一応完結までの構想はあるので安心してください
「ね、もう大丈夫だから、みんな怒ってないから。落ち着いて」
梅乃ちゃんが、未だに鼻をすすっている美月ちゃんの背中を擦る。
「ぐすっ……、だって、だって、私なかなか言い出せなくて。ごめんなさい」
一方の美月ちゃんは両手で顔を覆ったままその場にへたり込んでいた。
「だからもう怒ってないよ。ほら、顔、上げて?」
梅乃ちゃんが薄く微笑んでいる気配を感じてか、ちらっと指の隙間から瞳を覗かせた美月ちゃんに。
「キシャァァァアアア~」
雪歩ちゃんが鬼の形相で、とてもこの世の生物とは思えない唸り声を上げていた。あ、角が見えてますね~、これは。
「うっ、うわぁぁあああああああん。あれ、怒っている。絶対怒っているよ~う」
「ちょっと、雪歩、冗談にしてもその顔は怖すぎるよ」
梅乃ちゃんがけっこう失礼なレベルの突っ込みを噛ませるが。
「冗談でこんな顔できないのよっ」
「ご、ごめんなさい~」
再び美月ちゃんは涙目になった。
「まあ、まあ~。そう怒んなよ~、昆布茶でも飲むか?」
花凛ちゃんがどこから取り出したのか分からない昆布茶のスティックを雪歩に差し出すけれども。
「なら、あんたが代わりに八十五点取ってくれてもいいのよ」
「あ、あっはは~。……それはムリかも」
睨みを利かされて、意外にも身の程をわきまえた発言に落ち着いた。
「まったく。ほんと、先生の言う通り、せめてもう少し早く言ってくれれば」
なおも雪歩ちゃんの愚痴は続きそうであったため、仕方なく俺が割って入る。
「まあ、まあ。美月ちゃんが言い出しにくかったのもわからないでもないし。それより、今は美月ち
ゃんが本番では点数を取れないことの原因を探らないと」
「そ、そうですよねっ。それが大事だと思います」
その話題転換に梅乃ちゃんが全力で乗っかってくれる。やっぱり彼女は察しがいい。
「それで、原因は分かるのかな美月ちゃん?」
俺が比較的穏やかな声音で訪ねたのが功を奏したのか、美月ちゃんはずるずる鼻をすすりながらもやがて口を開いた。
「その、多分、いえ、間違いなく……緊張、だと思います」
その原因は美月ちゃんの性格からおおよそは予想出来ていた。
「でも、先生が出してくれる実力テストや、普段の小テストでは普通なんだよね?」
未だに美月ちゃんの背をすりすりしながら、梅乃ちゃんが問う。俺も泣いたら梅乃ちゃんすりすりしてくれるかな、泣いてみようかな……。やっぱ、やめとこう。なんとか正常な判断力がまだ働いている。
「ぐすっ……練習だと、大丈夫なの。でも本番は……これで成績が決まっちゃうんだって思うとどうしても頭が真っ白になって。それに、それに、今回はタダのテストじゃなくて、皆の部活動がかかってて……なんて考えてると、どうしても手が震えてきて」
言いながらも、美月ちゃんが少しづつ良くない想像そしていることが伺えた。両目をぎゅっとつぶって、困ったように眉尻を下げている。
「それは勉強とは別に、なにか対策を練らないといけないな」
幸い、勉強自体が出来ないというわけではない。緊張しやすい性格を一朝一夕でどうにかすることはできないが、それを少しでも和らげる方法は考えてみるべきだろう。ふぅ、と俺が溜息をつく。それに、心配ごとはそれだけじゃない。ちらと、梅乃ちゃんに視線を向けた。梅乃ちゃんが少しでも早くプラトーを脱する方法も考えないと。
ここへきて噴出した二つの難題をどうしたものかと、俺が思考をぐるぐる回していると。ふと、視線を感じて、じっとこちらを見つめる眼鏡の双眸に俺は気付いた。
「雪歩ちゃん、どうかしたかな?」
「はい、あの、相談したいことがあって」
「何かな? この際、今のうちに懸念は全部言っておいてくれると助かるよ」
雪歩ちゃんは一瞬梅乃ちゃんに視線を向けて。何かを迷うように、数秒視線を落とす。その様子に気が付いたようで、梅乃ちゃんも、美月ちゃんの傍から、俺たち二人のことを心配そうに見守っていた。
「あの、ここでは少し話しにくくて。外でもいいですか?」
雪歩ちゃんは、大部屋の外の廊下を指さす。
「え、まあ、いいけど……」
「だったら、私も」
俺の返事に続いてすかさず梅乃ちゃんが声をかける。しかし雪歩ちゃんはその彼女に向ってゆっくりとかぶりをふった。
「いいの、梅乃は美月についていてあげて?」
「えっ、でも」
「美月を励ますのは、梅乃の方が得意でしょ?」
まるで、適材適所とでも言いたげに雪歩ちゃんは俺に向き直る。
「え、あ、…………うん」
「ほら、先生。早く」
