第9話 神人アンヘル
「三万だと?」
人里離れた洞窟の中で、金髪の男が気だるげに声を上げた。
それを聞いた盗賊達は抗議の声と判断したが、男は別段そんな感情を込めたつもりは無い。ただ単純に疑問の声を上げただけだ。
暗い洞窟の中のためその顔の殆どは影に隠されているが、男は怖気震うような美貌を持っている。本当に人間なのか疑わしいほどだ。いや、本当に人間ではないのかもしれない。男の目には感情が篭っていない。目に映る全てが等しく無価値に映る。そんな目だ。
「確か一万シリングで買い取ると言う話だったはずだが……」
「悪いが値上げしたんだよ。キャラバンの護衛連中が意外と強くてこっちにも被害が出たからな。これぐらい貰わないと割りにあわねぇ」
盗賊のボスがもっともらしい理屈を並べるが、当然嘘だ。
カモがのこのことやって来たのだ。わざわざ逃がしてやる必要もない。
「それでどうするんだ? 買うのか、買わないのか」
「買わん。あいにくと持ち合わせが無い。この話は無かった事にさせてもらおう」
男がそう言うやいなや、盗賊達が男を取り囲む。何の合図も無く連携の取れた動きをしている所を見るに、最初からこうする腹積もりだったのだろうと男は判断した。
だが別段構わない。相手が自分と同じ事を考えていたと言うだけのことだ。こんな連中と自分が同じ事を考えていたのかと思うと若干の不快感を感じるが、まぁその程度の話だ。
「そりゃあねぇよ……こっちは苦労してキャラバンの連中を皆殺しにしてまで人攫いしてきたんだぜ。もうお天道様に顔向けできねぇ。責任はとってもらう」
盗賊達は各々の武器を構えて男に向け、下卑た笑みを浮かべた。
弱者を痛ぶるのを想像して心底楽しそうに笑う盗賊達。
「持ってるもん全部置いていきな……金も、命もなっ!」
盗賊のボスの合図と共に、周囲の盗賊達が男に襲いかかる。
男は動かない。動く必要がない。
「なぁッ!?」
男の周囲に輝く盾のような物が出現し、盗賊達の攻撃は全て無効化されていた。
六角形をいくつも並べたような形状。男を隙間無く覆ってはいるが、目に見えるのは薄っぺらい光だけだ。だが、まるで貫ける気がしない。
盗賊達のうちの一人がごくりと唾を飲む。盾の発する光に照らされた男の目を見てしまったのだ。目を見た瞬間、盗賊の心は恐怖に囚われていた。こいつはヤバいと遅まきながら気づき、逃げる算段を頭の中で巡らせる。今更そんな事を考えても、全ては遅きに失する事ではあったが。
「先に言われてしまったな……レアスキル持ちの女とやらと、ついでに貴様らの命を置いていけ。この俺に刃向かった罪は重い。命で償いきれぬ分は地獄で支払うと良い」
男が何かしたそぶりはない。相変わらず仁王立ちしたままだし、スキルや魔法を発動した様子もない。
だが、男の周囲の状況は激変していた。男を取り囲んでいた盗賊達の首がねじ切れ、吹き飛んでいた。
鮮血が洞窟中に飛び散る。血を浴びなかったのは、盾に守られている金髪の男の体のみ。
男は無感情に周囲を見回し、自分が力を振るった結果を確認した。
盗賊達と同様、男の方も弱者を蹂躙する機会はそれなりに多い。多いが、盗賊達とは違いそれを楽しいと思ったことなど無かった。何ら脅威も興味も感じないものを潰して何を楽しがる事がある? 虫を潰して回るようなものだ。むしろ面倒だとしか思わない。
「お、おま、おまえ。なん……」
唯一生き残っていた盗賊のボスが声を震わせる。一人離れて男が嬲り殺しにされるのを眺めようとしていたためか、どうやら今の一撃に巻き込まれなかったらしい。
腰を抜かしたのか、ボスはへたり込みながらも必死に腕を動かして男から距離を取ろうとしていた。
だが、無駄だ。
「ああ、悪かったな。全員まとめて殺すつもりだったのだが……自分でも調整が上手くできんのだ。何しろ、思ったことがそのまま実現してしまうという厄介な性質なものでな。自制との兼ね合いが難しい」
男が盗賊のボスの下までゆっくりと歩いていく。
ボスは立ち上がることすらできず無様に地面を這って逃げようとするが、起伏の激しい洞窟の中を這って逃げるなどできるはずもなかった。
背後に冷たく暗い死の気配を感じたボスが後ろを振り返ると、目の前に男が立っていた。金髪の、暗く濁りきった悪魔のような目を持つ男。
「ま、待ってくれ! 俺が悪かった、この通りだ。何でもするから殺さないでくれっ!」
ボスは涙と糞尿を垂れ流しながら命乞いを始める。無様だろうがなんだろうが、ボスは死ぬのだけは御免だった。
男はそんなボスに対し、つまらなそうに言葉をかける。
「……なんだ? 死ぬのは嫌か。助かりたいか?」
「助かりたいですぅ! 命だけはどうかぁぁぁっ」
「だが駄目だな。お前は死ね」
男が盗賊のボスに向けて手をかざすとボスはその身の全てを磨り潰され、地面に赤い染みだけを残しこの世から消滅した。
やはりこうして手をかざした方がイメージしやすい。横着はいけないなと、男はただそれだけ思いながら周囲を見回す。
他に生き残っている人間はいない。次に進んで問題なさそうだ。
「さて、女はどこかな」
男は洞窟の奥へと歩みを進め、盗賊達が攫ったというレアスキル持ちの人間を探す。
盗賊達から事前に話を聞いた限りでは、そいつは男が探し求めていた者ではない。もう放置してもいいかとすら思ったが、せっかくだ。顔ぐらいは拝んでおこう。
奥の方に残っていた盗賊と死んだ目をした女達の体を捻じ切りつつ、不快な生臭い臭いに覆われた空間を通り過ぎる。
洞窟の一番奥には真新しい金貨や宝石、それと中身が空っぽの檻が転がっていた。おそらく今回襲ったキャラバンから強奪したものだろう。
はて、レアスキル持ちの女とやらはどこだ? もしや、先ほど殺した中にいたのか?
