ヒロインのお母さんって十中八九童顔だよね
「おーい、勉? 今日こそはサークルに……」
「悪い、今日はほんとに外せない用があるんだ」
「今日はほんとに、って、じゃあいつもはどうなんだよ……」
いそいそと帰り支度を整える俺を長谷太が半眼でねめあげる。
ああ、いつもは面倒だったり、ちょっとねむかったりが理由の日もなきにしもあらず。というか、八割方それですね。ごめん親友。文句を続けようとする長谷太を背に、俺は講義室を後にした。最近、大学側の描写いらないような気がしてきたんだよ。……⁉
*****
大学の正門を出ると、目の前には広い国道が通っていて、市街地に向けて緩やかな下り阪となっている。脇を流れるのは地元の人々の貴重な水源となる第一級河川、西京河だ。緩やかな流れとともに、ペダルを踏み込まずとも俺の自転車は進んで行く。やがて、坂を下りきったあたりで、立派な二階建ての一軒家が視界に入る。俺はその建物の玄関前でブレーキをかけた。
「先生!」
玄関先にはここ半年ですっかり見慣れた少女の姿があった。外で先生と呼ばれるのは存外にはずかしい。くすぐったい気持ちのまま俺は梅乃ちゃんに片手をふった。
「ごめん、待たせたかな?」
「いえ、私は全然。それにお母さんはうきうきしながら中で紅茶の準備をしてます」
「あ、そう」
力ない笑みを浮かべる俺を、梅乃ちゃんが屋内へ案内する。今日は授業の日ではない。俺が個人的に定めた月に一度の勉強進捗報告会であった。毎回の授業後の簡易的な報告とは異なり、科目ごとの目標達成度や長期的な見通しを、俺と、里咲母子とで話し合う。言うまでもなく父親は不参加だ。あれ、これは言うまでもない位置付けでいいんだっけ?
それはさておき……。あれ、これはさておいていい問題なんだっけ? どこか遠くの単身赴任先から誰かの文句が聞こえてきそうではあるが、それはやっぱりさておいて。
今日は別の用事もあるんだけど……。
梅乃ちゃんの母親は性格がその、あれなので、特に俺の仕事の成果についてプレッシャーがかかるようなことはない。しかし、今日は別件もあって、少し汗ばんだ掌を軽く握りしめて、梅乃ちゃんに導かれるままリビングへ通された。
「やっほぉぉぉおおお。菅原君、久しぶりぃいいい。元気してた?」
俺の緊張を露程も知らないであろう翠さんは、いつもの調子である。
「あ、どうも。元気です。あと、二日前にも会いましたよね」
「もう、お母さん、あれだけ先生に悪がらみしないでって言ったのに!」
翠さんの少々煩わし……手厚い歓迎をあしらいながら俺は簡潔に挨拶を述べる。
「え~えぇっ。いいでしょ、いつもは先生と梅乃の二人っきりでお楽しみなんだから」
「ちょっ、その言い方おかしいから、誤解を生むから、先生も困るからっ」
食って掛かる梅乃ちゃんの相手もそこそこに、翠さんは俺の方へ向き直った。
「ささ、早く座ってね。あ、お紅茶と、お茶請けも用意したから、遠慮なくどうぞっ」
「いつもすみません」
俺がソファに腰かけると、その隣に翠さんも腰かける。ん? となり?
