こう見えて私はただクッキーをあげただけなんだよ
ホームルーム開始五分前に、花凛はいつものように教室に駆け込んできた。
「なっはは~。とうちゃ~く。今日もぴったり~」
「もうちょっと余裕を持ってきたらいいのに」
廊下から一番遠い窓際の前の席から、既に腰を下ろしていた雪歩が言う。
「いいだろ~間に合ったんだから~……って。あれ? 美月はまだじゃん」
雪歩の二つ後ろの席。そこにまだ通学鞄が置かれていないのを見て、花凛が言った。
「そうなのよね。いつもはもっと早いから心配してたんだけど」
雪歩も顎に手をやって、眉をひそめている。丁度、来週の月曜日からテストが始まる週の水曜日の朝のこと。みんなにこれ以上心配をかけるのも悪いから、私も二人のすぐそばまで近寄って、こほんと控えめに咳ばらいをする。
「美月なら今日は来ないよ、少しお腹の調子がよくないんだって」
「ん~? テスト前のこの大事な時期にダイジョブなのか~?」
花凛にしてはまともな心配だ。でも。
「大丈夫だと思うよ。きっと症状も今日の午後くらいには収まると思うし」
「なんで梅乃がそんなこと分かるのよ?」
「あ、えっ、いや~。なんとなくそんな風に思っただけで」
「お見舞いとか行かなくてい~のか?」
その花凛の提案に私は慌てて両手を振った。
「いっ、いらないよ。多分。美月も皆に心配かけたくないって言ってたし」
「ふ~ん、ならいいんだけど」
ほっと、私は胸を撫で下ろす。なんとか誤魔化せたみたいだ。
「てか、逆に梅乃はな~んか、スッキリしてんな~。いいことでもあったのか?」
急な話題転換に私は動揺して、首を振った。
「へっ⁉ そんなことないよ」
「嘘ばっかり。先週までとは顔色が明らかに違うもの。何かあったわね」
「そそっ、そんなことないようぅ。別に……」
慌てて私は自分の両の頬に触れる。確かに、その、一昨日は……。先生にプレゼントもらったり、たくさん頭なでてもらったり、それに、一番の生徒って言ってもらったり、えへ、へへへへへへ。思い出すとにへらと表情が崩れる。あっと、いけないこういうのが顔に出てるのか。私はそんなに分かりやすいのだろうか。などとやっぱり、にやにやへらへらだらしない表情をまき散らしていると。
「ど~せ、個人授業で、菅原先生といちゃいちゃちゅっちゅしてたんでしょ~」
などと雪歩がとんでもないことを言い出す。
「し、してないよっ。ちゅっちゅってはしてないよっ。ってかちゅっちゅっって何のことなのっ」
慌てて私は否定する。しかし花凛は相変わらずの妙な鋭さを発揮して。
「にゃっはは~。そっか~。やっぱいちゃいちゃはしてたんだな?」
「ちがうもん、ちがうもん。あれは授業の一環だったんだもん」
「はい、言質とりました~」
「あれってなんだよ~、気になるな~」
「健全っ、あくまで健全な授業だったんだからねっ」
「はいはい。分かったわよ~」
「ぜんっぜん、信じてもらってる気がしない……。まあ、いいけどね」
あれ、健全だったよね? 私の記憶がおかしいわけじゃないよね? このままでは押されっぱなしになることが目に見えているので、私は話題を変えにかかる。
「そういえば雪歩、これ、ありがとう」
鞄から綺麗に畳んだピンクの包みを取り出して、雪歩に手渡す。
「ああ、わざわざありがとう。こんなの、返さなくてもよかったのに」
「うんん。かわいい柄のランチクロスだったから、ちゃんと返さないとと思って」
その様子に、はたと花凛が首を傾げる。
「何だよそれ~?」
それに対して、事も無げに、雪歩は答えた。
「ああ、昨日ね、梅乃が急に食べたくなったっていうから、放課後にクッキー焼いてあげたのよ。勉強にも少し余裕がでてきたころだったし、ちょうど息抜きになったわ」
しかし、それを聞いた花凛は頓狂な声を上げる。
「はぁぁぁあああああああ⁉」
「ちょっと、何よ、急に大声出して」
雪歩が問うがそれを無視したまま花凛は私の目の前まで駆け寄る。
「そんで、梅乃はそれを食ったのかよ?」
「う、うん」
力なく頷く。私、が食べたわけじゃないけどね……。
「そんで、なんともないのかよ~?」
その表情は、私を心配しているというより……。そう、お前正気か? と問いたそうな表情であった。うん、まあ言いたいことは分かるんだけど。
「こ、今回はダイジョウブだったみたい」
明後日の方向を向いてさらに誤魔化す。すると、頭の先からつま先までをゆっくり眺めて、花凛は再び叫んだ。
「いったいどういう奇跡が起きたんだ~っ⁉」
「ちょっと、それどういう意味よっ」
ぴきりと雪歩のこめかみに青筋がはいっている。
「なはは~、言葉通りにきまってんんだろ~。雪歩のクッキー食って無事なんて」
「かぁ~りぃ~ん~」
「雪歩、間違い、きっと何かの間違いだから。その頭に生えたツノをしまって~」
「おーい、皆席つけー。ホームルーム始めるからなー」
私たちの周囲に流れる緊迫した空気とは対照的に。間延びした担任教師の声が聞こえて、今日もいつもどおりの朝が過ぎてゆく。
*****
インターホンを推すと間延びしたベルの音。もう肌寒い季節だというのに、庭には綺麗に駆り揃えられた緑の芝が敷いてあって、外壁は小洒落たレンガ風で、屋根は暖かさを感じる淡いオレンジだ。きっと、穏やかなご両親に育てられたんだろうなぁと想像する。
「あ、梅乃」
両親のどちらかを想像していたけど、実際に玄関の扉を開けたのはいつもより少しラフな服装の美月本人であった。
「うん、具合はどう?」
なんて、白々しく体調を訪ねてみる。今日学校を休んだ彼女は学校からのプリントだとか宿題だとかノートだとか、大事なものを受け取っていないはずだ。美月は私たち以外に気軽に話せる友達が少ないみたいだから、三人のうちの誰かがフォローしてあげないと、困ってしまうはずだった。
まともに喋れる友達三人って、言っててちょっと悲しくなるね。悪意、はないよ?
