない。
「シ…今の裏は何か言っているか?」
「感じ取れないって言ってる。」
なるほど、それで怖くなったのか。マコトしか感じ取れない何か。昼休みの視線にせよ、彼女は焦点がずれている。それが悪い事なのかよい事なのかは分からないが…
「直感的に悪いものか?」
「………綺麗。黒くてぐちゃぐちゃした泥の中の湧水みたい。助けて、助けてって…」
「…被害者の一部か?」
トオルはあらゆる可能性に思考を巡らせるが、自身に情報が入らない以上推測の域から出ることが出来ない。
マコトの発言を信じてソレを救いだすか…いや、ソレは任務を終わらせてからでも良いだろう。
とにかく留守中の幽霊を探し出して撃退し、封印しなおすか粉砕してしまうかしてしまわなければならない。
マコトにそれは後でと言いかけた時、ゆっくり招かれるように井戸へと引き寄せられていく。
「ばっ…!近寄るな!」
「助けなくちゃ…」
その表情は虚ろで声に覇気がない。しまった、元凶ではなく井戸の中の何かに憑りつかれている。
トオルは宙に浮かぶ少女の手を取り引き寄せる。普段ならば簡単に引き寄せられるのだが今回に限って動かない。それだけ前へ向かうという意思が強いのか…。
活を入れる魔法を唱えようとトオルが魔力を込め始めたその瞬間、マコトの頭の横を白く光る棒状の何かが走り抜けていった。その棒は井戸の櫓に刺さり、そして霧散する。
その光景を夢うつつに眺めていた少女は途端に瞳に光りが戻り、振り返った
「誰!?」
「誰だ!」
二人が視線を向けた先には街灯に照らされた青袴の巫女が梓弓を構えて立っていた。
濃茶の腰まである髪を束ね、街灯に反射した紺の瞳が二人を睨む。
「ルーシー!?」
思わずマコトは叫ぶ。月の光のような魔力を纏う少女…実際に“今の目”で見るのは初めてだが間違いない。
「…貴方達でしたか。その井戸の封印を解き、あまつさえ学校へ霊道をつなげた不届きものは…」
「霊道…!?……まさか、屋上の空白って…」
「場所まで知っているという事は間違いないようですね」
そう言って青袴の少女は弓を引き絞る。矢をつがえている様子は無かったが弦が引かれると共に白い光の矢が形を成していく。その姿はやはり美しい…が、気迫は弓道場の裏での敵意に近いもの。控えめな穏やかさなど微塵も感じない。
「早急に“彼”を連れ戻しなさい。さもないと撃ちます」
「待って…!私達はここの幽霊を退治しにきたの!なんならうちの校長に聞けば分かるから…!」
声を張り上げて少女を説得する。
退治…?少女は弦を緩めて話を聞く姿勢を示した。しかし殺気は衰えることは無い。
「そこまで把握してるなら知ってるでしょ?うちの学校の生徒たちが毎夜襲われて廃人になっている事件。校長から依頼を受けて学校を調査して…霊道を消した後って言うのは分からなかったけどルーシーが屋上で何かしてたのも知ってる。それでここを突き止めて私たちは今来たばかり」
「…何故貴方方が校長から依頼を?」
一瞬言い淀んでマコトはトオルに助言を求める。自分たちの身分を話して良いか、と。
「……あいつの口の堅さによる」
「信じるしかないか…」
学生の身分だからこれは秘密にしておいてほしいんだけど…
マコトが話始めると、瞬間、ルーシーの瞳が見開かれ弓を引き白の矢を放った。
矢はマコトの耳元を掠め、タァンと軽快な音を響かせ、腐った木が揺れるようなギギギと音を鳴らした
「!?」
「くっ…外した…!」
トオルも事態の異常に気付き、宙に浮いたままのマコトを引き寄せる。
先ほどとは対照的にヘリウム風船を引き寄せる如く彼の腕に収まったが、遅かった。
「アレだけ残留思念があって本体に気配がないだと?」
奥歯を噛みしめながらマコトを力を込めてゆする。
少女は目を閉じて動かない。かすかに肩が揺れている。呼吸はしているようだ。
トオルは苛立ちを隠さず舌打ちをする
「アイツが控えてると思って油断していた…!」
「せ、先輩!」
先ほどまでの警戒心など無かったように吹き飛び、慌てた様子でルーシーは2人の元へ駆け寄る。
「おい!起きろマコト!魔力を吸い取られるぞ!」
「先輩、今剥がします…!『我が守護水神よ…かしこみかしこみ申す…』」
呪文を唱えながら少女は眠りについたマコトに触れる。瞬間静電気のように電撃音が走り、青白い稲妻がマコトとルーシーの指先にまとわりついた。
痛みに表情を歪め、ルーシーは手を離す。
「…ッ、魔力が強すぎて私じゃ引きはがせない…!」
「くそっ…!」
「それなりの準備が必要です!私の家へ…いや、結界が先輩を弾いてしまうかも…」
おろおろとしてルーシーは口に手をやったり、きょろきょろあたりを見渡したりそれにつられて妙なステップを踏んでいる。本気で動揺している様子だ。
そうしている間にもマコトの顔色がみるみると青ざめていく。悪夢を見ているが如く表情は硬く、小さく唸り声を漏らす。
トオルはポケットから端末を取り出し、電話帳からカグラの文字を探し通話ボタンを押した。
数秒コールしただろうか。端末から明るく「はーい!」と声が聞こえる。
「…ってミッションクリアの連絡じゃないみたいね。」
「マコトがやられた。悪いが迎えを頼む」
「待機してた甲斐があるってものね。3秒待ってちょうだい」
やはりと言うか、カグラもこの事件に協力するつもりでいたのか。
通信が切れてすぐにふわりと黒の女が空中から現れる。
そして眠りにつく少女の顔色を一瞥して大きなため息を吐いた。
「…やらかすとは思ってたわよ。戦う者としてご法度の同情・優しさが強すぎるんだもの。いっそ治癒者としての能力があればどんなによかったか…」
そして、突如現れた少女を見つめる青袴の巫女を一瞥して息を呑んだ。
「あなた…ニス…!?…じゃ、無いわね、女の子だわ」
「良く分かったな」
「そりゃそうよ。幾分身長が小さいわ。アレに変装能力は無いはずよ」
「ニス?」
巫女の疑問には答えず、じゃ、マコトの家でいいのね。カグラは確認を取って指先を躍らせる。
瞬間トオルとマコトは雑草の生い茂るその地帯から消えていた。
「…これは酷いモノ敵に回したわね…」
長い髪をかき上げながら井戸を眺め、またルーシーに向き直る。
「アタシも帰るけど、貴女はどうするの?」
「私は…やれることは何も…」
ルーシーは目を伏せて梓弓を握りしめる。
その姿をみてカグラは溜息を吐き
「アタシはマコト程甘くないから意思表示してくれないと何もしないわよ」
そう言って冷たく微笑んだ。
巫女は暫く唸り、小さく連れて行ってください。と呟いた。
途端ににこりと黒の少女は笑う。ある種では対象的な二人は、ふわりと風のように消えた。
そして辿り着いたのは特に飾りげのない小さな寝室。控えめに置かれたベッドに寝かされたマコトはまるで重病患者のように弱弱しく呼吸をしている。そして時々何かに危害を加えられているのだろう、唸り声をあげて自らの心臓を掻き毟っていた。
「どう?」
カグラはマコトの額の汗をぬぐいながらトオルに尋ねる。
トオルは彼女の手を握ったまま首を横に振って、その姿を顔色を変えて見つめている。
「…駄目だ。憑依剥しの魔法は一通り試したが、コイツの異能レベルも高い上に霊自体一般人から吸い上げた生気でマコトと同等だ。魔法が通らない。」
「一体何人をディナーにしてるの?このバケモノは」
「50人+αだが…チッ、マコトの心象世界にいる人格もどんどん食われている…惨劇だな」
トオルは手を強く握りしめる。そこから眠りについている少女の内側を観察しているのだ。
どんどん食われている、という表現にカグラは頭を抱え、ルーシーは首をかしげる。
「…人格が、食べられる?まさか…この霊が喰らうのは生気…所謂魔力だけのはず…」