「今日は月に一度の進捗報告会だから、たーっぷりお話しお願いしますね」
ここらで、先日、作者、否、神様が描写し忘れた翠さんの容姿に関して述べておくと、典型的な童顔である。実年齢の分かりのそうな話題が始まると威圧感のある笑顔を浮かべるので、本当の所は定かでないが、どう見ても三十代に突入していようには見えない。まあ、中学生の子供がいる時点でほぼ間違いなく三十路は過ぎているはずだけど……。
その印象は丸い輪郭と黒目がちな大きな瞳によるところが大きい。そして胸も大きい。大きい……。おおきい……。おおきすぎだろ……。俺がぽーっとなっている様を見た梅乃ちゃんが慌てた様子で声を張り上げた。
「あ、ちょっ。おかあさん! 普通隣は私でしょ? おかあさんはしょ・う・め・ん!」
「いえ、普通、お二人とも正面です……」
仕方なく俺は立ち上がり、二人が座ったソファーを後にして、対面の椅子に腰かけた。
*****
「――――といった具合です。最近はお……僕の言うことをすぐに理解してくれるので進行もスムーズでこちらとしては大変助かっています」
翠さんがあまりにフランクなものだから、つい自分のことを俺と言ってしまいそうになる。だがそこはぐっと堪えて、あらかたの授業の進捗報告を終え、遠慮なく紅茶に口をつけた。この後に切り出す話の事を考えると報告はなるべくポジティブに行うべきだろう。
「ふふふ。テストの点もいいみたいだし、先生のおかげね、梅乃?」
「う、うん」
慌てた様子で梅乃ちゃんはコクコクと首を縦に振る。いちいち愛嬌があるなぁ……。
「いえ、梅乃ちゃん本人がすごく頑張ってくれているおかげです。この調子でいけば期末考査では主要五科目平均九十点も可能だと思います」
「あら、ほんとぉ」
翠さんが手を打ち鳴らす横で、梅乃ちゃんはくすぐったそうに身を捩る。そして上目づかいでこちらを見上げて来た。隣の母親に見つからないように少し身体を引き、唇の動きだけで俺にねだる。
――――もっと褒めてください。
その呼びかけに俺は笑顔を返した。
「ですが油断は出来ません。ケアレスミスなどは未だにあまり減りませんから」
「えっ」
笑顔とは裏腹の俺の言葉に梅乃ちゃんの動きが一瞬固まる。
「先日のテストの英語の点数が伸びきっていないのもそれが原因です」
「あ、でも、英語は九十……」
「いや本来ならもっと取れてる」
「あらまあ」
「先日の数学の授業でも、あまり集中できていない部分があったようで……」
「あ、あれは、先生も理由を知って……」
「だけど、授業中に引きずるような内容ではなかったよね」
「梅乃? 本当なの?」
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
話が違うよ、とあたふたし始める梅乃ちゃんの様子に俺は十分満足した。なんというかこう、愛情いっぱいにかわいがってあげたい一方で、こちらの嗜虐心まで刺激してくる。
まったく、この子は年上の心をどれだけ弄べば……。は、しまった、今日はポジティブな報告会にする予定だったっけ。まあ、梅乃ちゃんのあんな姿を見られたからよしとするか……。いやダメです……。
こほんと咳払いを挟んでから、俺は報告の締めにかかる。
「と、とにかく、全体的に見ればよく頑張ってくれています。最後に少し厳しい話もしましたが、それはあくまで、気を抜かないようにという想いをこめただけですので。あまり気になさらず」
「はい、では来月もよろしくお願いしますね」
今日の報告会はこれにて終了である。しかし俺たちの話はまだ終わっていない。一向に椅子から立ち上がる様子のない俺と梅乃ちゃんを見て、翠さんは怪訝そうに首を傾げた。梅乃ちゃんがやや緊張した面持ちで口を開く。
「お、おかあさん……。今日はもう一つ別のお話があって」
急に殊勝な面持ちになった梅乃ちゃんに翠さんは怪訝な顔を見せる。
「ん? それ、菅原君が居るときに話さないといけないこと?」
「うん……」
すると翠さんは俺に視線を送ってきたが、話は梅乃ちゃんの方から切り出すと事前に打ち合わせていた。
「どうしたの? 二人とも神妙な顔して、あ、もしかしてついに二人の間で何か間違いが起きちゃたとか?」
ぶふっ、と口をつけていた紅茶を吹き出す。全くほんとに何を言い出すんだこの母親は。梅乃ちゃんはというと、何も言えず顔を真っ赤にして、口をパクパクさせている。
「……いや、その、ちがうの、そうじゃ、なくて……」
頬を真っ赤に染め上げて、伏し目がちに否定する梅野ちゃん。う~ん、その動揺の仕方はまずいですねぇ……。
「梅乃ちゃん、その態度やめようか。本当に間違いがあったと思われちゃうから」
「まあ、二人の気持ちがしっかりしたものならお母さん何も言わないけど」
「いや、僕が手を出したりしたら犯罪ですからっ。何かは言ってくださいよ! いや、そもそも手は出してないですけど! 手を出すわけないじゃないですか」
静観しているわけにもいかず、俺が叫ぶ。
「あらまぁ……」
何故か翠さんが眉尻を下げる。
「そうですか、手を出すわけがないですか……」
「梅乃ちゃん!? なんでちょっと機嫌悪くなったの?」
「いえ、悪くなってませんけど」
「あ、はい……」
明らかに怒らせたようだ。このままでは話が進まないと思ったのか、翠さんが珍しく先を促す。しかし騙されてはいけない。初めに話を脱線させたのは翠さんですからね!