「今はもう大丈夫みたい。なんか昨日の夜、急にお腹の調子が悪くなって、熱も出てきて。すぐに休もうと思ったんだけど、寝てる間はずっと、ひどい夢をみてた気がするの。なんだか、ナメクジを口いっぱいに詰め込まれてたような、使い古しの靴下で鼻栓をされていたような」
「あ、あははははは。たいへんだったね……。今は良くなったみたいでよかった」
私はただ乾いた笑い声を漏らすしかなかった。あのクッキーほんとすごいな。効果の確実性とか、持続時間とかほんと色々。
「うん、それで梅乃ちゃんはどうしたの、わざわざ家にまで来てもらって」
ああ、そうだった、と私は気を取り直して通学鞄をごそごそと探る。あらかじめ用意しておいた紙の束とクリアファイルを取り出した。その一番上に重ねられた真新しいテスト日程のプリントは先生手製のものだ。
「えっとね。今日学校でたくさんお知らせがあったからプリント届けに来たよ」
「わっ、ありがとう。本当にたくさんあるね」
ぴらぴらと上からざっと目を通している美月を眺めながら私はぺろりと唇を湿らせる。少しだけ緊張しているみたいだ。
「うん。それで、一つどうしても直接伝えてって先生に言われてることがあってね」
「えっ? そんなに大事なことなの?」
こくりと私は頷く。
「期末テストの日程が、予定より三日、遅くなるみたい」
「ええっ⁉」
思った通り、驚きで美月は目を見開く。
「私たちも驚いたよ。でも、なんか校舎全体の空調の調子が悪いみたいなの。点検をしたら工事しないといけないって。これから冬の授業で暖房ないのは確かに大変だよね」
小学生のころはストーブたいてたなぁと懐かしむ。はたと、美月が首を傾げた。
「っていうことは、そのテスト予定だった日に工事が入るってこと?」
「そうみたい。工事の人たちも、これから冬にかけて忙しいから日程が合わなかったとかで。すごく音がうるさいくなるから期末テストは延期になったみたい」
「へぇ……。先生たちも大変だね。私たちにとっては、その、勉強できる時間が増えたからよかったのかな?」
少し迷いながらも、美月はポジティブに考えているようだった。
「うん。美月も、少しでも緊張に慣れる練習できるしねっ」
私は努めて明るい声を出す。対照的に美月は、少しだけ俯いて答えた。
「うん……。でも、私、やっぱり……」
「大丈夫っ」
美月が何か言う前に、私はその両手をしっかり握る。
「梅乃……」
「美月はきっとできるようになるよ。それに、こんなこと言いたくないけど、もしダメでも、みんな美月のこと責めたりしない」
「う、うん」
「だからねっ、気楽にやろうよ。気分は軽い方がきっといい結果につながるから」
「そ、そうだよねっ。今からくよくよしてたら余計ダメだよね」
「そう、その意気だよっ」
ようやく少し調子を取り戻した美月に私は告げる。
「じゃあ、私はそろそろ。少しでも勉強しておきたいし」
「わ、私もっ」
「うん、じゃあ、お互い頑張ろうね」
「うん!」
ぱたぱたと胸の前で手を振って、私は踵を返す。門まで一気にかけてから一度振り返ると、まだ美月は大きく手をふってくれていた。ふと思い出して、私は少し声を張る。
「美月~。言い忘れてたけど、もとのテスト予定だった日は、授業の予定も入ってなかったから、模擬演習をするんだって。だからテストが延びたからって、勉強さぼっちゃダメだよ~」
少しおどけた調子で言った。
「わかった~」
私も美月に合わせて大きく手をふって、キイと門を外側に押す。少しだけ悪い気もするけれど、全部美月のためだ。私は気持ちを切り替えて、今夜の自習計画を立て始めた。