「え?ちょっと待ってソレどういうことよ」
一般人から魔力を喰らうという概念は理解できる。全く魔力を持っていない人間はいないからだ。生きるためのエネルギー…魔力を放出する能力を持たない一般人にとって魔力とはソレだ。
彼らは専門的に調べたわけでは無く、裏人格が何によって構成されているのか知識を持ち合わせてはいない。
一般的には人間の中身…魂と呼ばれるモノが分裂している、というのが多重人格だ。分裂した魂に個別に生気が宿ったとして、この霊に食われて生気…魔力が奪われるとする。しかし…ならば残るはず、魂が。
「言葉のあやじゃない。やられた奴らは何も残っていない」
「普通の多重人格じゃないっていうの?」
「これだけガードが甘くなっていてもその点については読み取れない…だが、今はそこは重要ではないだろう」
「……そ、そうよね」
「でも…この状況は、凄く、まずいです…」
先輩が何人の人格を宿しているのかは知らないが、彼らがまるっと奪われてしまうというのはつまり、その人口分の魔力を一つの肉体から得ているという事…青の袴を翻してルーシーは思案する。
「えっと、先輩の先輩?」
「…俺の事か?」
怪訝な顔をしながらトオルはルーシーへ視線を向ける。確かに名乗ってはいないが奇妙な表現だ。
「ええ、貴方…」
「トオル、マコトの同級生よ。学校に行ってればアタシもだけどね」
「トオル先輩…3年生かと思ってました。貴女も…ではなく!」
今はそんな話をしている場合じゃない、とルーシーは頭を振った。
「トオル先輩は見ているところ識属性でしょうか」
「…ああ。」
ならば…とルーシーは考え込む
「敢えて問いますが至って真面目な質問です。マコト先輩の深層心理を知る覚悟は有りますか?」
「…まあ、苦渋を呑んで受け入れて損なモノじゃないわよね?トオル。」
後ろで野次を飛ばすカグラを睨み付け、少し考えたトオルはやれやれと答える。
「はっきり言って適任者が俺以外にいないんだろう?」
「…私が行く選択肢もありますが、私は識ではないので心象世界に呑まれる可能性が…」
ルーシーは弓を握りしめ視線を逸らす。だが策があるのならば
「具体策を聞かせてくれ」
巫女の提案は至極単純だった。マコトの心象世界と繋げるゲートを作り、心象世界にいるマコトを引っ張り出すという事だった。
「要するに心象世界に生身で入るの!?」
カグラは心底驚いたようにマコトの額に浮かぶ汗を拭く手を止めた。
その問いに巫女は重々しく頷いた。
「精神体で入り込むよりは負担が少ないはずです。夢の中では魔力貫通能力を持つあの霊に対しても生存確率は上がります」
「良いだろう。やってくれ」
はい、とルーシーは返事をして、梓弓をマコトの胸の上に置いた。
「人が通れる程度の鏡があると良いのですが…無くても可能ですけど…」
「姿見ならミカさんの寝室にあるわよ」
カグラはすぐに指先を躍らせて室内に姿見の鏡を呼び寄せる。
カタっと小さな音をさせて木製の縁取りをされた鏡が壁に寄り掛かる。
ルーシーは小さく礼を言って鏡に触れる。そして目を見開いて皆の方へ振り返った。
「そのミカさんという方は巫女か何かだったのでしょうか」
「…いや、元研究者の一児の母だ。…どうかしたか?」
「微弱ですが霊鏡の波動を感じます。これなら…『かしこみかしこみ申す…天照大神よ、我が願い聞き入れ賜え…我は光の巫女、汝の眷属なり…』」
青の巫女は祝詞のような抑揚で呪文を唱えていく。鏡が映していた少女の姿は次第に歪み、そして鏡の向こうに現れたのは砕けたガラスのような夜空、そして緑の丘…。
「……開きました。トオル先輩、マコト先輩の居場所は把握していますか?」
「大まかだが」
「行動範囲はこのゲートが視認できる範囲でお願いします。」
「…ああ、見失ったら俺まであの世界の住人入りだからな」
じっと鏡に映る世界を見つめて、トオルは鏡に手を触れた。
ソレは水面のように波立ち、トオルの手が潜り込んでいく。抵抗なく滑り込んで行く様子を確認して、トオルは鏡に向かって歩き出した。
トプンと水にモノが沈むように、鏡は波立ち、そして静かに輝く湖の水面のように穏やかに立っていた。
「…頼むわよ、トオル」
カグラはトオルに代わりマコトの手を握りしめて呟いた。
鏡に沈んだ瞬間、水に潜り込んだようなさらりとした冷たさ、そして世界が反転するような眩暈に一瞬意識が揺れる。
いや、駄目だ。ココで微睡むわけにはいかない。トオルは青の瞳をゆっくりと開けた。
眼前に広がるのは小さな野花が咲く丘、ステンドグラスのような、星明りを乱反射させる空、そして遠くに見えるのはビル街…
「…魔力で構成されているから俺にも良く見えるのか…」
そう、トオルが普段見ている霞かかった世界ではない。全身がその世界を感じている。
一歩踏み出すと途端に霧がかかり、2歩目で霧が晴れる。するとそこに丘は無く、立ち並ぶビル、暗闇を照らす街灯、ビルの屋上には航空障害灯であろうか…赤い光が瞬き、車や人ごみこそ無いものの都会の街並みが広がっていた。
転移…ではない。後ろを振り返るとゲートがある。意味など不明だが心象世界が組み替えられたのか…
ドクンと心臓が脈打つ、眩暈が彼を襲う。
空間の変化に身体がついていかないのだろう、意識を強く保たないと呑まれる、青の巫女が言っていたのがコレだ。識属性だからこそ他者と自分に境界を引ける、いわば自分の存在を保つ為の結界を張れる能力を生まれついて持っているのだ。
だが、この空間の持ち主も通常の人間ではない。いくら結界を張ったところで溶かしてしまう。兵器などが理由ではなく、性格として。
「……だから憑かれるんだ…馬鹿が…」
悪態をついて意識的に境界を引く。だが長くはもたないだろう。早く彼女を連れ出さなければ…
空間が作り変えられてしまっては事前に把握していた座標にマコトはいないだろう。
かといってあまりゲートから離れるわけにはいかない。
それならば、本人に空間をつないでもらう他無い。
「…マコト!!聞こえるか!」
その声は虚空に消える。しかし信じて待つしかあるまい。五感を研ぎ澄ませて反応を待つ。
それは上空の空間の歪みと共に現れた。
ビルとビルの間を跳ぶ人影がいくつか、そしてその数m後方に巨大な影の塊が人影を追いかけて跳んだ。
影は人影の一つを叩き落とすようにその醜い前足を振るった。
人影は真っ逆さまにトオルの前へと落下していく
「チッ…他人の心象世界で魔法は振るいたく無かったが…【風よ】!」
トオルが指さした先につむじ風が起こる、風の中に落下したその人は、地面へとの衝突を避け、ゆっくりと石畳の上に横たわった。
トオルはそれに駆け寄る。それと同時に彼女は起き上がろうとしているのか地面に這いつくばる。だがそれ以上に身体を起こすほどの体力が無いのは彼女の外傷から見ても明らかだった。
「…と、おる…?」
頭だけどうにか持ち上げ、トオルを見上げる。外の体よりも髪が長く、しなやかで少しだけ凹凸のある四肢体幹だが、美しい金の瞳だけは変わらない。
その姿が、何故か神聖なものに見えた。
しかしそれに言及する暇はない。トオルは黙って腕を引き寄せ、彼女を立たせようとする…が、彼女の背後にはビルの屋上にいたはずの巨大な影の塊に人間の四肢が生えたような異形の怪物がいた。ゆっくりと前足…いや、影に覆われた腕を振り上げる。
「ひっ…!」
普段のマコトからは想像もできないような甲高い悲鳴を上げる。もう避ける体力などない。
トオルも魔法を撃つのは間に合わないと悟り、引き寄せている腕に力を込めた。
が、影のリーチは長い。いくら回避に徹しても間に合うだろうか…!