不満げな梅乃ちゃんの表情に、やや後ろ髪を引かれながらも、俺は雪歩ちゃんに背中を押されて、大部屋の外へ追い出された。
*****
「それで、相談のことなんですが」
未だ閉めてしまった扉の向こうに視線を向けていた俺に雪歩ちゃんが言った。
「ああ、そうだったね。やっぱりその今回のテストに関することだよね?」
「はい。その、美月のことは予想外でした。私たちも今まできいたことなくて」
俺は苦笑いを浮かべる。やっぱり彼女は、少し責任感が強すぎるようだ。
「まあ、確かに予想外だったけど、何か対策を考えてみるよ」
「あの、本質的には私たちの問題なので、そこは私も……」
今も雪歩ちゃんは文学部の誰かの問題を、部全体のこととして、自分の問題として真剣に考えてくれている。だからあんな風に美月ちゃんや花凛ちゃんに怒ったり注意したりもするのだろう。
「いや、雪歩ちゃんや、みんなの仕事は、しっかり自分のテストに集中して、実力を出し切ることだ。それ以外の、戦略やサポートに関しては出来る限り考えなくてもよくしてあげるのが、先生を頼まれた俺の役目だから」
「でも……」
「もちろん、美月ちゃんとずっと一緒にいて、どんな子なのか分かっているのは君たちだろうから、もし何か思いついたら、俺に教えてほしい。一番は自分のことに集中した上でだけどね。雪歩ちゃんならできるよね?」
すると雪歩ちゃんはしばらく無言だったが、やがてこくりと頷いた。
「はい、じゃあ、それは何か思いついたら」
助かるよと、俺は彼女の肩に右手を置く。友人のことを思って真剣に何かを悩むその姿は、はっとするほど大人の表情で。俺は不意に、他の四人にはない魅力を感じる。眼鏡に隠れているが、切れ長の目元はくっきりしていて、睫毛は綺麗にカールしているし、なによりその肌は驚くほど綺麗な白だ。う~ん、この子も間違いなく将来有望なんだよなぁ。満ヶ谷学園、ちょっとレベル高すぎでは?
まあ、そこはラブコメのご愛嬌といったところかな? あ、今この世の理から思考がちょっと外れた気がする。
「それで、相談というのは? 美月ちゃんのことの他にも何かあるのかな?」
すると雪歩ちゃんは、すっと顔を上げた。
「あっ、そうでした。一つ確認しておかなきゃならないことがあるんです」
その表情が思ったより深刻ではないことに俺は少し安堵する。
「うん、何でも聞いて」
「その、梅乃のことなんですが、」
「梅乃ちゃんの?」
ちょうど、自分の悩みの種のもう一つにも関わる名前が出たため、俺は少し前かがみになる。
「その、梅乃が普段受けていた、個人授業はどうなっているのかなと」
「個人授業? ああ、普段の家庭教師のことか……。それなら今は、皆との勉強会があるから、梅乃ちゃん一人に教えることはなくなっているけど」
「なるほど、それで……」
聞いた途端に、雪歩ちゃんの表情が曇った。彼女くらいになると、梅乃ちゃんが今少し点数に関して伸び悩んでいることを見通しているのかもしれない。
「もしかして、梅乃ちゃんの点数が伸びていないことを気にしてる? 今までみたいな個人のレッスンがなくなったからじゃないかって」
それに頷くと思っていたけれど、雪歩ちゃんはなにやら逡巡している様子だった。
「確かにそれもあります」
「でも実際、みんなと一緒の授業でも、個人授業で予定していた勉強内容の進捗と演習はちゃんと進められているんだ。君たちを見ているから、梅乃ちゃんの勉強が進んでいないってことはないと思うから、安心して……」
「えっと……。そういうことじゃ、ないんです」
そこまで告げたところで、雪歩ちゃんは俺の言葉を制した。そのまま続ける。
「その、ああ見えて、というより、見たまんまですが、梅乃は先生のこと大ス……、いえ、とても信頼しているんです。その、授業内容、という以上にあの子、先生の授業を受けることで、気持ちの支えになるというか、安心すると思うので」
「安心……」
俺が、その言葉に関して思案していると。
「だから、一回でも二回でもいいですから、テストまでの間梅乃だけの授業もしてあげてもらえませんか? それで、ちゃんと先生の口から梅乃を励ましてあげてほしいんです。私たちがいるところだと、その……先生にも梅乃にも遠慮が出てる気がして」
雪歩ちゃんがぺこりと頭を下げる。
確かにメンタル面の安定はテスト結果にも大きく影響するだろう。自分の授業が梅乃ちゃんの支えになっていると、それを自分で判断するのは気恥ずかしかったのだけれど、雪歩ちゃんの言葉が背中を押してくれたような気がした。
「わかった、それについては、時間をつくれるようやってみるよ」




