はっぴ~えんど
大部屋のドアノブに手をかけたまま、俺はごくりと一つ唾を飲みこむ。今日は朝からそわそわして、大学の講義もあまり頭に入ってこなかった。全クラスのテスト返却を終えた満ヶ谷学園中等部では、今日、期末考査の順位が発表されているはずだ。それと同時に、クイズ研究会との勝負の行方も、おそらく明らかになっているはず。
つまりは俺のここ一カ月の成果も……。
意を決して、一思いにがちゃりとその扉を開いた。
「こんにちは。うめのちゃ……」
「せ、せんせ~っ」
「えっ、あ、ちょ」
どすんっ、と真正面から人影が飛びついてくる。
「ぜんぜ~いっ」
「ちょ、梅乃ちゃん? 泣いてるの⁉ 大丈夫⁉」
何とかうまく受け止めたけれど、勢い余って俺は尻餅をついた。
「だいじょ~ぶでず~」
「あ、あの、大丈夫ならもうちょっと、大丈夫そうに話してもらっていいかな?」
「だっで~」
すりすりすりすりと、俺の胸に額を擦りつける様に梅乃ちゃんが何度も首をふる。あっ、これヤバいわ。めっちゃかわいい。ぶるぶると、邪な思いを振り払って、ひっくと、いまだにしゃくりあげている梅乃ちゃんの頭に掌を乗せて。俺はその顔を覗き込む。
「ほら、大丈夫? 落ち着きそう?」
「すん、もうちょっと、ぐすっ、まってください」
言われたとおりに、梅乃ちゃんの好きなようにさせて、俺は苦笑いする。
「それで、結果はどうだったの? 俺、まだ何も聞いてないんだけど」
すんと、そこでもう一度梅乃ちゃんが鼻をすすったものだから、俺は鞄に突っ込んだティシュを手渡そうと左手を引く。すると梅乃ちゃんは、がし、と力強く、その手首を捕まえた。
「う、梅乃ちゃん?」
「……勝ちました」
視線を落としたまま、ぽつりと告げる。
「えっ」
「勝ちました、先生っ‼」
今度は顔を上げて。両目に未だ涙を残しながらも、ぱっと梅の花が綻ぶように。
「ホントに⁉ やったね。じゃあ、部室は……」
「正式に私たちが使っていいことになりました」
ほっと胸を撫で下ろして、何かをかみしめるような表情だ。思わず俺も頬を緩める。
「よかったね……」
「はい」
「ほっとした?」
「はい」
「大変だった?」
「とても……」
「よく頑張ったね……」
こくり、と梅乃ちゃんが頷く。そして俺の左手を握る手にぐっと力を入れて。無理やりそれを、彼女の頭の上にまで引っ張り上げた。
「だから、先生は私のこともっと褒めてもいいと思います」
撫でろと、いうことなのだろうか。少し、いや、かなり恥ずかしいけれど。その意図を察して、俺はその輪郭をなぞるように、ごくごく優しく掌を滑らせる。
「えへへ」
すると、のどを撫でられた飼い猫みたいに、梅乃ちゃんはへにゃりとその表情を崩した。やばい、これ、どうしよう。ほんと可愛い。あ、もう少し前から何の躊躇いもなくかわいい連発してますが、それはあくまで、その、愛玩動物的なって、もう弁明はできないか。ああもうロ〇コンでいいや……。などと俺があきらめかけたあたりで、なにやら背中に視線を感じる。
「じぃ~っ」
「じぃ~っ」
「え、えっと、じぃ~っ? こ、これで合ってる花凛ちゃん?」
「お~う、ばっちりだ。このままもうちょっとながめてよ~ぜ」
「こういうのは、誰かに教えられてやるもんじゃないのよっ」
振り返ってみると、そこには案の定。ここ数日ですっかりおなじみになってしまった、いたいけな三人の幼女、間違えた、少女たちが立っていた。
「えっ、み、みんなっ⁉ 授業は先週までのはずじゃ……」
驚いて梅乃ちゃんが声を上げる。すると雪歩ちゃんが盛大な溜息をついた。
「まったく……。確かに授業は先週までだったけど」
「にゃは。お礼くらいは、言った方がいいよな~って、来てみたんだけどな~」
「そしたら、先生と、梅乃ちゃんが、その、そのいちゃいちゃしてたからっ」
雪歩ちゃんは、両手を広げた呆れ顔で。花凛ちゃんは頭の後ろで手を組みながらにやにやしていて。美月ちゃんは両手で顔をおおって、真っ赤になっていた。
う~ん、流石にこの現場見られるのはまずいのでは、などと考えていると。
「いっ、いちゃいちゃないんてしてないもんっ」
ばっと、慌てたように梅乃ちゃんが俺の傍から飛び退った。
「ん~」
「そ~んなこと言ってていいのか~?」
「梅乃、言ったでしょ。私たちずっと見てたんだよ?」
その言葉に、たらりと梅乃ちゃんの頬を冷や汗が伝ったように見えた。
「み、見てたって、どこから?」
「え~っと、先生によしよしされて、えへへって梅乃がだらしない顔してるとこだったかしら?」
「はうっ」