「いいから主を連れて逃げろトオルゥ!!」
突如横からの衝撃を受け、影は巨大動物のように地面へと倒れ込んだ。
その隙にと影と彼らの間に立ちはだかったのは…赤髪をなびかせた、肩に謎の紋章の入った紅いローブを羽織った同い年程度の少年だった。
「この中じゃこいつは魔法は通らねえ!オレの攻撃なら多少の足止めが出来る。行け!」
「駄目!」
本来ならば走る体力も無いだろうにマコトはトオルの支えを跳ね除け、少年をトオルの方へと突き飛ばした。
マコトの行動に意表を突かれた少年はそのままトオルの腕の中に倒れ込んだ。
「マコト!」
「主!」
「…今回は貴方の方が勝ち目がある。信じてるよ。二人とも…」
マコトは後ろで姿勢を立て直す影には目もくれず、二人へ手のひらを突きだす。
普段は見えぬ念力の力が金の糸となって二人へ絡みつき…まるで強力なゴムの弾性のように強い力で後方へと引っ張る。
抗えぬトオルと少年はゲートへと飛ばされ、勢いを殺す事無くゲートを通り抜ける。
ガラスが割れたような音が響き、気付ばトオルは元いたマコトの部屋に横たわっていた。
「トオル!?無事なの!?」
カグラの声で朦朧とした意識を取り戻す。心象世界に入り込んだのだ。とてつもなく精神が消耗している。
腕の中にいた少年は…?そう思い当り重たい身体を起こして少女の眠るベッドへと視線を向ける。
そして少女は「うう…」と声を上げて目を開く
「先輩…!」
安堵の声を上げる青い巫女、しかし身体を起こしたマコトは目を見開き、その瞳に赤を宿し自らを抱きしめる
「うっ…ああああああ!!」
苦痛を表現するには十分すぎる悲鳴に、誰もその異常は気づかず、カグラはマコトの肩を抱きしめ、必死に声をかける。
そしてマコトの背中から影が滲み弾け跳び、影は壁へと一目散に走り去って行った。
「…成功したようですね」
「…いや、失敗だ。あのバカが…」
トオルは頭を抱えながら身を起こす。どういうことですか?ルーシーが問う前に答えが赤の瞳をぎらつかせ、カグラを跳ね除け走り出そうとした。
「…ッあのくそ主!魂までついて行きやがった!身体が死んだら元も子もねえんだぞ!!」
「ちょっ!?どうしたのマコト!」
カグラはマコトの体を必死に掴む。制止に業を煮やしたマコトらしき人物はカグラを睨み付け、宙に謎の紋様を描く。
「邪魔すんじゃねえ!」
その紋様をカグラへと叩きつけようと紋様を掴んだ瞬間――マコトらしき人物は身体をびくりと跳ねさせ、何かに拘束されたかのように全身の動きを止めた。
紋様は炎を放ってマコトの手を焼き打つ
「…っ!」
声にならない悲鳴を上げ、焼かれた手を押さえる。
「……流石主様…自分へのプロテクトだけは一丁前だな…」
「マコト…じゃないの?」
皮肉交じりに呟いたが火傷の痛みに表情は厳しい。
マコトの体が起き上がった時に飛ばされた梓弓を拾い上げたルーシーは彼を見下ろし
「なるほど…貴方…先輩の裏側の人ですね」
「う、裏!?二重人格の!?100%男の子って事!?」
「…ああ、“マコト”は俺にそいつを押しつけてゲートに押し込みやがった」
少々回復したのかカーペットの上に立膝で座りなおしたトオルは苛立ちを隠さず吐き捨てる。
「……聞きたいことはこの場の全員山ほどありますが、とりあえず手を」
半ば奪うように火傷した手を握り、息を吹きかける。
今朝マコトに行った治療と同じように焼け爛れた手が再生していく。
その光景を見て、マコトの体は諦めたようにベッドのヘッドボードに身体を預け、頭を搔きながら深いため息を吐いた。
「…とりあえず俺含め不平不満はあるだろうが…時間がねえ。【シマバラ トオル 動くな】」
魔力を込められた文言。それは呪文でもないのに逆らうことが出来ず、トオルは縛られたかのように動きを止めた。
消耗した精神では抗うことが出来ず、ぬらりとにじり寄る“マコト”を言葉で制止しようとするが…疲労に染まった赤い瞳は止まらない。
彼の前で膝をつくと、右手で硬直するトオルの顎を引き上げ、ゆっくりと顔を寄せる
「は!?おい、バカやめっ…」
「医療行為だ。じっとしてろ」
背後で顔を赤らめ嬌声を上げる女性二人には目もくれず、火のような瞳は静かに閉じられ唇は重ねられた。
うめき声を上げて抵抗するトオルだが身体は指先一つ動かない。
それでも逃がすまいとマコトの左腕はまるで女性が縋りつくかのように背中に回されていた。
まるでマコトの半身が男性を示し、また半身が女性であるかのように。
それが十数秒続いただろうか。抵抗しているトオルに変化が現れた。
「んっ、ん…」
指先が動く。消耗された精神…魔力が戻ったのか“命令”の抵抗が叶うようになった。
ならばとトオルは…
「ふぎゃっ!?」
マコトの額にチョップを入れる。油断していたのかマコトの体は後方に倒れ込んだ。
紅潮した顔で呼吸の粗いトオルは手の甲で唇を拭りさる。
「医療行為つったのにひでえ…」
「だったらいつも通りでいいだろう!?」
「主の魔力提供は毎回見ててまどろっこしいんだよ!10秒ちょいでほぼ0が全回復したろ!?今はリジェネレーションも無いからな!」
粘膜接触による魔力の譲渡は効率が最高に良い。確かにそうなのだが…
「ふ、不純です!」
頬を紅潮させた青巫女が梓弓でマコトの脳天をひっぱたく。
後ろに飛ばされたマコトは今度は前に倒れ込み、トオルの胸に飛び込み…そうになったがトオルは彼女の体を支えて拒否の姿勢を示す。
「…それぐらいの優しさも無し?」
赤い瞳が女性声で甘えた声を出すが、トオルの青の瞳は冷たく目の前のマコトに似た人物を見据えていた。
「お前自身マコトを盗られて魔力に余裕がないだろう。なぜ自殺行為をする。」
「………。良いだろう?根本的貯蓄量が違うんだから俺は風呂桶レベルの水槽からバケツ一杯の水を渡しただけだぜ」
怒られて拗ねた子供の様にマコトは下を向いて返答する。
そして、そんなことより…と立ち上がったが、一瞬フラりと身体が傾く。
「やはり無理をしているのでは…!」
ルーシーは支え、顔色が少々青白くなったマコトの体を支える。
マコトは振り払うように「大丈夫だ」とそれだけ伝えて玄関へと歩いて行った。
その後をルーシーは追いかけていく。
「…あのね、裏人格がマコトの体であんな方法を取ったのにカチンときたのは分かるわ。
でも彼、表より異能精通しているっぽいし、素直にお礼も言えなさそうだし、お礼がしたかったんじゃないの?」
「…そんな事分かっている。」
「まあ中身は男子だしトオルの気持ちも分からなくはないわよ。」
端末をいじりながらカグラは冷静に言葉を紡ぐ。声色は極めて冷静なのだが…カグラの口元はどこぞの不思議の国の猫のようにニンマリと歪んでいた。
