第5話 神はもういない
ダグラスの方から合図があった。
あちらで何か仕掛けを見つけたらしい。
全員がダグラスの所に集合する。
壁を見ると、わずかに切れ込みが入っているのが見えた。
人間でも潜りぬけられるサイズの切れ込みだ。
「自動ドアのようだね。他の場所にあるのは作動しなかったが、ここだけ生きてるみたいだ」
ダグラスが切れ込みの前に立つと、軋みを上げながら壁がスライドした。
扉を越えた先にある通路は、左右に伸びている。扉から顔を覗かせて左右を見渡すと、そこは荘厳な空気を放つ回廊が伸びていた。天井までの高さは五メートルはあるだろうか。通路の両脇を見ると、一面に壁画が描かれている。
「右は外に繋がってるわね。左に向かいましょう」
タイガに続いて扉を潜ったレオがそう言い、先頭を歩き始める。
二人はその後ろに続いた。
歩きながら、タイガは壁面に描かれている絵を眺める。
最初に描かれていたのは、二人の女性。
神聖な雰囲気を感じる女性と、その前にかしずく黒髪の女性だ。
次に描かれていたのは、数名の男女。どうやら黒髪の女性がリーダー格のようで、大地や海を作る過程を描いている。
やがて描かれる人数が増え始め、村ができ、畑ができ、町や街道ができた。
壁画を詠み読み進めていくと、これは人類繁栄の経緯を描いたものなのだと分かった。
「昔話……いえ、神話と言う奴かしら。かつてこの世界を作った神様と、その神様が最初に創った人間の話よ」
壁画を横目で眺めながら歩いているタイガに、レオが解説を加えてくれる。
「人間の始祖と呼ばれたその女性――サクラは、神様やその分身、神人達と協力してこの世界を作り上げた。神様もサクラを友として特別扱いしていたと言われているわ」
「なら、この黒髪の女性がサクラで、その周りに居るやつらが神人って奴なのか?」
「おそらくそうでしょうね」
レオが懐かしむような目で続きを語る。
レオは、誰にこの昔話を聞いたのだろうか。父親? 母親? それとも、いつだかに聞いた育ての親のお爺さんだろうか。
「この世界は最初はとても小さかった。でも皆で少しずつ広げていって、いろんな生命を増やしていって……同じように、人間達も増えていった。やがては人類が栄華を極める状況に至った」
やがて、壁面に描かれた物語に陰が射す。
白、緑、黄色といった明るい色合いから、赤や黒を中心としたものへと変貌していく。
「けど、人間と言うものは嫉妬深い生き物よ」
転機は、横たわる黒髪の女性の姿から始った。何かに怒り狂う神様。意見がまとまらないのか、神人同士でいがみ合う様子も描かれている。
「神様の寵愛を受けるサクラに嫉妬した人間達が、彼女を殺してしまった……かけがえの無い友の死を知った神様は怒り狂い、サクラを殺した連中を皆殺しにした」
そこから先に描かれているのは、戦いの歴史。
人と魔物の争い。神人と、おそらく魔族であろう者達の争い。神人同士の争い。
「神様の怒りはそれで収まらず、人類の栄華は終わりを迎えた……神様は人間より強力な力を持つ魔族や魔物達を作り出し、未来永劫に続く人間達への罰として地上に解き放った」
「別にウィルが明確な意思を持って人間を殺そうと思ったわけでもねぇけどな。ただ思うだけで世界に影響を与えてしまう神々が自制をするってのは、難しい」
バヤールの言葉に、若干驚いたようにレオが視線を向ける。
「ウィル? バヤール、あなた神様の名前を知っているの?」
「ありゃ、ウィルの名前は知れ渡ってないんだったか? ……ま、いいか」
若干バツの悪そうな声を上げるが、バヤールは開き直って続きを語り始める。
「ウィルは別に人を殺したかったわけじゃない。でも怒りの感情をどうする事もできなかった。ウィルから切り離された強い感情は異界から彷徨ってきた魂と結合して、新たな神人となる……負の感情と結合するような魂だ、まともであるはずが無い。不完全な神人もどき――魔族は魔物を生み出して世界を滅茶苦茶にした。それを止めるため、ウィルは自分を封印する事にしたんだ」
バヤールは昔を懐かしむように語る。
いや、おそらく本当に昔を懐かしんでいるのだろう。バヤールの言葉の端からは、実際にその光景を目にした時の感情が漏れ出ていた。バヤールが抱いているのは、後悔の念。ウィルとサクラを守れなかった事を悔やんでいるのか。
「ウィルは自分の心を分け与えた神人達と共に長い眠りに付いた。もう、ずいぶんと昔の事だ」
通路を抜ける。
通路の先は、広い空間が広がっていた。
両脇に立ち並ぶのは巨大な柱。まっすぐ続く黒ずんだ影は、おそらく絨毯がひかれていた名残だろう。
奥にあるのは、祈りを捧げるために作られた祭壇。
誰に、何の祈りを捧げるための祭壇なのだろうか。ウィルに? フリッカに? どちらかはわからないが、魔物達の影に怯える人々はきっとここで祈りを捧げたのだろう。その願いは、皮肉にも神様や神人達が封印される事で叶えられたようだけれど。
「そしてこの神殿は、神人の一人が封印されているはずの神殿……どうやら、封印は解けちまってるらしいけどな」