「それで? 話したいことっていうのは? 同棲の許可? 婚約? それとも式のお金の工面かしら」
訂正、やはり翠さんにチェアマンを務める気はないようだ。
「いや、もうそれいいですから! さっき否定しましたよね!」
「………こん、やく………式……」
「ほら、梅乃ちゃんも赤面してないで、早くお母さんに本題を!」
その場の空気にいたたまれなれなくなった俺が思わず催促する。梅乃ちゃんは、はっとしたように口を開いた。
「あ、はい。すみません。あのね、お母さん、実は――――」
*****
「なるほど……。つまり、家に梅乃のお友達も呼んで一緒に先生に勉強を見てもらいたいということね」
そう、学校も学年も同じということは、梅乃ちゃん以外の生徒も同じ時間にまとめて面倒を見ればよいのだ。一対一の家庭教師形式ではなく、先生一人、生徒複数人の塾形式で授業を行うことを俺は先日提案した。
問題はそれだけの人数が集まって勉強できる場所と施設。あとは翠さんの意向であった。俺としては梅乃ちゃん以外の生徒から、今回の特別授業でお金を取るつもりはない。そうすると当然同じ授業をしておきながら里咲家からだけお金を受け取っている形になる。また、彼女への授業の密度が落ちてしまう懸念があった。その点に関してお許しを頂戴すべく、こうして翠さんに相談した次第である。俺の提案は梅乃ちゃんの口から翠さんに伝えられ、その翠さんは現在思案顔であった。
「あの、僕からもお願いします。当然梅乃ちゃんへの授業の質が落ちることはないように配慮します。それに……」
俺が予め考えておいた対策をつらつら述べようとすると、翠さんはそれを遮る。
「私としては何も反対することはないわねぇ……」
拍子抜けするほどあっさりと許可が下りる。
「え、でも、お金の問題とか梅乃ちゃんの勉強見る時間が少なくなるとか……」
「だって菅原くんに任せておけば大丈夫なんでしょう?」
「そ、そうは言いましたが……」
「何か不安要素でもあるの?」
「……いえ。あっさり許していただけたので正直少し拍子抜けして……」
「もう、私って菅原くんの中でそんなに怖いイメージなのかしら」
目を細めて頬に手をあてがいながら翠さんは冗談めかして言った。いや、そんなに怖いイメージはないんだけど……。なんというか、一人娘の梅乃ちゃんを過剰なまでに大切にしているという印象を受けていた。
「あの、おかあさん、ありがとう」
梅乃ちゃんは気恥ずかしいのか、下を向いたまま上目遣いで礼を述べる。
「いいのよ、いいの。それにいつも言ってるけど、私はこのうちが賑やかになるのには大賛成なのよ」
ふふふ、と漏らした翠さんの笑みは何故か少し邪に見える。中学生を篭絡してやろうとでも考えているのではあるまいか。
「うん。あ、でもお父さんには言わなくていいのかな」
翠さんは、はた、と一瞬お父さんって何だっけかな? と思案する表情を見せ。
「まあ事後報告でいいんじゃない?」
「うんっ。そうだね!」
ああ、梅乃ちゃん? さすがにこの流れでその笑顔はまずくないですか。薄々は感じていたけれど、とうとう家族の口から直接的な言葉を聞いちゃったなぁ。将来娘を持つことになるかもしれない身としては泣きたい気分である。
「それで、話はこれでおしまいかしら? あまり長く菅原くんを引き留めるのも悪いし、そろそろ。あ、私としては晩御飯一緒に食べて行ってくれてもかまわないというか。大歓迎で、そのまま帰り時を逃してお泊りに突入しちゃっても問題ないんだけど……」
そっと顔を寄せ、いっしょに楽しい夜を過ごしましょう、なんて言われては俺はもう逃げることしか考えられなくなってしまった。
「あ、いえ、け、けけけ、結構です」
慌てた様子で荷物をまとめる俺を、母子が少し残念そうな顔で眺めている。だが仕方ない。このままここに居ては、本当に何か間違いが起こってしまいそうで……。あ、どちらとの間違いがという点に関しては敢えて言及しませんが。いや、冗談ですからね。きっと、まあ、多分。
「それじゃあ、次回は土曜日です。梅乃ちゃん、前回の範囲、一応頭に入れておいて。簡単な小テストもするつもりだから」
「はいっ」
梅乃ちゃんの元気のいい返事を耳にして、俺は退出しようとする。そして、翠さんの隣を通った瞬間にぞわりと背筋に冷たい汗が伝った。
「梅乃のことをおろそかにしたら許さないから……」
ぼそりと、つぶやくように、囁くように、梅乃ちゃんには聞こえない程度の台詞が俺の鼓膜をかすかに揺らしたからだ。えええぇぇ……。こわぁぁあい! 結局、許可するもしないも結果次第ってことか。これもう失敗したら小生の矮小な命など容赦なく切り捨てられますね。
「し、失礼しました~」
必死に平静を装って俺は部屋を後にした。その様子を翠さんは普段となんら変わらない大らかな笑顔で見つめているのだろう。