気付いた時には既に遅し。頭が理解するよりも端末を奪いにかかるが、さらさらとしたポニーテールはふわりと姿を消し、トオルの背後に現れ、彼が振り向くとパッと姿を消して楽しそうに笑う。
「お前撮ったな…!?」
「なーんのことかしらー?そんなことより“マコト君”追っかけなさいな」
ぐっ…と言葉に詰まり、しぶしぶ玄関へと足を向ける。
寝室から出る間際に振り返り
「消しとけよ」
そう言ってトオルは彼らを追いかけて行った。
寝室に静寂が戻る
「…大丈夫よ。アタシもそこまで意地悪じゃないわ」
端末に口付けてニヤリとカグラは笑った。
「調べ終わったら消すわよ。」
カグラの端末に映しだされた画像は…勿論例の画像も撮った事は撮ったのだが…男性人格のマコトが魔法を撃つために宙に書いた紋様…
「…ルーン文字って言ったかしら…もっと彼の魔法見せてもらいたいわね」
拳銃に込められた弾薬を確認し、彼女も先の集団の後に続いた。
「ちょっと、貴方一人でアレに挑むつもりですか!?無茶です!」
夜道を行く少女の瞳は赤く光る。追いかける巫女がそう声をかけるのも3度目だった。
ようやっと歩みを止め、振り返った彼の表情は、平時の攻撃的だがそれでも陽気なソレと異なる。
殺気に満ちたその表情…マコトとは到底思えない。
「……かといってお前も使えないだろう?折角の魔弾が当てられないんじゃな」
「っ!」
巫女は明らかにたじろぐ。
「魔弾は戦う気があれば外さない。いや、必ず当たる。そうだろう?」
「…そ、うです。私には治癒しか出来ません」
戦慄く声で言葉を紡いだ。
赤い瞳はそれを一瞥して空き地へと走り出す…いや飛翔した。
それを見上げることもできず、巫女は俯き佇む。弓を持つ手がわなわなと震える。
「私は…雨も降らせられない…出来損ない」
幼少の頃の、親戚の言葉を反芻する。まるで鎖のように言葉が体に絡みつく。
今回の件に手を出したのとて、“死を悼むもの“に縋るが為の蛮勇に相違ない。
大地を潤し、死者を送ることで栄え絶えなかった一族…せめて片方でも極めねばこの一族に生まれた者としての価値は…
「巫女ちゃーん!」
背後からの女性の声に我に帰る。
追いついてきたトオルとカグラだった。
さほど息を切らす様子もない彼らはキョロキョロとあたりを見渡す。
「マコト…いや、裏は?」
「もう行ってしまいました…」
「貴女は行かないの?」
カグラの問いにルーシーは再び俯く。
先ほどとは明らかに様子の違う彼女に2人は困惑する。正直何かを抱えている者への適任者はマコトだろう。
「…私は…攻撃も当てられない出来損ないですから…」
なんとなく合点がいったようにトオルは「ああ…」と目を逸らした。それに対して「説明しなさいよ」とカグラはトオルを小突く。
「出来損ないという程かと言われれば疑問だが…魔力矢を2度、外した」
「魔弾を…?それは修行不足ね」
話を聞いてカグラはサックリと言い放つ。余りにも配慮のない言葉にトオルは「お前…」と苦言を呈しようとしたが、カグラは続けた。
「後衛と前衛の意識の違いかもしれないけど、実弾ならともかく魔弾は軌道修正出来るんだから“避けられるならまだしも外す”のは実力が実戦レベルじゃないのよ」
「…………」
ぎゅっと体を縮こませて、巫女は頷く。
「だから出来損ないです。お二人は早く彼の元へ…」
「アンタ弓を持って何年目?」
腰に手を当て、カグラは見下ろす。平時の風のような雰囲気は何処へ…トオルはその雰囲気に覚えがあった。
ライセンスを取る前の修行時代の師匠、弟子の実力を見極めるような圧力…間違いなくそれだ。
「…10の誕生日に弓を貰いました…」
初対面の女性にまさかの値踏みをされて困惑しつつも巫女は答える。カグラは続けた。
「師匠はいたの?生き物…いえモンスターを相手にし始めたのはいつから?」
「弓自体独学で…実戦は3年生に入ってからお爺様に許可を…」
「一年経ってない…」
カグラははーっと深いため息をついて頭を抱えた。これは…一族から受けた失望と同じ物か…ルーシーは一歩後ずさる。
しかし次の言葉はあまりにも予想外な物だった。
「何?アンタの一族はダイヤの原石を磨きもしないで鉛筆の芯扱いしてるわけ?どーせ言われてるんでしょ。一族の恥さらしだの何だの」
「は…?」
「雨は知らないわよ。そっちの適性なんて専門外だわ。けど独学で弓道を6年、動く的を狙い始めて1年未満?それで狙撃が出来たらアタシの10年が小っ恥ずかしいわ!現状なら上等よ!」
「へ?あ、あの…私が清竜神社の者と言いましたっけ…?」
「青袴の巫女なんてそこしかないわよ!」
意味のわからぬ苛つきを浴び、巫女は混乱している。端で空気になりつつあったトオルは早くしてくれとばかりに頭を抱えていた。
「アタシはね!努力を認めないのが大っ嫌い!…しかも発達途中で烙印を押されるのは…殺してもいいわ」
あまりにも物騒な物言いだが…景色が広がったような気がした。心に巻かれた鎖が軋む。
「…私、戦えるのですか?」
「スタートラインにも立っていないんだから分からないわよ。でもね、やる気があるのなら…」
カグラは指を指揮棒の様に踊らせ、呪文の詠唱を始めた。
「こういう実戦は逃せないわね。テレポートは定員オーバーだから飛ぶわよ【神風】!」
とてつもない突風が3人を襲う。
まさに風に吹き飛ばされ、3人は空へと駆けた…が浮いているわけではない。特定の高さまで煽られたらそのまま自由落下だ。驚異の跳躍と言ったところか。
「へ!?あ、やっ…!」
トオルは多少の念動力があるため速度や軌道の修正を行えている。
カグラは…人のテレポートが出来なかった頃は移動手段として利用していたのだろう、慣れている。
しかしルーシーは…
「私落ちるのに対処できませぇぇぇん!いやあああああああああ!」
悲痛な叫びを上げて落下していく。
「着地の勢いぐらい殺してあげるわよ…」
「そういうのは先に言ってやれ」
「……………。頭から落ちない様にだけ気をつけなさい!【東風】!」
近付く地面から風が吹き上げる。温かな春風は加速して落ちていく身体を巻き上げ包み込んだ。
そして、地上から1mほどの高さで風が止む。
年長組は空き地前の道路である着地地点にスタッと降り立ったが…
「ふぎゃっ!?」
巫女は尻から着地した。美しい髪を乱し、ゲンナリといった表情でアスファルトに伏せる彼女は…ある意味では年齢相応に感情を表に出しているのだろう。
「…地面って素敵です。次からは徒歩で参ります」
宣言する。
カグラは苦笑して少女を助け起こす。そして乱れた髪を魔法で整えてやった。
刺激が強すぎたわねと謝罪をしようとした瞬間…
「【死者焼き払う業火 示すは即ち救済なり:煉獄】!」
空き地に昼間の如き明るさが差す。いや、業火が空き地を占領している。
それはまるで火葬の炎の様に、送り火の様に全てを焼き尽くす…!