「違うよ。『先生は私のこともっと褒めてもいいと思います』からだよ?」
「あ~やめてやめて~。一言一句違わず私の言葉を再現しないで~っ」
「にゃはははは~。『先生、私を、た、べ、て』」
「言ってないっ‼、それに関しては完全にねつ造だから~っ」
などと、いつものようにどったんばったんが始まった。俺の罪状に関しては、なんとか曖昧になりそうである。いや、実際罪はないからね。……多分。
「まったく、いちゃいちゃするなら、もうちょっとその、人目を忍んでやりなさい」
「雪歩ちゃん、それやったら俺いよいよタイホされちゃうよ」
まあ、堂々とすればいいというものでもない。
「それにしても、梅乃はやっぱりずり~よなぁ」
そこで花凛ちゃんがぽつりと呟く。
「え、何がずるいの? 花凛ちゃん」
美月ちゃんがはたと首を傾げた。
「だってさ~。頑張ったのは別に梅乃だけじゃないんだぜ~」
「ま、まあ、確かに」
「あたしらだって、先生に褒めてもらいて~よなぁ」
ちらと、花凛ちゃんが流し目を俺に送る。いや、こうもあからさまだと、ちょっと。それに先生これ以上罪を重ねるのは……。
「わ、私も、確かにちょっとくらい褒めてくれてもいい気がする……」
あろうことか美月ちゃんもちらちらと俺に視線をむけていた。
「私は、べつに、先生に褒められるために勉強してるわけじゃないから」
雪歩ちゃんはさすがに優等生だ。でも、その言葉とは裏腹に、たまに薄目でこっちの表情を確認してくるのはなんなんですかね。
「み、みんなさっきまでは私のこと注意してたくせにっ」
梅乃ちゃんが全力で抗議するが。
「なあなあ~いいだろ? せ、ん、せ? 私らのことも褒めてくれよ~」
花凛ちゃんはそれを意にも介さない。
「ほ、褒めるって言っても、いったい何を」
俺は一歩後ずさって訪ねた。ここで受け入れたら碌な事にならない気がする。
「先生、花凛の言うことなんか聞くもんじゃないですよ」
「あ~ん、もうじれったいな~」
言いながら、花凛ちゃんはだだだと俺の元まで駆け寄ってくる。そしてその勢いを殺さないままに。
「ちょっ⁉」
「あたしらの頭も撫でてくれりゃ~いいじゃん‼」
あろうことか、俺の目の前で、勢いよくダイブする。
「あぶっ……」
それを受け止めようとした俺は、がばっと花凛ちゃんの身体に視界を塞がれて、勢いよくその場に倒れ込んだ。このパターン今日二回目なんですけど。
「いっ、て……」
「せ、先生、大丈夫ですか……って、ああっ」
すると心配した美月ちゃんが、慌てて俺たちの元へ駆け寄ろうとして。なぜか何もない床でその両足をもつれさせる。
「ぐはぁ」
そのまま僅かに宙を舞ってから、美月ちゃんも、俺の真上に倒れ込んだ。
「あっ、美月ダメ。だめ~っ。その角度だと大きいお山が当たってるから~」
なんて梅乃ちゃんも駆け寄って、いたた、と頭をさする美月ちゃんを引っぺがそうとする。え、この感触もしかしておっきいお山なの⁉
「まったく、あんたらなにやってんのよ」
クールにそんなことを言っていた雪歩ちゃんだけど。
「にゃはは~。雪歩はこっち来れね~よな。だって、でっぱりないし、色気ないし、先生ドキドキさせられないし~」
「な、なんですってー‼」
簡単に花凛ちゃんの挑発に載って、四人がもつれ合う団子の一部と化した。
「うぐっ、そろそろ、どいてもらえると……」
そして、間の悪いことに。ガチャリと勢いよく部屋の扉が開く。
「みんな~っ。今日は祝勝会よ~。た~くさんお菓子持ってきたから……ってあらあらぁ」
「み、翠さんっ、これは」
一瞬仰向けに倒れた俺の視線と、翠さんのそれがしっかり交錯したけれど、彼女は何事もなかったかのように、ことりと手にしたお盆をテーブルの上に置く。
「じゃあ、じゃあ~、お楽しみのようなので、ごゆっくり~」
「お願い、お願いだから一言くらい注意してください~」
そして俺の叫び声が、里咲家にこだました。
まだまだ未熟で、不安定で、果てはお馬鹿なところもあるけれど、思春期ならではの女の子の魅力を全部詰め込んだような四人組。いや、将来性とか、成長性とか、吸収力とか、そういう伸びしろ的なことだから。別に変な意味はないからね。とにかく、そんな満ヶ谷学園文学部の四人は、今日も元気にわいわいがやがややっている。そんな風に笑っていられる場所を、自分たちで守り切ったのだ。何か一つだけ、大事な伏線を回収し忘れている気はするけれど、部室をかけた彼女らの必死の戦いは、これにて一旦幕引きと相成った。めでたし、めでたし。
明日、最終話です。あとはエピローグを残すのみ。