空中に飛翔したバヤールは、祭壇の上に置かれた欠片を指差す。
無数の欠片は、宝石のような輝きを放っていた。おそらく元は一つの宝石だったのだろうが、今は砕け散ってしまっている。
「ここに封印されていたのは調律を司る神人フリッカ。ヴィクターやアンヘルのように、自我を保ったまま復活できたとは考えにくい。あの二人は特別だからな……おそらく記憶を失った状態で転生し、神人としての自覚も無く普通の人間に混じって生きているんだろう」
ちらりとレオの方を見るバヤール。
アンヘルという名前に覚えは無いが、ヴィクターという名は以前聞いた。レオが追っている奴だ。
「ヴィクターの目的はウィルの復活。そのために、ウィルの分身とも言える神人や魔族達の封印を無理やり解除して封印を弱めているんだろう。んな事してもウィル本体の封印を解除できるとも思えんが……この世界そのものがウィルの封印装置みたいなもんだ。それこそ世界規模の儀式魔法でも使わない限り、ウィルの封印は解けない」
淡々としたバヤールの説明。感情の色が見えないが、普段は冗談めかした口調で話すバヤールだ。感情の篭っていないその言葉は、ある意味そこに強い感情が込められているという事を雄弁に物語っていた。
バヤールのかつての友人達。ウィルには会う事ができず、フリッカとやらも記憶を失いバヤールの事を忘れてしまっている。
自分がバヤールの立場だったのならば、どんな感情を抱くだろう? タイガは想像して、少し苦しくなった。
「儀式魔法ってのは、効果対象を模した物を作って相互に影響を与える術式だ。簡単に言うと呪いの藁人形みたいなもんだな。人間に見立てた人形を作り、人形を害する事で人間にも危害を加える……藁人形ぐらいなら簡単に作れるが、世界を模した物を造るなんて土台無理な話だ。世界まるごと巻き込んだ儀式魔法なんてありえねぇ」
「ところがそうでもない」
突然の、知らない声。
その場にいた者は瞬時にそちらに向き直り、武器や魔法の準備を行う。
向かう先には、やや緑がかった黒髪の男。
一見、ただの人間に見える。だがその男の目を見た瞬間、タイガは心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚えた。この男は、人間ではない。こんな目をした奴が、人間であるはずがない。
視線を集中させると、ヴィクターという名前が浮かび上がってくる。
ヴィクター。
レオが追っている相手。
つまりは、神人……か。
「既に計画は最終段階に入っている。あとは最後の欠片さえ揃えば計画は完遂する……その欠片が何なのかは、言わなくても察しが付いていると思うが」
レオとバヤールの方に視線を向けるヴィクター。
タイガとダグラスの事は眼中に無い様子だ。
「復活したウィルの素体となる神人が欲しいのだよ。素体無しで復活させられないわけではないが、力を収める器がなければ完全復活とはいかない……後々邪魔になる調律を素体にする事で一石二鳥と行きたかったのだが、残念な事に逃げられてしまってね。次に目をつけたのが君というわけだ――レオ君」
最後にレオの名を出した時、ざわりとヴィクターの体から何かが漏れ出したような気がした。
背筋が凍る。こいつはヤバイ。魔族なんか目じゃないくらいに。
「……やっぱりこの眼は、神人の力の一部か。たぶんそうだろうなとは思っていたけれど」
圧倒的な気配を放つヴィクターを前に、レオは気丈にも立ち向かう。
だが、完全に普段通りというわけにはいかないようだ。弓を手にするその指がかすかに震えているのが見えた。
空中に浮かんでいたバヤールはレオの腕に戻り、ヴィクターに向かって語りかける。
見るからに、ヴィクターに対してあまり良い感情は持っていない。むしろ、犬猿の仲と言ったほうがいいだろうか。
「ちょっとばかし眠ったからって、怒りが晴れてるとは思えんがね。神様ってのはねちっこいからな……お前と同じだ。特にあの天然馬鹿のウィルは、一度思い込んだらそればかりに気をとられる」
「仮に人間達に被害が出たとして、文字通り天罰というものだ。配慮には値しない」
蚊帳の外に置かれていたタイガだが、ようやく気分が落ち着いてきた。いつでも魔法が放てるように準備を終え、バヤールとヴィクターの間に割り込む。
まず口にするのは、一番重要な事。
「つまり、お前の目的はレオなのか」
「そうだとも。君達はレオのお仲間なのだろう? なら、私と君達の願望が相容れる事はない。ゆえに争いは避けられない」
無視されるかもしれないと思ったが、意外にもヴィクターはこちらの問いに答えた。
その答えは予想通り、タイガの望んでいないものだったけれど。
ヴィクターは両の手を広げて語りかける。
タイガ達を迎え入れるように。絡め取るように。
「抵抗してみせろ。君達は通常の人間より上位の存在だ、神の分身たるこの身を滅する事も、あるいはできるのかもしれん」
ヴィクターは本当に愉しそうに嗤いながら、そう口にした。