「あちゃ!?遅かった!?」
それが誰の魔法によるものかは明らかだった。そしてそれを受けたアレが無事で無い事も…
「いや、まだだ」
トオルは炎の中に目を凝らす。まだ、2つの影がある。
そして燃料が尽きたかの様に炎は速やかに沈静化する。いくつかの種火を残して。
草も燃え尽きたその空き地で、少女の身体は膝を折り、姿勢を保つのもやっとの状況だった。
対峙する黒い影は夢の中のまま、巨大で膨れた体躯を波立たせている。
「…っ、じょ、うだんキツイぜ…死者特攻すら刺さらねえ…《招魔》」
魔力を吸い上げる呪文を唱える間にも地鳴りの様な声を上げて影は爪を振り下ろすーー
反射的に身を起こしたマコトの身体は、また謎の紋様を描きそれを爪に向かって叩きつけた。
「効かねえつってんだろ!【アルジズ】!」
紋様は盾となり爪は弾かれる。
しかし盾は持続せず相殺され砕けてしまった。彼はバウンドした爪から距離を取って飛び退く。
「マコト!」
「先輩…!」
「待て結界が…!」
トオルの制止も虚しく女性陣2人は空き地へ走り込む。案の定結界に阻まれ弾き飛ばされ…
「いった!?」
……弾き飛ばされたのはカグラのみだった。
巫女は何か壁の様なものをぬるりと通り抜け、衝撃に備えていた分前のめりにバランスを崩す。
「なっ…!?」
「あれ?…結界は……」
中と外を交互に見て一番困惑しているのは巫女であった。
しかし困惑してる間もない。
『がぁぁ……!……、ナ、ヅキ…!』
影は間違いなくルーシーに向かい吠え突進する。
それ以上に大声で悪態を吐くマコトはルーシーの前に飛び込み、【アルジズ】の盾を展開する。
「なんで一番ひよっこのお前が俺様の結界抜けるんだよ…!」
「し、知らない…!」
「お守りしながらとか無理ゲーだろ!」
苛立ちをぶつける様にポケットから出した小石をばらまく。
小石が作った陣はほのかに発光し、外側と同じ結界が展開された。
「出るなよ!?アレは流家の女なら見境なさそうだからな!だから来るなって…」
「言ってませんよ!?」
「ひよっこには重いつっただろ!」
「言ってない!『使えない』と言いました!」
「分かれ!」
ルーシーを囲む結界から飛び出して魔法を打つ。攻撃は【アルジズ】で防ぐ。
「…いやー分からないわよね…。まさかマコト君ってトオル以上の口下手?今までそうは見えなかったけどー」
「………知るか」
まさに結界…蚊帳の外でトオルとカグラは呆れ果てる。
意味が分からないとルーシーは憤り、梓弓を地面に突き刺していた。彼女なりの地団駄だろう。
呆れるだけの余裕があると、結界の外の2人は判断するが、お互いノーダメージ…疲労感がある分マコトが不利だ。
「解除できる?」
「解析は済んだが…解除したら多分アレが逃げるだろう。これは死者封じに特化した結界だ」
「アタシなら空属性だからこねくり回せばすり抜けられるかもしれないけど今実弾しか持ってないし…マコト君!倒れる前にそっちに入れて頂戴!」
カグラは中で戦うマコトに呑気にも声をかける。
彼は攻撃の手も緩めずに
「結界いじる程の余裕がねえ!」
「と言ってもその泥仕合続けてたら負けるわよ」
はっきりと言い放った。誰の目にも明らかな事である。彼も例外なく気づいている。
しかし負けるということは即ちマコト自身の死を意味する。すると町中にこの霊による被害が広がる。
後手後手に討伐するという手も無くはないが、現状この国1位の魔力を食って溜め込んだこの悪食を討伐できるものがいるだろうか。1位の不在の元に…
「………奥の手を使うか」
ふらりと構えを解き、マコトは影の突進を誘った。
その行動に裏があるのか否か、霊は考えてもいない。ただ
ーーー死霊特攻を持つ彼を”誰か“と勘違いして手に入れようとするだけだーー
一度突進をはじめてしまえば軌道の予測は容易。
燃えるような赤い瞳は飛び上がりそれを躱す。そして足元にいる影に複数の小石を投げつけた。
「主は散るんじゃねーぞ!」
それは逆に敵の打たれ強さを信じての攻撃だったのだろう。
小石は光の矢となり影へと降り注ぐ。無数の矢は影へと突き刺さり、地面へと縫い止めた。
苦痛は感じるのだろう、影は輪郭を歪めて咆哮する。
「…私と同じ…矢…?」
唖然としてその光景を眺める巫女。対象を貫通して地形に縫い止める…彼が放った矢は本数は雨のようでも効果は間違いなくルーシーの魔法矢と同じものだった。
「おいひよっこ!」
未だ宙に止まる彼は巫女を呼ぶ。酷い呼びざまに彼女は苛立ちを隠せないが御構い無しに彼は叫んだ。
「お前も縫え!俺のじゃ威力が足らねえ!」
「こんなに沢山縫い止めればそんな必要…」
「…あるぜ。あの本数でもお前の一矢程の威力は無い」
トオルは冷静に彼女に告げる。ルーシーの矢と今のマコトの攻撃、見比べたからこその宣告だった。
事実、今にも一矢、また一矢と散らされていく。
「…わかりました」
巫女は弦を引く。当たらない、と言う鎖が彼女を取り巻き、手を震えさせる。
ここで射なければ、当てなければ、間違いなく外の二人を引き込むこともできずに彼は負ける。
負けてしまえばルーシーも間違いなく餌食にされるのだろう。悔しいが”ひよっこ“である事は間違いなく、”ひよっこが勝てる相手では無い“のだ。
「…先に自分の魔力を敵に”糸”にして刺しなさい。弾はその糸をレールにして放つのよ」
彼女の一番側に近寄れる場所で、カグラは結界に手をかけ優しく語りかける。まるで姉のように…
「“生き物”を撃つ時は誰だって怖いわ。でも“アタシと違って”貴女は癒しの矢を撃つの。癒した結果あるべきところに帰るだけ。アレにとって何が癒しか…分かるわね。」
手の震えが止まる。
教えの通り糸が伸びていく。実戦で弓道のように心穏やかに弓を引けたのは初めてだった。
弾け飛ぶ光の矢は奇妙な曲線を描いて背から地面へと突き刺さる…!
さらに悲痛な咆哮が、マコトのか細い矢を全てなぎ払った。しかし巫女の矢は固く影を縫い止めている。
心をからめとる鎖に確実なヒビが入る。
「やった…!」
結果には目もくれず、マコトは外で待つ2人を引き入れるべく結界へと走った。
走りながら結界に穴を開け、迷わずトオルの胸倉を掴んで引き入れた。
「トオル、アレを探してくれ!主が綺麗とか湧水とか言っていたアレだ!魔力ならいくらでも渡す!」
「っ…!少し落ち着け!さっきからお前は捨て身過ぎる」
マコトの手を引き剥がして距離を置く。先程の魔力譲渡を警戒したわけでは無いが…まあそれでもあまり距離を詰めたくない。
「それ必要なの?焼けなくても切り捨てればいいじゃない。効くみたいだし」
その言葉を聞いて赤い瞳が表情を歪める。
「…駄目だ。それじゃ主まで殺しちまう…」
唇を噛み、わなわなと震える。それはおそらく自分の不甲斐なさを責めての表情なのだろう。
えっと聞き返すカグラへは巫女が口を挟む。矢が抜けぬように弓を握りしめ魔力を送り込みながら。
「感覚としては分かります。殻だけ壊せば中身が出せるような…」
「…………ああ!要するに胃袋を残して倒したいわけ?狙撃したら胃に当たるかもしれないから嫌って事」
「大体合ってる」
だから頼む、とマコトは呟いた。トオルはふうっと呼吸を整え地面に手を置く。
「探し物で本当に倒せるんだな」
「…………トモダチが減るかもしれないがな」
意味深なセリフに集中が乱れかけるが、気を取り直して空き地の情報を読む。
湧水…おそらく元々井戸から湧き出た水脈とは違うのだろう。
水脈という情報をフィルタリングして意識を広げる。すると井戸の底に明らかに異質な“湧水”があった。
「っ、これか」
「どこだ!?」
「井戸の底の3m程地中だ。これは………」
トオルの情報もほどほどにマコトは井戸に全神経を集中させた。
女のマコトならば目標物に狙いを定めてそれだけを引き出しそうなものだが、彼は違った。
凄まじい爆発音とともに吹き上がる井戸水と泥砂。それらが雨になって彼らに降り注ぐ。
何やってんの!?と困惑しながら雨を避けるカグラ、とっさに雨よけの障壁を張るトオル。
ルーシーはそもそもマコトの結界に包まれ被害なしだった。
しかし…自らの瘴気を長年染み込ませたその井戸水を浴びた影は急速に力を取り戻し、彼を縛る矢を弾き飛ばす…!