そう思いつつ目を閉じて部屋の中を探ってみると、檻の鍵が開いている事に気づいた。そして、風の流れも感じる。
風に導かれるままに洞窟の一番奥まで進んでそこに転がっていた木箱を蹴飛ばすと、そこには人がくぐり抜けるのに十分な大きさの穴が隠されていた。穴の中には、真新しい足跡。大きさから考えると女性のものだろう。風の流れを感じる以上、外まで繋がっているのはまず間違いない。いざという時の抜け道か。
「……は、はははは。ハハハハハッッ!」
男は腹を抱えて笑いだす。
出し抜かれた。逃げ出された。思い通りにいかなかった。こんな楽しいのは久しぶりだ。楽しすぎて涙まで出てくる。
「……オイオイ、イイのかよ?」
と、誰もいないはずの空間から声が発せられる。
次の瞬間、突如現れた痩せこけた男が地面に叩きつけられ辺りに轟音を響かせた。洞窟の天井からパラパラと岩の欠片が降り注ぐ。
「無粋だ。せっかくの楽しい気分が台無しではないか」
「……イテぇ。お前、容赦なさすぎダロ」
痩せこけた男は体中の骨がぐしゃぐしゃになっていたが、わずか数秒で体を再生させて立ち上がった。
「俺に言われても困るな。俺一人の意思では調律しきれん。まったく厄介なものよ」
「……オレは、ウラヤましい。アンヘルのような強い力が、羨ましい」
その言葉を聞いて、アンヘルと呼ばれた男の表情はやや不快感を強める。
隣の芝は青く見えるというが、この力の何が羨ましいものか。
力の調整に失敗した時、どうしてもかつての調律師を思い出してしまう。むしろ不快極まりない。
「ナァ、追わないのか?」
「追わない。この俺から逃げおおせたのだ、賞賛に値する。俺は十分楽しませてもらった」
「オレは、楽しんでない」
「ならお前の好きにしろ。俺は帰って寝るとする」
「アア、好きにする……久しぶりの、狩り、ダ」
帰ると宣言したアンヘルの姿が突如掻き消える。魔法もスキルも無しに転移をしたのだ。
痩せこけた男の方は、地面に溶けるように体を影の中に潜りこませると、抜け道を辿って洞窟の外に出た。そして犬のように周囲の匂いを嗅ぎつつ、逃げた女を追跡する。匂いは徐々に強くなっている。徐々に追いついているという事だ。捕らえるのも時間の問題だ。
痩せこけた男は、魔族と呼ばれる存在だった。アンヘルと同じく神によって生み出されたものだが、意図して生み出されたものではない。神が意図して創り出した者を神人と呼ぶのに対し、男のように不完全で不安定な存在は魔族と呼ばれるのだ。
悲しみ、不安、焦燥……そして人間への憎悪。そういった感情から生み出された魔族は、人間への憎しみを植え付けられている。抗い難いほど心の深い所で本能が囁いてくるのだ、人間を殺せと。
神人は世界に祝福を与え、魔族は世界に呪いを撒き散らす。一般的にはそう言われている。
ただ、神人も魔族と大差ないのではないかと男は思っていた。自分とアンヘルの何が違うのか? 一部の神人以外は温厚な性格をしていたと聞くが、アンヘルやヴィクターを見ているととても信じられるものではない。
疑問はあるが、まぁ別段どうでもいい事ではある。余計な考えを遠ざけて、男は追跡を続ける。
人を殺すのは楽しい。その感情に偽りは無い。なら、魔族だろうが悪魔だろうが、そう呼ばれ恐れられるのは自然な事なのだろう。
男はこの後のお楽しみを想像して、ニヤリと笑った。