「っ…、マコト!」
ブレーキを失ったトロッコの様に影はマコトへと突進する。しかし彼女…いや、彼は自ら降らせた雨に目をこらしていた。
…………見つけた。
マコトの前に立ちはだかり結界を展開するトオルを押しのけ、念力でソレを呼び寄せる。
「ほんと、お前らは俺に関わって不幸だな、知りたくないことも知っちまう」
勢いよく彼の手中に収まったソレは、金属部分が朽ちているが蒼い石のかんざしに見えた。
もっとも…その蒼い石は加工されカットされたものではなく、長い年月をかけて結晶化させた様な不格好なものだったが。
「コレがこの身体の固有能力だ…!」
彼が石へと魔力を通すと石の中から青い光が漏れ出てマコトの体へと吸収される。
そして、マコトの体は青く光り出し、そのシルエットが蠢き出した。
その間にも影はマコトを引き裂こうと爪を振り上げる…が…!
『ギェアアアアアアア!!』
それより早く地の底から響く様な咆哮を影は上げた。振り上げられた爪は霧散し、黒い粒子は空中へと吸収されていく。
驚きを隠せないトオル、同じくその光景から目を話すことができないカグラ、ルーシーに至っては結界内で腰を抜かして座り込んでいた。
何故ならば、光が消えたマコトの身体は平時のそれとは全く異なっていた。
すらりと伸びた手足、豊かな曲線、黒くストレートの長髪はあまりにも美しく、切れ長の青い目は神々しい。
突如現れた女性が身に纏うのはルーシーと同じ青い袴の巫女衣装、右手には5色の帯がたなびく祭具の鈴が握られていた。
「……かつて愛した者を滅せよとは、体の主もなかなか気が狂っていると見える」
凛とした声で毒づく間にも影は大口を開けて彼女に噛み付こうとする。しかし彼女は眉ひとつ動かさず、鈴を弓へと変形させ、魔力の矢を放った。矢の色は青いものの効果も威力もルーシーのものとそう変わりなかった。
矢は真っ直ぐの軌道を描いて瞬時に4本放たれ、影の身体を縫い付ける。
「…総一郎さん」
女性は影へと声をかけた。しかし影は咆哮をあげるばかりである。
その様子を見て、おそらく覚悟を決めたのだろう。弓を再び鈴へと変化させ、シャーンと濡れる様な美しい音色を奏でた。
それは圧倒的な戦力差だった。
音の波に触れた影の四肢は粒子となって散っていく。
逃げようにも、矢を1本弾き飛ばしたところで倍の矢が突き刺さる。
薄皮を剥ぐ様に影を散らし、苦痛に呻く霊の方が哀れに見える程であった。
『ミナヅキ…』
唐突に影が言葉を発した。いや、一度はおそらくこの場に居る者達は聞いていたのかもしれない…
影が去っていく。残ったのは地面にうずくまる人間の男の姿だった。
「水無月って…大伯母様…!?」
「…ああ、“似ている”と思ったらお前は子孫か。あの石頭、ちゃんと子を成せたのか」
嘲笑し、すぐに目の前でうずくまる男に視線を合わせる。
「…私が分かりますか?」
「…ナ、ぜだ…オレは………おマエの…カんザシ………マモりタクて…」
「嬉しいことですが、貴方には触れることも叶わなかったでしょう」
ミナヅキと呼ばれる女は、ソウイチロウと呼ばれる男を優しく抱擁する。
触れたところから光の粒子が登り始める。浄化が始まったのだ。
「もう、いいのです。来世というものがあるならば…その時にまた…」
鈴が錆びた簪へと姿を変える。そしてそれを逆手に持ち、ソウイチロウの後ろ首へと突き立てたーー!
咆哮も断末魔も無く、男は静かに目を閉じ、女にもたれかかった。程なくして男の身体は粒子化して天に昇っていく。
全てが還った後、女の腕の中にはいくつもの、何色ものホタルの様な光が残った。
「…さあ、帰りなさい。悪かったわね…」
両手を空へ掲げると光の玉は各々の方向へと飛んでいく。中でも大きな金の光を放つ玉は女の胸へと吸収されていった。
「…っ、半身を持っていかれてあの力だったの…末恐ろしいわね」
胸元を抑え、女はあっけにとられている3人の元へと歩み寄る。
「………この身体に感謝しないとね。あの人を浄化することができたわ」
早く身体を返せって言われてるけど、と女は笑う。
「…体の持ち主から伝言よ。『主がいない間の記憶は主に渡さない』それと『他言無用』ですって」
「なぁに?アレを無かったことにするっていうの?」
「アレ?………ああ、魔力譲渡か。初心ね」
記憶を見たのかクスクスと笑う女。トオルは頭を抱えるが…向こうが蒸し返さないというのならば騒ぐつもりもない。
「…さて、石頭の…年代的に孫かしら。こっちにいらっしゃい」
呼ばれてルーシーは恐る恐る女に近寄った。
「…貴女は…お爺様のお姉様のミナヅキ様ですか…?」
「貴女のジジイから私のことどう聞いてる?」
「それは…」
口籠った。あまり良い話を聞いたことがない。
「どうせ女としての慎みがないとか、雨よりも除霊に夢中になっていたとか、変な男にうつつを抜かしてたとかそういうのよね」
「…………ええ、まあ…」
「私は自分の人生に後悔してないの。古いのよ。許嫁とか、家柄がどうのとか、伝統がどうのとか…散々あの石頭に言ってきたんだけど結局……あら?そういえば貴女異国の血が入ってるのかしら」
「母が外国人です」
「……………そっか。少しは頭柔らかくなったのかしらね。過去の時代にしがみついてもいいことなんてないんだから」
安心した様に微笑んで、女は錆びた簪をルーシーに差し出した。
「使い方は見たとおり。まあ錆びちゃってるし、色々こびり付いちゃったし…合う様に作り直してもらうといいわ」
「でも、これは家宝と聞いて…!」
「破門された私の精神が混じった物なんかあの家じゃ受け入れないわ。だから使える日が来るまで、手放しちゃダメよ。貴女が成長してから良い助けになるはず」
「ありがとう…ございます」
簪を受け取ると、女は光に包まれシルエットを変えていく。そして光が消えた時、見慣れたマコトの容姿に戻っていた。
マコトの姿に戻るなり、膝を折り芝生に倒れこんだ
「マコト…!」
カグラが一番に駆け寄り、助け起す。
気絶こそしていないものの体力、気力ともに使い果たしたスライムの様に四肢をだらりと投げ出し、一瞬でも気を抜けば眠ってしまいそうな締まりのない表情となっていた。
「ちょ、ちょっと大丈夫!?」
「もぉ…らめぇ…うごけない…」
「…マコトよね?」
「なにが、あったのぉ…?」
半分は霊に捕まりいい様に魔力を使われ、半分は霊と戦い、両方とも魔力を使い切ってしまったのだろう。
それにしても、完全に男性人格は引っ込んでしまっているのか、声も妙に甘ったるい。
「…あーとにかく休ませないとどうしようもないわね。…ちょっと、アタシからたくさんは吸わないでよ。帰れなくなっちゃう」
手を握って少量の魔力を受け渡す。せめてへべれけ状態から脱してもらわないとテレポートも安定しない…が、焼け石に水か…。
「あの、家に寄って行かれますか?近いですし水ですが魔力は満ちています」
巫女が提案する。
トオルとカグラは目配せをして、その提案に乗ることにした。
ぐったりとしたマコトを、少々嫌がったがトオルが背負い、空き地を後にする。
「…あの井戸は、当家の汚点として教えられてきました」
特に会話のなかった集団で静かに巫女は話し出す。
大きなリアクションは無かったが彼らは聞く姿勢を示した。
「当家の家宝を持ち出した犯人が身投げをして、悪霊になり封じられたと…。でも、この簪を受け取った時真相が見えたんです。…ミナヅキ様が残した魔法かもしれません。
あの方は…当時女性は雨、男性は除霊、神主も男性という家風に異論を唱え続けていました。
ミナヅキ様は…お爺様の言葉を借りれば“降雨のための家宝を弄り除霊用の道具に改造してしまった馬鹿者”だったそうです。
きっと、この先の時代血筋の誇りだけでは生きて行けないと悟っていたのでしょう。だから許嫁との結婚に反発して、外にソウイチロウ様という恋人を作り、生まれた瞬間から定められた役割では無く生きたいように生きた…」
「古い、わね」
「そう…ですね。実際にこの家風にも無理が出てきています。血筋で選ばれる許嫁にも眼鏡に敵う者が見つからなくなっていますし、遠縁の親戚と結婚を続けていた流家は血ばかり濃くなり正直身体が弱い。病弱な体には魔力は重い。父が母と結婚するときに猛反対したお祖父様も…その現実が見えてしまったから最終的に許しました。その結果生まれた私には…降雨も除霊も才は無く………」
「治癒はお母さんの影響かしら?」
「……母は低レベルですが異能者です。自分の傷が治るのが早いレベルの…遺伝かもしれませんね」
属性についての遺伝は謎が多い。しかし魔力量は父や祖父、そして清竜神社に張られた水の魔力を集める結界の影響を受けてルーシーは高レベルの魔力量を持っているのだろう。もちろん日々の研鑽もあるが。
「…ミナヅキ様は早世されたと聞いていましたが、実際には許嫁にあの井戸に突き落とされたようです。ご遺体は回収されましたが当時持っていた家宝は紛失…井戸をさらって捜索中にミナヅキ様の死を嘆いたソウイチロウ様が後を追い……以降ソウイチロウ様が……ミナヅキ様の形見を守っていたようです。その執着に悪霊となりながら…守るために人を襲い、力を食らって…封じられた」
ルーシーは語りながらポロポロと涙をこぼす。
グスグスとしゃくり上げながら巫女服の袖で涙を拭う
「……すいません…こんな……」
涙の理由は語らない。それでもカグラは彼女の肩を抱いて慰めるように身体を寄せた。
「どうせ家じゃ涙はご法度でしょ?今泣いときなさい」
「ごめんなさい…」
何に向けた謝罪なのか…彼女はごめんなさいと繰り返す。おそらく、謝罪したい相手はもう世に居ない。
そのまま帰路を進み、神社の階段を登りきって鳥居の前で一旦巫女は足を止めた。
グッと目頭を拭って頰を叩いて気合を入れ直すと、どうぞと彼らを促し鳥居をくぐった。
魔力的な触覚が鳥居に張られた水の膜を通り抜けたと告げる。
鳥居の先はすでに結界の中。水属性の魔力が自然と集まる領域。
トオルだけは何となしに息苦しさを覚えたが黙って魔力への感度を下げる。
「本殿の裏が居宅です。皆寝てると思いますので…」
案内されるままに畳敷きの一室に通される。
ルーシーの自室らしいその部屋は和室用の卓、隅に控えめのドレッサーがあるだけの寂しげな部屋だった。
「マコト先輩、お布団敷きましょうか?」
「だいじょーぶ…でも横にならせて…」
「大分回復したみたいね」
「鳥居くぐったあたりから重みが減った」
意識がない人間はそうでない人間よりだいぶ重く感じる。
それでも年頃の女子に対していう言葉ではないが、皮肉の一つでも言いたかった。
「重くて悪かったね…」
背中で身体を預けている少女はむくれ、早く下ろせと急かした。
喜んで、とばかりにトオルはしゃがんで畳の上へとマコトを下ろす。足腰は立たないがどうにか座位を取れる程度にはマコトの魔力は回復していた。恐るべき回復力である。
「んー…!ココにいると凄い勢いで回復していく。魔力あるってサイコー」
と、言いながら倒れた。普段血色の良い肌が青白い。普通にしていれば魔力を使い切る事はあり得ないだけに症状が出ると反動が尋常ではない。
「……こんなのよく耐えられるよね、トオル…」
日常的に補充魔力が少ないトオルは、ライセンス持ちの仕事さえしていなければ消費も少なく供給の方が多く過ごせるが、現状保持魔力は最大魔力の6〜7割がベースだ。流石に行動不能になりはしないが多少の倦怠感はある。
寝起きが悪いのもそこに理由があるが…あまりおおっぴらに足らないとは騒がない。
「…俺にとっては普通だからな」
用意された座布団に腰掛けながら答える。逆に健康などあまり縁がない、ないのだが…。
「…………あれ?なんかトオルの魔力満タンになってない?」
「………………っ」
場の空気が凍りつく。かすかにトオルの頰が紅潮するが、それ以上に耳まで真っ赤になったルーシーは急須から流した茶の軌跡がぶれて卓に注ぐ。露骨に咳払いをしながら後片付けを始めた。
カグラは肩を震わせて黙っているが…アレは笑いを堪えている。どうトオルが答えるのか楽しみで仕方がないのだ。本気で。
マコトのみキョトンとしている。裏は主のこの言動を聞いてどう思っているのだろうか…
「…っお前が出しゃばったお陰でほとんど力使ってないからな!」
目を逸らして不機嫌を露わに卓に肘をつく。未だ震えるカグラはよくやったとトオルの背中を叩いた。
それを払いのけて「アレは消しただろうな!?」と小声で詰め寄った。
カグラは満面の笑顔で頷く。これは消していない…トオルは悟った。
「端末寄越せ」
「嫌よ」
「識を舐めるんじゃない、ハッキングするぞ」
流石にそれは…と渋々カグラは例の写真を表示して端末を渡した。
「他のは流石に見せられないから見ちゃ嫌」
いったいどの瞬間にその角度へ回り込んだのか、まさにベストショットである。
眼鏡をかけたトオルは写真を見た瞬間露骨に目を逸らすが、画面を見ないことには操作はできない。
出来るだけ早急に消去してサイコメトリーで流出していないことを確認し、返却した。
「あーあ…待ち受けとか悪趣味な事はしないから取っておきたかったわ」
「誰も得をしないだろ」
「そうかしら?」
ようやっと冷静さを取り戻したルーシーは3人に緑茶を振る舞い、彼らの正面に腰を下ろす
「と、ともかくして…ありがとうございました。校長先生からの依頼らしいですが、私どもも封印も討伐も難航していましたので一族に変わり感謝いたします」
「そういえば戦利品はお祖父ちゃんに取られちゃうの?家宝だし」
少し考え、ルーシーは寂しそうに答えた。
「事のあらましも、簪のことも正直に報告するつもりです。その上で家の物になってしまっても仕方がないかと」
「ミナヅキさんの遺言考えるとあなたが持ってたほうが持ち腐れなさそうよ」
「…そういえばすごく強いお姉さんがいた気がするけどどこいったの?ルーシーのおねえさん?」
またそう話しにくい事を…とある種の苛々を沸かせる先輩の先輩達
どこからそのお姉さんを視認したのか全くもって不明だ。次はお前が話せとトオルはカグラを小突く。
「えー……、うん、ルーシーの親戚よね?もう帰ったのよ」
「え、ええ…まあ…」
何も嘘はついていない。
何も、嘘はついていない。
「そう…お礼言いたかったな…あったかかった」
「逆にお前は何処にいたんだ?」
「あのねー…、真っ暗なところで魔力吸われてた…出してもらった瞬間見えたの。周りにたくさん…だれか、いて…消えないように……守るのに必死だったんだ……」
彼女もただ捕まっていたわけではなかったのか…若干言っていることは纏まっていないが、囚われたなりにやれることをしていたのだ。
それにしても再び声がとろんとし始めている。
「…眠い……。トオルー…ちょっとだけ魔力ちょうだい…自然のより…人間が持ってる方がすぐ、馴染むから…。魔力取り込むの…疲れる……回復したら、返す……」
「嫌だ。こんな時間に他人を読みたくない」
見事すぎる即答。それもそうだ、横のガンナーが煽るに決まっている。
「えー…じゃあカグラ…」
「嫌よ、アナタの“ちょっと”を渡したら今度はアタシが倒れるわ。トオル、ケチケチしないで“普通に”あげればいいじゃない」
普通を強調してくる。確かにこっちのマコトは粘膜接触による魔力譲渡を想定していない…というよりも知らないだろう。
観念してぐったりと倒れこむマコトのそばに寄り、手の甲で彼女の頰に触れる。柔らかな肌はしっとりとしていて冷たい。
魔力は順調に彼女へと譲渡されていく。マコトはふうっと息をついてとろりとした瞳を開いた。
その瞳が、心象世界のしなやかなマコトと重なりピクリと触れる手が動揺する。
「…もう十分だろう?」
悟られないよう素早く距離を取った。触れた指が熱を持つ。そうじゃない、そんな事、あって良いはずがない…。
「…ありがとう。今寝たらもう起きれない不安感凄かったけど通り越せたみたい」
まだややぼーっとしているが自力で起き上がった。
トオルの魔力の1割ほど持っていっただろうか。トオルにも魔力減少による症状は出ていない。
やしやしと四つん這いで這ってマコトも卓を囲んだ。
「マコト、話せるようになったならまずは言う事あるんじゃない?」
カグラの言葉を受けてマコトは神妙に土下座した。割と真面目に。
「ご心配をおかけしました…」
まさにそれだ。悪食の亡霊に身を差し出すなど愚の骨頂。
自分さえ犠牲になればどうにかなると言う話でもない。特に今回は敵に力を与えてしまっている。
「…わかってるなら良いわ。反省してるのよね」
そう言ってカグラは笑顔を見せた。もう同じことは許さない、釘を刺す。
マコトも意図を汲んでいるのだろう。叱られている犬のように懸命に目を逸らしていた。
その光景に苦笑するルーシーだが、やり取りが切れたところで空気を仕切り直した。
「ところで、外では誰の耳があるか分からなかったので聞けなかったのですが」
何だろう、3人とも顔をあげて聞く姿勢を示した。
「封印を解いた犯人、手がかりでも構いません、何かありませんか?」
「探すの?」
「…人為的に壊された事だけは間違いありません。その…我が家が迷惑を受け続ける可能性もありますから」
度を越した嫌がらせなら続く可能性がある。そうならばどのような手段に出るにせよ相手を知らなければ対処のしようがない。正直探られたら痛い腹もまだある。
「…私はそう言うの弱いからなー…。カグラ何か思いつく?」
「な、何でアタシが…」
こういうのはライセンス持ちの十八番でしょ。そう言ってトオルに話を振ろうとするが、彼は何か別のことを考えている風で声をかけられても反応が鈍かった。寝起きに近いかもしれない。
おや?とは思いつつもマコトは根拠を口にした。
「カグラ私たちの知らないところでいろんな情報集めて回ってるよね?きっと。探し人してるみたいだし…」
「…あのねーアタシの情報はアタシ用であって他人が聞いて得するものじゃないわよ」
カグラは盛大にため息をつきこめかみをさする。
自分が収集しているのは探し人の情報であって封印を破って放置する輩ではない。
「例えば研究所の人とか…」
「……………」
そこを掘り下げるのか。一瞬敵意のようなものをマコトに向けるが、考えてみれば共通で知っている悪人はあいつらしかいない。何か裏があって聞いているわけではない。裏を持つなど出来そうにない。
考え直して敵意を散らす。
「…死亡も逮捕も確認されてない連中は何人か確認しているわ。でも考えにくいわね。知的好奇心から来ているにしても、世を混乱させたいのだとしても、まず小さいわ。あとまどろっこしい」
「あーやるなら自分でやるって感じだよね…。トオルは何か思い当たる?」
やや他所の世界に行っているトオルの服の袖を引っ張って声をかける。
そこまでしなくても声をかければ反応しただろうが、念のためだ。
小さく返事をし、トオルは考え込む。膨大な情報量を脳内で検索をかけているのだろう
「…1箇所に引っかかれば他が合わない、というものばかりだな」
「じゃあ新しい人か団体?」
「まず流の封印が破れる時点で相当限られる」
言われてみれば、言われずともそうだ。
流家の魔力は…まあルーシーが言うように弱まってはいるがそれでもランクとしては高い。悪戯で破れるものではない。
そんな力を持つ者は全人口から探し当てても数えるほどだろう。しかも普通ならば異能力者は協会が把握している。
ならば団体で力を合わせて破れるか…可能ではある。だがそのような集団はどうしても目立つ。
新規の団体ならば協会が把握する前に行動できるかもしれないが、協会での異能把握能力は正直異常だ。極端に言えば初活動であの井戸の封印を破るぐらいの技を成し遂げないと協会の目をすり抜けるなど到底出来まい。
「そもそも“井戸に近づいた奴”はさっき読んではいるが大した奴はいなかった。痕跡が消せるレベルの生き物がやったのならば逆に協会がその人物を把握している」
「変な証拠より強い証言出ちゃったか」
コアを探し当てた時のサイコメトリで手に入れた膨大な情報の中に人の出入りもあった。
見えた限りでは、怪しい人間はいなかった。
最終解答に近いそれを聞いて、ルーシーは困ったようにため息を吐いた。
「…そうですか」
ならば次があれば守りに徹するしかない。父と自分と老いた祖父とで対処仕切れるか…全くいい迷惑だ。
「…ありがとうございました。色々と学ぶことの多い夜でした」
巫女は笑顔を作る。
個人的には一生の恩といっても良いのかもしれない。しかし…
「今後当家に関わる事柄については当家の問題です。手出し無用でお願い致します」
ピシャリと言い放った。
それはダメだ、と思わずマコトは立ち上がるが目眩を起こし座り込んでしまった。
やれやれ、とカグラが支えに行く。
「…嫌な予感がする。ダメだよそんなの…」
助け起こされながらもマコトは噛み付く。
流家の事など深く知るわけではないが、今までの情報でも本能が確信する。
彼女たちでは死者に勝てようと生きた人間には勝てない。
「そうかもしれません。きっと、そうでしょうね」
余りにも爽やかに少女は笑った。今輝かねばいつ輝くのかと言わんばかりに。
その姿に、止めねばと言う思いの隙間に、美しいという感情がねじ込まれる。
しかしその美しさが向かう先は明らかに破滅だ。
だと言うのに、それを曲げる呪文は浮かばない。
「…もう良いだろう。帰るぞ」
トオルは席を立った。
「でもトオル…!」
「俺にしてみれば、お前と巫女、二人とも同レベルの破滅願望を持っているようにしか見えない」
「っーーーーー………!」
唇を結んでも聞き流す巫女とは対照的に、少女は否定しようと唇を開く、が…胃の腑にストンと落とし込んだような感覚があった。
そうだ、マコトがライセンスを求めるのも、ルーシーが家を護るのも根底は一緒なのだ。
何かを救った結果自分が死ぬのは全くかまわない。
自覚した途端、喉から言葉は消え去った。
そのままカグラの手によって家に送り返され、遅れてカグラとトオルが部屋にテレポートしてくる。
送るわよ、とカグラはトオルに提案するが、彼は断り玄関へと向かって行った。
未だ足腰立たぬ彼女は部屋からそれを見送る。玄関が閉まる音がした。
黒の少女は部屋へと戻り、マコトの隣に何を言うでもなく座った。
「カグラ…私我儘かな?」
「うん。とびっきりの我儘ね。だから…」
背中をポンッと叩いて少女は紡ぐ
「アタシも彼も止めにかかるけど、アンタはそれでいいのよ。あらぬところに首を突っ込んでこそマコトでしょ」
「そっか…調べ事、苦手だけどやるしかないね」
硝煙の匂いのする肩に身体を預けた




